ロナルド・A・ラズバンド長老, “あなたの友人たちはまことにあなたの傍らに立っている,” Mar 2010
ヤングアダルト対象の教会教育システムファイヤサイド・2010年3月7日・ブリガム・ヤング大学
愛する若い友人の皆さん,このCESファイヤサイドで皆さんにお話しすることは大きな特権であり名誉であると思っています。ブリガム・ヤング大学構内のマリオットセンターや,様々な言語と環境に置かれた世界各地に集まっている皆さんにお話しできることを感謝しています。集まってくださった方々に感謝します。生活の手を休めてここへ集まっている皆さんは主イエス・キリストを大切にしている方々です。妻のメラニーと,たくさんの家族や友人たちとともにここに来られたことに感謝します。
聖霊に導かれるままにお話しし,皆さんが人生のこの時期に直面し経験していることとどのような関連性があるかを感じとってくださるよう祈っています。
義にかなった友情の大切さ
昔,1839年3月に預言者ジョセフ・スミスは数人の同僚とともに数か月にわたってリバティーの監獄に不法に囚われていました。教会歴史を執筆した多くの人々は,預言者ジョセフにとってこの経験は生涯で最も困難を極めた,暗黒の時期だったと述べています。「おお,神よ,あなたはどこにおられるのですか。」(教義と聖約121:1)教義と聖約121章に記されているこのジョセフの言葉から,彼が極限の絶望状態に置かれ,孤独を感じていたことが伺われます。
主は姿を現わされることも,天使を遣わされることもありませんでした。看守を攻撃したり,湿気を帯びた汚い監房の扉を開いたりすることもありませんでした。あるがままに任せ,その状況を変えるようなことをされませんでした。しかし,だれも与えることのできない慰めと確認をジョセフに与えてこう言われました。「息子よ,あなたの心に平安があるように。あなたの逆境とあなたの苦難は,つかの間にすぎない。」(教義と聖約121:7)それはあたかも主がジョセフの肩に腕をかけて「息子よ」と言われたかのようでした。これは気高く,優しさの込められた言葉です。そして主はジョセフの苦難が機関の限られたものであり,「つかの間にすぎない」と言われました。わたしたちが皆,心に留めておくべき教えがここにあります。永遠の時の流れにあって,わたしたちの苦難はつかの間にすぎないのであり,さらに主はわたしたちの近くにおられます。
次に主はこう言われました。「あなたの友人たちはまことにあなたの傍らに立っている。そして,彼らは温かい心と親しみのある手をもって,再びあなたを歓呼して迎えるであろう。」(教義と聖約121:9)
ジョセフは裏切り者によって投獄されました。裏切り者の中にはかつて親しくしていた友人がいました。しかし主は「あなたの友人たちはあなたの傍らに立っている」ことを明らかにされました。預言者ジョセフにとってこの言葉はどれほど大きな慰めとなったことでしょう。わたしたちにとってもどれほど大きな慰めとなるでしょうか。だれかが傍らに立っているのを知っているということは皆さんにとってどのような意味があるかをしばらく考えてみてください。良いときも悪いときも友達として信頼できる人,その場にいなくてもあなたを高く評価し,支えてくれる人です。
わたしたちにとって最も大切な友人はイエス・キリストです。「わたしはあなたがたの右におり,また左にいる。……また,わたしの天使たちはあなたがたの周囲にいて,あなたがたを支えるであろう」(教義と聖約84:88)と言われた主の言葉以上の慰めがあるでしょうか。これらの「周囲にいる天使」とはわたしたちを指すことがしばしばあります。
今晩,わたしは義にかなった友情に基づいて生活することの大切さについてお話したいと思います。わたしが若かったころ,霊感あふれる一人の祝福師は頭に手を置き,啓示によって,わたしの持つ可能性について,つまりわたしは一体何者であって,人生をいずれの方向に歩むべきかについて理解の眼を開いてくれました。他の祝福師が皆さんの多くにしたのと同じです。わたしは友達や仲間に恵まれ,その友情が物心両面で特別な祝福となると告げられました。また,義にかなった人,神の戒めを守る人を最も親しい友とするよう勧告されました。
祝福文のこのくだりと121章の聖句は人生を通じてわたしの慰めとなってきました。特に家を離れて生活しているときなどはこれらの言葉から平安と強さを得ることができました。遠く離れていても友人たちが傍らに立っていました。そのようなときに,人生で最も大切な教訓の一つを学んだのでした。どれほど長い間離れていても,どれほど遠くにいても,友人と再会したときは,空白の時を超えてまるで何も変わっていないように感じました。時間が止まっていたかのように,別れた時そのままの生活を取り戻しました。
なぜこのことを強調するかと言うと,今日の世の中では非常に多くの人が何とも思わずに,友情を,ビデオゲームの主人公や短い携帯メール通信と引き換えにしているからです。彼らは画面で顔を見せるだけのテレビタレントに共感を求めて時間を浪費しています。神殿で永遠に結ばれる深く有意義な関係を築くことよりも,「ハングアウト」つまりグループでつるむことを選んでいます。このことをよく考えてください。真の友情は神を愛すること,その愛をほかの人々と分かち合うことを基として,その上に築かれるのです。これがリバティーの監獄からのメッセージです。
ソルトレーク盆地のコットンウッドステークで過ごした若いころのわたしにとって,友達は特別な祝福でした。青少年時代に最も親しかった友達は今でも友達です。何人かが今晩ここに出席しています。いつもそうでした。わたしたちはいつも友達と一緒でした。そして,強さと祝福を与えてくれる新しい友達が加えられてきたことに感謝しています。
友情について考えるとき,トーマス・S・モンソン大管長の模範を思い出します。愛する大管長の教えについて考えてみましょう。このように語りました。
「友人は皆さんの将来に影響を与えます。皆さんは彼らに似た者となって,彼らの選ぶ場所に行く傾向があるからです。この世で歩む道が,来世で歩む道に通じていることを忘れないでください。
教会のワードとステークを対象に行った標本調査から,重要な事実が分かりました。神殿結婚をした友人を持つ人は,一般に神殿で結婚し,そうでない友人を持つ人は,一般に神殿で結婚していないのです。同じことが,専任宣教師として伝道することについても言えました。友人からの影響は,明らかに最も強い要因の一つです。両親からの勧めや教師の指示,神殿に近い住まいなどに匹敵します。
皆さんの選ぶ友達は, 成功を助けるか,あるいは妨げるかのどちらかです。」1 はっとさせられるような言葉です。
モンソン大管長を友達に選ばない人がいるでしょうか。彼はクリスマスにおもちゃの機関車を与えます。自分の服と靴をぬいで,持っていない人に与えます。ケアセンターで忘れられがちな人々や病院で苦しんでいる人々のために数えきれないほどの時間を差し出します。耳を小刻みに動かしながら人生の喜びをわたしたち全員に分かち合ってくれます。このようなことができる人がほかにいるでしょうか。宣教師たちのグループに,モンソン大管長の最大の特質は何かと尋ねたら,ほとんど全員が人々に対する愛です,と答えました。大管長の家の隣に引っ越したいと答えた宣教師もいました。なぜなら,きっと良い友人になれると思ったからです。
友情について幹部の兄弟たちが与えた勧告の中で,わたし自身の経験と一致し,とりわけ今日に応用できるものを見つけました。ニール・A・マックスウェル長老はこのように語りました。「老いも若きも,良い友達になる必要がありますが,友は慎重に選ぶべきです。主を最初に選ぶことにより,友達の選択はもっと簡単で安全になります。エノクの市の友情と,ソドムとゴモラの町の友情とを比較して考えてください。エノクの市の市民は,イエスと命の道を選んだので,永遠の友になりました。最初にだれを,そして何を選ぶかにかかっているのです。」2
導き手となる友達
分別があり,信頼できる導き手となる友達がいます。彼らは特別な友達であり,わたしたちの前を歩んでいて,道を知っています。彼らも「あなたの傍らに立って」います。ジョセフ・スミスの導き手はだれだったでしょうか。すぐに思い浮かぶのはモロナイです。古代の弟子たちであるバプテスマのヨハネ,ペテロ,ヤコブ,ヨハネ,パウロ,ジョセフの両親,兄アルビンなど,そうそうたる人物です。彼は良い人々に囲まれていたと言うことができます。
あなたを導いた人々について少しの間考えてみましょう。将来機会があれば,ほかの人々を導きたいと思いますか。福音の証について,また,日常生活で成功を勝ち取る方法について分かち合う準備はできていますか。
歴史や聖典には義にかなった導き手となった男女の模範が随所に見られます。その中で最も際立っているのは恐らく,時の中間に御自身の教会を設立された主イエス・キリストでしょう。主が教え導く業を始めるに当たって選ばれた12人は,見たところ普通の人でした。彼らは仕事を捨てて,3年間主とともにいました。彼らは主とともに旅をし,説教に耳を傾け,幾度も食事を共にし,主が行われた奇跡を目にし,数えきれないほどの指導を個人的に受けました。主であり救い主であるイエス・キリスト御自身から導きを受けた彼らは何と恵まれていたことでしょうか。その特別な交わりによって一人一人が変わりました。
役割が逆になった少し珍しい例がジョセフ・スミスでした。ジョセフは兄ハイラムの霊の導き手となりました。謙遜で,誠実なハイラムはジョセフの傍らに立ちました。ハイラムはリバティーの監獄に捕らえられ,カーセージで最初に倒れた人でした。ハイラムは神の預言者を自分の導き手として選びました。正しい選択をしたのでした。
中央幹部であるわたしの務めについてお話すると,十二使徒定員会の会員はほかの中央幹部の生活に深い関心を寄せ,自分たちの経験を惜しみなく紹介し,この聖なる召しを果たす方法を効果的に教えてくれます。ブリガム・ヤングが預言者ジョセフについて語った言葉を思い出します。「わたしは自分が預言者ジョセフ・スミスを知っていたと思うと,ずっとハレルヤと叫んでいたい気持ちになります。」3 わたしは現在の多くの指導者に対して同じように感じてきました。
いずれの場合も,経験豊富で,信頼のおける人が経験の少ない人に対して優れた指導と助言を与えます。この方法によって,原則への理解を深め,教える力を身につけるよう助けます。彼らはこうして,いっそう効果的で,力強く,賢く,貴重な神の僕となることができるのです。
ここで,次の質問について考えてください。「あなたを導いてきたのはだれでしょうか。」どのようなことを学んで生活が変わりましたか。彼らはあなたをどのように見守ってきましたか。そのような関係を必要とし,望んでいる弟や妹,友達,同僚に対してあなた自身が導き手となるために,彼らの模範をどのように生かすことができるでしょうか。
導き手となる友達の例
わたし自身の半生から一つの例を紹介しましょう。わたしはジョン・M・ハンツマン長老と人生の親しい友人そして導き手となる関係を築く祝福にあずかってきました。彼は地域七十人であり,博愛主義者,寄進者,ハンツマン企業グループの創始者,そして,友です。
1975年にジョン・ハンツマンに出会ったとき,わたしは24歳でした。ジョン・ハンツマンは,ユタ大学既婚者学生ワードの長老定員会会長を務めていたわたしの高等評議会アドバイザーでした。わたしたちは友達になりました。そして,大学4年になって卒業の準備をしていたときに,ハンツマン兄弟から彼の経営するプラスチック会社の営業社員として採用されました。
最初に受け持った会社の一つは,ニューヨーク・シティーに本社を置く化粧品の巨大企業エイボンでした。大切な得意先を担当するに当たって,ハンツマン兄弟はわたしを紹介するためにニューヨークまで同行してくれました。新しい仕事に就くことに興奮を覚えていました。相手に好印象を与えるため,一張羅(いっちょうら)の茶色の学生風のスーツを着て,茶色のネクタイをしめ,茶色のローファーの靴を履いて行きました。空港で落ち合うと,ハンツマン氏がけげんそうにわたしを見ていることに気づきました。けれども彼は何も言いませんでした。
ニューヨーク・シティーに到着すると,エイボンを訪問する前に立ち寄る所があると彼が言いました。高級志向のマディソンアベニューにあるブルックスブラザーズという有名な紳士用衣料品店へ向かいました。途中,ジョン・ハンツマンがこう言ったのを憶えています。「さて,ロン,君がうちの会社の営業マンになり,わたしの代理としてエイボンを訪問するからには,この新しい仕事をするうえでの服装,行動,働き方を学んでいかなければならないよ。」そして一言,こう付け加えました。「ニューヨーク・シティーで仕事をするには茶色のスーツは御法度だからね。」わたしは,ジョン・ハンツマンの代表としてふさわしくなかったのです。
ジョンはブルックスブラザーズの人たちと顔見知りでした。彼らが美しいダークグレーのピンストライプのスーツをわたしに合わせている間,じっと見ていました。見たことも手にしたこともない,最高のスーツでした。細部を調整している間,シャツ,ネクタイ,ベルト,その他の小物を買いました。次に向かったのは靴売り場で,ジョンは黒のウイングチップの靴を見立ててくれました。わたしはかつてそのような靴を履いたことがありませんでした。
ハンツマン兄弟は,ブルックスブラザーズにとって,特別な顧客だったようです。昼食を終えて,店に戻るとジョン・M・ハンツマンに敬意を表して,新しいビジネススーツが出来上がっていたからです。
学生時代に着ていたスーツで訪問して,恥ずかしい思いをすることのないようにしてくれたジョンに感謝したのを憶えています。わたしが茶色の衣装一式をバッグに詰め込んでいると,場所柄をわきまえた服装であることをジョンが確認してくれたようでした。それからエイボンに向かい,わたしは彼の会社の新しい担当者として紹介されました。ジョンが教えてくれたのは外見の大切さだけではありませんでした。まったく新しい考え方,行動,自分を表現する方法を教えてくれました。彼はわたしの導き手でした。これをきっかけにして,それから何年もの間,貴重な教訓を数多く学びました。
それから多くの年月が過ぎて,わたしはハンツマン兄弟の会社で役員を務めるようになり,世界中を飛び回っていました。ある日,出張から戻ったわたしに,ジョンは教会で何の責任を果たしているかと尋ねました。日曜学校で福音の教義クラスを喜んで教えていると言いました。次に,教会の指導者としてどのような経験をしてきたかと尋ねてきました。いくつかの会長会で働いたことがありましたが,教会の責任のほとんどは教えることだったと答えました。
ハンツマン兄弟に話し終わると,彼が学生ステークで最初に高等評議員,後にビショップとして働く召しを受けたときに同じような経験をしたことを話してくれました。彼は仕事での忙しい日程に,召しに伴う予定をうまく組み込むことができました。事実,先ほどお話したように,わたしがハンツマン兄弟に始めて出会ったのはそのような時でした。
ハンツマン兄弟は,ユタ大学の既婚者ステークの一つでステーク会長を務めている兄弟がいて,ソルトレーク盆地のあちこちに住む兄弟たちとともに教会での奉仕の責任をよく果たしている,とのことでした。そして,このステーク会長に電話をかけて,わたしの名前を知らせてもよいかと尋ねました。わたしは同意しましたが,彼の忙しさを知っているので,そのことを特に気に留めていませんでした。
しばらくして,ユタ大学第1ステークのロバート・フォザリンガム会長から電話がありました。顧問と一緒にわたしの自宅を訪問して,ラズバンド姉妹とわたしに会いたいと言ってきました。それから何日か後にステーク会長会の3人は我が家の居間に座って,わたしたちの状況と証について尋ねました。わたしたち夫婦にそれぞれ面接を行った後,3人の兄弟たちはお互いの顔を見合わせて確認しました。そして,ステーク会長はわたしにユタ大学第1ステーク高等評議会の一員として働く召しを与えました。彼らは事前にわたしたちの所属先のステーク会長に話しており,彼らがわたしを召したいと思うのであれば,異存はないと言われたとのことでした。
わたしはユタ大学第1ステークで働く召しを受け入れ,働き始めました。責任を果たす中で,ラズバンド姉妹とわたしたちの幼い子供たちは若い既婚者の学生たちとキリストを中心としたすばらしい関係を築く機会を楽しみました。しばらく高等評議会で働いた後,そのステークの第10ワードのビショップに召されました。
後になって分かったことですが,ハンツマン兄弟がフォザリンガム会長に電話をかけて,大学構内のユニットであればもっと活躍できるかもしれない人を知っていると言っただけでした。このようにして,わたしの愛する友人であり導き手であるジョン・ハンツマンは面接のためにわたしの名前を紹介してくれることで,教会で新たな経験ができるようにしてくれたのです。
その大学ワードで出会ったすばらしい若者たち,また何人かの学生が自分自身で就職先を見つけられるよう助言したことを思い出します。そのうちの一人が今晩ここに出席しています。最も大切なことは,ハンツマン兄弟がわたしにしてくれたような方法で,主なる救い主イエス・キリストについての証を述べ,義にかなった友情を築く特権にあずかれたということです。
後にラズバンド姉妹とわたしはニューヨーク州ニューヨーク北伝道部を管理するよう召されたとき,多くの忠実な宣教師と一緒に喜びをもって働く特権を得ました。主イエス・キリストの僕としての召しを立派に果たすよう助けることができただけでなく,推薦や助言,励まし,そしてわたしたちの愛を伝える手紙によって支援することを通して,現在も彼らとの関係は続いています。けれども新しいスーツやウイングチップの靴を買ってあげたことは残念ながらまだありません。
このような経験から,わたしは導き手や友としての関係の大切さを心から信じています。
導き手からの勧告を受け入れる
わたしを含む多くの人々の導き手であったニール・A・マックスウェル長老はこう語りました。「わたしたちは皆ときどき,導かれ,また導く機会に遭遇します。わたしの経験によると,進歩を促すそのような関係の中で語られた心からの,思いやりのある短い言葉はいつまでも忘れられないものとなります。それは一言二言かも知れませんが,人々から何かを言われたことがいまだに記憶に残っている経験がだれにも3つか4つはあることでしょう。それは今もなおあなたの感情に訴え続けているのです。」4
問題にぶつかった子供たちに「大丈夫,きっとできるわ」と言っていつも励ましていた若い母親のことを思い出します。子供たちは母親を信じていました。宣教師訓練センターから来たばかりの新しい同僚に対して「毎日奇跡が起きることを信じましょう」と言った宣教師のことが思い出されます。彼はそれを実行し,その信仰に よって新任の長老に伝道のあり方を教えたのでした。また,モンソン大管長が,東海岸で開かれたスカウト・ジャンボリーで話を終えたときのことです。大管長は5,000人の青少年の中から8列目に座っていた若い男性に声をかけました。その若い男性は12歳のわたしの息子で,大管長は以前に何度か顔を合わせていました。息子はモンソン大管長が名前を呼んでくれて,「クリス・ラズバンド,こちらへ来て,あいさつしてください」と言ってくれたことを決して忘れないと思います。救い主はみすぼらしい漁師たちをご覧になったとき,「わたしについてきなさい」(マタイ4:19)と声をおかけになりました。これは何とすばらしい模範でしょうか。
今の時代を,使徒パウロは「苦難の時代」(2テモテ3:1)と語り,預言者ジョセフ・スミスは「災いの日」(教義と聖約136:35)と記し,ニーファイはモルモン書の中で悪魔が「人の子らの心の中で荒れ狂」う時代と描写しました(2ニーファイ28:20)。愛する若い友人の皆さん,こうした時代にあって,賢く,信頼のおける導き手を得るとともに,健全ですばらしい友情を築くことの大切さをわたしは強調したいと思います。
わたしたちはときどき,忠告されることをいやがったり,提案を突き返したりすることがあります。自分にとって知る必要のあることはすでに知っていると考えます。すると高慢な気持ちが頭をもたげてきます。こうして,本来なら祝福となるはずの知恵や情報,経験を得られなくなるのです。もしわたしが高慢さから新しいスーツの申し出を断っていたとしたら,ハンツマン兄弟との関係や仕事の面で,どうなっていたかを想像してみてください。
これは若い時期,両親との関係でよく見られます。両親を,流行遅れで,無知で,「ダサイ」と考えることがあります。両親の教えを自分の生活と結びつけずにはねつけてしまうのです。次の言葉を聞いたことがある人も多いのではないでしょうか。「わたしが14歳だったとき,父はまったく無知で,とてもそのような年寄りと一緒にはいられないと思った。しかし,21歳になったとき,年寄りがわずか7年間でよくこれだけのことを学んだものだと驚いた。」だれがこのような格言を書いたのかは分かりませんが,多くを教えてくれる言葉です。両親や祖父母は多くの導きを与えることができます。彼らが経験から学んだことや彼らがあなたに抱いている愛を軽んじないでください。地上における究極の導き手は恐らく彼らだと思います。ラズバンド姉妹とわたしは祖父母になれた機会に感謝しています。孫たちから人生での重大な事柄について質問を受けたり助言を求められたりするのは,胸躍る経験です。
貴重な助言を与えてくれる人はほかにもいます。わたしたちが無視しがちな人に義理の両親がいます。彼らの経験は実の両親の経験と同じように的を射ていることがしばしばあります。彼らの意見を尊重し,考えてみることが大切です。皆さんの多くはまだ義理の両親がいないかもしれませんが,いつかきっと持つことになります。彼らから学ぶ時間をとり,彼らの意見を求めてください。そうすることによってあなたの知恵は深みを増すことでしょう。
この話を聞いている皆さん,後にこのメッセージを読む皆さん,皆さんには多くの導き手となる人々がいます。一例を挙げれば,ビショップ,ステーク会長,伝道部会長,定員会指導者,大学教授,セミナリーとインスティテュートの教師,信頼できる友人や仲間,扶助協会の姉妹たちなどです。わたしは彼らの模範と教えから非常に多くのことを学んできました。皆さんも学ぶことができます。彼らの考えを最大限に活用し,彼らの持つ影響力からあなたの生活に祝福をもたらすものを感じ取ってください。
良い友人となる
良い友人となることの大切さはどのように表現したとしても決しておおげさではありません。そのような友人になるのは必ずしもやさしいことではありません。ラルフ・ウォールド・エマーソンは偉大な助言を与えています。「友達を得る最善の方法は友達になることだ。」5 「類は友を呼ぶ」という古い諺は今なお真実です。高い標準に従って生活し,徳と善を擁護し,聖約に忠実で誠実な友人を得るには,あなたが彼らに対してそのような人にならなければなりません。
下品,自由放任,不道徳に満ちたこの世の中で良い友達を持つことは,今日の悪に対抗する能力を手に入れる大きな力となります。まだ独身の人たちは,良い友達を持つことによって,あなたが永遠の伴侶として見つけたいと思っているような人の目をあなたに向けることができるでしょう。ラズバンド姉妹とわたしの間にそのような経緯がありました。わたしたちは最初,非常に仲の良い友達でした。結婚の話が出たのは後のことでした。
イエス・キリストは友情の模範を示してくださる
友情に関して,預言者ジョセフ・スミスが示現を見て,イングランドで伝道している使徒たちについて記録した言葉を読んでみましょう。「わたしは現在地上に置かれていて,外国の地におけるこの最後の働きの鍵を持つ子羊の十二使徒がひどく疲れ,服を擦り切らし,足を腫らし,伏せ目がちにして,輪をかいて立っているのを見ました。イエスが真ん中に立っておられましたが,彼らには見えませんでした。救い主は彼らを見て,涙を流しておられました。」6
彼らがイエスを見ることはありませんでしたが,イエスは彼らの傍らに「立たれました」。主は彼らの苦境を察し,苦難に同情して,慈しみをもって伝道地の彼らを支えられました。それによって,数百,数千人の改宗者が教会に導かれました。救い主は弟子たちに「あなたがたはわたしの友である」(教義と聖約84:63)と言われました。「人がその友のために自分の命を捨てること,これよりも大きな愛はない」(ヨハネ15:13)と教えられたのは救い主でした。「わたしのもとにきなさい」(マタイ11:28)と言って招いておられたのは救い主でした。福音のあらゆる原則と同様に,イエス・キリストは友情についてもわたしたちの模範となる御方です。
さて,全世界に集っている,若く,新しく友人となった皆さん,ここでわたしの証を述べさせていただきます。これはイエス・キリストの福音です。わたしが19歳の時に祝福師の祝福の中で約束されたように,皆さんが福音にあって経験する事柄は,皆さんが作る友達,皆さんが従う導き手に大きく支配されることを証します。
初めに引用した,リバティーの監獄に囚われていた預言者ジョセフに,神が語られた聖文の一節をもって今晩の話を終えたいと思います。また,どのような状態に置かれているかにかかわらず,それが皆さんとわたしに向かって同じように語りかけられていると考えてください。「あなたの友人たちはまことにあなたの傍らに立っている。そして,彼らは温かい心と親しみのある手をもって,再びあなたを歓呼して迎えるであろう。」(教義と聖約121:9)
この教会が回復された初期の時代に主から与えられたこの約束が真実であることを,はっきりと申し上げます。友情を温め,導く関係を喜びとすることにより,わたしたち人一人がイエス・キリストの福音にあってともに成長する特権にあずかれるよう祈ります。
これらの思いと言葉を主イエス・キリストの御名によりお話します。アーメン。
© 2010 Intellectual Reserve, Inc. 版権所有 英語版承認:10/09 翻訳承認:10/09 原題: Thy Friends Do Stand by Thee Japanese PD50020993 300
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