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2006年4月
主なるわたしはもう〔あなたの罪〕を思い起こさない。」

主なるわたしはもう〔あなたの罪〕を思い起こさない。」

ボイド・K・パッカー
十二使徒定員会会長代理

御父の (あがな)いの計画があるおかげで,つまずき,倒れた者も「とこしえに捨てられ〔ることは〕ない」のです。

ボイド・K・パッカー ある父親と息子の話をします。父親であるアルマは預言者であり,息子のコリアントンは宣教師でした。

アルマの息子のうち,シブロンといちばん年下のコリアントンの二人はゾーラム人への伝道に従事していました。息子のコリアントンが宣教師の標準に従って生活していないために,アルマはひどく落胆しました。コリアントンは神の道を説く務めを放棄して,サイロンの地まで娼婦イザベルを追って行ったのです。(アルマ39:3参照)

「わが子よ,これはあなたにとって決して言い訳にはならない。あなたは自分に託された務めに心を注ぐべきであった。」(アルマ39:4)

アルマは息子に,悪魔が惑わしたのだと言い(アルマ39:11参照),不貞は「罪のない者の血を流すことや聖霊を否定することを除いて,どのような罪よりも非常に忌まわしい行為である」と告げました(アルマ39:5)。

そして,「あなたはそのような重大な罪を犯さなければよかったものを」と言ってこう語りました。「あなたの罪についてくどくどと述べてあなたをひどく苦しめることが,あなたのためにならないようであれば,わたしはそうはしなかったであろう。

しかし見よ,あなたは自分の罪を神から隠すことはできない。」(アルマ39:7-8)

アルマは兄たちの忠告を受け入れるよう,コリアントンに厳しく命じました(アルマ39:10参照)。

アルマはまた,この息子の罪悪が非常に大きいのは,その罪悪のために求道者を主から離れさせてしまったからだと言っています。「彼らはあなたの行いを見て,わたしの言葉を信じなかった。

それで,主の () (たま)はわたしに,『あなたの子供たちが多くの人の心を惑わして滅びに至らせることのないように,善を行うことを彼らに命じなさい』と言われる。したがって,わが子よ,わたしは神を (おそ)れてあなたに命じる。罪悪から遠ざかりなさい。」(アルマ39:11-12)

この激しい 叱責(しっせき)の後で,愛にあふれる父親アルマは,教師として息子に教え始めます。「を説き教えることは民に正しいことを行わせるのに大きな効果があり,まことにそれは,剣やそのほか,……どのようなことよりも民の心に力強い影響を及ぼ〔す〕」ことを知っていたからです(アルマ31:5)。ですからアルマはコリアントンに教えを説いたのです。

アルマはまず,キリストのことを話します。「わが子よ,キリストの来臨についてあなたに少し述べておきたい。見よ,あなたに言う。キリストは確かに世の罪を取り除くために来られる。キリストは御自分の民に救いの喜びのおとずれを告げ知らせるために来られる。」(アルマ39:15)

コリアントンは,はるか未来に起こるキリストの来臨についてどうして分かるのかと尋ねました。

それに対し,アルマはこう答えました。「今の人はキリストが来られる時代の人と同じように,神にとって貴い存在ではないだろうか。」(アルマ39:17)

コリアントンは,「死者の復活について,……心を悩まして」いました(アルマ40:1)。

それまでに復活について神に尋ねたことのあるアルマは,最初の復活とそれ以降の復活についてコリアントンに話します。「すべての人が将来,死者の中から出て来る定められた時がある。」(アルマ40:4)

アルマは,「人が死んだ時から復活の定められた時に至るまで,どのようなことが人に起こる」のかについても,すでに神に尋ねていました(アルマ40:7)。

そこで,コリアントンに次のように話しました。「すべての人の霊は,この死すべき体を離れるやいなや,まことに,善い霊であろうと悪い霊であろうと,彼らに命を与えられた神のみもとへ連れ戻される。」(アルマ40:11)「義人の霊は……幸福な状態……に迎え入れられ」(アルマ40:12),悪人の霊は「悪魔の意のままに捕らえられて連れ去られ……る。」(アルマ40:13)義人は「自分たちの復活の時まで……パラダイスにとどまる。」(アルマ40:14)

「あなたがたはその恐ろしい危機に陥るときに,『わたしは悔い改めて神に立ち返ろう』と言うことはできない。あなたがたはこのように言うことはできない。なぜならば,現世を去るときにあなたがたの肉体を所有しているその同じ霊が,あの永遠の世で,あなたがたの肉体を所有する力を持つからである。」(アルマ34:34)

アルマは息子に話します。「肉体の死と復活の間には時の隔たりがある……。また,霊は幸福か不幸かいずれかの状態に置かれ,この状態は神が定められた時まで続く。その時が来ると,死者は出て来てその霊と体とが再結合され,神の () (まえ)に連れ出されて立ち,自分の行いに応じて裁かれるのである。」(アルマ40:21)

「霊は体に回復され,体は霊に回復される。」(アルマ40:23)「これこそが預言者たちの口を通して語られてきた回復なのである。」(アルマ40:24)アルマは「ある人々は聖文を曲げて解釈し,このことについて大いに迷っている」と話しました(アルマ41:1)。

そして,こう続けます。「さて,わが子よ,今あなたの心を悩ましている,あなたの理解できないことがほかにも多少あることを,わたしは知っている。それは罪人を罰する神の公正についてである。あなたは罪人が不幸な状態に置かれるのは不当であると思っている。

さて見よ,わが子よ,このことをあなたに説明しよう。」(アルマ42:1-2)

アルマはコリアントンに,エデンの園とアダムとエバの堕落について教えます。「さて,これによって分かるように,わたしたちの始祖は,肉体的にも霊的にも主の御前から絶たれてしまった。このようにして,わたしたちが知っているように,彼らは自分の意志に従う者となったのである。」(アルマ42:7)

「人は死ぬものと定められた。」(アルマ42:6)

そして,なぜ死が絶対的に必要だったのかを説明します。「もし贖いの計画がなければ(それを捨てるならば),人が死ぬとすぐに,その霊は主の御前から絶たれるので不幸な状態に陥ったであろう。」(アルマ42:11)

アルマは正義とれみについてコリアントンに教えます。「正義によれば,贖いの計画は……人々が悔い改めるという条件がなければ成し遂げられない。」(アルマ42:13)

アルマはこう説明しています。「憐れみの計画は,が行われなければ成し遂げることができなかった。したがって,神は憐れみの計画を成し遂げるため,正義の要求を満たすため,また御自分が完全で公正な神,憐れみ深い神であり続けるために,御自分で世の罪の贖いをされるのである。」(アルマ42:15)

アルマは変わることのない永遠の律法についてコリアントンに教えます(アルマ42:17-25参照)。

そして,なぜ罰が必要だったのかをきわめて単刀直入に説明しています。「さて,罰がなければ,人は悔い改めをすることができなかった。この罰も霊の命と同じように永遠のものであり,霊の命と同じように永遠である幸福の計画に相対して定められたのである。」(アルマ42:16)

アルマは自分で経験して罰の苦痛と悔い改めの喜びを知っていました。アルマもかつてコリアントンの祖父に当たる自分の父親をひどく落胆させたことがあったからです。反抗して,歩き回り,「神の教会を滅ぼそうとして」いました(アルマ36:6)。そして天使に打たれました。それは自分の行いの報いではなく,父親と民の祈りがこたえられたためでした(モーサヤ27:14参照)。

アルマは罪悪感からひどい苦痛を感じたことを話します。「苦痛に責めさいなまれていたときに,わたしは自分の多くの罪を思い出してひどく苦しみながら,見よ,かつて父がイエス・キリストという御方の来臨について民に預言するのを聞いたことを思い出した。イエス・キリストは神の御子であり,世の罪を贖うために来られるというのである。

心にこの思いがはっきりと浮かんできたとき,わたしは心の中で,『おお,神の御子イエスよ,苦汁の中におり,永遠の死の鎖に縛られているわたしを憐れんでください』と叫んだ。

さて見よ,このことを思ったとき,わたしはもはや苦痛を忘れることができた。まことに,わたしは二度と罪を思い出して苦しむことがなくなった。

おお,何という喜びであったことか。何という驚くべき光をわたしは見たことか。まことに,わたしは前に感じた苦痛に勝るほどの喜びに満たされたのである。

わが子よ,まことに,あなたに言うが,わたしはほかにあり得ないほど激しく,またつらい苦痛を味わった。また息子よ,わたしは言う。それとは反対に,わたしはほかにあり得ないほど麗しく,また快い喜びを味わった。……

また,そのときからまさに現在まで,わたしは絶えず働き続け,人々を悔い改めに導き,わたしが味わった非常な喜びを味わわせ,彼らも神から生まれ,聖霊に満たされるようにしてきた。」(アルマ36:17-21,24)

「あなたは憐れみが正義から何を奪うことができると思うか」とアルマはコリアントンに問いかけ(アルマ42:25),キリストの贖いのおかげで永遠の律法はこの両方を満たすことができるのだ,と説明しました。

「聖霊に感じ」て(教義と聖約121:43。アルマ39:12も参照)アルマはコリアントンを厳しく責めました。そして,これらの福音の基本原則を根気よく,そして分かりやすく説いた後で,豊かな愛を注ぎました。

預言者ジョセフ・スミスは啓示によって次のことを学びました。「いかなる力も影響力も,神権によって維持することはできない,あるいは維持すべきではなない。ただ,説得により,寛容により,温厚と柔和により,また偽りのない愛により,

優しさと純粋な知識による。これらは,偽善もなく,偽りもなしに,心を大いに広げるものである。

聖霊に感じたときは,そのときに厳しく責めなさい。そしてその後,あなたの責めた人があなたを敵視しないために,その人にいっそうの愛を示しなさい。

それは,あなたの誠実が死の縄目よりも強いことを,その人が知るためである。」(教義と聖約121:41-44)

アルマは言いました。「おお,わが子よ,あなたはこれからはもう,神の正義を否定しないようにしてもらいたい。神の正義を否定することによって,どんなささいなことでも罪の言い訳をしようとしてはならない。むしろ,神の正義と憐れみと寛容があなたの心の中で存分に力を振るえるようにし,そのためにへりくだって地にひれ伏すことができるようにしなさい。」(アルマ42:30)

同じくアルマという名前のコリアントンの祖父は,邪悪なノア王に仕える祭司の一人でしたが,預言者アビナダイがキリストについて (あかし)するのを聞いて改心しました。そして命をねらわれたために悪い祭司のいる宮殿から逃げ出し,キリストについて教え始めました(モーサヤ17:1-4参照)。

今はその息子のアルマが,自分の息子コリアントンに向かって悔い改めを熱心に説いているのです。

息子を厳しく責め,福音の教義を根気よく教えた後で,愛にあふれた父親アルマはこう言います。「さて,わが子よ,あなたはこれからはもう,これらのことに思い悩まされることなく,ただ自分の罪にだけ心を悩まし,その悩みによって悔い改めに導かれるようにしてもらいたい。」(アルマ42:29)

苦しみと恥ずかしさのために,コリアントンは「へりくだって地にひれ伏す」に至りました(アルマ42:30)。

コリアントンの父であり神権指導者でもあるアルマは,コリアントンが悔い改めたことに満足しました。アルマは息子が背負っていた恐ろしい罪の重荷を降ろしてやった後で,再び彼を伝道地に送り返します。「さて,おお,わが子よ,あなたはこの民に御言葉を告げ知らせるために神から召されている。……あなたの道を行き,誠実にまじめに御言葉を告げ知らせて,……神がまことにわたしの言葉のとおりにあなたにかなえてくださるように。」(アルマ42:31)

コリアントンは兄のヒラマンとシブロン,そして神権指導者たちとともに働くようになりました。20年後も,北方の地で福音にあって忠実に働いています(アルマ49:30;63:10参照)。

わたしたちが住む非常に邪悪な世の中で,子供たちは進むべき道を見いださなければなりません。ポルノグラフィーや性の 倒錯(とうさく),不道徳,児童虐待,薬物中毒など,問題は至る所にあります。こうした勢力から逃れる方法はありません。

好奇心から誘惑に乗り,少し試してみようとする人がいます。そして,中毒のわなに陥り,望みを失います。こうして,悪魔は獲物を捕らえ,縛りつけるのです。

サタンはわたしたちを欺く者であり,滅ぼす者ですが,その勝利は長くは続きません。

運命からは逃れられないのだから罪を犯し続けるしかないのだと,悪魔の使いたちに信じ込ませられている人がいます。最もたちの悪い偽りの教えは,変わることも悔い改めることも不可能だとか,されるはずがないというものです。これが真実であるはずはありません。そのような教えを信じ込んでいる人々は,キリストの贖罪のことを忘れているのです。

「見よ,主なるあなたがたの贖い主は,肉体において死を受けた。それによって,すべての人が悔い改めて自分のもとに来ることができるように,主はすべての人の苦を引き受けた。」(教義と聖約18:11)

キリストは創造主であり, (いや)してくださる御方です。御自身がお造りになったものを,主は直すことがおできになります。イエス・キリストの福音は悔い改めと赦しの福音なのです。(2ニーファイ1:13;2 ニーファイ9:45;モルモン書ヤコブ3:11;アルマ26:13-14;モロナイ7:17-19参照)

「人の価値が神の目に大いなるものであることを覚えておきなさい。」(教義と聖約18:10)

イエス・キリストについてのもう一つの証であるモルモン書から引用した,この愛にあふれる父親と道をそれた息子の話は,現代にも当てはまる一つのパターンであり,実例です。

わたしたち一人一人は天の御父の息子です。御父の贖いの計画があるおかげで,つまずき,倒れた者も「とこしえに捨てられ〔ることは〕ない」のです(モルモン書,タイトルページ,第2段落)。

「人が悔い改めるとき,主の喜びはいかに大きいこと」でしょうか(教義と聖約18:13)。

「主……は,ほんのわずかでも罪を見過ごしにすることはない……。それでも,」(教義と聖約1:31-32)「自分の罪を悔い改めた者は赦され,主なるわたしはもうそれを思い起こさない」と主は言っておられます(教義と聖約58:42)。

この聖文以上にすばらしく,慰めを与える,希望に満ちた言葉がほかにあるでしょうか。「主なるわたしはもう〔彼らの罪〕を思い起こさない。」(教義と聖約58:42)これはモルモン書の証であり,わたしから皆さんへの証でもあります。イエス・キリストの御名によって,アーメン。

 
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