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水に映る影

ディーター・F・ウークトドルフ管長
ディーター・F・ウークトドルフ管長


ディーター・F・ウークトドルフ管長,  “水に映る影” 

ヤングアダルト対象のCESファイヤサイド・2009年11月1日・ブリガム・ヤング大学

心から愛する兄弟姉妹の皆さん,たった今聞いた二つの賛美歌の言葉にあるように,わたしたちも全能の主をほめ称え,正しいことを行いましょう。そして,それらを生活信条とし,天の御父のみもとに帰るうえで,よりふさわしくなりましょう。何と壮観な光景でしょう。皆さんと同じ笑顔の美しい,末日聖徒イエス・キリスト教会の若い教会員が世界中で大勢集っている姿が目に浮かびます。皆の顔がそっくり似ているわけではありませんが,多くの共通点を持っています。今夜,皆さんにお話するこのすばらしい割り当てと機会をくれたモンソン大管長に感謝しています。

醜いあひるの子

最も愛されている童話作家の一人に,デンマーク人のハンス・クリスチャン・アンデルセンがいます。アンデルセンの作品の一つ『醜いあひるの子』では,母あひるが生まれたばかりのひなの中に,異常に大きくて醜いひながいるのに気づきます。初めは七面鳥の卵が混じっていたのではと疑いますが,醜いひなは他のひなと同じように上手に泳げるので,醜い姿をしているだけだと結論づけます。

ところが,他のひなは醜いひなを放っておきません。くちばしでつついたり,からかったり,みじめな思いをするように容赦なくいじめます。ついに,醜いあひるの子は家族と離れた方が皆のためだと考えて,逃げ出します。一人ぼっちで過ごす初めての冬の厳しい寒さで,哀れなあひるの子は凍死しかけながらも,何とか生き延びます。貧しい中にも,自分がだんだん強くなっているのを感じ,一人ぼっちであっても翼を広げて飛ぶのが大好きになります。

ある日,あひるの子は雪のように白く,美しい長い首と翼を広げて優雅に飛ぶ,荘厳な鳥の群れが頭上を通って行くのを見ます。何という見事で楽しげな生き物でしょう。醜いあひるの子はその鳥たちと一緒に飛びたくなります。しかし,自分が醜いので殺されるかもしれないと恐れます。それでも,いつまでも他の動物につつかれたり,冬に凍死しかけたりするよりははるかにいいと思い直します。そして彼は飛び立って白い鳥を追いかけ,彼らが降りた美しい湖にたどり着きます。

着水するとき,醜いあひるの子が水をのぞき込むと,優雅な白鳥の姿が見えました。そして,初めは信じられずにいますが,少しずつ,そこに映っているのが自分自身であることを悟ります。驚いたことに,他の白鳥が来て歓迎し,すべての白鳥の中で彼がいちばん美しく,荘厳であると,口をそろえて言います。こうして,醜いあひるの子はついに,自分がほんとうは何者であるかを知るのです。

大きな疑問

この若い白鳥のように,ほとんどの人は一度や二度,仲間に受け入れられていないと感じたことがあるでしょう。この世で経験する混乱の多くは,自分が何者であるかを理解していないために起こります。大勢の人が自分に価値がないと思い込んでいます。しかし,彼らは優美で永遠の存在であり,想像を超える潜在能力と無限の価値を持っているのです。

自分がほんとうは何者であるか見いだすことは,「人生」と呼ばれる大冒険の一部です。最も偉大な頭脳を持つ人々を際限なく悩ませてきた疑問があります。人はどこから来て,なぜここにいるのか,死んだ後はどうなるのか,それらすべてはどのように関連していて,どのような意味をなすのだろうか,という疑問です。

これらの疑問の答えを頭だけでなく,心や魂で理解するようになると,わたしたちは自分が何者であるか悟り始め,やっと家路を見つけた旅人のような心地になります。自分が何者であるかをやっと知った若い白鳥のような気持ちになります。ようやくすべてのつじつまが合うのです。

難しいのは,これらの疑問の答えがこの世の人の論理を超えるものであることです。霊に関わる疑問には霊的な答えが必要です。啓示を認めず,目に見える証拠にこだわる人は,現世の前と後の世界が存在することを推測するか,否定することしかできません。そのため,自分がほんとうは何者であるかや,人生の真の目的を決して理解しないかもしれません。

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であるわたしたちは,これらの疑問への答えを享受しており,聞く耳のあるすべての人に惜しみなく伝えています。わたしたちが答えを知っているのは,学識のある人が推測したからでも,科学的に説明する方法が見つかったからでもありません。答えを知っているのは,天使が人にそれらの奥義を明らかにしたからです。この同じ知識は,地上に住む,誠実な心を持つ人ならだれでも聖なる御霊の力を通して得ることができます。

これは小さなことではありません。神が現代に惜しみなく与えてくださっているこの知識を得るために,昔の皇帝や哲学者は法外な財宝を差し出したことでしょう。神は憐れみ深く,御自身の子供たちを愛しておられるので,人がどこから来て,なぜこの世にいるか,そして死後どこへ行くのかに関する真理をこの末日にもう一度明らかにしてくださいました。

若い皆さん,この知識は皆さんが水に映る自分の影を見えるようにしてくれます。皆さんが平凡で,見捨てられた,醜い人ではないことを確認させてくれます。皆さんは天から来た,想像を超えた美しさと栄光を持つ存在です。これを知っているとすべてが変わります。皆さんの現状と,未来,世界が変わります。

どこにいるかを問わず,教会の中にあって,尊く若い友である皆さん,わたしたちは皆さんが若者としての生活の中で多くの問題に直面することをよく知っています。皆さんの指導者の報告や皆さんとの個人的な交流を通して,皆さんがどんなことで思い悩んでいるかを知りました。寄せられたたくさんの質問の中から,世界各地の若い聖徒にとって,より困難で厄介な問題に関するものを幾つか選びました。今日は,自分が何者であるかを知ることによって人生の最も難しい問題を乗り越えられることを思いと心にとどめてもらえれば,と思います。

生きるべきか,死ぬべきか

一つ目の質問は次のようなものです。「わたしは不幸せで憂鬱です。わたしがいない方がいい世の中になるんじゃないかと思うことがあります。どうしてわたしは生き続けるべきなのでしょうか。」

はっきり申し上げます。重度の鬱や自殺願望はささいなことでなく,真剣に受け止めねばなりません。うつ病や自殺願望に苦しんでいる人に申し上げます。信頼できる専門家や教会指導者の助けを求めてください。もし知り合いに自殺を考えている人がいたら,真の友になり,その人が助けを得られるようにしてください。わたしたちは皆さんを愛しており,皆さんが人生で成功し幸せになるように願っています。

ほとんどの人は悲しんだり,自分はふさわしくないと感じたりしたことが一度や二度あるものです。自己疑念を抱いたり,不幸を感じたりするのは自然なことです。「どうして生き続けるべきなのか」という疑問は,400年前にウィリアム・シェークスピアが書き,それ以降何百万人というハムレットがつぶやいてきた古いせりふを言い換えているだけです。「生きるべきか,死ぬべきか,それが問題だ。」1

しかし,シェークスピアは間違っていました。「生きるべきか,死ぬべきか」が問題ではないのです。このシンプルな矛盾の向こうには他の選択肢が存在します。わたしだったら,観客に向かってハムレットにこんなセリフを言わせたでしょう。「神の子供であると知っているわたしが自分の能力を最大に発揮するには何をしどうあらねばならないだろうか,それが問題だ。」このような修正は,間違いなく不朽の名作を台なしにするでしょう。それでも,わたしが皆さんのための脚本を作るとしたら,そう書くでしょう。

皆さんがどこから来たのかを考えてください。皆さんは宇宙一偉大で,最も栄光あふれる御方の息子,娘です。神は皆さんをこよなく愛しておられ,最良のものを与えたいと考えておられます。皆さんが落胆したり,悲しんだりすることを天の御父が望まれると思いますか。そのようなことは決してありません。御父は目的,平安,喜びのある人生を送るための王道,すなわち戒めを用意されました。わたしたちはただそれに従うだけです。神の戒めを知り,それに従うことはほんとうに充足感と喜びにつながります。

わたしたちの行く末は想像以上に偉大なものです。自分が何者であって,何が待ち受けているか理解しさえすれば,心は感謝と幸福感であふれ,天の御父であられる神の光と愛によって最も暗い悲しみも打ち消すことができるでしょう。今度不幸せな気持ちに駆られたら,皆さんがどこから来て,どこへ行くか思い出してください。悲しみで思いをくじく事柄に焦点を絞るよりは,魂を希望で満たす事柄に意識を向けてください。皆さんは,これらのことはいつも神や同胞に仕えることにつながっていると気づくでしょう。主が聖文によって御言葉を与えられていることを思い出してください。熱意を込めて主に祈り,毎日話してください。主について学び,主の道を歩んでください。神に仕え,同胞に奉仕してください。

泣くに時があると同時に,笑うに時があり,嘆いたり,踊ったりするにも時があることを思い出してください(伝道の書3:4参照)。しばらく心が重く沈んでいたのなら,今度は心に神の御子の光を入れる時期かもしれません。どうか水をのぞき込んで,皆さんのほんとうの姿を見てください。皆さんが創られた目的を悟ってください。顔を上げてはるかかなたの地平線を見てください。

皆さんは笑ったり,幸せになってもいいのです。声を上げて「歌と,音楽と,踊りと,賛美と感謝の祈りをもって主をほめたたえ〔て〕」ください(教義と聖約136:28)。

話したり,音楽やおしゃべりをして楽しまない,暗い人しかいない天国など想像できません。そのような場所はわたしにとって天国ではありません。皆さんは,人生の月日を心配や落胆の中で孤立して過ごすために創られたのではありません。皆さんは喜びを得るために創られたのです(2ニーファイ2:25参照)。ですから,喜びと愛に満ちた天の御父の憐れみ深い祝福をほめたたえましょう。

許可がなければ心を感謝と幸福感で満たしてはならないわけではありません。皆さんは,自分自身で上手にそうすることができるはずです。若い者同士で集まってください。ワードや支部の中だけでなく,近隣のステークや地方部でも集まってください。ともに踊り,福音を学び,働き,同胞に奉仕し,それを楽しんでください。自分が何者で,どのような人になれるかという知識は,魂を神の平和な愛で満たし,真の受け継ぎにふさわしい幸福感の火を心にともしてくれるでしょう。皆さんはほんとうに王子や王女,王や女王なのですから。

最愛の人をほんとうに見つけられるでしょうか

若い人々から聞く二つ目の疑問は次のようなものです。「とても寂しいです。わたしは最愛の人をほんとうに見つけられるでしょうか。」このテーマについて言いたいことはいろいろありますが,まず皆さんが一緒になるべき相手,すなわち皆さんにぴったりの相手を見つけるという考え方から始めましょう。

考古学の発掘現場で古びたランプを見つけた若い女性の昔話があります。女性がランプをこすると,魔人が出てきて,一つだけ望みをかなえると言います。女性は少し考えた後,世界中が平和になること,すなわち人々が互いに愛し合って,調和の中で永遠に生活することを願います。

魔人は考え込んだ末,こう言います。「あなたの願いをかなえるのは無理です。世界の人々の間の溝はあまりにも深く,またそれは実に長い間,存在してきました。どうかほかの願い事にしてください。それ以外なら何でもします。」

その若い女性はもう一度考えてこう言います。「世界のどこかに,わたしが連れ添うべき人がいるはずなの。その人を見つけてちょうだい。ハンサムで,思いやりがあって,ユーモアがあって,家事を手伝ってくれて,子供好きで,スポーツ観戦ばかりしていることはなくて,いい仕事に就いていて,わたしの幸せを一番に考えてくれて,一緒に買い物に行ったり,わたしの家族と仲良くしたりできる人よ。」

魔人は女性の願い事について考えてから深いため息をもらし,こう答えます。「やっぱり,世界平和についてできることを考えさせてください。」

がっかりする人がいるかもしれませんが,皆さんにとって唯一のぴったりな相手というのはいないと思います。わたしは,今晩同席している妻のハリエットを一目見たときから恋に落ちたと思います。しかし,もし彼女がほかの人と結婚することにしていたら,わたしはほかの女性と出会って結婚していたでしょう。そうでなかったことを永遠に感謝しますが,わたしを現世で幸福にしてくれる唯一の人が彼女だったとも,わたしが彼女の唯一の人だったとも思いません。

デートの中で陥りやすいもう一つの過ちは,一緒にいる相手に完全を求めることです。実は,皆さんがだれかを完全だと思うのは,その人のことをあまりよく知らないからそう思うのです。だれでも不完全です。自分の標準を下げて,幸せを感じない相手と結婚するように勧めるつもりはありません。しかし,人生で成長した中で分かったことの一つは,不完全ながらも自分を受け入れてくれる人がいれば,自分も人の不完全さを喜んで堪え忍ぶべきだということです。伴侶に完全さを見いだせず,伴侶も皆さんに完全さを見いだせないのなら,二人で一緒に完全になればよいのです。

相手との関係に「ときめき」を感じないから結婚しない人もいます。「ときめき」というのは,相手に強く引かれる気持ちのことだろうと思います。恋に落ちるのはすばらしいことです。愛していない人と結婚することは決してお勧めしません。しかし,時々受け入れにくい,もう一つの事実があります。「ときめき」を感じる気持ちは絶えず磨かねばなりません。二人の関係にときめきが持続しているとすれば,それは二人が起こしたものです。神秘的な力によって生じたわけではありません。

端的に言うと,努力が必要なのです。二人の関係が続くためには,各自のときめきを持ち寄って,愛を維持するためにそれを活用しなければなりません。相手が一人しかいないとは思わないと言いましたが,次のことも確かに知っています。一度結婚したら,その伴侶が最良のパートナーとなります。皆さんの義務と責任はそれを維持する努力を続けることです。一度相手が決まったら,相手探しの旅は終わりです。今度は思いや行動を「探す」ことから「創り出す」ことに切り替えるのです。

では,永遠の伴侶が見つからないと悲しみに暮れる人はどうすればよいでしょうか。まず,決してあきらめないでください。活動に参加し,人と出会い,できることをすべてしてください。デートがつらくなるときもあることを知っています。断られることは最もつらい経験の一つと言えるでしょう。わたしはそのつらさをよく知っています。ハリエットがわたしを愛し始めるずっと以前から彼女を愛していたのですから。

でも,思いとどまることはありませんでした。何とかハリエットと同じ場所にいられるように工夫しました。教会で聖餐を配るとき,彼女の家族に配れるように調整しました。ハリエットの気を引くために全力を尽くしましたが,子供っぽいと思われていたようです。わたしに,ときめかなかったのです。ハリエットと友達以上の関係になるのは無理かもしれないとわたしは絶望しました。

わたしは地元を去って空軍に志願し,その後,地球を半周したところにあるアメリカでパイロットの訓練を受けました。戦闘機のパイロットになる訓練を終えてドイツに戻ったとき,出会ってから何年もたって初めて,この美しい若い女性はわたしを見て,ずっと待ち焦がれていた言葉を言ってくれました。こう言ったのです。「最後に会ったときより大人になったわね。」

その後のわたしは,すばやく行動しました。数か月後,わたしはずっと昔から愛していた女性と結婚しました。

兄弟姉妹の皆さん,あきらめないでください。一度や二度ふられても,三度や四度,いえ,数百回ふられても,絶望しないでください。兄弟たち,理想の女性を見つける秘訣は,たくさんの女性と知り合うことです。そして,恋に落ちたら,正しいと思うときに結婚を申し込んでください。たとえ断られても,神殿の祭壇でその若い女性とひざまずくまでは探し,祈り続けてください。あきらめないでください。

姉妹たち,優しくあってください。デートや結婚のプロポーズを断るのはけっこうですが,どうか優しく断ってください。そして兄弟たち,どんどん申し込んでください!教会にはデートに行ったことのない女性が多過ぎます。この人はきっとデートしてくれないと思い込まないでください。だれからも声がかからなくて不思議に思っている女性もいます。思い切って誘ってみて,ノーと言われたら次の人を探せばいいのです。

最近,幾つかの地域で見られる傾向は,若い人々が1対1のデートではなく,大人数のグループで「出歩く」ことです。同年代の人々とよく集まるのは悪いことではありませんが,いつもグループでいては個人的に知り合えないと思います。皆さんが学ぶべきことの一つは,異性と話す方法です。これを学ぶ良い方法は,ほかの人の助け船に頼らずに1対1で話すことです。

デートは必ずしも,そしてほとんどの場合,お金をかけた,凝った企画である必要はありません。妻とわたしがドイツからソルトレーク・シティーに引っ越したとき,わたしたちが驚いたことの一つは,若い人たちが作った,デートに誘ったり,それを承諾したりするための複雑で,時折面倒な手順でした。

力を抜いて,一緒に時間を過ごすための簡潔な方法を見つけてください。若いころ,デート相手を探しているときにわたしが気に入っていたことは,教会の集会の後,歩いて女性を家まで送っていくことでした。皆さんの目標はデートの映像をユーチューブで流して,100万回の再生数を獲得することではありません。目標は一人の人と知り合い,異性と有意義な人間関係を築く方法を学ぶことです。

立派な教会員の皆さんの中には,結婚しない人もいるでしょう。あらゆる面でふさわしくありながらも,現世において主の神殿で結び固められる相手を見つけられない人もいます。この絶望を経験していない人には,彼らの感じる孤独や苦痛をほんとうの意味で理解することはできません。何よりも妻と母親になることを望んでいる女性をたくさん知っています。彼女たちはどうして自分の祈りがかなえられないのか理解できないでいます。また,様々な理由から,一人で生活している独身の男性もたくさんいます。

まず申し上げます。皆さんの祈りは天で聞かれています。天の御父は皆さんの心の願いを御存じです。ある人の祈りはこう答えられる一方,別の人は違う方法で答えられるのはなぜか,説明することはできません。しかしこれだけは言えます。皆さんの義にかなった望みはいつか成就します。

自分の目の前にあるものの向こう側が見えにくいときもあります。忍耐できず,最大の望みが成就する将来まで待ちたくないと思ったりします。しかし,現世で過ごす短い時間は永遠に比べれば束の間です。わたしたちが望みを持ち続けて信仰を行使し,喜びをもって終わりまで堪え忍ぶなら,天での偉大な未来において,義にかなった心からの望みが成就し,理解をはるかに超える多くのものを受けることができます。

それまではだれかが皆さんの人生を完全にしてくれるまで待たないでください。自分の価値を疑ったり,自分に欠点があるのではないかと悩んだりするのをやめてください。そうではなく,神の子供としての可能性をすべて引き出せるよう努力してください。よく学んでください。有意義な職業に携わり,人に奉仕する機会を求めてください。時間,才能,与えられているものを活用して自己改善し,周りの人に祝福をもたらしてください。これらのことはすべて,家族を持つための準備の一部なのです。ワードや支部で熱心に働き,何であれ,召しを尊んで大いなるものとしてください。

現世の偉大な目的は,天の御父を心から愛し,自分を愛するように隣り人を愛することを学ぶことです。勢力と,思いと,力を尽くしてそうするなら,わたしたちの永遠の行く末は想像をはるかに超えた,栄光あふれる,壮大なものとなるでしょう。忠実であれば,万事うまくいきます。これが主を愛し,尊ぶすべての人への主の永遠の約束です。

忠実であり続けられるでしょうか

若い人々が抱く三つ目の疑問は,「忠実であり続けられるでしょうか」というものです。神や教会について疑問を持っている人もいれば,弟子としての狭くて細い,安全な道を離れさせる誘惑に負けてしまう人もいます。

パイロットだったころ,ヨーロッパとアフリカの間を飛行しているときに興味深い大気現象をよく見ました。南北両回帰線間収束と呼ばれる,赤道を南北に移動する嵐の群れで,荒れ狂う恐ろしい雲の柱が地平線を覆い尽くすのです。

わたしは雲を見て,その美しさと荘厳さに魅せられずにいられませんでした。巨大な黒い塊がそびえ,その中で何とも言えない猛威で稲妻が端から端へと光ります。実に壮麗で,見とれてしまう光景でした。

そのような嵐に近づいたとき,パイロットはどうするでしょうか。どんなに美しくて魅惑的に見えても,嵐を避けるのです。雲の中の湿気が上がってくると,それが凍り始め,サッカーボールほどの大きさの雹(ひょう)となります。金属に穴を開けて飛行機を破壊できるような雹です。激しい乱気流や稲妻は,飛行機の機体とシステムをそこなう恐れがあります。

この原則は,霊的な害を及ぼすものを目にしたときも当てはまらないでしょうか。魅惑的で,興味深い,楽しそうに見えるものでなければ,誘惑は誘惑になりません。しかし,皆さんは嵐を前にしたパイロットのように,それがどんなに美しくて魅惑的に見えても,避けることを学ぶ必要があります。

天の御父は子供たちを愛しておられるので,危険な嵐との距離を保てるように戒めを与えてくださいました。御父は御自分のもとへ来るようだれも強制されたりしません。皆さんが自分で選ぶことを許し,そのように期待しておられます。しかし,覚えてほしいのは,破滅に至る選びもあるということです。ですから,正しいことを選んでください。

ポルノグラフィーの恐ろしい問題に関して,わたしも警告の声を上げます。決して関わらないでください。避けてください。雷を伴った嵐に関してパイロットを訓練するときに使った言葉で,ポルノグラフィーについて警告します。それは,「避けよ,避けよ,避けよ。」です。

飛行機の機首を少しだけ嵐の中に突っ込んでもだいじょうぶだとは思わないでください。ポルノグラフィーをもて遊ばないでください。最も忌まわしく,破滅的なものほど,初めは魅力的に見えることがよくあります。皆さんを危険に陥れるものから遠ざかってください。

真実だろうか?

さて,次は疑問や質問についてです。どのようにすれば,福音が真実であることが分かるでしょうか。教会や教義について疑問を持つことは大丈夫でしょうか。愛する若い友の皆さん,わたしたちは尋ね求める民です。尋ねることは真理につながることを知っているからです。そもそも教会は,疑問について尋ねた若い男性によって始まりました。実際,疑問について尋ねることなく真理を発見できるものでしょうか。聖典の中にも,質問の答えとして与えられたのではない啓示は,あまりありません。疑問が浮かんで答えが分からないと,ジョセフ・スミスは主のもとへ行きました。その成果が教義と聖約のすばらしい啓示の数々です。ジョセフ・スミスが受けた知識が元の質問をはるかに超えていたこともよくありました。主はわたしたちの尋ねる質問に答えられるだけでなく,もっと大切なことは,わたしたちが尋ねるべきだった質問への答えもくださるのです。それらの答えに耳を傾けましょう。

教会の伝道活動は,誠実な求道者が心からの疑問を尋ねることに基づいています。求めることは証の始まります。福音についてまじめな疑問を抱いているために恥ずかしいと思ったり,自分はふさわしくないと感じたりする人がいるかもしれませんが,その必要はありません。尋ねることは弱さの現われではなく,成長の前触れなのです。

神はわたしたちに,疑問の答えを求めるよう命じられており(ヤコブの手紙1:5-6参照),わたしたちがただ「キリストを信じながら,誠心誠意」(モロナイ10:4)尋ねることだけを求めておられます。そうするとき,すべてのことの真理が「聖霊の力によって」明らかにされます(モロナイ10:5)

恐れずに尋ねてください。好奇心を持ってください。でも疑わないでください。皆さんが受けてきた信仰と光に常にしっかりとつかまってください。現世では不完全な視野を持っているので,現時点ですべてのことを理解できるわけではありません。実のところ,すべてのつじつまが合うとしたら,それこそ人の思いつきの表れと言えます。神がこのように言われたことを思い出してください。

「わが思いは,あなたがたの思いとは異なり,わが道は,あなたがたの道とは異なっている……。

天が地よりも高いように,わが道は,あなたがたの道よりも高く,わが思いは,あなたがたの思いよりも高い。」(イザヤ55:8-9

皆さんは現世の目的の一つが,思いや行いにおいて天の御父のようになることであるのを知っています。この観点から見て,皆さんの疑問の答えを求めることは神に近づかせてくれ,証を揺るがすどころか強めてくれます。「信仰とは……完全に知ることではない」のは真実ですが(アルマ32:21), 福音の原則をどんな状況であろうと,どこでもいつでも実践しながら信仰を行使するとき,福音の甘い実を味わうでしょう。そしてその実によってそれが真実であることを知るでしょう(マタイ7:16-20; ヨハネ7:17; アルマ32:41-43参照)。

皆さんは永遠に続く存在です

「自分を白鳥だと思い込むなんて愚かだ,醜いあひるの子なのだからそれ以外のものにはなれるわけがない」と主張する人は常にいるでしょう。

しかし皆さんは,そうではないと知っています。憐れみ深い神が明らかにされた御言葉のおかげで,皆さんは水に映る自分のほんとうの姿を見て,自分の内に宿る神聖な霊の,永遠の栄光を感じました。世界各地の愛する若い友である皆さんは,平凡な存在ではありません。栄光あふれる,永遠の存在です。

皆さんの状況や人生で遭う試練が何であれ,自分が何者であって,どこから来てどこへ向かっているかを思い出すようにお勧めします。これらの疑問の答えは真の意味で人生の方向性と確信をもたらすからです。

天の御父は生きておられ,皆さんを御存じです。御父はこの末日に預言者や使徒を通して語られます。トーマス・S・モンソン大管長は今日の地上における主の預言者です。この教会は救い主イエス・キリストによって導かれています。わたしはそのことを知っています。主はこの教会の頭です。

今日,わたしは不完全な人間として,ドイツ語なまりでお話しましたが,皆さんの心と思い,魂に響く言葉は,聖霊の雄弁さと清さ,力を通して伝えられる,ということをお約束します。聖霊の力によって,皆さんはすべての事柄の真実を知ることができます。

わたしの友である兄弟姉妹,わたしは皆さんを心から愛しており,皆さんとその善良さに感謝しています。救い主であられる主イエス・キリストの使徒として,皆さんが個々に,そして全体として,自分が何者であって,幸せで実り多い生活を送るにはどうしたらよいか知ることができるように祝福します。

皆さんが自分の姿を見るとき,不完全さや自己疑念を超越して見ることができ,ほんとうの自分,すなわち全能の神の栄光あふれる息子,娘であることを認識できるよう祈り,祝福します。イエス・キリストの聖なる御名によって,アーメン。

© 2009 Intellectual Reserve, Inc. 版権所有。英語版承認:2008年10月,翻訳承認:2008年10月,原題 The Reflection in the Water  Japanese PD50013492 300

Notes

1. ウィリアム・シェークスピア, Hamlet ,W・J・クレーグ編,Oxford Shakespeare (1924年),第3幕,第1場,56行

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