モルモン書は,イエス・キリストの福音がその約束と効力において普遍であることを繰り返し教えています。
モルモン書は,イエス・キリストの福音がその約束と効力において普遍であることを繰り返し教えています。
昨年,預言者の勧めに従って,実に多くの人がモルモン書を読み,益を受けました。各自に従順の祝福が与えられ,大部分の人々はこの書物が
証する主イエス・キリストについて知識と証を増し加えました。
わたしたちは,ほかにも多くの事柄を学びましたが,何を学んだかは読み手によって異なりました。1冊の書物から,とりわけ神聖な書物から何を学ぶかは,読む前にどのような備えができているかで違ってきます。学ぶ意欲,学ぶ姿勢,そして主の
御霊から受ける光にどれほど心を向けているかです。
I.
今回モルモン書を読んでわたしが学んだことの一つは,神があらゆる国々に住む御自身の子供たちをどれほど愛しておられるかということです。モルモン書の最初の章で父リーハイは,主の「力と慈しみと
憐れみは地に住むすべての者に及んでい〔る〕」と主をほめたたえました(1ニーファイ1:14)。モルモン書は,イエス・キリストの福音がその約束と効力において普遍であり,地上に住む万民に及ぶことを繰り返し教えています。幾つかの例をそのまま引用しましょう。
●
贖罪は「アダムの堕落以来この世に住んだ,……あるいは世の終わりまでに住む全人類のために,世の初めから備えられ」ていた(モーサヤ4:7)。
●「そして,イエス・キリストにより人にもたらされた
贖いのおかげで,……すべての人〔が〕贖われる。」(モルモン9:13)
●「神はすべての人……まことに男,女,子供の区別なく,……すべての苦痛を受けられる。神がこれを受けられるのは,復活がすべての人に及〔ぶ〕ためである。」(2ニーファイ9:21-22)
●「主がだれかに,主の救いにあずかってはならないと命じられたことがあるだろうか。……そのようなことはない。むしろ主は,すべての人に救いを無料で授けてこられた。そして,……すべての人に,ほかの人と同様の者となる特権が与えられており,それを禁じられる者はだれ一人いない。」(2ニーファイ26:27-28)
モルモン書にはまた,「この御方の血は,……自分たちに関する神の
御心を知らずに死んだ者たち,あるいは気づかないで罪を犯した者たちの罪も贖う」と記されています(モーサヤ3:11)。同様に,「キリストの血は〔幼い子供たち〕の罪を贖う」のです(モーサヤ3:16)。贖罪を通して得られる復活と清めの力が全人類に及ぶというこの教えは,神の恵みが選ばれた少数の人々だけを救うという主張をきっぱり否定します。神の恵みはすべての人に与えられるものです。モルモン書のこれらの教えは視野を広げ,すべてを包み込む神の愛と,どこにいる人でもすべての人のために行われた,贖罪の普遍的効力に対する理解を深めてくれます。
II.
モルモン書は救い主について次のように教えています。「主は,御自分のもとに来て主の
慈しみにあずかるように,すべての人を招かれる。したがって主は,黒人も白人も,束縛された者も自由な者も,男も女も,主のもとに来る者を決して拒まれない。主は異教徒さえも心にかけられる。ユダヤ人も異邦人も,すべての人が神にとって等しい存在なのである。」(2ニーファイ26:33。アルマ5:49も参照)
「主は……すべての人を招かれ〔ます。〕」「男も女も」です。また,「黒人も白人も」,すなわちすべての人種を招かれます。しかし,「束縛された者も自由な者も」とはどのような意味でしょうか。「自由」の対義語である「束縛」とは,単なる隷属以上の意味があります。それは逃げることが難しい何かに縛りつけられているという意味であり,心身の苦悩によって自由を制限されている人を含みます。また,何らかの物質または行為を常習する人も含みます。もちろん,罪に縛られている人々,すなわちモルモン書の別の聖句で「地獄の鎖」と呼ばれるものに「縛られ」ている人々も指します(アルマ5:7)。また,神の戒めに反する伝統や習慣に抑えつけられている人々も含みます(マタイ15:3-6;マルコ7:7-9;教義と聖約74:4-7;93:39参照)。そして最後に,「束縛された者」はそのほかの間違った考えから抜け出せない人々を含みます。預言者ジョセフ・スミスは「束縛されている者を自由にする」1 ために
宣べ伝えると教えました。救い主は「御自分のもとに来て主の慈しみにあずかるように,すべての人を招かれ」,「主のもとに来る者を決して拒まれ」ません。「すべての人が神にとって等しい存在」なのです。
III.
どの国に住む神の子供たちも,主が彼らに
御姿を現されるという主の約束を受けています。モルモン書にはこうあります。
「イエスは御自分を信じるすべての人,まことにあらゆる国民,部族,国語の民,民族に聖霊の力によって御自身を現され,人の子らの中で,彼らの信仰に応じて大きな奇跡としるしと不思議を行われる。」(2ニーファイ26:13)
主の現れが「あらゆる国民,部族,国語の民,民族」に約束されている点に着目してください。
今日,教会の宣教師たちが働くことを許されているすべての国で,わたしたちはその約束が成就するのをの当たりにしています。以前はキリスト教にゆかりのなかった民族の間でも成就しているのです。
例えば,神を否定する共産主義の手から解放されたばかりのロシアで,主が男女に御自身を現されている例が数多くあります。ある二人のロシア人男性は,それぞれが違うときにモルモンを批判または
嘲笑する記事を読み,この教会の集会所を探した方がよいという強い気持ちを抱きました。彼らは二人とも宣教師に会って教会に加入しました。2
ナイジェリアの村で働く医師は,仲の良い友人が会衆の前で話をする夢を見ました。不思議に思ったこの男性は,日曜日にその友人が住む村を訪れ驚きました。夢で見たのとまったく同じ光景があったからです。友人がワードと呼ばれる会衆を監督として教えていました。この男性は何度も訪問する中で聞いた教えに感銘を受け,
伴侶とともに福音を学び,バプテスマを受けました。2か月後,同じ村に住む30人も教会に加入し,この男性の診療所が集会所となりました。
わたしが出会ったインド北部出身の男性は,靴屋にかけてあるカレンダーを見るまでイエス・キリストという名すら知りませんでした。彼は御霊に導かれ,あるプロテスタントの教会に加わりました。そして後に,遠い学生街を訪れたとき,「BYUヤングアンバサダーズ」というアメリカ人グループの舞台広告を見たのです。公演の最中,「プログラム終了後にロビーに行けば,青いブレザーを着た男性がどうすべきかを教えてくれる」という声が心に聞こえました。彼はこうしてモルモン書を手に入れ,それを読み,回復された福音に帰依しました。その後,彼は宣教師や監督として奉仕しました。
タイに住むある少女は,愛にあふれる天の御父の面影をずっと心の中に秘めていました。成人するまで,彼女は心の中で度々御父に祈り,相談しました。そして20代の初めに教会の宣教師に出会ったとき,彼らの教えを通して,幼いころから抱いてきた神に対する愛に満ちた思いを確かなものとしました。彼女はバプテスマを受け,タイで専任宣教師として奉仕しました。
カンボジアでは全人口のわずか5パーセントしかクリスチャンがいません。カンボジアに住むある家族は真理を探し求めていました。ある日,11歳の息子が自転車に乗っていると,ワイシャツを着てネクタイを締めた数人の男性がある人に絵を見せながら,それがだれであるかを質問しているのを見ました。息子は止まるまるべきだと感じました。その光景を見ていると,こう言うように促されました。「その人はイエス・キリスト,神の御子で,人を救うために来られました。」そして自転車で去って行ったのです。宣教師たちが彼と家族を見つけるまでに1か月かかりました。今日,父親は伝道部の副部長をしています。
去年の6月,ある5人家族がモンゴルに新しく建てられた礼拝堂のオープンハウスに訪れました。父親は建物に入ると強い力が体中を走り,かつて経験したことのない安らぎを感じました。そして涙があふれてきました。父親は宣教師たちに,そのすばらしい気持ちは何なのか,どうすればまた感じられるかを尋ねました。程なくその家族は全員バプテスマを受けました。3
これはほんの一例であり,もっと多くの人が福音を見いだしています。
IV.
モルモン書はまた,主は「すべての人が大いなる創造主に従うようになるために……すべての人のために」亡くなられたと教えています(2ニーファイ9:5)。救い主に従うとは,主の贖罪を通して罪を赦されるために,信仰,悔い改め,バプテスマを含め,主が指定された条件を満たさなければならないということです。これらの条件を満たせるかどうかは,わたしたちの願望,選択,行動にかかっています。「神は,神の声に聞き従うすべての人を救うために,この世に来られる」のです(2ニーファイ9:21)。
主は御自分のすべての子供たちのために道を備え,わたしたちがみもとに来ることを望んでおられます。モルモン書の最後の章でモロナイはこう懇願します。
「キリストのもとに来て,キリストによって完全になりなさい。神の御心に添わないものをすべて拒みなさい。もしあなたがたが神の御心に添わないものをすべて拒み,勢力と思いと力を尽くして神を愛するならば,神の恵みはあなたがたに十分であり,あなたがたは神の恵みにより,キリストによって完全になることができる。」(モロナイ10:32)
V.
聖書には,神がアブラハムと聖約を交わし,アブラハムを通して地のすべての「やから」すなわち「国民」が祝福されると約束されたことが記されています(創世12:3;22:18参照)。いわゆるアブラハムの聖約は,あらゆる地にいる神のすべての子供たちに,神のえり抜きの祝福を授けるための扉を開きます。聖書にはこう記されています。「もしキリストのものであるなら,あなたがたはアブラハムの子孫であり,約束による相続人なのである。」(ガラテヤ3:29。アブラハム2:10も参照)モルモン書には,「悔い改めて……御子を信じる」という主の招きを受け入れて実践するすべての人は,「主の聖約の民」となると約束されています(2ニーファイ30:2)。これは富も,血統も,そのほかの生特権も,わたしたちが「自分はほかの者よりも優れている」(アルマ5:54。モルモン書ヤコブ3:9も参照)と思い込む理由になってはならないことを改めて強調しています。実に,モルモン書ではこう戒められています。「あなたがたは,ある人をほかの人よりも優れていると思ってはならない。すなわち,人は自分自身をほかの人よりも優れていると考えてはならない。」(モーサヤ23:7)
聖書は,アブラハムの子孫の中に,「地のもろもろの国」に,「もろもろの民」に,そして「地のこのはてから,かのはてまで」(申命28:25,37,64節)散らされる者が出ると教えています。モルモン書は,アブラハムの子孫が「地の全面に,またすべての国民の中に散らされる」と宣言して(1ニーファイ22:3),聖書の教えを確かなものとしています。
モルモン書は,地上における救い主の務めが,散らされた主のすべての羊の群れに及んだことを教えてくれます。今日,中東と呼ばれる地域における主の業に加えて,モルモン書にはアメリカ大陸のニーファイ人に主が御姿を現されたこと,およびそのときに授けられた教えが記録されています(3ニーファイ11-28章参照)。そこで主は,御父がエルサレムの地にいない他の羊を訪れるように命じられたことを再び語られました(3ニーファイ16:1;ヨハネ10:16参照)。また,「まだ〔主〕の声を聞いたことがな〔い〕」(3ニーファイ16:2-3参照)ほかの人々を訪れるとも言われました。数世紀前に預言されていたとおり(2ニーファイ29:12参照),救い主はアメリカ大陸の弟子たちにこうおっしゃいました。「わたしは……イスラエルの行方の知れない部族にもわたし自身を現そう。彼らは父にとっては行方知れずではない。父は彼らを導いた先を御存じだからである。」(3ニーファイ17:4)
モルモン書は,主があらゆる国家の人々を愛しておられることの重要な証です。モルモン書は「この御方が,すべての国民……に御姿を現される」と宣言しています(1ニーファイ13:42)。「あなたがたは,国民は数多くあることを知らないのか。」主は預言者ニーファイを通してそうおっしゃいました。
「主であり,あなたがたの神であるわたしがすべての人を造ったこと,またわたしが海の島々にいる者たちを覚えていることを知らないのか。またわたしが上は天で治め,下は地で治めていること,そしてわたしの言葉を人の子ら,すなわち地のすべての国民にもたらすことを知らないのか。」(2ニーファイ29:7)
同様に,預言者アルマはこう教えました。「主はすべての国民に,その国民を使い,その国民の言葉を使って主の
御言葉を教えることを許されるからである。まことに,主は賢明にも,御自分が彼らにとってふさわしいと思われるすべての事柄を教えることを許される。」(アルマ29:8)
VI.
主はあらゆる国民に御自身を現されるだけでなく,その国民に御言葉を書き記すようにも命じられます。
「あなたがたは,……二つの国民の証が,わたしが神であることと,一つの国民をもう一つの国民と同じように覚えていることの,あなたがたへの証拠となることを知らないのか。わたしは一つの国民に語るのと同じ言葉を別の国民にも語る。……
わたしは,……すべての者に,わたしの語る言葉を書き記すように命じるからである。……
見よ,わたしがユダヤ人に語れば,彼らはそれを書き記し,ニーファイ人に語れば,彼らはそれを書き記す。また,わたしが連れ出したイスラエルの家のほかの部族に語れば,彼らもそれを書き記す。さらにわたしが地のすべての国民に語れば,彼らはそれを書き記す。」(2ニーファイ29:8,11-12。1ニーファイ13:38-39も参照)
モルモン書はさらに,これらの国民はそれぞれが記録した御言葉を得ると教えています(2ニーファイ29:13参照)。
主は最終的に,様々な国で御自身の子供たちに授けてきた霊感による教えを,全人類の益のために世に現されるでしょう。その中には,復活された主がいわゆるイスラエルの行方の知れない部族に御姿を現された出来事や,アブラハムのすべての子孫にあてられた啓示も含まれるでしょう。死海写本の発見はこれが実現する一つの方法を示しています。
新しい書物が出現するときには──預言によれば出現するのですが──すでに聖書があるという理由で一部の人がモルモン書に対して見せたような拒絶をされないように願っています(2ニーファイ29:3-10参照)。「したがってわたしが
一言語ったので,もう一言も語れないと思ってはならない。わたしの業はまだ終わっていないからである。わたしの業は人の存在が尽きるまで終わらない……。」(2ニーファイ29:9)
福音は実にどこにいる人でもすべての人,すべての国家,すべての国民のためのものです。だれもが招かれているのです。
わたしたちは,天から義が下り,地から真理が出てくると預言された時代に生きています。そして義と真理は「洪水のごとくに地を満た〔し〕」,「地の四方から」(モーセ7:62)選民を集めるのです。モルモン書は主の聖約をわたしたちに思い起こさせ,「イエスがキリストであり,永遠の神であり,すべての国民に御自身を現されることを」全人類に確信させるために世に現されました(モルモン書,タイトルページ)。主と主の使命に対するこの証を付け加えます。イエス・キリストの
御名により,アーメン。
注
1.History of the Church,第2巻,229
2.ゲーリー・ブラウニング,Russia and the Restored Gospel(1997年)200-201,220-221参照
3.ナイジェリア,タイ,カンボジア,モンゴルの例は,それぞれの国で奉仕した伝道部長から聞いたものである