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2006年4月
いつも主の()(た ま)を受けられるように

いつも主の()(た ま)を受けられるように

デビッド・A・ベドナー
十二使徒定員会

わたしたちは自分が「主の御霊から身を引いて」いないかどうか吟味するよう努めるべきです。……自分を聖なる御霊から引き離すような選択や影響力に注意を払い,それらから学ばなければなりません。

デビッド・A・ベドナー今日(きょう),わたしは末日聖徒イエス・キリスト教会の会員である皆さんに注意を促し,訓戒するために話します。これからともに学ぶに当たって聖霊がわたしと皆さんを助けてくださるように祈っています。

罪の (ゆる)しのために水に沈めるバプテスマは,イエス・キリストの福音の最初の儀式です。バプテスマに先立って,救い主を信じる信仰と心からの完全な悔い改めがなければなりません。水のバプテスマの後に聖霊のバプテスマを受けることによって,バプテスマは完全なものとなります〔『聖句ガイド』「バプテスマ」の項,207参照〕。救い主がニコデモに教えられたように,「だれでも,水と霊とから (うま)れなければ,神の国にはいることはできない」のです(ヨハネ3:5)。今日は聖霊のバプテスマと,聖霊を 伴侶(はんりょ)とすることで得られる祝福に焦点を当てて話します。

バプテスマの儀式とそれに伴う聖約

バプテスマを受けたとき,わたしたちはそれぞれ天の御父と厳粛な聖約を交わしました。聖約とは神と地上にいる子供たちとの間の合意です。そして,福音の聖約はすべて神が条件を決められるということを理解することが大切です。皆さんやわたしが聖約の性質や内容を決めることはありません。むしろ,わたしたちは道徳的な選択の自由を行使して,永遠の御父が定められたとおりに聖約の条件と要求を受け入れるのです〔『聖句ガイド』「聖約(契約)」の項,152参照〕。

救いの儀式であるバプテスマは,ふさわしい権能を神から授けられた者によって執行されなければなりません。バプテスマの水の中で交わした聖約の基本的な条件は次のとおりです。すなわち,わたしたちは進んでイエス・キリストの 御名(みな)を受け,いつも主を覚え,主の戒めを守ることを証明するというものです。そしてこの聖約を尊ぶときに,いつも主の御霊を受けられるという祝福が約束されています(教義と聖約20:77参照)。言い換えれば,水によるバプテスマによって,神会の第3の御方を常に伴侶とすることが認められるのです。

確認と聖霊のバプテスマ

バプテスマの後,わたしたちはそれぞれ神権の権能を持つ人によって頭の上に手を置かれ,末日聖徒イエス・キリスト教会の会員に確認され,聖霊を授けられました(教義と聖約49:14参照)。確認の中で告げられた「聖霊を受けなさい」という言葉は,聖霊のバプテスマを受けるように努めなさいという指示です。

預言者ジョセフ・スミスは次のように教えています。「もしも罪の赦しと聖霊を受けることを考えずに,人にバプテスマを施すのであれば,砂の袋にバプテスマを施した方がよいでしょう。水によるバプテスマは,バプテスマの半分にすぎません。残りの半分,すなわち聖霊のバプテスマがなければ,何の役にも立たないのです。」(History of the Church,第5巻,499)わたしたちは罪の赦しのために水に沈めるバプテスマを受けました。同様に主の御霊によるバプテスマも受けて,御霊の中に沈められなければならず,「そうすれば,火と聖霊によって罪の赦しが与えられる」のです(2ニーファイ31:17)。

聖霊について経験を得るにつれて,わたしたちは御霊の影響力を常に同じ強さで感じるものではないことを知ります。深く心に残る霊的で強い印象は,頻繁にはもたらされません。忠実で従順であるように努めているときでさえも,生活の中で御霊による導きや確信,平安を容易に認識できないときがあります。実際,モルモン書には,忠実なレーマン人が「火と聖霊によるバプテスマを受けた。しかし,彼らはそれを知らなかった」と述べられています(3ニーファイ9:20)。

聖霊の影響力は,聖文では「静かな細い声」(列王上19:12。3ニーファイ11:3も参照)や「まったく優しい……声」(ヒラマン5:30)と表現されています。このように,主の御霊はたいてい静かな,繊細な,かすかな方法でわたしたちに語られます。

主の御霊から身を引く

個人で研究するときやクラスで教えるとき,わたしたちは主の御霊から受ける霊感や促しを認識することの大切さに度々重点を置きます。そのような学び方は正しくて有益なものです。わたしたちは導きを受けたときにそれを認識し,それに応じるように熱心に努めるべきです。しかし霊的な進歩に関して,聖霊によるバプテスマという大切な側面が見落とされていることが往々にしてあります。

わたしたちは自分が「主の御霊から身を引いて,祝福と繁栄と守りを得るための知恵の道に導く御霊を自分の内に宿さないように」していないかどうか吟味するよう努めるべきです(モーサヤ2:36)。いつも主の御霊を受けられるという祝福が約束されているのですから,自分を聖なる御霊から引き離すような選択や影響力に注意を払い,それらから学ばなければなりません。

標準は明らかです。もし何かを思ったり,見たり,聞いたり,行ったりすることが自分を聖霊から遠ざけるならば,それを思ったり,見たり,聞いたり,行ったりするのをやめるべきです。もし例えば娯楽を目的としたものがわたしたちを聖なる御霊から遠ざけるならば,そのような娯楽は確かにわたしたちにふさわしくありません。御霊は低俗なものや下品なもの,みだらなものに耐えることができないので,明らかにそのような事柄はわたしたちにふさわしくありません。避けるべきだと分かっている活動にかかわるとき,主の御霊を遠ざけます。ですからそのような事柄は確かにわたしたちにふさわしくありません。

わたしたちが死すべき世に住む堕落した者たちであって,毎日,毎時間,毎分,毎秒,聖霊とともにいることができないのは分かっています。それでも聖霊に,ほとんどの時間とまではいかなくても,多くの時間をともにいていただくことはできます。そして確かに,御霊を受けている時間を,受けていない時間よりも多くすることができるのです。絶えず主の御霊の中に沈められるようになるとともに,わたしたちは,導きを受けたときにそれを認識するように努め,また聖霊から身を引かせるような影響力や出来事についても認識するように努めるべきです。

「自分の導き手として聖なる御霊を受け〔る〕」ことは可能であって(教義と聖約45:57),霊的に成長し,ますます邪悪になる世の中を生き抜くうえで欠かせません。末日聖徒であるわたしたちは時々,生活の中で聖霊の影響力を認識することが珍しい,あるいは例外的な出来事であるかのように語ったり振る舞ったりすることがあります。しかし,聖約の約束がいつも主の御霊を受けられるという約束であるのを覚えていなければなりません。この天の祝福は,バプテスマと確認と「聖霊を受けなさい」という指示を受けたすべての教会員に当てはまるものです。

わたしたちの時代の予型および影としてのリアホナ

わたしたちの時代において,聖霊を常に伴侶として招く方法を学ぶために,最も頼るべき書物はモルモン書です。モルモン書にはリアホナ,すなわちリーハイと家族が荒れ野を旅したときに使った指示器または羅針盤についての記述がありますが,これはわたしたちの時代のための予型および影として,またきわめて重要な教訓として,特に記録に含まれました。この教訓のおかげで聖霊の祝福を享受するために何をしなければならないかが分かるのです。

態度と行いを義にかなったものとするように努めるとき,聖霊は今日のわたしたちにとって,リーハイと家族にとってのリアホナのようになってくださいます。リーハイのためにリアホナを働かせたのとまさに同じ要素が,聖霊をわたしたちの生活に招くことになります。そして昔リアホナの働きを止めたのとまさに同じ要素が,今日わたしたちが聖霊から身を引く原因となるのです。

リアホナ――目的と原則

リアホナの目的とそれが働くときの原則について研究し,深く考えるとき,わたしたちは自分と家族の状況と必要に合った霊感を受けることになるでしょう。わたしはそのことを (あかし)します。このようにして,わたしたちは聖霊から絶えず導きを受けるという祝福にあずかることができるのです。

リアホナは主によって用意され,リーハイが家族とエルサレムを去った後,荒れ野を旅していたときに与えられました(アルマ37:38および教義と聖約17:1参照)。この羅針盤または指示器は,リーハイと一行が進むべき方向を指し(1ニーファイ16:10参照),それはまさに「約束の地に至るまっすぐな道」でした(アルマ37:44)。リアホナの中にある指針は,旅をするリーハイたちの「信仰と熱意と注意力に応じて」働き(1ニーファイ16:28),家族が争ったときや粗暴になったとき,怠惰になったとき, 無頓着(むとんちゃく)になったときに働かなくなりました(1ニーファイ18:12,21;およびアルマ37:41,43)。

また羅針盤はリーハイと家族が「主の道について……理解を」得るための手段も提供しました(1ニーファイ16:29)。このように,リアホナの主要な目的は,長く厳しい旅の間に導きと教えを与えることでした。この指示器は物理的な道具として,彼らの内なる霊の立場が神の前でどのようなものかを外に示しました。それは,信仰と熱意の原則に従って働きました。

昔リーハイが祝福を受けたように,今日のわたしたちにも,現世の旅において導きと教えを与えてくれる霊的な羅針盤がそれぞれに与えられています。バプテスマと確認によってこの世から救い主の教会に入ったとき,皆さんもわたしも聖霊を授かりました。聖なる神権の権能によって,教会の会員に確認され,「真理の御霊」を常に伴侶とすることを求めるように勧告を受けました。「この世はそれを見ようともせず,知ろうともしないので,それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら,それはあなたがたと共におり,またあなたがたのうちにいるからである。」(ヨハネ14:17)

人生の道を進むとき,わたしたちはそれぞれが,リーハイがリアホナによって導かれたのと同じように,聖霊から導きを受けます。「見よ,わたしは,もう一度あなたがたに言っておく。あなたがたがその道によって入り,聖霊を受けるならば,聖霊は,あなたがたがなすべきことをすべてあなたがたに示されるであろう。」(2ニーファイ32:5)

リアホナがリーハイと家族のために働いたのとまったく同じように,聖霊は日々の生活の中で,わたしたちの信仰と熱意と注意力に応じて働かれます。

「絶えず徳であなたの思いを飾るようにしなさい。そうするときに,神の前においてあなたの自信は増〔す〕……であろう。

聖霊は常にあなたの伴侶となり,あなたの (しゃく)は義と真理の不変の笏となるであろう。」(教義と聖約121:45-46)

そして聖霊は今日わたしたちに,小さな,簡単なことによって,主の道についてさらなる理解を得るための手段を与えてくださいます。「しかし,助け主,すなわち,父がわたしの名によってつかわされる聖霊は,あなたがたにすべてのことを教え,またわたしが話しておいたことを,ことごとく思い起させるであろう。」(ヨハネ14:26)

主の御霊は現世の旅においてわたしたちの導き手となって,導きと教えと霊的な守りを与えてくださいます。わたしたちは個人と家族の有意義な祈りによって,またキリストの言葉をよく味わい,熱心で,完全に従順で,忠実であり,聖約を尊ぶことによって,そして徳と 謙遜(けんそん)と奉仕によって,聖霊を自分の生活に招きます。そして聖霊から身を引かせるような慎みのないもの,粗野なもの,下品なもの,罪深いもの,邪悪なものを,確固として避けなければなりません。

また,毎週安息日にふさわしい状態で 聖餐(せいさん)を受けるときに,わたしたちは聖霊を常に伴侶として招きます。「また,あなたは,世の汚れに染まらずに自らをさらに十分に清く保つために,わたしの聖日に祈りの家に行って,聖式をささげなければならない。」(教義と聖約59:9)

聖餐の儀式によって,わたしたちはバプテスマの聖約を更新し,罪の赦しを受けて保つことができます(モーサヤ4:12,26参照)。さらに,いつも主の御霊を受けられるという約束を毎週思い起こすことができます。そしていつも清く,世の汚れに染まらないでいるよう努めるとき,わたしたちは主の御霊が常にとどまることのできるふさわしい器となるのです。

1847年2月,預言者ジョセフ・スミスは夢すなわち示現の中で,ブリガム・ヤングに現れました。ヤング会長は預言者ジョセフに,兄弟たちへの伝言がないか尋ねました。預言者ジョセフは次のように答えました。「皆さんに 謙遜(けんそん)で忠実であるように,主の () (たま)保つように言ってください。それが皆さんを正しい道へと導くのです。静かな細い声を退けてしまうことのないように注意してください。静かな細い声は何をすべきか,またどこへ行くべきかを教えてくれます。王国の実を授けてくれるのです。」(『歴代大管長の教え――ブリガム・ヤング』43)その神聖な機会にブリガム・ヤングに教えることができたであろうあらゆる真理の中で,預言者ジョセフが強調したのは,主の御霊を得て保つことの大切さでした。

愛する兄弟姉妹の皆さん,永遠の父なる神と,御子イエス・キリストと,聖霊とが実際に生きておられることを証します。わたしたちそれぞれがいつも主の御霊を受けられるように生活し,それによってこの末日に不可欠な導きと教えと守りという祝福を受ける資格を得ることができますように。イエス・キリストの聖なる御名により,アーメン。

 
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