ローズマリー・M・ウィクソム, “知るようになる,” May 2011
ヤングアダルト対象のCESファイヤサイド・2011年5月1日・ユタ州立大学
ユタ州ローガンのこのユタ州立大学に来ることができて感謝しています。今晩,夫のジャックとともに車で,サーディン・キャニオンを通ってこの地に入ったとき,何だか故郷に帰って来たような気がしました。その訳をお話ししましょう。
ここは,わたしが自分自身について知り始めた場所です
何年も前の美しい秋のある日,わたしたちは自家用車に持ち物をすべて積み込みました。というのも,双子の妹と一緒に大学に入ることになったのです。母がローガンまで運転して降ろしてくれることになりました。わたしたちはこの美しいキャンパスを写真で見ていました。何枚かの写真には斜めに生長している木々が写っていました。ローガンは風が強い所ではないと聞いていましたので,そのように生長しただけなのでしょう。とにかくわたしたちは興奮していました。わたしたちは自分の衣類と靴をすべて持ち,食器棚に入れておく食料品を車に積み込んでいました。窓の外がほとんど見えないほどでした。この地に入ると,胸が高鳴り,これからの新たな経験を待ちきれない思いでした。
キャンパスは,車から荷物を降ろし,寮やアパートに運び込んでいる学生たちでざわめいていました。妹とわたしにとって,家を離れて暮らすのは初めてのことでした。クローゼットに衣服をつるし,部屋を整えている間に何か力がみなぎってくるのを感じました。壁には2枚のポスターを張りました。1枚には「心をつくして主に信頼せよ,自分の知識にたよってはならない」(箴言3:5)と書かれていました。もう一枚は兄がくれたものでした。そこには,「酒に触れている唇を決してわたしの唇に触れさせてはならない」と書かれていました。
車から荷物を降ろし終わると,わたしたちは後部座席に置いていた最後の荷物を手にして,モーエン・ホールの前の歩道に立ちました。桃の入った瓶を腕に抱え,帰って行く母に手を振りました。車が見えなくなると,我に帰り,わたしたちは互いに顔を見合わせ,頬に涙しながらこう言いました。「わたしたちは何をしたの?何を考えていたのかしら。冒険を夢見ていたのに,今のわたしたちは恐れ,怖がっているわ。」このキャンパスで過ごす日々の中で,その後の人生を方向づける様々な決断をすることになろうとは少しも思いませんでした。わたしはここで,自分に信念があることに気づき,また自分の信仰を擁護する場面に出遭ったのです。ここで,生涯の友を得ました。もっと心を込めて祈るようになりました。証がはぐくまれ始めました。自分の標準を守り,学問の上でも霊的にも自分を成長させるのは自分の選択次第であることを学びました。
実際のわたしはどうかと言えば,何年もの間に,時々敗北感や挫折感を味わい,そして時には希望と成功を経験しました。それはホームシック,それも極度のホームシックから爽快な自立へと変貌する過程でした。わたしはモルモン書のアンモンとその兄弟たちのように,「苦しみ,……苦難,計り知れない喜び」(アルマ28:8)を同時に経験しました。今にして思えば,成長し,これら人生の教訓を学ぶために,居心地のよい家を離れる必要があったのでしょう。実にこのキャッシュ・バレー,この大学,そしてこのキャンパスはわたしにとって麗しい場所です。ここで,自分自身を知るようになり,また自分自身を知る過程で救い主を知るようになったからです。皆さんの人生で,皆さんは何を知るようになり,またそれをどこで学んだでしょうか。
今晩わたしは,「知るようになる」ということについて,お話ししたいと思います。
自分自身について知るようになれる場所を探す
わたしたちは天の御父のみもとと居心地のよい前世の家庭を離れてこの地球にやって来たとき,学び,試される準備ができていました。ところが,この地上での自分を振り返ってこう言うかもしれません。「わたしは何をしたのだろうか」と。わたしたちは道を歩むためにここにいます。天の御父の計画,すなわち救いの計画,この完全な福音に従って生活しています。それは幸福の計画です。ジョセフ・スミスは,救いの計画は「人類に与えられている天の最善の賜物の一つ」であると述べています1
かつて冒険を夢見ていたこの死すべき世の経験は,時には恐ろしく,怖く,この上なくつらいことがあります。わたしたちがかつて知っていたことは幕によって遮られています。今,わたしたちは信仰によって歩いています。けれども,かつて知っていたことを主の助けによって知るようになれると確信して歩んでいます。天の御父はわたしたちを非常に愛しておられます。わたしたちは御父のみもとへ帰るだけでなく,実際に御父のようになるという目的のもとに創造されました。現在のわたしたちは御父をどれほどよく知っていたかを学び直しているのです。ブリガム・ヤングはこう語りました。「皆さんは天の父なる神をよく御存じです。……皆さんは今はそうではありませんが,かつて神の住まいにいて,〔前世で〕長年神とともに生活していたからです。そして今,〔この地上で〕皆さんは神を知ろうと努めています。しかし実際は,皆さんはかつて知っていたということをただ忘れているだけなのです。」2
かつて御父を知っていたとはいえ,努力しなければこの世で御父を知るようになれません。一人で行うのではありません。主はこう述べておられます。「わたしはあなたがたの右におり,また左にいる。わたしの御霊はあなたがたの心の中にある。また,わたしの天使たちはあなたがたの周囲にいて,あなたがたを支えるであろう。」(教義と聖約84:88)
アルマは救い主を知るようになり,その後,モルモンの泉のほとりで民に教えました。「彼は,これらの人々を教え,悔い改めと贖いと主を信じる信仰とを説いた。」(モーサヤ18:7)そこで人々は「永遠の命を得られるように,いつでも,どのようなことについても,どのような所にいても,……神の証人になる」ためにバプテスマの聖約を交わしました(モーサヤ18:9)。彼らは信仰を強め,安息日を守るようになり,自分自身の手を使って生活の糧を得,「物質的にも霊的にも互いに助け合い,神の前をまっすぐに歩んだ。」(モーサヤ18:29。vv20-29参照)
さらにこう記されています。「さて,これはすべてモルモンにおいて,まことにモルモンの泉のそば,つまりモルモンの泉に近い森の中で行われたことである。モルモンの地も,モルモンの泉も,モルモンの森も,自分たちの贖い主を知るようになった人々の目には何と麗しいことか。また,これらの人々は何と祝福されていることか。」(モーサヤ18:30)
この聖句を読むとき,周囲の景観からモルモンの泉へと心が引き寄せられるのはなぜでしょう。この説明からモルモンの泉というその場所についてどのような思いを抱くでしょうか。自分の周囲の景観が,贖い主を知るという探求にどのような影響を及ぼすかを考えてみる必要があると思います。
今がその時です。まだ行っていなければ,贖い主を知る場所を探し求めるのは今です。あなたのモルモンの泉はどこにあるでしょうか。その場所はあなたの目にどれほど麗しいでしょうか。
その麗しい場所を見つけるために,次の4つの質問を自分に問うてみるとよいでしょう。
1.聖霊の促しを知るようになる
質問1:聖霊の促しを知るようになるには,どうすればよいでしょうか。
ある10代の少年は,幼いころ,3歳にもならない非常に幼い時期に一つの経験をしていました。彼は末日聖徒イエス・キリスト教会の会員の家族に養子として引き取られました。環境が大きく変わりました。彼は東ヨーロッパの家を離れて,合衆国東部に住むことになりました。新しい家族,新しい言語,新しい感覚でした。日曜日になると,新しい家族は彼を託児室へ連れて行きました。それは教会の,ホールの奥の託児室でした。そこでかつて感じたことのない安心感と愛を覚えるようになりました。それは御霊をはっきりと感じた初めての経験でした。10代になった今でも彼は時々ホールの奥のその同じ託児室に行き,物音に耳を傾け,辺りを眺め,かつてのように御霊を感じています。この少年の目に託児室は何と麗しい場所でしょうか。それは聖霊の促しを知った場所でした。
モルモンはこのように述べています。「柔和で心のへりくだった状態であれば聖霊の訪れがある。この慰め主は,希望と完全な愛を人の心に満たされる。」(モロナイ8:26)
モルモンが述べたことは救い主が述べようとされたことです。「あなたはわたしの御霊,聖霊,すなわち慰め主を受けるであろう。その慰め主は,王国にかかわる平和をもたらす事柄をあなたに教えるであろう。」(教義と聖約36:2)
アルマ書から,モーサヤの息子たちがどのようにして聖霊の促しを知るようになったかが分かります。
彼らは「神の言葉を知るために聖文を熱心に調べてきた。
……そればかりではない。彼らはしばしば祈り,また断食もした。」(アルマ17:2-3)
その後,彼らは教えるために出て行きました。彼らは普通の青年でしたが,聖霊と,また神の御言葉を知りたいという願いのゆえに驚くべき勇気を発揮しました。
アンモンはこう言いました。「その御霊の一部がわたしの内にとどまっていて,神に対するわたしの信仰と望みに応じて,理解と力を与えてくれるのです。」(アルマ18:35)
ラモーナイの父はアルマの教えを通して御霊を感じ,こう言いました。「この大きな喜びを得るために,わたしは持ち物をすべて捨てよう。まことに,王位も譲ろう。」(アルマ22:15)
ラモーナイとラモーナイの父は二人とも,救いの計画を教えられたときに聖霊の促しを感じました。現在の宣教師は,聖霊の力に満たされて同じメッセージを世界中で伝えています。宣教師として奉仕した方々に申し上げます。皆さんは確固としてイエス・キリストの福音が真実であることを証したときに御霊の力を感じたのを覚えているでしょうか。
空港に向かっていたある姉妹宣教師がこう言いました。「家に帰るのが心配です。伝道を終えた後,この力強い御霊を感じなくなったらどうしたらよいでしょう。」
わたしは彼女にこう言いました。「聖霊の力を求め,それにふさわしく生活していれば,それはいつもあなたとともにあります。」
2.モルモン書が真実であることを知るようになる
質問2:モルモン書が真実であることを知るようになるには,どうすればよいでしょうか。
2004年6月にブリガム・ヤング大学アイダホ校で行われたディボーショナルで,ハーバード・ビジネススクールの教授であるクレイトン・M・クリステンセン長老は,モルモン書が真実であることを知ろうと決意したことについて話をしました。彼はブリガム・ヤング大学を卒業後,奨学金を受けてイギリスのオックスフォード大学へ留学することになりました。その時,モルモン書が真実であることさえ自分は知らないと気づきました。それまでにモルモン書を7回読んでいました。そして,毎回最後にはひざまずいて祈り,その書物が真実かどうか神に問いかけてきました。しかし,何の答えも受けませんでした。なぜ答えを得られなかったのかを考えてみると,過去の7回はいずれも両親やブリガム・ヤング大学の教師,伝道部会長,セミナリー教師から割り当てを受けて読んだものであり,最後まで読むことを目的としていたことに気づきました。しかしこの度は,モルモン書が真実かどうかをどうしても自分で知る必要がありました。人生のその時まで,教会の多くの教義を信じることによって,また両親に対する信頼によって自分を支えていました。「両親はそれが真実であることを知っている」と分かっており,両親を信頼していたからです。けれどもついに,彼はオックスフォードへ着いたとき,人生で初めてモルモン書が真実であることをぜひとも知る必要があったのです。
オックスフォードは世界最古の大学の一つです。クリステンセン長老は1410年に建てられた,目には美しくも,住むにはひどい建物で暮らすことになりました。その建物には小さな部屋があって,石壁に穴をあけて作った空間に暖房器が設置されていました。彼は毎晩11時から12時までモルモン書を読んで,真実かどうかを確かめることを決意しました。それほど長い時間を割けるかどうか自信がありませんでした。非常に多くの時間を要する学術プログラムを手がけ,応用計量経済学を学び,普通であれば3年かかるところを2年でそのプログラムを終えようとしていました。1日1時間をモルモン書のために割けるかどうか分かりませんでした。しかし実行しました。11時になると,暖房器のそばにある椅子の傍らにひざまずき,声に出して祈り始めました。これが真実の書物かどうかを心から知りたいと思っていること,もし真実であることを明らかにしてくだされば,自分の生涯を神の王国の建設のためにささげると神に語りかけました。そして,もし真実でなければ,それもはっきりと知りたいと言いました。何が真実かを知るために人生をささげたいと思っていたからでした。祈り終えると,椅子に座ってモルモン書の最初のページを読みました。ページの最後まで来ると,そこで止まって,そのページの内容について考え,そしてこう自問しました。「人々を欺こうとしたペテン師がこれを書けただろうか。それともほんとうに神の預言者によって書かれたのだろうか。これはわたしの生活にとってどのような意味があるだろうか。」それから,書物を置いて,ひざまずき,声に出して再び神に尋ねました。「どうぞこれが真実の書物かどうかお知らせください。」そして,椅子に座り,書物を手に取って,ページをめくり,次のページを読み,ページの最後で止まって,同じことを繰り返しました。彼はクイーンズカレッジ・オックスフォードの,寒く,湿っぽい部屋で毎晩1時間これを実行しました。
ニーファイ第二書の最後の章まで来たある晩,祈りをささげ,椅子に座って,書物を開いたとき,突然,麗しく,温かく,愛にあふれた霊が部屋を訪れ,彼を包み込んで,魂を貫き,そのように感じられるとは想像もしていなかった愛によって覆われました。彼は泣き始めました。泣くのをやめようとしませんでした。なぜなら,涙の先にモルモン書の言葉を見たとき,以前は理解できると思いもしなかった言葉の中に真理を見ることができたからです。彼は永遠の栄光を見ることができました。神が息子の一人である彼に用意しておられたものを見ました。彼は泣くのをやめたくなかったのです。その霊は一時間とどまりました。それから毎晩,祈りをささげ,モルモン書を手にしてその部屋の暖房器のそばに座る度に,その霊が戻ってきました。それは彼の心と生活を永遠に変えることになりました。
今,クリステンセン長老は,モルモン書が真実かどうかを知るために,応用計量経済の研究から毎日1時間を割くことができるだろうかと考えたことを振り返っています。そして,追求してきたあらゆる教育の中で,それは自分が得た最も役立つ知識であると述べています。
彼はオックスフォードを訪れるのが大好きです。そこにいる人々のほとんどは学生か,美しい大学を見に来た観光客です。けれども彼がそこを訪れるのが大好きなのは,そこが神聖な場所だからです。自分が生活したその部屋の窓を見ることができます。そしてこう思うのです。「そこは,イエスがキリストであり,わたしの生ける贖い主であり,ジョセフ・スミスが真の教会を回復した預言者であることを知った場所である」と。
クリステンセン長老はブリガム・ヤング大学アイダホ校の学生たちに向けてこう語りました。「ここレックスバーグへ来た皆さんの中には,これは神の教会であるとすでに自分で知った人がいることでしょう。しかし,まだほかの人の証に頼って生きている人に,わたしは勧めます。毎日1時間を割いて,これが真実かどうか自分で知ってください。わたしの場合と同様,皆さんの心を変えるからです。」3
ヨハネによる福音書第5章39節にはこう記されています。「あなたがたは,聖書の中に永遠の命があると思って調べているが,この聖書は,わたしについてあかしをするものである。」
ブルース・C・ヘーフェン長老はこう言っています。「望むなら人は永遠の命を得ることができますが,ほかの何よりもそれを得たいと望む人にしか与えられないのです。」4
真理を知るようになるには努力が必要です。努力を積み重ねれば,報いは大きくなります。モロナイはこう述べています。「また,この記録を受けるとき,これが真実かどうかキリストの名によって永遠の父なる神に問うように,あなたがたに勧めたい。もしキリストを信じながら,誠心誠意問うならば,神はこれが真実であることを,聖霊の力によってあなたがたに明らかにしてくださる。」(モロナイ10:4)
3.天の御父の計画を知るようになる
質問3:天の御父がわたし個人のために用意しておられる計画を知るようになる には,どうすればよいでしょうか。
天の御父のみもとへ戻る方法は自分で選択します。御父が用意してくださったのは幸福の計画です。ジョセフ・スミスは「幸福こそ,わたしたちの存在する目的であり計画です」と述べています5。天の御父はわたしたちが喜びを得ることを望んでおられます。どのような進路を取るかは各自で決めます。人はそれぞれに違います。個性,才能,体つき,情緒の特質も様々です。あるものは神から与えられていますが,多くは訓練によって身につけるものです。望みが弱さを克服できるのです。
一つの例を紹介します。小学校2年生の少女が視覚記憶学習機能に障がいがあると診断されました。スクールカウンセラーは,「思い出し,記憶する能力が欠如しているので,成績はいつもクラスで最下位でしょう」と言いました。両親はこの障がいについて本人に知らせないことにしました。授業に普通について行くため,ほとんどの生徒が簡単にできることに彼女は大きな努力を要しました。彼女は良い友達に囲まれていました。成績の良い子ばかりでした。それが彼女を後押ししてくれました。3年生のときは掛け算,5年生のときは合衆国の州都を覚えるのに多くの時間を必要としました。高校では大学レベルのクラスを取り,どんどん進歩していきました。彼女が勉強に費やした時間は献身の証でした。現在,彼女は心臓集中治療室の看護師として働いています。信じられないことです。彼女と天の御父には一つの計画があったのです。
もう一つの実例を紹介しましょう。1年ほど前に若い女性のクラスを訪問したときのことです。教師は10の優先事項を書き出すよう求めました。わたしはすぐに書き始めました。正直に言いますと,最初に思いついたのは,「第1:台所の引き出しトレーを片付けること」でした。10項目を書き上げると,若い女性の指導者はそれを発表するように言いました。隣に座っていたのは12歳になったばかりのアビーでした。アビーのリストは次のようなものでした。
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1. ユタ大学に入る。
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2. インテリアデザイナーになる。
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3. インドへ伝道に行く。
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4. 帰還宣教師と神殿で結婚する。
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5. 5人の子供がいる家庭を作る。
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6. 子供たちを伝道と大学に行かせる。
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7. やさしいおばあさんになる。
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8. 孫を甘やかす。
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9. 福音についてもっと学び,人生を楽しむ。
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10. 天のお父さまのもとへ帰って,一緒に住む。
信じられないくらいすばらしい優先順位ですね。天の御父がわたしたち一人一人のために用意しておられる計画のビジョンを持つことを教えてくれたアビーに感謝しています。計画を立て,最善を尽くしてその達成を目指すのです。回り道することもあるでしょう。橋がなかったり,路上に障害物があったり,迷ったりすることがあるかもしれませんが,道に戻ることができます。
トーマス・S・モンソン大管長はこう語りました。「皆さんは,たとえ物事がまったく計画どおりに行われないとしても,ほとんどの場合はそれを正し,それを乗り越え,そこから学ぶことができます。」6引き返す道がないと考えることがあるかもしれません。悪魔はそのような考えを歓迎します。引き返す道は必ずあります。救い主はこう言われました。「わたしは終日,腕を伸べている。」(2ニーファイ28:32)またこう言われました。「人の不死不滅と永遠の命をもたらすこと,これがわたしの業であり,わたしの栄光である。」(モーセ1:39)神はわたしたち全員が帰れるように,わたしたち以上に働いておられると,わたしは好んで考えるようにしています。
第1に,神は,わたしたちが神の計画における自分の立場を知り,全力を尽くすことを願っておられます。戒めを守り,聖なる場所に立つのです。昇栄を究極の目標とするならば,そこへ到達する計画に基づいてあらゆることを決断しなければなりません。わたしたちは一人で歩くのではありません。神はわたしたちを愛しておられ,一人一人を御存じです。神はわたしたちの生活の細部に関与しておられます。道を歩むとき,背中に神の御手を感じることがあります。
4. 御父とその御子を知るようになる
質問4:御父とその御子を知るようになるには,どうすればよいでしょうか。
御父と御子を知るようになることが,わたしたちの存在している目的です。
救い主は御父に祈って,こう言われました。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。」(ヨハネ17:3)
レーマンとレムエルは,「自分たちを造られたあの神の計らいを知」りませんでした(1ニーファイ2:12)。C・S・ルイスはこう述べています。「高慢である間は,神を知ることができない。」7悪魔はわたしたちが神を知ることのないように願っています。さらに,心が鈍くなり,混乱し,雑音に惑わされ,注意力散漫になり,個人的に主を求める静かな時を妨げるものに取り囲まれることを願っています。何事でも極端に走ることはサタンの使うもう一つの手段です。わたしたちができることはただ,主を知るために十分な時間を取ることです。
謙遜,従順,あるいは柔和であるとき,わたしたちは神に近づきます。1856年にマーティン手車隊に加わって荒涼としたワイオミングの道を歩んだフランシス・ウェブスターは,隊を擁護してこう述べました。「そのような苦難の中で,わたしたちは神を身近に感じ,神は生きておられるという絶対的な知識をもって生き抜いてき〔ました。〕」8
わたしたちは救い主を生活にお招きするときに,救い主を知るようになります。すると積極的に人を赦し,喜んで奉仕するようになります。心を開いて受け留めようとするとき,もっと救い主のようになります。そのようにして,主がいつもわたしたちとともにおられることが分かるのです。心が平安になります。試練はもはや重荷ではなく,祝福となります。なぜなら,試練によって,主に通じる道が切り拓かれるからです。
パウロは言っています。「患難をも喜んでいる。なぜなら,患難は忍耐を生み出し,
忍耐は錬達を生み出し,錬達は希望を生み出すことを,知っているからである。
そして,希望は失望に終ることはない。なぜなら,わたしたちに賜わっている聖霊によって,神の愛がわたしたちの心に注がれているからである。」(ローマ5:3-5)
C・S・ルイスは,キリストを知るようになった人々を「新しい人」と呼んで,次のように述べています。「新しい人は世界中のそこかしこにいます。……時々彼らに出会うことがあります。彼らの顔と声はわたしたちよりも力があり,静かで,幸福で,輝いています。彼らはわたしたちのほとんどが投げ出した地点を出発点とします。……彼らは自分に人々の注目を集めようとはしません。彼らはあなたに対してまことの思いやりを示すので,あなたは彼らに対して思いやりを抱くようになるでしょう。彼らはだれよりもあなたを愛しますが,あなたからそれほどの愛を求めません。……彼らは普通,時間的な余裕があるように見えます。どこから見つけるのか分かりません。……
新しい人になるとは,いわゆる『自我』を捨てることです。己を捨ててキリストのもとへ行かなければなりません。主の思いをわたしたちの思いとして,主のように考えるのです。」9
自分自身について知るようになるためのプロセス
聖霊を知るようになり,モルモン書が真実であることを知るようになり,わたしたち一人一人のために天の御父が用意された計画を知るようになり,御父と御子を知るようになること,これはすばらしい展開です。
知るようになりたいという望みにはパターンがあります。それを御存じでしょうか。
ニーファイはそのパターンを定義して,次のように述べています。「主が言われたことを覚えていないのですか。主は,『もしあなたがたが心をかたくなにせず,わたしの戒めを熱心に守りながら,答えを与えられると信じて信仰をもってわたしに求めれば,これらのことは必ずあなたがたに明らかにされる』と言われました。」(1ニーファイ15:11)
プロセスを理解できたでしょうか。
ニーファイが述べた方法には次のことが含まれます。
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• 謙遜な心を持つ。
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• 信仰をもって願い求める。祈りを通して主の助けを求める。
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• 熱心に戒めを守り,主の御心を行う。
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• 主の御手に気づく。これが主を知るようになる方法です。主の御手を見ることは主の愛を確認することです。生活の中で主の御手に気づくことが多いほど,主はさらに関与してくださるでしょう。これが,皆さんがかつて知っていた救い主を知るようになる方法です。
モルモンの泉に集まった人々は,祈りによって信仰を強めました。彼らは安息日を守るため熱心に行動し,学びました。彼らは自分の手を使って働き,物心両面で分け与えることによって人々に仕えることを学びました。モーサヤの息子たちは聖文を調べ,しばしば祈り断食しました。知るようになるための代価を支払ったのです。
クリステンセン長老が声に出して祈り,もしモルモン書が真実であることを明らかにしてくださるなら,王国を建設するために生涯をささげると主に約束したことに,わたしは心を打たれました。彼は熱意を込めて毎晩ささげた犠牲により,知るようになりました。
アビーは計画を作って,今,熱心に取り組んでいます。天の御父のみもとへ帰るという目標は,日々の決心を強めることでしょう。彼女は,自分のための主の計画があることを知るようになっています。
自分自身を知るようになることは個人的なことです。生活の中で数多く「知るようになる」経験をすることでしょう。それはかつて知っていたことを思い出すプロセスです。あなたは主を知っている,ということを忘れないでください。主があなたを御存じかどうか疑問を感じたら,率直に尋ねてください。初等協会の歌「子供の祈り」10はこのような歌詞で始まります。「天のお父さま,あなたはほんとうにおいでになるのですか。すべての子供たちの祈りを聞き,こたえてくださるのですか。」そのとおりであると証します。求めるとき,主は教えてくださいます。ひざまずき,声に出して尋ねましょう。「わたしはほんとうにあなたの息子あるいは娘でしょうか。わたしを愛しておられますか。」そして耳を傾けます。尋ねるという行為にはきわめてへりくだる要素が含まれています。尋ねることは信仰ある行為です。
ジョセフ・スミスは,14歳のときに,ニューヨーク州パルマイラの麗しい場所,木々に囲まれた神聖な森で,知ることができるよう信仰をもって尋ねました。こう述べています。「わたしは……二人の御方を見た。そして,その方々が実際にわたしに語りかけられたのである。……わたしは示現を見た。わたしはそれを知っていた。神がそれを御存じであるのを,わたしは知っていた。わたしはそれを否定でき〔ない〕。」(ジョセフ・スミス―歴史1:25)「そして今,小羊についてなされてきた多くの証の後,わたしたちが最後に小羊についてなす証はこれである。すなわち,『小羊は生きておられる。』」(教義と聖約76:22)
エルサレムの墓地で,安息日が終わって週の初めの日の明け方に,マグダラのマリヤとほかのマリヤは,墓地の麗しい場所で二人の天使の訪れを受けました。天使は言いました。
「恐れることはない。あなたがたが十字架におかかりになったイエスを捜していることは,わたしにわかっているが,
もうここにはおられない。……よみがえられたのである。」(マタイ28:1-6)
よみがえられた救い主イエス・キリストを知ることにより,主が贖罪を通してあらゆる苦痛を和らげてくださることが分かるようになります。主はあらゆる不安からの救いと慰めを与えてくださいます。わたしたちの重荷を負い,またあらゆる力不足の気持ちならびに変わりたいという思いに平安を与えてくださいます。
エズラ・タフト・ベンソン大管長はこう語りました。「幕を通り抜けて向こうの世界へ行くとき,わたしたちは,自分が御父をよく知っていて,その御顔が親しく感じられることを知って, 驚くことでしょう。」11わたしたちは御父を知っているのです。
ここユタ州立大学は,わたしにとってモルモンの泉です。このキャンパスはわたしの目に麗しく映ります。ここで贖い主を知り始めたからです。わたしは天の御父と救い主の証人として誇りをもって立っています。聖霊の力を通して,わたしは,御二方が生きておられることを知っています。皆さんは御二方にとってかけがえのない大切な存在です。皆さんはこの地上に来る前に御二方をよく知っていました。道を歩み続けましょう。天の御父が待っておられます。わたしは,神の子供たちである皆さんを愛し,皆さんのために祈っています。イエス・キリストの御名により,アーメン。
© 2011 Intellectual Reserve, Inc.版権所有英語版承認:2011年2月,翻訳承認:2011年2月。原題: Coming to Know JapanesePD50031652 300
Notes
3. クレートン・M・クリステンセン,“Decisions for Which I’ve Been Grateful” (ブリガム・ヤング大学アイダホ校でのディボーショナル,2004年6月8日),http://www.byui.edu/Presentations/Transcripts/Devotionals/2004_06_08_Christensen.htm
6. トーマス・S・モンソン, ブリガム・ヤング大学女性の大会における説教,Awake, Arise, and Come unto Christ の中の“Joy in the Journey,”の項, (2009年),3