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この世の影響をはね返す

十二使徒定員会
ダリン・H・オークス長老
クリステン・M・オークス姉妹とともに
ヤングアダルト対象のCESファイヤサイド • 2007年11月4日 • ポカテロインスティテュート

ダリン・H・オークス長老オークス姉妹とわたしは,ここアイダホ州ポカテロのインスティテュートに来られたこと,また今夜の集会が世界中に放送されることをとても喜んでいます。この場には,ポカテロ地区のヤングアダルトが大勢集っています。出席者は約1万人で,そのうちのおよそ7,000人がアイダホ州立大学の学生です。アーサー・バイラス学長とバイラス姉妹も出席しています。アイダホ州立大学の学生総数は1万4,000人で,その約50パーセントが末日聖徒の学生です。アイダホ州南部にあって,これは非常に大規模な末日聖徒のコミュニティーです。この教会教育システムの放送をこの地から放送できることを大変祝福だと感じています。

デートとハンギングアウト(グループ交際)

2005年5月に開かれた教会教育システムのファイヤサイドで,わたしはハンギングアウト(グループ交際)についてお話ししました。非常に大きな反響があったため,今晩用意したテーマに入る前にグループ交際について少し触れておこうと思います。

2年半前に話を聞く機会のなかった人のため,また聞いた人の記憶を呼び覚ますために,その話のあらましを紹介しておきます。

最初に,20代の多くの若者が結婚と家族生活の責任を先延ばしにする傾向があることについて心配するほかの人々の意見とともに,わたしの考えを紹介しました。

次に,この問題に詳しい人たちが,デートの習慣は大学のキャンパスやヤングアダルト全般の間でほとんど見られなくなったとする報告を紹介しました,デートは「ハンギングアウト」と呼ばれるものに取って代わられています。こういうことに詳しくない人のためにハンギングアウトとデートの意味を定義して,明確にしました。その話の後で寄せられた1通の手紙から,確かここアイダホに住む女性だったと思いますが,新しく,優れた定義が見えてきました。彼女は,ハンギングアウトとは「グループの中で怠惰な生活を送ること」だと述べています。

第3に,なぜデートが難しくなり,消滅してしまったのかを説明しました。

それから,次のようなアドバイスをしました。実際の話から引用したいと思います。

「男性の皆さん,もし伝道から帰ってきて,15歳のときに勧められたとおりの少年少女時代の慣習にまだ従っているなら,今こそ大人になるときです。勇気を出してデートする相手を探してください。いろいろなタイプの若い姉妹と,いろいろなデートをしてみてください。その段階で有望な相手が見つかったら,コートシップへと進んでください。そして結婚するのです。それは主が若い成人の息子や娘たちに望んでおられることです。男性は率先して行動し,デートを始めてください。デートがどのようなものか分からなければ,恐らくこのような定義が役立つでしょう。これはわたしの18歳の孫娘から聞いたものです。「デート」は3つのテストを通らなくてはなりません。(1)前もって計画する,(2)男性が費用を負担する,(3)二人だけでする。

若い姉妹の皆さん,グループ交際をしすぎないようにし,簡単で安上がりなデートを頻繁にしてください。若い姉妹が食料を提供して若い兄弟がグループ交際しやすくなっている傾向を助長しないでください。ただで食べ物を欲しがる人を助けることはやめましょう。時折グループ活動をするのはいいですが,異性との交際のおもな時間を,グループ交際をして過ごす男性に会ったら,食料貯蔵庫に鍵をかけて,開けられないようにしておきましょう。

鍵をかけたら『わたしとデートしてくれる人のために』などと書いた張り紙をしておくとよいでしょう。また,若い姉妹の皆さん,……若い兄弟にもっと頻繁にデートを申し込むように説得しようとするなら,デートをしたとしても,継続する義務はないことを互いに了解しなくてはなりません。……

独身の若い友人の皆さん,異性と交際するとき,継続するスポーツ活動に発展する可能性しかないグループ交際ではなく,結婚へと発展する可能性のあるデート方式にするようお勧めします。結婚は,少なくとも相当数の子供ができるまでは,グループ活動ではありません。」(The Dedication of a Lifetime〔ヤングアダルト対象の教会教育システムファイヤサイド,2005年5月1日〕,5−6)

以上が,2年半前のわたしの話からの引用です。

それからどんなことが起きたかと言うと,感謝の手紙を何通か受け取りました。そのほとんどは女性からでした。多くの人は「オークス長老のおっしゃるとおりです」と書いてきました。「独身者全般について……デートの状況は悲惨である」と述べた人もいます。一部の男性はデートを申し込んでも女性から断られること,あるいは家族の責任を引き受けようとしない女性がいることに不満を述べていました。

ある手紙には「教会の多くの若い独身成人は『グループ交際』文化に嫌気が差しているが,……この風潮全体を改革する力は自分にないと感じている」と記されていました。この女性は,「行動する責任は個人にある」とわたしが述べたことに感謝を表し,さらに「グループ交際をやめさせて,デートの文化を奨励する」方法を見つけたと付け加えています。その例として,別の手紙にはアパートのドアに張り紙をした写真が同封されていました。そこには「二人だけのデート歓迎」と書かれていました。

また,ほかの女性は,グループ交際で出合った男性と結婚した自分の姉妹について報告してきました。二人はあまりデートをしませんでした。ですから社会生活の中で二人だけになるということをよく理解していませんでした。今,夫婦関係はギクシャクしています。二人はそれぞれにグループ交際を続けているからです。夫はほかの男性たちと,妻はほかの女性たちとグループ交際をしているのです。

ほかにもたくさんの手紙がありますが,それらを紹介する時間はありません。けれども典型的な状況を表していると思われる手紙を1通だけ紹介します。この手紙を受け取ったのは話をしてから約1年後のことでした。幸福な結婚生活を送っていることを夫婦そろって感謝していました。手紙によると,二人はかつて大学院に通う学生で,独身ワードでは友達の関係でした。彼は気楽な気持ちでデートして,お互いをもっとよく知りたいと申し出ました。彼女は数日間考えたうえで,その気はないと答えました。

それから数か月後に,ファイヤサイドのわたしの話がきっかけとなりました。わたしへの手紙の中で,二人はこう書いていました。「ファイヤサイドで,オークス長老はこうおっしゃいました。『気取らない雰囲気作りの一つとして,デートが非常に真剣なものであるという印象を与えないようにすることです。若い兄弟にもっと頻繁にデートを申し込むように説得しようとするなら,デートをしたとしても,継続する義務はないことを互いに了解しなくてはなりません。』

ファイヤサイドの直後に,彼女は彼のもとへ行って,話したいことがあると言いました。」デートについて考え直し,もし彼にまだ関心があるなら,試してみたいと言いました。「わたしたちにはお互いについて知ることがまだたくさんあります」と書いていました。「それに変えなければならないことも。わたしたちは翌年の5月にワシントンD.C.神殿で結婚しました。オークス長老の率直で明確な助言のおかげで,デートは互いをよく知るための機会であり,交際を続けたり結婚したりすることを直ちに約束することではないと分かりました。」そのとおりです。

その話の中で述べたように,「気軽で頻繁に行うデートは,男女両方に将来の結婚相手となる人を探すために『多くの人を知る』機会を与えてくれました。古風なデートは異性とよく知り合うためのすばらしい方法でした。会話がうまくなり,ほかの人との接し方や一対一の場面で相手がどのような対応をするかが分かるようになりました。成熟した男女関係を築き,持続させる方法を学ぶ機会となりました。そういうことはグループ交際では起こりません。」(The Dedication of a Lifetime,5)

ここで,わたしのデートの相手を紹介したいと思います。妻のクリステンです。

クリステン・M・オークス姉妹

こんばんは。オークス長老が今でもわたしをデートの相手と考えてくれていることをうれしく思います。姉妹の皆さん,希望は永遠に消え去りません。兄弟の皆さん,この言葉は皆さんにも当てはまります。わたしたちは皆さんを愛しています。そして,今夜,教会の次世代を担う高貴な皆さんとともに過ごすことができて光栄です。皆さんは教会の未来であり,すばらしい方々です。皆さんの前途には多くの喜びと幸福が待っています。

わたしたちは,独身の方々が直面する独特のチャレンジについて知っています。例えば,教育,結婚,家族に仕えること,教会への献身についての決断もそのチャレンジに含まれます。わたしは今夜,わたしの心にある4つのことについてお話しします。(1)皆さんの中にある,家族を強める力について。(2)皆さんの中にある,互いに高めあう力について。(3)独身ワードやホームワードで独身会員として過ごす皆さんの時間について。(4)デートの相手を決めることについて。

1.皆さんの永遠の家族が昇栄するのを助けることにおいて,主は皆さんを頼りにしておられます。メアリー・N・クック姉妹は2007年10月の総大会でそのことについて語りました。「理想的な家族でも,問題を抱えている家族でも,すべての家族を強める必要があります。皆さんはそれに貢献できます。」(「家庭と家族を強める」『リアホナ』2007年11月号,11)

彼女の言葉が真実であることを証します。皆さんのエネルギー,熱意,模範は,家族にとても大きな影響があります。それは,手紙や電話で伝える場合も同じです。わたしの親族にも若い独身者がいます。彼らは明るく,献身的で,ユーモアがあり,信仰を持っています。彼らのそのような特質は家族を強いきずなで結ぶ接着剤の役割を果たしています。クック姉妹はこう語りました。「義にかなった生活の模範を示せば,家族を強めることができます。」(『リアホナ』2007年11月号,11)皆さんは大切な存在です。そして,皆さんは変化をもたらします。

2.互いに優しくする。だれでも,優しい励ましの言葉を必要としています。皆さんの口からそのような優しい言葉が出てくるようにしてください。今から,そうしてください。そのような言葉は永遠の祝福になります。

兄弟の皆さんにお話しします。周りにいる人を強めることを恐れないでください。皆さんの言葉を聞く人は,その言葉を長い間覚えていることでしょう。オークス長老は高校時代の文集で,ある若い女性を称賛しました。彼女は後に教会の中央補助組織の会長になりました。彼女は50年以上も前に書かれたその言葉を,自叙伝の中で引用したのです。

だれもが高められる必要があります。姉妹の皆さんは,ハンサムで優しく,義にかなった多くの若い兄弟たちに囲まれています。(先週,ドライブスルーの銀行を利用していて,カメラ越しに二人の高潔な神権者を見たときに,そのことを思いました。)姉妹の皆さん,皆さんの励ましの言葉や,人の──特に身近にいる男性の──可能性や善良さを見分ける目は,大きな恵みをもたらします。わたしたちは称賛され,価値ある者と認められるときに成長し,活躍できるのです。優しい,真実の言葉は,自分自身と周囲の人への贈り物です。そのような言葉は皆さんの結婚生活をも祝福し続けるでしょう。

3.皆さんの多くは独身ワードに集っています。独身のための別の教会というものはありません。独身のためのワードや支部,クラスというものはあるでしょうが,すべて同じ教会の一部です。独身ワードには楽しみがたくさんあります。活動,パーティー,奉仕,霊的な導きを受ける機会などがそうです。同じ世代で同じような興味を持つ人と交流する機会や新しい友達を作る機会があります。でも,将来の伴侶となる可能性のある人たちと限られた時間しか過ごせないという環境の中で,伴侶となる人を探すために全エネルギーを注いで必死になってしまう人もいます。独身の仲間たちと会う特別な時間を楽しむ代わりに,結婚のチャンスを逃すまいと焦ってしまうのです。その結果,独身であるということへのフラストレーションと不安がますます募ってきます。

皆さんは人生の絶頂期にいます。しわもないですし,自由な時間はありますし,世界には多くの機会があります。皆さんは意義深い決断をしたいと望んでいます。でも,時には決断が大変難しいこともあります。なぜでしょうか?

以前,ジェフリー・R・ホランド長老はその問題について話されました。宣教師たちに,伝道地でのチャレンジについて話していたときのことです。天の御父のもとへ帰るために支払わなければならない代価について話されました。その助言は,神を知り,神に仕えようと努力するすべての人に当てはまります。会場にいた多くの宣教師は,フラストレーションの中にいました。成功の経験はほとんどなく,自分の伝道に価値があるのか疑っていました。彼らはこのように問いかけました。「なぜこんなに難しいのでしょうか。なぜ良くならないのでしょうか。なぜ,もっと速く成功しないのでしょうか。なぜ,教会に加わる人がもっと大勢いないのでしょうか。教会は真実です。……わたしたちは奇跡を信じています。なぜ人々は群れを成して〔教会〕に来ないのでしょうか。……なぜもっと簡単に進まないのでしょうか。」

それに対してホランド長老はこう答えられました。「わたしはそのことについて深く考えてきました。次に述べるのはわたしの個人的な気持ちです。教会の教義ではありません。……伝道が簡単でないのは,救いが安っぽいものでないからだとわたしは確信しています。」(わたしはこれに付け加えます。大学生活や人生が簡単でないのは,それが安っぽいものでないからです。)「過去において救いが簡単だったことは一度もありません。わたしたちは末日聖徒イエス・キリスト教会に属しています。教会は真実であり,主はわたしたちの偉大な永遠の頭です。主にとってこれまで一度も簡単ではなかったことが,わたしたちにとって簡単なものになり得るなどと,どうして思うことができるでしょう。そのような経験をまったく知らず,何一つ実感したことがないのに,贖いに対する,感動的で,永続する証を,どうやって述べるのでしょうか。〔会員として,また〕宣教師としてわたしたちはキリストの弟子であることに誇りを感じています。確かにわたしたちはキリストの弟子です。しかし,わたしの次の言葉をよく聞いてください。それは,主が歩まれた道の幾分かをわたしたちも歩まねばならないことを意味しているのであり,主が感じられたことの幾分かを感じねばならないことを意味しているのです。そして,それは,主が流された悲しみの涙を,わたしたちもたとえその一粒であっても流すことがあるという意味なのです。」(The Atonement〔新伝道部会長セミナー対象のセミナーにおける説教,2007年6月26日〕,8)

救いは安っぽいものではありません。わたしたちはそのことを覚えておくべきです。どのような試練に遭っても,天の御父に対する皆さんの忠誠心を弱めてはなりません。どのような侮辱を受けても,どのようなチャレンジに遭っても,聖餐を取ることをやめ,霊的に弱くなり,霊的に死んではなりません。心を強く保ち,自分が真実だと知っていることを思い出すのです。

4.デートの相手を決めることについて。オークス長老もわたしもこの教会の中で独身であることがどのようなものかをよく知っています。長老は姉妹に先立たれてから2年以上も独りでしたし,わたしは50年以上独身でした。(これは世界記録ではないかと思ったほどです!)ですからわたしたちは,孤独とはどのようなものかを知っています。夜,枕がぬれるまで涙を流すことがどのようなものかを知っています。

わたしたちは最近,同じような質問を何度も受けています。このような質問です。「デートの相手が一人もいません。どうすればいいのでしょうか。アドバイスをください。」ある姉妹が親友に,結婚を待つのはもううんざりだと言いました。独りでいること,自活すること,自分で決断すること,夢がかなうのを待つこと,そのようなことにはもううんざりだと言ったのです。待っていてもどこにもたどり着かない。正しいことしか望んでいないのに。妻になり,母になり,家族を持ちたかったのに。彼女はやけになり,それまで願っていたこととは逆の道へ進みました。価値観の違う男性を探し始めました。男性ならだれでもよいと思ったのです。そのような妥協がさらに深い悲しみ,自己嫌悪,絶望感をもたらすことに気づいたときには,もう遅すぎました。もしも主を待ち続けていたら,心の中に平安と喜びを持ち続けることができたであろうことに気づいたときには,もう手遅れでした。

もう一度その質問を繰り返します。「デートの相手が一人もいません。どうすればいいのでしょうか。」今夜皆さんにお願いします。その質問に自分で答えを出してください。

皆さんは,将来の自分や,自分の伴侶や家族に何を望みますか。わたしたちは最も偉大な神権時代に生きています。そのことがなぜそれほどすばらしいのか知るべきです。また自分が何を達成したいのかを自分で知るべきです。今夜皆さんに,自分だけが読むための手紙を書くように勧めます。未来の自分や,自分が持ちたいと思っている家族や子供たちにあてた手紙です。心の中にある疑問に答え,望みを表現するための手紙です。自分が何者であるかを知り,何を得たいのか,何を探しているのかが分かったとき,皆さんは答えを見つけることでしょう。

皆さんは未来の家族に,自分を愛してくださる天のお父様がおられることを知ってほしいですか。生活の中で身近に関与してくださり,見守ってくださっている天のお父様がいらっしゃることを知ってほしいですか。祈りに答え,わたしたちの一息一息に気を配り,髪の毛の数さえ知っておられる天のお父様がいらっしゃることを知ってほしいですか。朝家を出るときも夜帰って来るときも,正しい決断をするときも,間違った決断をするときも見守っておられる天のお父様がいらっしゃることを知ってほしいですか。

皆さんは天のお父様と永遠の聖約を交わす人と結ばれたいですか。それは,皆さんに対して忠実で,真実で,試練のときに皆さんの傍らにいるという聖約です。わたしは以前受けた神権の祝福の中でこのように言われました。「独身でいることのつらさに耐えられなければ,結婚生活のプレッシャーに耐えることはできないでしょう。」そのことが真実であると証します。主は皆さんを強め,高めてくださるでしょう。

将来の夫や妻や子供に,彼らの救い主,贖い主であるイエス・キリストを知ってほしいですか。救い主が「あらゆる苦痛と苦難と試練を」受けられること,そしてそれは「神の御子は御自分の民の苦痛と病〔と憂うつと寂しさ〕を身に受けられるという御言葉が成就するためである」ということを知ってほしいですか(アルマ7:11)。皆さんは,そのように望みますか。それとも独りでいたいですか。

皆さんの家族に,ジョセフ・スミスとモルモン書について同じ証を持ってほしいですか。その証が家族にもたらす大きな力を家族とともに感じたいですか。皆さんは地上におけるキリストの真実の教会に属していて,永遠の命と幸福という祝福にいたる完全な道の上に自分が立っていることを十分に理解していますか。皆さんは地上の神の預言者として,ゴードン・B・ヒンクレー大管長を愛し,支持していますか。

今夜か,都合のよいときに,自分のために手紙を書いてください。将来の愛する家族のために書いてください。そして,彼らに,あなたが結婚に望んでいることを伝えてください。自分で決めた服装やデートの標準を書いてください。彼らのためにあなたが身に付けたい愛情や良い性質を書いてください。そのようにすれば,あなたのすべての疑問に対する答えが得られるでしょう。その力は皆さんの中にあります。皆さんは答えを知っています。皆さんは永遠の幸せと平安と安心を得たいのです。答えは皆さんの中にあります。

わたしは皆さんを心から愛しています。末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であることをとても感謝しています。皆さんに知ってほしいことがあります。それは,この教会が真実であり,暗い世にあって安全なかがり火であることを,わたしが知っているということです。このことを,イエス・キリストの御名により申し上げます,アーメン。

この世の圧力をはね返す

ありがとう,クリステン。わたしの話を続ける前に,世界記録保持者と結婚できてとても祝福に感じていると言いたいと思います。では,今夜わたしが採り上げたいテーマについて話します。

若者にとって今は難しい時代です。毎日大きな苦悩を突きつけられています。地球の温暖化,戦争と戦争のうわさ,干ばつ,伝染病の蔓延,経済不況などです。海岸沿いの都市は水位の上昇を心配しています。玄関先まで波が押し寄せてくるかもしれません。けれどもこれらと同様に深刻な問題は,わたしたちを取り巻く世界に悪の高波が押し寄せていることです。

このような問題はすべて,「すべての事物には反対のものがなければならない」と語った父リーハイの預言の成就です(2ニーファイ2:11)。このような試練の中にあって,わたしたちは主の大いなる約束に信頼を置かなければなりません。主は,主が命じられることには,それを成し遂げられるように主によって道が備えられていると教えられました(1ニーファイ3:7参照)。苦しみからの解放を求める祈りに対して即座にこたえてくださらないかもしれませんが,重荷に耐えられるようわたしたちを強めてくださることを主は明らかにされました(モーサヤ24:14−15参照)。そして,こう教えておられます。「備えていれば恐れることはない。」(教義と聖約38:30)

わたしたちを取り巻く悪は,書物,音楽,娯楽,映画,ビデオ,インターネット,学校,商業地域に潜んでいます。いやおうなく突きつけられる悪の影響を変えることはできませんが,対処する力を強めることはできます。自分にとって安らぎが得られる場所を築き,安全な場所を取り巻いている力をはね返すために防壁を強化しなければなりません。つまり,「この世の影響をはね返すのです。」

この世の影響をはね返すと言っても,改革運動を支援するとか,隣人から距離を置いたり,交わらなければならない人々を嫌ったりすることを勧めているわけではありません。自分の時間や影響力の範囲で,少なくとも自分にとって有意義なことを人々に主張し,知らしめ,説得するために努力してほしいということです。

この世の影響をはね返すという意味を,例を挙げて説明しましょう。この個人的な経験をこれまで人前で話したことはありません。50年以上昔の出来事です。わたしはユタ州の民兵軍で軍曹でした。21歳を迎えたころには,砲兵隊の大尉として将校に昇進するための教育をすべて受けていました。残る試験は身体検査だけでした。

そして軍の医療施設へ出向きました。そこのスタッフは,かつてわたしもそうでしたが,予備兵の人たちでした。おそらくそれが原因で,これから話す出来事が起きたのでしょう。伍長がわたしに色盲のテストをしました。さまざまな色の点で描かれた数字が印刷されている十数ページの本を見せて,わたしに数字を言わせるのです。テストが終わると,伍長は本を閉じて,こう言いました。「軍曹,君は色盲だから将校にはなれないよ。」

仰天しました。色盲だなどと言われたことがなかったからです。

落胆と多少の屈辱感を覚えて,将校に昇進するための身体検査に落ちるとしても,軍曹であるわたしは,格下の伍長から言われたくないと思いました。そこで大尉との面会を要求しました。医師でもある大尉は部屋の向こう側に座っていました。わたしは軍の制度をはね返したのです。あまりにもしつこく言ったため,伍長は大尉のもとへ連れて行ってくれました。

「どうしたんだね」と医師が尋ねました。説明すると,彼は伍長の手から検査の本を取ると,自ら検査を実施してくれました。見えた数字をすべて答えると,大尉はわたしたち二人に向かってこう言いました。「軍曹,君は合格だ。伍長,君が色盲なのだ。」こうしてわたしはユタ州民兵軍の大尉に昇進しました。これによって人生の幾つかの大切な経験への道が開かれたのでした。皆さんも,同じようにはね返す必要のある時があります。

わたしたちは間違いなく危険をはらんだ時代に生きています。心配の種がたくさんあります。しかし,過去の多くの危機的な時代と同様,このような時代でも若い人々は明るい未来に目を向けて前進し,長く実りある人生に備えるべきです。結婚し,子供をもうけてください。教育を受け,信仰を持つのです。

リチャード・G・スコット長老が最近著した『平安,幸福,喜びを探す』(Finding Peace, Happiness, and Joy)の「悪の蔓延するただ中で立派に生きる」(To Live Well amid Increasing Evil.)と題した章の中から引用したいと思います。

「あなたは選ぶことができます。手をこまねいて,将来を心配しながら朽ちていくこともできれば,邪悪に満ちた世にあって平安と幸福を得るように言われた主の教えに従うことを選ぶこともできます。闇の世界に心を向けることを選ぶなら,それなりのものを目にすることでしょう。……

光輝く世界に目を向けましょう。邪悪な部分が多少あっても,世界は全体として,まばゆいばかりに美しく,多くの善良で誠実な人々がいます。この世にあって生活しながらも,世界に蔓延する卑しい力に汚染されないための方法を主は明らかにしておられます。」(〔2007年〕,172−173)

わたしたちが信仰を持っていれば,すなわち主を信頼すれば,これらはすべて可能です。主の計画を信頼しましょう。主が約束された祝福に信頼を置きましょう。あなたを決して迷わすことのない主の指導者を信頼しましょう。

安息日にすべきこと

信仰をもって前進し,この世の影響をはね返す最も効果的な方法の一つは,安息日を正しくまた積極的に守ることです。礼拝を行い,世の働きを休むこの日は,人生の嵐の中で錨となります。それは神が定められた日です。安息日を正しく守ることによって,誘惑を堪え忍び,世の汚れに染まらないようにするための霊的な強さを,自分にも家族にもたらすことができます(教義と聖約59:9参照)。安息日を正しく過ごすことにより,邪悪の度を深める嵐の中にあっても信仰と希望の光を輝かすことができます。

安息日についての説教のほとんどは,安息日にしてはならないことに集中しています。わたしはそれとは反対に,安息日になすべきことを中心にお話しするつもりです。

わたしたちは「安息日を守ってこれを聖なる日として保たなければならない」と命じられています(教義と聖約68:29)。安息日は霊と体を新たにするための聖なる時として区別されています。すなわち,聖餐を受け,儀式のために準備し,儀式を執行し,福音の教義と原則を学び,教え,家族の一致をはぐくみ,奉仕活動を行い,義にかなった交わりを楽しむことです。

安息日に対するわたしたちの関心は世のほとんどの人々と大きく異なっています。現在の世のほとんどの人は安息日に神聖な意味合いを持たせていません。富や楽しみ,個人の都合を追求し,買い物をする日となっています。また,ビーチやボート,そのほかのレクリエーションの日でもあります。好んでスポーツや球技,ロデオなどに興じる日です。

わたしたちは皆安息日の起源を知っています。主は6日間にわたって地と地にあるすべてのものを創造されましたが,7日目は休まれました。主は安息日を祝福して,「聖とされ」ました(出エジプト20:11)。主は命じて言われました。「六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。」けれども7日目は「なんのわざをもしてはならない。」家族も,しもべも,同様でした(9−10節)。安息日を覚えて,これを聖としなければなりません(8節)。

安息日は神がイスラエルと交わされた聖約のしるしでした。預言者エゼキエルを通して主はイスラエルに定めを与え(戒め,エゼキエル20:11参照),また「わたしはまた彼らに安息日を与えて,わたしと彼らとの間のしるしとした。これは主なるわたしが彼らを聖別したことを,彼らに知らせるためである。」(12節)「わが安息日を聖別せよ。これはわたしとあなたがたとの間のしるしとなる」と主は言われました(20節)。

このしるしと戒めには目的があり,それに付随した祝福があります。主は預言者モーセを通して,もしイスラエルが主の安息日と戒めを守るなら,彼らの地に多くの実りと安全を与えると言われました(レビ26:2−6参照)。「わたしが国に平和を与える」と約束されました(6節)。

主は現代に再び,安息日に働きを休み,「いと高き方に礼拝をささげるように」命じておられるので,わたしたちはこの日に「ほかに何事もしないように」しています(教義と聖約59:10,13)。

創造主の戒めを守るとき,約束された祝福にあずかることができます。わたしたちを造られた主は,どのような行動によって肉体と霊の力を最大限に発揮できるかを御存じであり,そのような行動へと導く戒めをお与えになりました。

何年か前にわたしは新しい車を買いました。驚くほど実用的で,複雑な技術が詰め込まれていました。勿論,定期的にガソリンを補給し,最高の状態を維持するために点検する必要があります。これらの基本事項を教えるために,メーカーは取扱説明書を用意しています。創造主は肉体と霊のために同様のことをしておられます。知恵の言葉がそのような指示であり,安息日を守ることも同様です。

6日の間働いて,7日目に休むことが体の活力と霊的成長にとって最も良いと主は言われました。モルモンの開拓者隊はこの戒めに従いました。さまざまな資料から彼らは6日の間旅をして,7日目に休んだことが明らかにされています。モルモンの開拓者にとって日曜日は休息を取るだけでなく,霊的な活力を得るときでもありました。この習慣は大きな利点がありました。大平原を横断するために週に6日旅した人たちは,週に7日旅した人たちと変わらない速度で目的地に到着し,疲労や傷病,故障,人や家畜の死亡率がはるかに低かったと伝えられています。

同様に,わたしたちの体は,創造主が意図された栄養を取らないと成長できません。たとえば,カルシウムを摂取しないと,その結果はすぐには現れませんが,基本栄養素であるカルシウムが不足していると体の機能は次第に低下していきます。永遠の命へ向かう旅を支えるために必要な霊の活力についても同じことが言えます。霊的な栄養を摂取するように生活を整えておかないと,霊は成長を止めて,永遠の目的地への旅が失速してしまいます。

礼拝し,安息日を守ることによって得られる祝福を求めるうえで,体を包む衣服も大切です。最近,会員たち,特に青少年が,奉献された礼拝の建物へ来るときの服装の品位とふさわしさが著しく乱れているのを見かけます。礼拝し,聖餐を受けるときはそれにふさわしい服を身に着けるよう注意する必要があります。

安息日に自分のワードに出席して,「いと高き方に礼拝をささげる」ようにすべきです(教義と聖約59:10)。什分の一を納め,神殿の推薦状を受けることのできるワード,すなわち自分の会員記録があるワードに出席してください。ほかのワードに出席するのは例外的な場合だけです。ヤングアダルト,特に若い兄弟は教会の召し以外でワードを渡り歩くのを控えてください。このようにしている人の多くは,永遠の伴侶を見つけるためだと言って正当化しようとするかもしれません。若い教会員のためには適切な社交の集会があり,わたしたちは力の限り,それらを奨励しています。しかし,日曜の集会に出席する第一の動機は,社交的な集まりに出席することではありません。安息日は聖餐を受け,奉仕を行い,主の一般判士であり,神殿推薦状を受けるために面接するビショップとの関係を維持するための日です。

最近のことですが,翌週神殿結婚をしたいので至急面接してほしいとビショップに言ってきた若い兄弟がいました。そのような状況に自分を置いてはなりません。ビショップはこう言いました。「あなたはどなたですか。あなたの会員記録は確かにあり,また両親を知っていますが,あなたが伝道から帰って来て以来,わたしはあなたに会っていません。什分の一を納めた記録がありませんよ。召しを受けて主に奉仕していませんし,推薦状を発行するわけにはいきません。自分のワードに帰って来なさい。ここで奉仕し,什分の一を納め,あなたの霊がここにあることをビショップに感じさせてください。それから数か月後に,推薦状について話しましょう。」

神殿結婚がスケジュールどおりに行われないとき,それは全員にとって,特にビショップにとってつらいことですが,このビショップの判断は正しいのです。

このテーマについて話している今,出席しているヤングアダルトの皆さんにお願いしたいことがあります。教会で最大の重責を担っているのはビショップです。ビショップにさらに重荷を負わせるようなことをどうかしないでください。推薦状を受けるためにはもちろんビショップのもとへ行ってください。けれども,推薦状や宗務上〔訳注:会員資格について〕の確認を受けるのを先延ばしにしたまま,ワードを転出して,いきなり転出先のビショップを訪れるようなことをしないでください。このような場合,転出先のビショップはあなたのふさわしさを確認するために以前のビショップと連絡を取らなければなりません。そのためには何日もかかり,多くの時間を割かなければならないのです。前もって計画しなかったり,先延ばしにしたりして,忙しいビショップに重荷を負わせてはなりません。

安息日はほかの日とは異なる

この話の冒頭で安息日にしてはならないことについて話すつもりはないと言いました。安息日を聖なる日として保つ人々に約束された祝福を受けるため,実行すべき前向きの事柄に焦点を絞りたいと思います。まず,安息日は基本的にほかの日とは異なることを理解する努力から始めてください。

スペンサー・W・キンボール長老はこのように語りました。「〔安息日は〕礼拝し,主に感謝を示す日です。この世的な関心事をすべて捨て,へりくだって主を賛美する日です。謙遜さは昇栄に向けての第一歩です。」(『歴代大管長の教え──スペンサー・W・キンボール』,170)

何年か後にキンボール長老がキンボール大管長となったとき,大管長会はわたしたちが現在実施している3時間集会統合プログラムを発表しました。このスケジュールは安息日を正しく守る責任を個々の会員と家族に課していると大管長会は言明しました。大管長会は「個人の聖典学習や家族の福音学習に,より多くの時間を取ることができるようになるでしょう。家族のきずなを強め,病気の人や寝たきりの人を見舞い,奉仕し,個人と家族の歴史を作成し,系図を書き,伝道活動に携わるなど,安息日にふさわしい活動をよく計画して,行ってください」と述べました(大管長会の手紙,1980年2月1日)。

今年,メルキゼデク神権定員会と扶助協会ではスペンサー・W・キンボール大管長の教えを勉強しています。「安息日──喜びの日」と題した章には次のように記されています。「安息日は聖なる日であり,この日には,ふさわしい事柄,聖なる事柄を行います。仕事や娯楽を控えるのは大切なことですが,それで十分ではありません。安息日には建設的な思いと行いが求められます。もし安息日に何もせずに怠惰に時を過ごしているとすれば,その人は安息日を破っていることになります。」(『教え』,170;Ensign,1978年1月号,4も参照)

戒めは安息日に建設的な行いを求めています。ほかの6日についての戒めもあります。「六日のあいだ働いてあなたのすべてのわざをせよ。」(出エジプト20:9)怠惰な人は注意してください。

安息日を守ることに関して最も大切な要素となるのは,聖餐を受けることでしょう。聖餐は教会の儀式であって,毎週の安息日に出席するようわたしたちは命じられています(教義と聖約59:9−10参照)。この儀式において聖約を交わし,そして守るときに,「いつも御子の御霊を受け〔る〕」と約束されています(教義と聖約20:77)。

いつも御子の御霊を受けることはなぜ大切なのでしょうか。聖霊の使命は御父と御子を証し,わたしたちを真理に導くことです。個人の証を持つうえで聖霊の証は非常に大切です。救いの計画の創始者である御父と,救い主である御子の証を持つには,聖霊からの証を受けなければなりません。すべての教会員は聖霊の賜物を持っていますが,毎週の安息日にふさわしくまた正しく聖餐を受けることが強い証を維持するために欠くことができないのです。このようにしてバプテスマの聖約を更新して初めて,いつも御子の御霊を受けることができます。

聖霊には,物事を思い起こさせ,真理に導くという使命もあります。そのような個人の啓示は,危険を回避し,主と一致した毎日を過ごし,主が望んでおられるような進歩を遂げるために欠かせません。

これらすべての理由から毎週聖餐会に出席し,ふさわしくまた正しく聖餐を受けることは,わたしたちの日常の宗教的生活の基本となるのです。

ここで,安息日に対するわたしの考えに影響を与えた個人的な経験を紹介したいと思います。50年以上前に法律学校の学生だったとき,わたしは少人数のグループ研究会に所属していました。その中に正統派ユダヤ教徒の学生がいました。金曜の午後になると彼は研究会を退出していました。ユダヤ教では金曜の日没とともに安息日が始まるので,日没前にシカゴ北部の家に戻れる電車に乗る必要があったのです。わたしは彼と研究の内容について話しながら,歩いて駅に向かいました。

駅の近くまで来たとき,安息日の話題になりました。忠実に安息日を守っている彼を尊敬していること,またわたしは安息日には勉強しないことを打ち明けました。すると彼は言いました。「わたしは安息日にも勉強しますが,鉛筆を使って下線を引けないため,ほかの日よりも成果が上らないのですよ。」鉛筆は道具であり,安息日に道具を使うことができないことを説明してくれました。

わたしはよく,自分たちの安息日の守り方と対比しながらこのことを考えてきました。彼にはできることとできないことについて一定の規則がありました。わたしは一連の原則に従おうとしていました。6日の間自分の仕事,つまり法律の勉強を熱心に行って,安息日には学生にとっての仕事をやめるべきだと考えていました。

この友人に対して,また彼の安息日に対する考え方について批判しているわけではないことを理解していただくために,一つのことを付け加えておきます。正統派ユダヤ教徒の安息日の守り方について調べていくと,彼らの習慣はわたしや多くの末日聖徒の習慣よりも多くの点で優れていることがわかりました。彼らにとって安息日は主を覚え,礼拝し,民に対する祝福を喜ぶためだけに過ごしています。安息日はとても神聖な日です。家族が集まり,そして会堂に集います。「安息日は家族が一緒に過ごし,訪問し,一緒に食事をとり,聖典を研究する以外に時間を使うことができません。……」親は子供に祝福を授けます。さらに,「家族を分裂させるような活動やその日の平安を乱す活動……は安息日に行われません。」(ジェフリー・R・チャドウィック,“The Jewish Sabbath,” 未公表の論文,2007)

「安息日を喜びの日と呼び」

わたしたちの規則は正統派ユダヤ教徒の規則よりも確かに少ないのですが,安息日の積極的な目的を忠実に実行することについて,わたしたちは果たして彼らと肩を並べているでしょうか。安息日を守ることについて自分自身の行いを振り返ってみると,「なすべきこと」よりも「してはならないこと」に重点を置いていることを認めざるを得ません。わたしは多くの人と同じように,聖文の教えをそれほど効果的に応用していませんでした。つまり,安息日を預言者イザヤがとなえた「喜びの日……,主の聖日」とするためになすべきことを十分行っていなかったのです(イザヤ58:13)。

このことをイザヤ書58章から読んでみましょう。

「『もし安息日にあなたの足をとどめ,わが聖日にあなたの楽しみをなさず,安息日を喜びの日と呼び,主の聖日を尊ぶべき日ととなえ,これを尊んで,おのが道を行わず,おのが楽しみを求めず,むなしい言葉を語らないならば,

その時あなたは主によって喜びを得,わたしは,あなたに地の高い所を乗り通らせ,あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって,あなたを養う。』これは主の口から語られたものである。」(イザヤ58:13−14)

安息日を「喜び」とするために何ができるでしょうか。イエス・キリストを信じる信仰を増し加え,安息日を守ることによって家族を強めるために何ができるでしょうか。

14年前に大管長会はすべての末日聖徒に対して「この聖なる日を世の活動から分け隔て,礼拝と感謝,奉仕の精神をもって,安息日にふさわしい家族中心の活動を行うよう」強く勧める声明を発表しました。(“First Presidency Statement on the Sabbath,”Ensign,1993年1月号,80)

霊的に再生するために安息日を過ごすべきです。キンボール大管長が教えたように,「安息日のそれぞれの活動を礼拝の精神という物差しで測る」必要があります。(『教え』,176)また別の折に,キンボール大管長はこう述べています。大管長はこう説明しています。「ヘブライ語でSabbath(安息日)は『休息』を意味します。それは落ち着いた静けさ,心と精神の安らぎを意味しています。……この世的な関心をすべて捨てて,へりくだって主を賛美する日です。」(『教え』,170)

皆さんに特に関心のある安息日の一つの活動をキンボール大管長は承認しています。「それは,ふさわしいコートシップを行う日」です。(『教え』,171)「ふさわしい」という語が含まれていることを強調しておきます。

安息日はまた,家族が集まり,福音の真髄である家族のきずなを強める日です。キンボール大管長はこう語りました。「家族で集まって互いに語り合い,聖文を研究し,友人や親戚,病気の人や孤独な人を訪問する時間を取ってください。また,日記をつけ,系図を作成するにも最適の時間です。」(『教え』,170)

ジョセフ・F・スミス大管長は家族と安息日について大切な原則を教えました。教会の集会に出席することに触れてから,スミス大管長はこのように述べました。「わたし自身に関して言えば,安息日の集会と集会の間に,家で家族とともに座り,会話やおしゃべりを楽しみ,親しくなりたいと願っています。安息日には以下の目的のためにできるだけ多くの時間を取りたいと思います。すなわち,わたしの子供たちと親しく心を通わせ,子供たちに聖文に親しませ,遊びや冗談,高笑い,歓楽,その他これらに類すること以外について考えることです。」(ジェームズ・R・クラーク編,Messages of the First Presidency of The Church of Jesus Christ of Latter−day Saints,全6巻〔1965−1975年〕第5巻,17−18)

既婚,未婚を問わずヤングアダルトの皆さんにお願いします。安息日を家族が集まる日にしてください。楽しみを追及するあまり,家族を分断させることのないようにしてください。一緒に礼拝し,勉強し,話し合い,喜びましょう。イザヤが約束したように,安息日を「喜びの日と呼び,主の聖日」としましょう。「『その時あなたは主によって喜びを得,わたしは,あなたに地の高い所を乗り通らせ,あなたの先祖ヤコブの嗣業をもって,あなたを養う。』これは主の口から語られたものである。」(イザヤ58:13−14)

わたしの愛する兄弟姉妹の皆さん,この教会はイエス・キリストの教会です。わたしたちは天の両親の子供です。わたしたちは一つの目的をもって地上に置かれています。そしてその目的が,今日わたしたちが話した永遠の家族関係へとわたしたちを導いています。天の御父の戒めを守るなら,時が来れば,御父の選り抜きの祝福はすべて,とこしえに,皆さんのものとなります。そして,御父の戒めの一つは,安息日を尊ぶということです。そのようにするなら,わたしたちは肉体的にも霊的にももっとよく機能し,永遠の命に続く道をもっと速く前進します。この永遠の命に関して,永遠の御父なる神は「神のあらゆる賜物の中で最も大いなるものである」と言われました(教義と聖約14:7)。これらのことが真実であることを証します。また,わたしの高貴な若い友である皆さんに御父の祝福が注がれるようお祈りします。イエス・キリストの御名により,アーメン。

 
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