The Christus statue末日聖徒イエス・キリスト教会 検索 | フィードバック | サイト・マップ | ヘルプ | 国別サイト |
最初の画面へ Gospel Library General Conference
Conferences
2006年4月
さらに親切になる必要性

さらに親切になる必要性

ゴードン・B・ヒンクレー
大管長

人に対して意地悪くしたり,不親切にしたりする理由がどこにあるでしょうかなぜわたしたちすべてが周囲の人に友情の手を差し伸べられないのでしょうか。

ゴードン・B・ヒンクレー モンソン兄弟の後で話すのはとても難しいです。彼はユーモアに満ちている一方で,実に誠実な人です。

兄弟たち,皆さんの信仰と祈りに感謝します。心から感謝しています。

人は年を重ねると,角が取れて,物腰がより柔らかくなります。最近,このことについてよく考えます。

世の中になぜこれほど憎しみがあるのか,不思議に思ったことがあります。人命が奪われ,多くの人がひどい傷を負う恐ろしい戦争が各地で起きています。身近なところでは, 嫉妬(しっと),高慢, 傲慢(ごうまん),口うるさい批判があふれており,父親たちはささいな,つまらないことで怒り,妻たちを泣かせ,子供たちをおびえさせています。

民族間の紛争は今も醜い様相を呈しています。民族や人種の問題はこの教会の中にもあると聞いています。どうしてそのようなことが起きるのか,わたしには理解できません。1978年にキンボール大管長によって与えられた啓示を聞いたとき,だれもが喜んだように見えました。神殿でその啓示が与えられたとき,わたしはその場にいました。わたしや同僚たちの心の中では,明らかにされた啓示が主の思いと () (こころ)であることに一点の疑いもありませんでした。

しかし現在,民族や人種について侮辱する言葉や名誉を傷つける言葉が時折会員の間で聞かれるという報告が入っています。皆さんに申し上げますが,自分と異なる民族や人種をけなすような話をする人は,キリストのまことの弟子とは言えません。そのような人はキリストの教会の教えに従っていると言うこともできません。どうしてメルキゼデク神権を持つ男性が,自分は神権を持つにふさわしいけれど,肌の色が異なる男性は,たとえ義にかなった生活を送っていたとしてもふさわしくない,と傲慢にも言えるのでしょうか。

大管長会の一員として奉仕してきた間,社会の中で見られる多様性について何度も採り上げて話してきました。わたしたちの周囲には様々な民族や人種の人々がいます。わたしたちはその多様性に順応するよう努めなければなりません。

わたしたち一人一人が天の御父の息子娘であり,御父は御自身のすべての子供たちを愛しておられることを心に留めましょう。

兄弟の皆さん,この教会の神権組織の中に,異なる民族や人種に対して嫌悪感を抱くような根拠はどこにもありません。もしわたしの言葉を今聞いている皆さんの中にこの問題にかかわっている人がいるなら,主のみもとへ行って (ゆる)しを請い,今後は二度とかかわらないようにしてください。

わたしが受け取る手紙の中に,差出人が大会で採り上げてほしいと思うテーマを提案してくれるものが時々あります。先日もそのような手紙が1通届きました。最初の結婚が離婚に終わってしまったという女性からでした。彼女はその後に,一見とても親切で思いやり深い男性と出会いました。しかし,再婚後間もなく分かったのですが,その男性は金銭にだらしない人でした。彼はお金がないにもかかわらず,仕事を辞めてしまい,働くことを拒みました。そして,今度は奥さんが家族を養うために働きに出されたのです。

何年も過ぎ,その男性は今もなお仕事に就いていません。手紙をくれた女性は,同じように仕事に就かず,家族を養うために妻を長時間働かせている別の二人の男性についてもつづっています。

パウロはテモテに次のように言いました。「もしある人が,その親族を,ことに自分の家族をかえりみない場合には,その信仰を捨てたことになるのであって,不信者以上にわるい。」(1テモテ5:8)これはとても強く印象に残る言葉です。

主は現代の啓示でこのように語られました。「女たちは夫が取り去られるまで,夫に扶養を要求する権利がある。……

すべての子供たちは成人になるまで,その親に扶養を求める権利がある。」(教義と聖約83:2,4)

この教会の初期のころから,夫は一家の稼ぎ手であると見なされてきました。肉体的には能力があるのに,家族を支えるために働くことを拒む人は,決して良い会員とは呼べないと思います。

わたしは先ほど,なぜ世の中にこれほど多くの争いや憎しみ,辛らつな態度がはびこるのか分からないと言いました。もちろん,これはすべてサタンの仕業であることを知っています。サタンはわたしたちを個別に攻撃します。サタンは強い男性を倒します。教会が組織された当時からそのようにしてきました。ウィルフォード・ウッドラフ大管長はこう述べています。

「わたしはオリバー・カウドリの足もとで地が震えているのではないかと思えるほど彼が力強く見える場面に居合わせたことがあります。 () (たま)の影響を受けているときの彼ほどに,人が力強く (あかし)を述べるのを聞いたことはありません。しかし神の王国を去った瞬間に,オリバーは力を失いました。……デリラのひざの上のサムソンのように,力をそぎ落とされてしまいました。享受していた力と証を失いました。教会〔員〕として世を去ったものの,肉にある間に以前のような力と証を再び完全に取り戻すことはありませんでした。」(『歴代大管長の教え――ウィルフォード・ウッドラフ』105)

許可を得て,末日聖徒の多い地域に育った,ある青年の話をします。彼は教会の会員ではありませんでした。両親とともに,別の教会に熱心に集っていました。

彼の話では,子供のころ,数人の末日聖徒の知り合いが彼をけなしたり,のけ者にしたり,からかったりしたそうです。

彼はこの教会と教会員を文字どおり憎むようになりました。教会に良いところは何一つないと思いました。

その後,彼の父親が失業し,引っ越さなければならなくなりました。新しく住んだ地で,17歳のときに大学に入学しました。大学に入って,生まれて初めて友達の温かさを知りました。友人の一人のリチャードから,自分が会長をしているクラブに入らないかと誘われました。青年はこう書いています。「生まれて初めてわたしと行動を共にしたいと思ってくれる友達ができました。どう反応してよいか分かりませんでしたが,ありがたく思って入会しました。……友人がいるという気分はすばらしいものでした。わたしは生まれてからずっと友人ができるように祈ってきました。そして,17年間待った末,神はその祈りにこたえてくださったのです。」

19歳のとき,夏のアルバイトの期間中,彼はリチャードと同じテントで生活しました。そして,リチャードが毎晩,ある本を読んでいることに気づきました。青年は何を読んでいるのか尋ねました。すると,モルモン書を読んでいると言われました。彼はこう言っています。「わたしは慌てて話題を変え,寝床に就きました。何しろわたしの子供時代を台なしにした本ですから。その本のことは忘れようとしましたが,1週間が過ぎてもよく眠れませんでした。なぜリチャードは毎晩モルモン書を読んでいるのだろうか。頭の中を巡っている,答えの出ない疑問に次第に耐えられなくなりました。そこで,ある晩,その本の何がそんなに大切なのか尋ねてみました。一体何が書かれているのか,と。彼はわたしに本を渡そうとしました。わたしは慌てて,その本には触れたくない,と告げました。中に何が書かれているのかだけ知りたい,と言いました。彼は自分の読んでいたところの続きから読み聞かせてくれました。イエスについて,そしてイエスがアメリカ大陸に () 姿(すがた)を現されたことについて読んでくれました。わたしはショックを受けました。モルモン教徒がイエスを信じているなんて思ってもみませんでした。」

やがてリチャードから一緒にステーク大会の聖歌隊で歌わないかと誘われました。その日がやって来て,大会が始まりました。「七十人第一定員会のゲーリー・J・コールマン長老が来て,話をしました。大会の中で,コールマン長老も〔改宗者〕であることを知りました。大会が終わると,リチャードはわたしの腕を取り,コールマン長老と話しに行こうと言い出しました。わたしはようやく了解しました。そうしてコールマン長老のところへ近づいて行くと,長老が振り向いてほほえんでくれました。わたしは自己紹介し,自分は会員ではないこと,そしてただ聖歌隊で歌うためだけに来たことを告げました。コールマン長老はほほえみ,わたしが来てうれしい,そして音楽はすばらしかったと言ってくれました。わたしは長老に,どうして教会が真実であることが分かるのかと尋ねました。すると,長老は短く証を述べ,モルモン書を読んだことがあるかと尋ねました。わたしは,いいえ,と答えました。長老は,わたしが初めて読むときに御霊を感じることを約束しました。」

この青年と友人は後に,旅行に出かけました。そのとき,リチャードは青年にモルモン書を渡し,声に出して読むように求めました。青年が言われたとおりにすると,突然聖なる御霊による霊感が彼の心に注がれました。

時が過ぎ,青年の信仰は強まりました。彼はバプテスマを受けることに同意しました。両親から反対されましたが,彼は話を進め,バプテスマを受けてこの教会の会員になりました。

彼の証は今現在も絶えず強まっています。つい数週間前,彼はソルトレーク神殿で美しい末日聖徒の女性と,この世と永遠にわたって結婚しました。ゲーリー・J・コールマン長老が結び固めの儀式を執り行いました。

話はこのような結末を迎えたわけですが,この話には学ぶべき事柄があります。一つ目は,若いモルモンの友人たちが行った,恥ずべき振る舞いです。

二つ目は,新しく見いだした友人のリチャードの彼に対する振る舞いです。これは以前に彼が経験したこととまったく逆でした。この振る舞いは,見込みがほとんどなかったにもかかわらず,彼を改宗とバプテスマへと導きました。

このような奇跡は,親切な心,敬意,愛があれば,起こり得ますし,今後もきっと起きるでしょう。人に対して意地悪くしたり,不親切にしたりする理由がどこにあるでしょうか。なぜわたしたちすべてが周囲の人に友情の手を差し伸べられないのでしょうか。なぜこれほど憎悪や敵意があるのでしょうか。これらはイエス・キリストの福音とは相いれないものです。

わたしたちは皆,つまずくことがあります。だれもが間違いを犯します。主の祈りの中でのイエスの言葉はこう言い換えられます。「わたしたちに対して罪のある者をわたしたちが赦しましたように,わたしたちの罪をもお赦しください。」(マタイ6:12参照)

預言者ジョセフと親しかったウィリアム・W・フェルプスは,1838年にジョセフを裏切り,そのためにジョセフはミズーリで投獄されることになりました。自分の悪事の大きさに気づいたフェルプス兄弟は,預言者に赦しを求める手紙を出しました。預言者は次のような返事をしました。

「わたしたちがあなたの行為によって非常な苦しみを被ったことは事実です。苦き (さかずき)はすでに人が飲み干せないほどに満ちており,あなたがわたしたちに敵対したときには,まったくあふれるばかりでした。……

しかし,杯は飲み干され,御父の御心が行われました。そしてわたしたちは今なお,生きています。そしてそのことを神に感謝しています。……

わたしはあなたが真実を告白し,心から悔い改めていることを信じて,再び友情の右手を差し出せることをうれしく思い,帰って来た 放蕩(ほうとう)息子に喜んでいます。

先の日曜日に,あなたの手紙が聖徒たちの前で読み上げられました。そして,W・W・フェルプスが再び会員になることが,聖徒たちの気持ちを表すかのように,全会一致で可決されました。

愛する兄弟,戻って来てください。争いは終わったのです。

最初の友は最後も友ですから。」(Teachings of the Prophet Joseph Smith,ジョセフ・フィールディング・スミス選〔1976年〕,165-166)

兄弟の皆さん,預言者が示したこの精神こそ,わたしたちが生活の中ではぐくむべき精神です。このことに無関心でいることはできません。わたしたちは主の教会の会員です。自分や人に対してだけでなく,主に対しても義務を負っています。この罪深い世は,強い男性,徳高い男性,信仰深い,義にかなった男性,進んで赦し,忘れる男性をとても必要としています。

最後に断っておきますが,これまで話してきた例は,大半の教会員の行動や態度を代表するものではありません。そのことをうれしく思います。わたしの周囲には,人に愛と関心を豊かに示している会員が大勢います。

先週,このホールは福音に従って生活しようと努めている,麗しい若い女性でいっぱいになりました。彼女たちは互いに対して寛容です。互いに強め合おうとしています。彼女たちは,両親や育っている家庭の誇りです。彼女たちは一人前の女性になりつつあり,今自分たちを動機づけている理想を生涯にわたって抱き続けることでしょう。

扶助協会の姉妹たちが続けてきた,数多くの善い行いについて考えてください。彼女たちの慈善活動の影響力は世界中に及んでいます。女性たちは手を差し伸べ,病人や貧しい人々のために自分たちの時間,愛情,そのほかの持てるものをささげています。

福祉プログラムでは,ボランティアが手を差し伸べ,食糧,衣服,そのほかの必要な物資を,困窮している人々のもとに届けています。

人道支援活動では,教会の枠を超えて,世界の貧しい国々を援助しています。この教会の貢献により,はしかの脅威が多くの地域から根絶されつつあります。

永代教育基金は,何千もの人々を貧困の泥沼から救い,知識と繁栄の明るい未来へと押し上げています。

この教会の善良な会員たちが,いかに互いの生活を祝福するために多大な努力を払い,いかに世界中の貧窮している人々を支援しているかについては,語り尽くすことができません。

わたしたちが行える善や人に与えられる影響力に,限りはありません。批判や否定的な言葉を心に留めず,強さと人を助ける能力と望みを求めて祈りましょう。福音の光を常にどこにあっても輝かし,贖い主の御霊がわたしたちから発せられるようにしましょう。

主はヨシュアにこう言われました。「強く,また雄々しくあれ。あなたがどこへ行くにも,あなたの神,主が共におられるゆえ,恐れてはならない,おののいてはならない。」(ヨシュア1:9)

主イエス・キリストの 御名(みな)によって,アーメン。

 
© 2009 Intellectual Reserve, Inc. 版権所有   権利と使用に関する情報.  プライバシーの方針