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総大会
2006年4月
「あなたがたの掲げる光とは,わたしである。」

「あなたがたの掲げる光とは,わたしである。」

スーザン・W・タナー
中央若い女性会長

わたしたち一人一人の〔キリストのような〕小さな行いはかすかな光であっても,ともに光を放つとき,際立った影響を周囲に与えることができるのです。

スーザン・W・タナー 初等協会のころに作ったクロスステッチ刺しゅうのデザインに「わたしは家庭に福音の光を輝かせます」という言葉がありました。わたしは「その光とは何だろう」と考えました。その最良の答えは,イエス・キリスト御自身がニーファイ人に教えられた言葉の中にあります。「あなたがたの光を掲げて,世の人々に輝き渡るようにしなさい。」そしてこう説かれました。「あなたがたの掲げる光とは,わたしである。すなわち,わたしが行うのをあなたがたが見た,その行いである。」(3ニーファイ18:24,強調付加)

ニーファイの民は,キリストのどのような行いを見たのでしょう。同じことをわたしも家庭で行えるでしょうか。もう少しとどまっていただきたいと民が願ったとき,キリストは哀れみに満たされ,少しの間そこにとどまられました。そして彼らを (いや)し,ともに祈り,教え,涙を流し,幼い子供たちを一人一人祝福し,食べ物を与え,導きを与え,いつも主を覚えることを聖約できるように 聖餐(せいさん)を分け与えられました。民の中で主が教え導かれたのは,互いに教え合い,思いやること,また天の御父が御自分に命じられた業を成し遂げることについてでした。御自分のことはまったく考えておられませんでした。このことを学んだときから,キリストのような無私の行いを通して家庭に主の光を輝かせるための,わたしの生涯にわたる努力が始まりました。

それは決して容易ではありません。家庭や家族を立派に整えても褒めてくれる人はだれもいません。「立って光を放ち……あなたがたの光〔を〕もろもろの国民のための旗と」する方が,あなたの光をあなた自身の家族のための旗とするよりも,むしろ簡単かもしれません(教義と聖約115:5,強調付加)。家庭で善い行いをして光を輝かせても,ほかの人の目には留まらないこともあるでしょう。褒められたい,注目を浴びたいと望むのは,人として自然なことです。ヒラマンは息子のニーファイとリーハイに,その名前の由来である祖先のなした善い行いをするようにと教えました。しかし,「誇るためにこれらのことを行うのではなく,……宝を自分自身のために天に蓄えるため」でなければならないと教えました(ヒラマン5:8)。人から称賛されようとして,善い行いをするべきではありません。

チャールズ・ディケンズの小説『荒涼館』に登場するジェリビー夫人には,ディケンズの言葉を借りれば,「望遠鏡的博愛」という欠点があります。遠い地で苦しむ部族を助けるのに夢中なあまり,慰めを求めて母親のもとに来る,みすぼらしい格好をした,傷だらけの我が子をないがしろにしていました。ジェリビー夫人は,偉大なことを行って人の目に留まりたかったのでしす(チャールズ・ディケンズ『荒涼館』筑摩世界文学大系,青木雄三,小池滋訳,26-34参照)。家族を助けるよりも,ハリケーン被災者を助けたいと思う人もいるかもしれません。どちらも大切ですが,家族を助けることはわたしたちの第一の,そして永遠の責任です。「両親には,愛と義をもって子供たちを育て,物質的にも霊的にも必要なものを与え……るという神聖な義務があります。」(「家族──世界への宣言」『リアホナ』2004年10月号,49)

わたしの心に浮かぶもう一人の登場人物は,ディケンズのジェリビー夫人とは対照的なドロシアという女性です。わたしの好きな『ミドルマーチ』という小説の主人公ですが,小説の最後で,家族や友人に対する目立たない無私の行いのゆえに人々の心に刻まれます。小説にはこう書かれています。「彼女の豊かなひととなりは,……この地上にはほとんど名をとどめない幾つもの小さな流れとなって終った。しかし彼女の存在が周囲の者に与えた影響は,数えきれぬほど広くゆきわたっている。なぜなら,この世界の善が増大するのは,一部は歴史に記録をとどめない行為によるからである。そして世の中が,お互いにとって,思ったほど悪くないのは,その半ばは,人目につかないところで誠実な一生を送り,死後は訪れる人もない墓に眠る人が少なくないからである。」(ジョージ・エリオット『ミドルマーチ』講談社世界文学全集,工藤好美,淀川郁子訳,446)

この備えの時期に,若い女性の皆さんは,多くの時間を学校や仕事で費やし,栄誉や賞,メダルやトロフィーを受けるでしょう。そのような時期から若い母親としての務めに移行すると,人から称賛を受けることはほとんどなくなります。しかしこのときほど,家族の肉体的,精神的,霊的な多くの必要を日々満たすために,キリストのような無私の心で日々仕えられる機会はありません。皆さんは人から見られるためではなく,力と光に満ちた男性や女性を育てるために,福音の光を家庭に輝かせるのです。

家庭は人から見えない場所であるため,残念ながら,ないがしろにされがちです。家庭にあってわたしたちは,いちばん大切な存在である家族に対して,最低の自分をさらけ出してしまうことがあります。14歳のときの,ある朝の出来事を今でもはっきり覚えています。登校前,機嫌が悪かったわたしは,両親と兄弟たちに対してひどい態度を執りました。それなのに,いったん家を出ると,バスの運転手には丁寧な言葉遣いをし,周りの友達には愛想よく接していたのです。自分の行いに裏表があるのを痛感し,良心がひどく痛みました。先生に,家に電話したいので少し席を外してもよいか尋ねてから,わたしは母に電話し,自分のしたことを謝りました。そして,どんなに愛し,感謝しているかを告げ,それを示すためにもっと努力すると約束しました。

家庭においてたった1日でも争わずに過ごすというのは,ほとんどの人にとって難しいことです。ニーファイ人の国では,200年の間,完全な社会が続きました。「地の面にはまったく争いがな〔く,〕また,ねたみや紛争,騒動,みだらな行い,偽り,殺人もなく,どのような好色もなく,神の手によって造られたすべての人の中で,彼ら以上に幸せな民は確かにあり得な」いほどでした(4ニーファイ1:15-16)。

大変難しい問題を抱えた家族に生まれてくる人もいますし,たとえ良い家庭であっても,様々な困難は付き物です。わたしたちは家庭にあって,キリストがニーファイの民に対してされた行いをしなければなりません。家族への宣言で教えられているように「家庭生活における幸福は,主イエス・キリストの教えに基づいた生活を送るときに達成されるに違いありません。」(「家族──世界への宣言」『リアホナ』2004年10月号,49)ですから皆さんは,家族が罪や怒り,ねたみや争いを克服できるように,光となって助けなければならないのです。わたしたちは,ともに祈り,互いのために涙を流し,傷を癒し合い,無私の愛を注ぎ,仕え合うことができます。

今,若い女性の皆さんは,現在の家庭や家族に福音の光を輝かせることによって,将来の家庭や家族を強める備えをしているのです。小さく,取るに足りないと思える事柄を行うことによって,大きな違いを生み出せるのです。ニュージーランドの 洞窟(どうくつ)に住むツチボタルという羽虫の幼虫について読んだことがあります。一匹一匹の光はかすかなものですが,何百万という数のツチボタルが洞窟内に光を放つとき,文字が読めるほどの明るさになるそうです。同様に,わたしたち一人一人の小さな行いはかすかな光であっても,ともに光を放つとき,際立った影響を周囲に与えることができるのです。今晩,聖歌隊の歌う「もっとかがやこう」という次の歌を聞くとき,皆さんは自分たちの小さな光を輝かせる大切さを思い出すことでしょう。

「わたしの光は信仰と祈り
小さいけれども明るく光る

『光を隠すな』主の戒め
世の光となれ 光り輝け

もっともっと輝こう
信仰,祈り,世に輝こう」
(「もっとかがやこう」『子供の歌集』96)

わたしたちは様々な方法で光り輝くことができます。幼い弟をあやしたり,妹と一緒に学校のカフェテリアで食事をしたり,家の仕事を手伝ったり,けんかをしないようにしたり,お互いの成功を喜んだり,おやつを分け合ったり,病気の家族を世話したり,夜,「ありがとう」と書いたメモを親の枕もとに置いたり,嫌な思いをさせられても (ゆる)したり, (あかし)をしたりなど,いろいろなことができるのです。

ルーマニアで,最近教会に入ったばかりのラルカという17歳の若い女性に会いました。彼女のバプテスマはとても幸福な時間となりました。何よりも,家族全員が出席してくれたからです。そのとき,母親と妹は 御霊(みたま)を感じ,宣教師から福音を学びたいと願いました。しかし,父親はこのなじみのない宗教に家族全員を取られてしまうのではないかと心配し,許可を与えてくれませんでした。しばらくの間,家族の関係はぎくしゃくしていました。でもラルカは自分がイエス・キリストの 御名(みな)を受けるというバプテスマの聖約を交わしたことをいつも覚えていて,イエスならされるだろうと思うことを家庭の中で行い,キリストの光を掲げる努力をしました。平和を作り出す人になり,模範を示し,教師となり,癒す人となったのです。

最終的に,父親は心を和らげ,家族が福音を学ぶのを許し,家族はバプテスマを受けました。そしてついに,父親自身がバプテスマを受け,家族全員が喜びに包まれました。彼は自分のバプテスマ会で,しばらくの間,家族の中で二つの心臓が別々のリズムで動いているような時期があったけれども,今では互いに和合し,愛し合って結ばれた心を持ち,一つの信仰と一つのバプテスマの下にありますと語りました。そして,それまで助けてくれた宣教師や会員への感謝を伝えた後,娘のラルカに特別な感謝を述べました。困難な時期にあっても,彼女がキリストに似た者として,平和を作り出す人,癒す人,教師,模範,そして光であり続けてくれたおかげで,家族全員がイエス・キリストの教会に入ることができたと結びました。

皆さんはそれぞれ光を持っています。今晩こうして皆さんの顔を見ると,また世界各地で出会った皆さんの顔を思い出すと,「天使の顔のように」光り輝いて見えます(ヒラマン5:36)。ニーファイとリーハイ,そしてヒラマンの息子たちの顔は,罪の 暗闇(くらやみ)に覆われた世にあって,「非常に輝いて」いました(ヒラマン5:36)。二人と同じ光を得たいと思った周りの人々は「我々を覆っているこの暗黒の雲が離れ去るようにするには,我々はどうすればよいのか」と尋ねました(ヒラマン5:40)。彼らは,悔い改めてイエス・キリストに信仰を持つように教えられました。そのとおりにすると,暗黒の雲は離れ去り,火の柱に包み込まれ,聖なる御霊による言いようのない喜びに満たされました(ヒラマン5:43-45参照)。

皆さんがだれかの前で光を輝かせば,その人もさらに大きな光を見いだすことでしょう。家族以上に,皆さんの光を必要としている人がいるでしょうか。皆さんはすばらしい若い女性であり,顔は光り輝いています。皆さんは家庭にあっても教会にあっても現在の力であり,未来の希望なのです。

イエス・キリストはわたしたちが掲げるべき光です。「イエス・キリストは世の光,命,そして希望です。イエス・キリストの道は,この世においては幸福に,後の世においては永遠の命に至る道です。」(「生けるキリスト──使徒たちの証」『リアホナ』2000年4月号,2-3)わたしたち一人一人が主の光によって輝くことができますように,イエス・キリストの御名によって,アーメン。

 
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