家庭にあって証をする重要性

提供者: キャロル・F・マッコンキー,中央若い女性会長会

  • 2015年9月2日

「自分の永遠の幸福を気にかけてくれる人々から一貫して神の言葉を聞くことは若い男性,女性が真っ直ぐで細い道を確信を持って歩むための助けとなる」と中央女性会長会のキャロル・F・マッコンキー姉妹は教えています。

記事のハイライト

  • 今日の青少年は悪の影響に取り囲まれています。
  • 信仰,希望,慈愛,そして聖霊の力によって語られる言葉は子どもの理解を広げ,心の変化をもたらします。
  • 聖文の中にある親たちは子どもに証を伝えることにより模範を示しました。

「全ての真理の源を子どもたちが知ることができるようにわたしたちはキリストのことを証します。」 ーキャロル・F・マッコンキー,中央若い女性会長会

若い母親だった頃,夫とわたしは子どもたちへの懸命な教えや証が彼らの耳に,まして心や思いに届いているのかよく疑問に思ったものでした。 けれど,わたしは「主の薫陶と訓戒」(エノス1:1)によって子どもを育てようと努める親や家族,愛する指導者が述べる真理の証は,確かに胸に深くしみわたる影響力を持ち,彼らが真理の擁護者になる備えとなることを学びました。 ボイド・K・パッカー会長は次のように述べました。「回復された福音の証と,贖い主に対する証の炎を赤々と燃やし続けて,皆さんの子どもたちが皆さんの信仰の炎で手を暖めることができるようにしてください。」(2003年4月総大会

わたしたちの青少年は,堕落し,不道徳で,御霊がなく,また福音の真理を中傷する考えや哲学に取り囲まれています。 多くの人が「悪を善と呼び,全を悪と呼び,闇を光とし,光を闇と〔する〕」(2ニーファイ15:20)日に彼らは生きているのです。 しかし彼らの永遠の幸福を気にかけてくれる人々から一貫して神の言葉を聞くことは,たとえ「言葉の争いと見解の騒動」(ジョセフ・スミスー歴史1:10)のただ中にあっても若い男性,女性が真っ直ぐで細い道を確信を持って歩むための助けとなるのです。 信仰,希望,慈愛,そして聖霊の力により語る言葉は子どもの理解を広げ,心の変化をもたらします。 御霊により話す人,御霊により受ける人は「両者ともに教化されて,ともに喜〔びます〕」(教義と聖約50:22)。

御霊により語るキリストの言葉は他の人の重荷を負い,「悲しむ者とともに悲しみ,慰めの要る者を慰めることを望み,…いつでも,どのようなことについても,どのような所にいても,…神の証人になることを望〔む〕」(モーサヤ18:9)と交わした聖約の証です。

最も効果的に教える瞬間はいきなり訪れたり,1対1のときや,質問に対して答えたり,あるいは単純な会話をしているときに訪れるかもしれません。

わたしたちが教え,証する機会の多くはあらたまった場や集会,クラス,大きな活動や家庭の夕べです。 しかし最も効果的に教える瞬間はいきなり訪れたり,1対1のときや,質問に対して答えたり,あるいは単純な会話をしているときに訪れるかもしれません。 神聖なことについて,主は誓約の民に次のように教えられました。「努めてこれをあなたの子らに教え,あなたが家に座している時も,道を歩く時も,寝る時も,起きる時も,これについて語らなければならない。」(申命6:57,)

夫は息子の一人との会話でわたしに模範を示してくれました。 長い一日の仕事を終えた後,主人は教会の割り当てに出かける前に家に立ち寄りました。 その夜は優勝がかかったスポーツ対戦がテレビで放映されており,一番下の息子は朝から父親と試合を見ることを楽しみにしていました。 父親と家でひいきのチームの応援ができないと分かると息子はとてもがっかりしました。 息子は言いました。「お父さん,家にいて僕と一緒に試合を見ようよ。」

主人はひざをついて,息子の目をまっすぐに見て優しく語りかけました。「ジョン,お父さんは君のことが大好きだよ。君のことを一番に愛しているよ。でもお父さんは天のお父様とイエス・キリストがジョセフ・スミスに現れてイエス・キリストの教会と福音を地上に回復したことを知っているんだ。 そのことが本当のことだから,お父さんには主に仕え,主の教会に仕える特権と責任があるんだよ。」

主人が話していると,部屋の中に主の御霊が満ちました。 御霊によって,幼い息子が父親が語ったことが真実であると感じたのが分かりました。 落胆と諦めは,優しく霊感にあふれる回復の証により消えていきました。 純粋な証の火は幼い少年の心に父親の信仰に忠実であろうという望みを燃え立たせたのです。

アンモンの民の息子たちはいつでも忠実でした。なぜなら「彼らは母親から,疑わなければ神が救ってくださると教わっていた」のです。 困難なときでも彼らは「わたしたちは,母たちがそれを知っていたことを疑いません。」(アルマ56:47‐48)と証しました。

苦痛と神の御心に総うた悲しみのどん底にあって,アルマは「イエス・キリストという御方〔は〕,……神の御子であり,世の罪を贖うために来られる」(アルマ36:17)ことを思い出し,それを頼りにしました。 エノスは「父が永遠の命と聖徒たちの喜びについて語る……その父の言葉が,そのときになって〔彼の〕心に深くしみ込んでき〔ました〕。」(エノス1:3) 父親の言葉が聖霊の力により自分の証を得て,(1ニーファイ10:17参照)その言葉を同じ力を持って宣べ伝えたい,という二―ファイの望みに火を点けました。

真理を証する力を疑うことができますか。 神の言葉とそれが真実であるという確かな証からもたらされる祝福を若者に与えないのですか? 両親と指導者はキリストのことを話し,キリストのことを喜び,キリストのことを説教します。 わたしたちは全ての真理の源を子どもたちが知るように,キリストのことを証します。 純粋な証の火の中で明るく燃える信仰の温かさと光により,彼らはこの人生にあって平安を得る方法,また来るべき世では永遠の命を得る方法を知ることでしょう。