The Christus statueThe Church of Jesus Christ of Latter-day Saints Search | Feedback | Site Map | Help | Country Sites |
Home Gospel Library General Conference
Conferences
2006年4月
壊れたものを元どおりに

壊れたものを元どおりに

ジェフリー・R・ホランド
十二使徒定員会

心の貧しい人々に向けて言われた「わたしのもとにきなさい」という主の御言葉は,苦しみから人を救い,さらに成長させる方法を主は御存じだということを意味しています。

ジェフリー・R・ホランド 大いなる山上の垂訓でイエスが最初に語られた言葉は,悩んでいる人や落胆している人,意気消沈している人に向けたものでした。「こころの貧しい人たちは,さいわいである,天国は彼らのものである」とおっしゃったのです。1 わたしは,個人的な試練に直面している人や,家庭内の問題で苦しんでいる人たちに向かって話します。末日聖徒イエス・キリスト教会の会員か,それとも今朝わたしの話を聞いてくださっている,会員でない大勢の人たちの一人であるかにかかわらず話します。心の内の葛藤に独りで耐えている人,洪水のように押し寄せて来る絶望の波を,時には押し流されそうになりながら,必死でせき止めようと努めている人に向かって話します。特に,自分の人生が崩壊してしまって,もはや取り返しがつかないと感じている人たちに向けて話したいと思います。

そのような人すべてに,わたしの知っている,慰めに満ちた確かな解決策を教えましょう。それは,世の救い主御自身が与えてくださった明確な教えの中にあります。これについて救い主は,教え導く業を始めたときに語っておられますし,業を終えるときにも話しておられます。信者に対しても,確かな信仰を持っていない人に対しても言われました。個人的な問題がどのようなものであれ,すべての人に向けて,次のように言われたのです。

「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。」2

この約束の最初の部分にある,「わたしのもとにきなさい」という言葉は非常に大切です。この言葉は,わたしたちが求めている平安と休息を得るためのです。しかも,復活された後に救い主は,アメリカ大陸の神殿でニーファイ人たちに向かって,このような言葉で説教を始められました。「わたしのもとに来る心の貧しい人々は,さいわいである。天の王国は彼らのものだからである。」3

アンデレとヨハネは,初めてキリストの話を聞いたときに大きく心を動かされ,群集から離れて歩いて行かれるイエスの後を付いて行きました。だれかが付いて来るのを感じ取られたイエスは振り向き,二人に向かって,「何か願いがあるのか」とお尋ねになりました。二人は,「どこにおとまりなのですか」と尋ねました。するとキリストはこうお答えになりました。「きてごらんなさい。そうしたらわかるだろう。」翌日イエスは,もう一人の弟子となるピリポに出会い,彼にも,「わたしに従ってきなさい」という簡単な言葉をおかけになりました。4  程なくイエスは,ペテロをはじめほかの新たな使徒たちを召されましたが,そのときも同じように「わたしについてきなさい」とお招きになりました。5

わたしたちの務めに欠かすことのできないもの,この世での生活の根本にある義務が,この短い言葉に集約されていることは明らかです。地上での務めを果たしておられたとき,救い主は様々な場面でこの言葉をおっしゃいました。主はわたしたちにこう言っておられるのです。「わたしを信頼して,わたしから学び,わたしが行うように行いなさい。そうすれば,わたしが行こうとしている場所に向かって歩きながら,あなたが行こうとしている場所や,あなたが直面している問題,抱えている悩みについて,ともに話すことができます。わたしに従って来るなら,あなたを 暗闇(くらやみ)から連れ出しましょう。」そしてこう約束しておられます。「祈りに答えを与えましょう。また,あなたの魂に休みを与えましょう。」

愛する友人の皆さん,思いがけない困難や問題が山積した人生の中で,道を誤らずに安全に生きる方法は,これ以外にありません。重荷を負うことのできる方法や,モルモン書の中でヤコブが述べている「聖徒たちのために用意されているあの幸福」を見いだす方法は,これ以外にありません。6 

では,どうすればこの変わることのない招きに従って「キリストのもとに来」ることができるのでしょうか。聖文の中には数多くの実例や方法が挙げられています。皆さんはその中の最も基本的なものをよく知っているでしょう。最も簡単で第1に行う必要があるのは,心から願うことです。これは,わたしたちが知る最も基本的な信仰の形です。アルマは,「たとえ信じようとする望みを持つだけでもよい」と言っています。「ごくわずかな信仰でも働かせようと」努め,神の約束「の一部分でも受け入れることができる」ようになれば,第一歩としては十分です。7 「ごくわずかな」信仰であろうと,ただ信じ続けてください。まだ見てはいないけれども人生で確かに与えられるはずのものを待ち望むのです。8 この簡単なステップを,主イエス・キリストを中心に据えて行うことこそが,主の永遠の福音の第一原則なのです。この原則は過去も将来も変わることがありません。これこそが,絶望の (ふち)から ()い上がる第一歩なのです。

第2に,問題の一部かもしれないことで,自分で変えられることがあれば変えなければなりません。端的に言えば,悔い改めるのです。これはキリスト教関係の用語の中でいちばん希望と勇気を与えてくれる言葉かもしれません。わたしたちは変わることができます。そのことを天の御父に感謝しましょう。変わる力があることをイエスに感謝しましょう。変わることは,結局は御二方の助けがあって初めて可能なのです。もちろん,わたしたちが格闘している問題がすべて,自分が原因で起こるというわけではありません。ほかの人が原因となって起こる問題もあれば,現世では避けて通れない問題もあります。しかし,自分で変えられる部分があれば,変えるべきです。力が及ばない部分については,自分を責めてはなりません。このようにするとき,不完全なわたしたちに,救い主の (あがな)いの効力が確実に及びます。できない部分は主が引き受けてくださるからです。

第3に,あらゆる点で可能なかぎり救い主の特性を身に付けるよう努力することです。これは救い主の 御名(みな)を受けることに始まります。主の御名は,福音の救いの儀式に含まれる聖約によって正式に与えられます。聖約はバプテスマのときに始まり,神殿での聖約に至ります。そのほかにも, 聖餐(せいさん)にあずかることなど,生涯を通じていろいろな場面でわたしたちは聖約を交わします。それぞれの機会に祝福が増し,主を思い起こすことができます。ニーファイは,今朝わたしが話しているメッセージを当時の民に次のように教えました。「十分に固い決意をもって御子に従い,……誠意をもって行動し,……キリストの名を……受け〔なさい。〕わたしがあなたがたの主であり贖い主である御方の行われることを先見して,これまで語ってきたことを,あなたがたも行いなさい。」9

これらの最も基本的な教えに従うようになると,様々な面でキリストとすばらしい関係が築けるようになります。キリストの御心について祈りや断食, 瞑想(めいそう)をするようになります。聖文を深く味わい,人々に奉仕するようになります。「弱い者を助け,垂れている手を上げ,弱くなったひざを強め」るようになります。10 そして何よりも,「キリストの純粋な愛」をもって人々を愛するようになります。この愛は 賜物(たまもの)であって「いつまでも絶えることがな〔く,〕すべてを忍び,すべてを信じ,すべてを望み,すべてに耐える」のです。11 間もなくわたしたちは,そのような愛を抱く人々の生活には,主に至る道がたくさんあることに気づきます。わたしたちが手を伸ばせば,たとえほんの少しであろうと主に求めるならば,主はいつでもわたしたちに手を差し伸べようとされていたことが分かります。ですから,前に進みましょう。努力し,求め,決してくじけないことです。12

今日(きょう)わたしが願うのは,「心の貧しい人々」だけではなく,すべての人が,救い主の模範を自分で直接実践することです。時々わたしたちは,あまりに遠回りな方法で天に帰ろうとしています。プログラムや歴史,人の経験に振り回されているのです。これらは大切ではありますが,自分自身で経験することや主の真の弟子になること,主の愛のすばらしさを自分で味わうことから生まれる強さに比べたら,さほど重要ではありません。

たばこや麻薬,ギャンブル,または人を滅ぼす現代の疫病であるポルノグラフィーなど,中毒という魔物と闘っている人はいませんか。結婚生活がうまくいっていない人,子供が危険にさらされている人はいないでしょうか。性同一性の問題で悩んでいる人はいませんか。自分に自信が持てなくて困っている人はいませんか。病気やうつ状態,死に直面している人はいないでしょうか。あるいは皆さんの愛する人の中にそのような状況に直面している人はいないでしょうか。こうした悩みにどのような解決策を取る必要があるにせよ,まず最初に,キリストの福音に照らして考えてください。天与の約束を信頼してください。この点に関してアルマの次の証はわたしの証でもあります。「神に頼る者はだれであろうと,試練や災難や苦難の中にあって支えられ……るということをわたしは知っている……。」13

このように神の (あわ)れみ深い属性を信頼することは,キリストが説かれた福音の核となるものです。救い主の贖いはわたしたちから罪の重荷だけではなく,落胆と悲しみの重荷,心痛と絶望をも取り去ってくれることを証します。14 創世の始めから,神の助けに頼ることは,わたしたちに,より善い人になろうとする理由と,そうなるための方法,そして,罪の重荷を降ろして救いを達成しようとする動機を与えてきました。人生にはたくさんの苦労が付き物です。しかし,キリストのみもとに来る人,キリストの 御声(みこえ)を知っている人,キリストが行われたように行おうと努める人には,英語の賛美歌にあるように,「自分を超えた」力が与えられるのです。15 救い主は「〔あなたがたを〕わたしの手のひらに彫り刻んだ」ことを忘れてはならないとおっしゃっています。16 十字架上での苦しみと 贖罪(しょくざい)の計り知れない犠牲を思うと,主がわたしたちに背を向けて助けてくださらないはずはないと皆さんに約束できます。心の貧しい人々に向けて言われた「わたしのもとにきなさい」という主の御言葉は,苦しみから人を救い,さらに成長させる方法を主は御存じだということを意味しています。主が救いへの道を御存じなのは,主御自身がそこを歩まれたからであり,主は道そのものだからです。

兄弟,姉妹の皆さん,どのような悩みを持っていようとも,どうかあきらめないでください。どうか恐れに屈しないでください。わたしはヒンクレー大管長の父,ブライアント・S・ヒンクレー兄弟の話を思い出すといつも胸がいっぱいになります。彼は,息子のゴードンがイギリスへの伝道に旅立つ際に別れの抱擁をした後で,マルコによる福音書の第5章にある次の短い言葉を書いた手書きのメモを渡しました。「恐れることはない。ただ信じなさい。」17 主は水の上を歩いて来られたあの夜,恐れる弟子のもとに急いでやって来るとおっしゃいました。「わたしである。恐れることはない。」ペテロは叫びました。「主よ,あなたでしたか。では,わたしに命じて,水の上を渡ってみもとに行かせてください。」キリストは,いつものようにこう答えられました。「おいでなさい。」ペテロはその性分から,即座に舟から飛び出し,荒れ狂う海に足を踏み出しました。主を仰ぎ見ていた間は,風が髪を巻き上げようと,波のしぶきが衣服のすそをぬらそうと,何の問題にもならず,ペテロは主の方へ歩くことができました。信仰が揺らぎ,恐怖にとらわれたのは,主から目を離して荒れ狂う波と足もとの暗黒の (ふち)を見たときです。このときに初めて,ペテロは海に沈み始めました。恐ろしくなったペテロは叫びました。「主よ,お助けください。」

あらゆる問題や恐れを収め,落胆している人すべてに解決策をお与えになる主は,明らかにやや悲しみを感じて,おぼれかけている弟子に手を伸ばし,その手をしっかり握ると,優しくたしなめてこうおっしゃいました。「信仰の薄い者よ,なぜ疑ったのか。」18

孤独を感じたら,慰めが得られることを思い出してください。落胆したら,望みが得られることを思い出してください。心が貧しいならば,力が得られることを思い出してください。もうだめだと感じたら,元どおりになれることを思い出してください。

ナザレには,狭い道がある
歩く者の足は疲れ,その息は切れる
通りかかったこの場所には,
あのナザレの大工が
かつて住んでいた

砂ぼこりの舞い上がる道を歩き
村人たちは,しばしば訪ねて行く
そして彼の傍らの長いすに,
壊れた物を置く
彼に直してもらうために

壊してしまった人形を携えた少女
壊れたいすを持って来た女性
壊れた
(すき)やくびきを携えて来た男が言う
「大工よ,直してもらえませんか。」

そして,すべての人が,
自分の求めていたものを受け取る 
くびきであれ,鋤であれ,
いすであれ,人形であれ
一人一人が携えて来たものは,
壊れていたのだが
完全に元どおりに直って返って来るのだ

長い年月,坂を上り続け
重い足取りと,思い悩んだ目で
重荷を背負って上り続け
だれもが悲しげに叫ぶ

「ああ,ナザレの大工よ,
わたしの心は,壊れてしまい,
直しようがない
わたしの人生には救いがなく,
もう死にそうだ
ああ,大工よ,
元どおりにできるでしょうか」

すると優しい手が,
待ち構えていたかのように差し伸べられ
わたしたちの壊れた人生が,
愛に満ちた大工の人生に
織り込まれて溶け合い,
新たな人生が始まる──こうして,
「すべてのものは,新たにされた」

「壊れてしまったわたしの心と願い,
志,望み,そして信仰。
それらを完全なものとしてください
ああ,ナザレの大工よ!」
19

わたしたちすべて,特に心の貧しい人が,主のみもとに来て完全な者となれますよう,ナザレのイエス・キリストの御名によって祈ります。アーメン。

1.マタイ5:3

2.マタイ11:28-29

3.3 ニーファイ12:3,強調付加

4.ヨハネ1:35-39,43

5.マタイ4:19参照

6.2ニーファイ9:43参照

7.アルマ32:27参照,強調付加

8.アルマ32:21参照

9.2ニーファイ31:13,17

10.教義と聖約81:5

11.モロナイ7:47,46,45

12.アルフレッド・ロード・テニソン“Ulysses” The Complete Poetical Works of Tennyson (1898年), 89参照

13.アルマ36:3

14.アルマ7:11-12参照

15.“Lord, I Would Follow Thee,”Hymns, 220番

16.1ニーファイ21:16

17.マルコ5:36

18.マタイ14:27-31,強調付加

19.ジョージ・ブレアー“The Carpenter of Nazareth,”オバート・ C・タナー,Christ’s Ideals for Living (日曜学校手引き, 1955年), 22

 
© 2008 Intellectual Reserve, Inc. All rights reserved.   Rights and use information.  Privacy policy