困難な時のための御霊の賜物
十二使徒定員会
ヘンリー・B・アイリング長老
ヤングアダルトのためのCESファイヤサイド*2006年9月10日*ブリガム・ヤング大学
美しい音楽と,その音楽がもたらした御霊に感謝しています。今晩,皆さんとご一緒できることを感謝しています。ここ,ブリガム・ヤング大学のマリオットセンターには大勢の人々がいます。さらに数千人が世界中の会場でこの放送を視聴しています。皆さん全員を見渡すことはできませんが,天のお父様はおできになります。お父様は皆さんの名前と,皆さんが必要としていることを御存じです。皆さんの心を御存じです。皆さんは一人一人異なった問題に直面しています。霊感を受けることで,御父が皆さんに聞いてほしいと願っておられる言葉を伝えられるよう祈っています。
#終わりの日にもたらされる祝福と直面する問題#
わたしたちはそれぞれ特異な存在ですが,共通点があります。全員がこの地上で試しの期間にあるのです。しかも,どこに住んでいても,この試しはますます難しくなっていくでしょう。わたしたちは最後の神権時代にいます。神の預言者たちは何千年ものあいだ,この時代を見てきました。すばらしいことが起きるのを見てきました。イエス・キリストの福音が回復され,真の教会が預言者と十二使徒とともに回復すると預言されていました。また,福音がすべての国民,部族,国語の民,民族に伝えられることが預言されていました。そして何よりも,真の教会とその会員が救い主の降臨にふさわしくなり,救い主が,教会と清められた弟子たちのもとを訪れられると預言されていました。
しかし,真の預言者たちは,終わりの日に悪魔が荒れ狂うのも見ていました。戦争と戦争のうわさがあり,恐怖心があおられ,多くの人が勇気をなくし,邪悪がはびこるのを見ていました。サタンが多くの人を欺くのです。
しかしうれしいことに,打ち負かされない人も大勢いました。欺かれない人も大勢いました。皆さんが今晩耳を傾けているという事実は,皆さんが打ち負かされず,欺かれない人になりたいと思っている証拠です。わたしの目的は,どうすればその幸せで輝かしい目的に到達できるかを教えることです。
#鍵となる聖霊#
大事なことは,神が約束してくださった賜物を受けて,それを持ち続けることです。イエス・キリストの真の教会の会員である皆さんは,バプテスマを受けた後に権能を持った神の僕から,聖霊を受けることができると約束されたことを覚えているでしょう。皆さんの中には,その儀式中に何かが起こっていることを感じた人もいるでしょう。そして多くの人が,その約束が成就した結果を感じたことでしょう。今晩わたしは,どうすればその賜物を認識し,毎日の生活で身に受けることができるのか,また,将来その賜物がどのように皆さんを祝福するのか話します。
皆さんは,何かが真理であるとの静かな確信を心と思いで感じました。そして,それが神からの霊感であることを理解したのです。バプテスマを受ける前の,宣教師から福音を学んでいるときに感じた人もいるでしょう。教会の話やレッスンを通して感じた人もいるでしょう。 また今晩すでに,真理が語られたり,歌われたりしたときに感じた人もいるかもしれません。聖霊とは真理の御霊です。御霊が人の心と思いに真理を伝えるとき,人は平安と希望,喜びを感じるのです。わたしも,ほとんどいつも光を感じてきました。暗闇を感じても,いつもそれは消え,義しいことをしようとする望みが大きくなるのです。
皆さんも同じ経験ができると,主は約束なさいました。 教義と聖約に書かれた主の言葉があります。
「さて,まことに,まことに,わたしはあなたに言う。善を行うように導く,すなわち,公正に行動し,へりくだって歩み,善にかなって裁くように導く御霊を信頼しなさい。これはわたしの御霊である。
「まことに,まことに,あなたに言う。わたしはあなたにわたしの御霊を授けよう。わたしの御霊はあなたの思いを照らし,あなたの霊に喜びを満たすであろう。」( 教義と聖約11:12-13)
また主は,聖霊の賜物をその生活に受け入れた者は,欺かれることはないと約束されました。教会が主の再臨に向けて備えられている時代に生きる皆さんとわたしに,主は力強く語られました。 教義と聖約にある約束です。
「わたしが栄光のうちに来るその日に,わたしが十人のおとめについて語ったたとえは成就するであろう。
「賢くて,真理を受け入れ,自分の導き手として聖なる御霊を受け,そして欺かれなかった者,すなわち,まことにわたしはあなたがたに言うが,彼らは切り倒されて火の中に投げ込まれることなく,その日に堪えるであろう。
「そして,地球は受け継ぎとして彼らに与えられる。彼らは増えて強くなり,その子孫は罪のないまま成長して救いを得るであろう。
「主は彼らの中にあり,主の栄光は彼らのうえにあり,主は彼らの王となり,立法者となるからである。」( 教義と聖約45:56-59)
#御霊の顕れ#
皆さんはこれらの言葉を聞いて,今また,約束された御霊の現われを受けたと感じたかもしれません。救い主は10人のおとめと御自身の再臨,しかも今度は栄光に包まれた再臨について語っておられますが,これらは,わたしたちが救い主とともに暮らす時の様子を表したものです。わたしたちが主とともにおり,主の栄光を受ける日を表しています。聖霊が証し,また,皆さんがたった今感じたあらゆることの中で,イエスがキリストであり,神の御子であること以上に貴いことはなく,わたしたちに光と希望と喜びを感じさせてくれるものはほかにありません。聖霊の力を感じるときに,イエス・キリストの贖いによってわたしたちの本質が変わっていくのも,驚くに及びません。主の戒めを守り,良いことを行い,公正に振る舞いたいという願いが強くなるのを感じるのです。
皆さんの多くは,聖霊にかかわる度重なる経験を通して,この力を感じたことがあるでしょう。例えば伝道中は,御霊に頼らなければ,人々が必要とすることを教えられませんでした。皆さんは一度ならず,恐らく毎日のように,ヒラマン書のニーファイやリーハイが伝道地の人々の間で得た祝福を受けたことでしょう。こう記されています。
「そしてニーファイとリーハイは,レーマン人にも同じように大きな力と権能をもって教えを説いた。彼らは語ることができるように力と権能を与えられており,また語るべき事柄も示されたからである。
「そこで彼らは語ってレーマン人を非常に驚かせ,彼らに確信を抱かせたので,ゼラヘムラの地とその周りで悔い改めのためのバプテスマを受け,自分たちの先祖の言い伝えが正しくないことを確信したレーマン人は八千人に上った。」( ヒラマン5:18-19)
これほど奇跡的な収穫はなかったかもしれませんが,主の務めに心をささげたとき,皆さんは聖霊によって言葉を授けられたはずです。伝道のある時点に差し掛かると,そのようなことを何度も経験したことでしょう。そのときのことを思い返してよく考えれば,戒めに従順になりたいという願いは徐々に大きくなっていったことを思い出すはずです。誘惑がだんだん少なくなっていくのを感じたでしょう。従順になり,人に仕えたいという望みが強くなっていくのを感じたでしょう。
聖霊の現れを繰り返し受けることで得たものの一つが,性質の変化です。忠実に主に仕えることでイエスがキリストであるという聖霊の証を得ただけでなく,皆さんは自分自身の生活の中に,贖いが真実であることの証拠を見たのです。聖霊の影響力をもたらす忠実な働きは,アルマが説明した種を植えることの一つの例です。
「さて見よ,あなたがたはすでに試して種を植え,その種がふくらんで芽を出し,生長し始めているので,その種が良いものであることを知るに違いない。
「さて見よ,あなたがたの知識は完全であろうか。そのとおり,あなたがたの知識はそのことに関しては完全であるが,あなたがたの信仰は眠ったままである。この理由はあなたがたが知っている。というのは,あなたがたは,御言葉があなたがたの心を高めたのを知っており,またあなたがたは,それがすでに芽を出し,あなたがたの理解力に光が注がれ,あなたがたの心が広がり始めているのを知っているからである。
「おお,それならば,このことはほんとうではないだろうか。わたしはあなたがたに言う。確かにほんとうである,と。なぜなら,それは光だからである。光は何であろうと善である。というのは,そのように見分けがつくからであり,こうしてあなたがたは,それが善であることを必ず知るようになる。さて見よ,この光を経験した後,あなたがたの知識は完全であろうか。
「見よ,そうでないとあなたがたに言おう。あなたがたは自分の信仰を捨ててはならない。あなたがたは,種が良いものかどうかを知ろうとして,ただ信仰を働かせてその種を植えてみただけだからである。
「そして見よ,木が生長し始めると,あなたがたは,『この木が根付き,生長し,わたしたちのために実を結ぶように,十分に注意して養いを与えよう』と言うであろう。さて見よ,あなたがたが十分に注意して養いを与えれば,それは根付き,生長し,実を結ぶであろう。」(アルマ32:33-37)
#日々啓示を受ける#
もし皆さんがわたしと二人きりになって(そうすることができればすばらしいのですが),何でも聞きたいことを聞けるなら,きっとこう言うでしょう。「長老が言われたことの幾つかは,わたしも感じたことがあります。聖霊は,時に応じて,わたしの心と思いを触れてくださいました。でも,打ち負かされたり,欺かれなかったりするためには,常に聖霊を感じている必要があるんです。それは可能ですか。もしできるなら,その祝福を得るために何をしなければなりませんか。」
最初の質問から答えましょう。はい,それは可能です。その確信が必要なとき,わたしは二人の兄弟のことを思い出すようにしています。ニーファイとリーハイ,それに二人とともに働いたほかの主の僕たちは,激しい迫害に遭いました。彼らは悪が一段と強まる世界で伝道していました。ひどい欺きに対処しなければなりませんでした。ですから,わたしはヒラマン書の次の一節から勇気を得ます。皆さんも同じです。その記録者が驚かなかったように,その年全般にわたって起こったことの記録に,その確信を見いだすことができます。
「ところが第七十九年に,多くの争いが始まった。しかし,ニーファイとリーハイと,彼らの同僚たちの多くは,教義の真の要点について理解し,日々多くの啓示を受けていたので,人々に教えを説き,その年の内に争いを鎮めた。」(ヒラマン11:23)
彼らは日々多くの啓示を受けていました。これは皆さんやわたしにとって,最初の質問への答えとなります。そうです,毎日多くの啓示を受けるために,聖霊を伴侶とすることはできるのです。簡単なことではありません。でも,できます。何が必要かは,一人一人異なります。これまでの人生経験が異なるため,スタート地点が違うからです。でも,少なくとも3つの条件がすべての人に求められます。どれも,一度の経験で手に入れ,保つことができるようなものではありません。常に更新していかなければなりません。
#神への信仰#
聖霊を受けるためにまず必要なのは,天の御父とその愛する御子イエス・キリストへの信仰です。真理を確信した過去の霊的経験を覚えているだけでは不十分なのです。昼夜にかかわらず,危機的瞬間に御霊の力を求めるときも,自分に信仰に対する確信が必要です。そうすれば,神が生きておられ,助けを求める声を聞いてくださり,復活された救い主が,この世におられたときに僕たちに約束されたことを自分にもしてくださるこという確固とした自信を持つでしょう。
「わたしが父のみもとからあなたがたにつかわそうとしている助け主,すなわち,父のみもとから来る真理の御霊が下る時,それはわたしについてあかしをするであろう。」(ヨハネ15:26)
ニーファイとリーハイの兄弟は,日々多くの啓示を受けました。記録には,二人は教義の要点について知っていたとあります。皆さんとわたしにとって,あらゆる真の教義の中でも,父なる神と御子イエス・キリストの真の属性以上に大切なものは何もありません。その属性を知るために,わたしは何度も何度も聖文を読み,祈りをささげ,聖餐の儀式に返ります。そして,神とイエス・キリストを一番よく知るために,わたしは何にも増して,戒めを守り,教会で奉仕をします。教会で熱心に奉仕することで,わたしたちは神の属性を知るだけでなく,神を愛するようになります。神の戒めに従えば,神への信仰は増し,それによって御霊を受けるふさわしさを身に付けるのです。
神への力みなぎる信仰は,定期的に神に仕えることで最もよくもたらされます。皆が教会での責任に召されているわけではありませんが,すべての会員には,たくさんの奉仕の機会があります。例えば,わたしたちは何年も「すべての会員は宣教師である」という言葉を耳にしてきました。会員である以上,これを否定することはできません。しかし,福音について話すか話さないかは選ぶことができます。同じように,すべての会員は,教会内外の貧しい人の世話をする責任があります。この働きには,個人的に,独りで行うものもあれば,ほかの会員と一緒にするものもあります。断食献金と奉仕のプログラムがあるのはそのためです。わたしたちに任されているのは,主が地上におられたときに弟子たちとともになされた業に,今日の弟子たちとともに加わるかどうかを選ぶことなのです。
わたしたちの多くはホームティーチャーか家庭訪問教師の召しがあるでしょう。これらの召しは,信仰を強めるすばらしい機会です。主は謙遜な僕に聖霊を遣わしてくださるからです。それによってわたしたちの主への信仰は強められ,新たにされます。わたしも,皆さんもそれを見てきました。あるとき,ひどく取り乱した一人の母親から電話を受けました。彼女の未婚の娘が遠く離れた別の街に引っ越してしまったというのです。娘からの連絡が途絶え始め,彼女は何か良くないことを感じていました。道徳的な危険にさらされているのではないかと恐れていました。そして娘を助けてほしいと頼んできました。
わたしは娘さんのホームティーチャーを探し出しました。若い兄弟でした。でも,彼と同僚はある夜,彼女のことで目が覚めました。単なる心配からではなく,彼女が悲しみと不幸をもたらす選択をしようとしていることを,霊感を通して知ったのです。御霊の導きだけを頼りに,二人は彼女に会いに行きました。最初は自分の状況を何も話したがりませんでした。二人は彼女に悔い改めて,主が用意してくださった道を歩み,母親と父親から教えられた道を進むようにと頼みました。二人の話を聞いていた彼女は,自分の状況を彼らに知らせたのは神のほかにいないことを悟りました。母親の祈りが天の御父へ届き,聖霊が教師のもとに遣わされてなすべきことを教えたのです。
神権指導者が次のような経験をするのを何度も聞きました。彼らは助けを必要としている人のところへ行くよう霊感を受けて行ったものの,家庭訪問教師やホームティーチャーがすでに来ていたのです。皆さんが主に仕え,その家に送られた主の教師として天の御父の子供たちを世話するとき,信仰は増し加えられます。皆さんの祈りはこたえられます。御父が生きて,わたしたちを愛しておられること,神を信じ始めたばかりの人にでも,教会で神に仕えたいと願う人には霊感を送ってくださることを自分で知ることができます。神への信仰を強めたいなら,教会に近くあってください。信仰が強くなれば,約束を受けるために必要な能力も増し加えられ,御霊の賜物を受けることができるのです。
#清くなるための条件#
常に聖霊と交わり,導きを受けるための第二の条件は,清くあることです。御霊は清くない人のもとから退いてしまいます。モルモン書に出てくる人々の歴史にある悲しい記述を覚えているでしょう。
「また,彼らの罪悪のために,教会は衰え始めていた。そして彼らは,預言の霊と啓示の霊を信じなくなり,神の裁きは彼らの目前に迫っていた。
彼らは,自分たちが同胞のレーマン人のように弱くなってしまったこと,また主の御霊がもはや自分たちを守ってくださらないことを知った。まことに,主の御霊は清くない宮にはとどまらないので,彼らから去ってしまわれたのである。」(ヒラマン4:23-24)
聖霊を受ける道は,悔い改めに導くキリストへの信仰を働かせることです。救い主の贖いの効力にふさわしくあることで,わたしたちは清くなることができます。権能を受けた神の僕によるバプテスマで交わされる聖約は,清めをもたらします。わたしたちは聖餐を取るたびに,それらの聖約を守る誓いを新たにするのです。だれもが願う平安とは,遂行の罪と怠慢の罪,どちらの罪に対しても赦しを得たという確信です。
その赦しと確信を与えることができるのは救い主だけです。分かったことは,主は正しい時に,御自分の方法でその確信をお与えになるということです。祈りを通してその確信を求めることも学びました。主がその確信をお与えになる一つの方法が,聖霊を通してです。聖霊を感じるのが難しいとき,悔い改めて赦しを得なければならないことがないかどうか,知恵を使い,よく考えるとよいでしょう。
今日,あるいは今晩,皆さんが聖霊の力を感じたのなら,それは,贖いが皆さんの生活の中で効力を発揮している証拠であると思うでしょう。ほかにも多くの理由がありますが,だからこそ皆さんは,聖霊の導きを招く場所と働きに自分の身を置くべきなのです。聖霊の影響力を感じることには,二つの作用があります。聖霊は清い宮にしかお住まいにならず,聖霊を受けることでイエス・キリストの贖いを通してわたしたちは清められます。清められる方法を知るには,信仰を持って祈ることができます。そうすれば聖霊を伴侶とし,主の務めにふさわしくなるのです。聖霊を伴侶とすることで,わたしたちは強められて,誘惑に対抗することができ,欺きを見破る力を得ます。
#純粋な動機#
聖霊を伴侶とするための3番目の条件は,純粋な動機を持つことです。御霊の賜物を得たいと願う理由が義しくなければなりません。主の目的と一致していなければならないのです。自分の動機が利己的であるほど,約束された御霊の賜物を受けるのは難しくなります。
この事実は警告にも,役立つ教えにもなります。まず,警告です。わたしたちが神のためでなく自分のために御霊の賜物を求めるとき,神はお怒りになります。動機が利己的であると自分でははっきり分からないかもしれません。しかし,御霊の賜物を得る権利を買おうとした男ほど思慮のない人もほとんどいないでしょう。ペテロの叱責を受けたサイモンという名の男の話を覚えているでしょうか。
「シモンは,使徒たちが手をおいたために,御霊が人々に授けられたのを見て,金をさし出し,
『わたしが手をおけばだれにでも聖霊が授けられるように,その力をわたしにも下さい』と言った。
そこで,ペテロが彼に言った,『おまえの金は,おまえもろとも,うせてしまえ。神の賜物が,金で得られるなどと思っているのか。
おまえの心が,神の前に正しくないから,おまえは,とうてい,この事にあずかることができない。
だから,悪事を悔いて,主に祈れ。そうすればあるいはそんな思いを心にいだいたことが,ゆるされるかも知れない。
おまえにはまだ苦い胆汁があり,不義のなわ目がからみついている。それが,わたしにわかっている』。
シモンはこれを聞いて言った,『仰せのような事がわたしの身に起こらないように,どうぞ,わたしのために主に祈ってください』。」(使徒行伝8:18-24)
シモンは,自分の動機が間違っていることに気づいたようです。わたしたちにはそれほど簡単ではないかもしれません。わたしたちには一時に複数の動機があることがほとんどです。神の御心と自分の思いが混ざっている場合もあります。区別するのは簡単ではありません。
例えば,学校の試験,あるいは仕事の採用面接の前夜だと思ってください。聖霊の導きが大きな助けになることを皆さんは知っています。わたしも自分の体験から,例えば,科学の一分野である熱力学の問題を解くのに使われる数学の方程式を,聖霊が御存じであることを知っています。わたしが今でも持っている本で勉強していたときです。計算式の途中で,自分が今読んでいることは真実であるとのはっきりした確信を持ったのです。以前,主の聖文について深く考えていたときや,それ以後何度も感じたものと全く同じ感覚でした。これにより,それが熱力学の試験についての質問であろうと,真理であることなら聖霊はすべて理解しておられることをわたしは知ったのです。
それ以上勉強しなくて済むように,試験中に聖霊を送ってくださるよう神に願いたくなったことは,想像できると思います。それがおできになることを知っていましたが,そうしませんでした。努力することを望んでおられると感じたからです。神は試験中に助けを与えてくださったかもしれませんが,自分の動機が神の思いと違っていることを恐れました。皆さんも何度も同じ選択をしてきたことでしょう。それは,仕事の面接に向かう時だったかもしれません。話の準備や,福音を教えるためだったかもしれません。主にはそれほど重要でないことを,自分の目的としている可能性は常にあります。
例えば,人のために熱心に働く方法を学ぶよう主が望んでおられるときに,わたしは学校でよい成績をとりたいと思っているかもしれません。給料や名声のために仕事をしたいと思っているのに,主は別の場所で,まだ知らないだれかの生活を祝福するために働くことをわたしに望んでおられるかもしれません。皆さんが今晩わたしの話を聞いているのは,主の確かな目的があってのことです。主は皆さんを御存じです。たとえわたしが,皆さんを楽しませたり,感銘を与えたりしたいと願っても,わたしは自分の望みを抑えて,主の望みに従うよう努力しています。
そのような人を見たことがあります。人生を変える出来事でした。中央幹部が大会で話をするために来訪し,わたしは壇上に座っていました。わたしは地元の神権指導者でした。わたしは個人的に,その地方の家族や会員たちの苦しみを知っていました。その幹部はヨーロッパでの長期の責任を終えて飛行機で着いたばかりでした。明らかに疲れていました。話が始まりました。とりとめのない話題が続いているように思え,初めのうちは,彼を気の毒に思いました。これまで何度も良い説教をしていましたが,今回はできそうにないと思いました。
しばらくして,わたしは,彼が一見関連性のない話題を羅列しながら,実は,わたしたちが助けようとしていた困窮にあえぐ会員や家族一人一人に必要なことを話していることに気づきました。その中央幹部は人々の必要について知りませんでした。しかし,神は御存じだったのです。
その中央幹部の動機が偉大な説教をすることでも,力強い預言者だと思われることでもなかったことに,どれほど感謝したでしょう。わたしが自分自身や皆さんに願うことを,この兄弟はしたのではないでしょうか。こう祈ったはずです。「お父様,助けが必要です。わたしは疲れています。聖霊の導きをお与えください。この人々を祝福してください。彼らを愛しています。彼らを助けるために,ただお父様の御心を果たせますように。」
その夜,聖霊は遣わされました。そして主の御心は果たされたのです。この中央幹部は全生涯をかけて,自分自身とほかの人々に神の善い言葉を与え続けました。忠実に主に仕え,イエス・キリストの特別な証人でした。そうなるように努力したからです。それはすべて,自分の動機を,主の望みにできる限り近づけようとしたことから生まれました。主が僕に聖霊のささやきをお送りになり,人々を祝福できたのは,そのためです。
#キリストの純粋な愛#
わたしは「キリストの純粋な愛」という聖句の意味を完全には理解していません。でも,一つ分かっていることがあります。それは,イエス・キリストの贖いの効力がわたしたちの内に発揮するときに実現する,約束された賜物なのです。その賜物とは,主の望まれることを望むことです。わたしたちが主と同じ愛を感じるとき,その愛は純粋です。主御自身が清い御方だからです。また人々に対するわたしたちの望みが,主の望みに近づくとき,自分が清めを受け始めていることが分かります。御霊の賜物を求めて祈るとき,わたしは純粋な動機を持てるよう望みます。御自身の子供たちとわたしに対する主の思いを求め,言葉だけでなく,主の御心が行われるよう感じることです。
モロナイの次の言葉は,まさにそのような意味があります。
「したがって,わたしの愛する同胞よ,もしあなたがたに慈愛がなければ,あなたがたは何の価値もない。慈愛はいつまでも絶えることがないからである。したがって,最も大いなるものである慈愛を固く守りなさい。すべてのものは必ず絶えてしまうからである。
「しかし,この慈愛はキリストの純粋な愛であって,とこしえに続く。そして,終わりの日にこの慈愛を持っていると認められる人は,幸いである。
「したがって,わたしの愛する同胞よ,あなたがたは,御父が御子イエス・キリストに真に従う者すべてに授けられたこの愛で満たされるように,また神の子となれるように,熱意をこめて御父に祈りなさい。また,御子が御自身を現されるときに,わたしたちはありのままの御姿の御子にまみえるので,御子に似た者となれるように,またわたしたちがこの希望を持てるように,さらにわたしたちが清められて清い御子と同じようになれるよう,熱意をこめて御父に祈りなさい。アーメン。」(モロナイ7:46-48)
父なる神が生きておられることを証します。栄光ある,昇栄された御方です。神はわたしたちの霊の父です。復活された,栄光ある神と愛する御子は,ニューヨークの森で少年ジョセフに現われました。お二人はそこにおられました。御父は,まずジョセフの名前を呼び,御子を紹介されました。天の使いが来て,すべての神権の鍵を回復しました。 ジョセフは神の賜物と力によって,モルモン書を翻訳しました。その書物は古代の預言者たちによって金属の版に書かれたものでした。その預言者の一人が ジョセフに版を渡し,翻訳が完成すると,再び取り去りました。神権の鍵は,今この地上にあります。イエス・キリストの証人として,神が生きておられ,この教会を導いておられることを証します。
皆さんの祈りがこたえられて,聖霊を受ける条件を満たすことができるよう心から祈っています。また,忠実に最後まで堪え忍び,栄光に満ちた来世を迎えることができますように。
主に仕えるために,皆さんが御霊の賜物を得られるよう祝福いたします。またわたしの愛を皆さんに残していきます。イエス・キリストの御名により,アーメン。
(C)2006 Intellectual Reserve, Inc. 版権所有。印刷:アメリカ合衆国。英語版承認:6/05。翻訳承認:6/05。原題:“Gifts of the Spirit for Hard Times.” 00941 300