2000–2009
再臨への備え
2004年4月


再臨への備え

再臨のときに起こると預言されている事柄に対して……霊的な備えをする必要があります。

近代の啓示では,備えていれば恐れることはない(教義と聖約38:30参照)と約束されています。この原則を知ってから,昨年の夏で60年の歳月が流れました。少年のころボーイスカウトに入り,「備えよ常に」というスカウトのモットーを学んだのです。今日わたしは,一人一人にとってきわめて重要な意味を持つ将来の事柄,すなわち主の再臨に備えることについて話すよう促されました。

聖典には,再臨についての記述が至る所に記されています。再臨は義にかなった人々が切に待ち望み,悪人が恐れ,否定する事柄です。あらゆる時代の忠実な人々が,この史上最も重要な分岐点の前後に起こると預言された多くのことの順序と意味について思い巡らしてきました。

末日聖徒にとって,4つの明白なことがあります。(1)救い主は力と偉大な栄光のうちにこの地上に戻って来られ,正義と平和の満ちる福千年の間,自ら統治される。(2)主の来られるときに,悪人は滅び,義人は復活する。(3)主の来られる時を知る者はいないが,(4)忠実な人々は再臨のしるしを学び,備えるよう教えられる。わたしはこれらの偉大な事実の4番目について,すなわち再臨のしるしと再臨に備える方法について話したいと思います。

I.

主はこう宣言されました。「わたしを畏れる者は,主の大いなる日が来るのを,すなわち人の子の来臨のしるしを待ち望むであろう。」そのしるしは「上は天に,下は地に」(教義と聖約45:39-40)示されます。

主はいちじくの木のたとえを用いてそのことを教えられました。柔らかく新しい枝は夏の訪れを知らせます。「そのように,」選民は主の来臨のしるしを見たならば「人の子が戸口まで近づいていることが分かるであろう。」(ジョセフ・スミス―マタイ1:38-39。マタイ24:32-33;教義と聖約45:37-38も参照)

聖典と近代の預言から,再臨についての様々なしるしを学ぶことができます。

1.完全な福音が回復され,すべての民への証として全世界に宣のべ伝えられる。

2 .偽キリストや偽預言者が多くの人々を惑わす。

3.戦争と戦争のうわさが流れ,民が民に敵対して立ち上がる。

4.あちこちに地震が起こる。

5.飢饉ききんと疫病が起こる。

6.懲らしめがあふれ,荒廃をもたらす病気が地を覆う。

7.不法がはびこる。

8.全地が混乱する。そして,

9.人々が気落ちする。

(マタイ24:5-15;ジョセフ・スミス―マタイ1:22,28-32;教義と聖約45:26-33参照)

主は別の啓示で,これらのしるしの幾つかは民に悔い改めを叫ぶ御自身の声であると宣言しておられます。「聴きなさい,おお,地のもろもろの国民よ。あなたがたを造った神の言葉を聞きなさい。… …

わたしの僕たちの口により,また天使たちの働きにより,またわたし自身の声により,また雷の声により,また稲妻いなずまの声により,また暴風雨の声により,また地震と雹ひょうを伴う大嵐おおあらしの声により,また飢饉とあらゆる疫病の声により,……わたしはあなたがたを幾度呼び,永遠の救いをもってあなたがたを幾度救おうとしてきたことか。しかし,あなたがたは応じようとしなかった。」(教義と聖約43:23,25)

再臨のしるしは周囲の至る所に見られ,その頻度と激しさは増しているように思われます。例えば,『2004年度世界年鑑』(The World Almanac and Bookof Facts〔2004年〕)の大地震リストによると,1980年代と90年代における地震の回数は,1960年代と70年代の2倍になっています(pp.189-190)。今世紀最初の数年間では,この傾向にさらに拍車がかかっています。ここ最近,世界各地を襲った注目すべき洪水や津波,ハリケーン,台風,猛吹雪のリストを見ても,同じような増加が見られます(pp.188-189)。報告基準の変化により50年前との比較は除外してよいとしても,過去数十年間における自然災害の増加傾向は恐ろしい前触れと言えます。

II.

もう一つの時のしるしは忠実な人々の集合です(教義と聖約133:4参照)。この最後の神権時代の初期には,カートランド,ミズーリ,ノーブー,山々の頂など,合衆国の様々な場所でシオンの集合が行われました。これらの集合は,すべて将来建てられる神殿を目指していました。多くの教会員がいるほとんどの国においてステークが誕生し,神殿が建設されている今,わたしたちは一つの場所に集合するのではなく,自国のステークに集合するよう命じられています。忠実な人々はそこで,主の宮における完全な永遠の祝福にあずかることができます。自分の国で主の命令に従い,主の民の占める範囲を広げ,シオンのステークを強めるのです(教義と聖約101:21;133:9,14参照)。このようにして,シオンのステークは「防御のためとなり,また嵐と激しい怒りが全地にありのままに注がれるときに,その避け所となる〔。〕」(教義と聖約115:6)

III.

私たちは再臨の事実を変えることも、その正確な時を知ることもできません。しかし、自らの備えを進め、周りの人々が備えるうえで影響を与えることはできます。

10人のおとめのたとえには,再臨に関する大切で意義深い教えが含まれています。このたとえについて主はこうおっしゃいました。「わたしが栄光のうちに来るその日に,わたしが十人のおとめについて語ったたとえは成就するであろう。」(教義と聖約45:56)

マタイ25章に記されたこのたとえは,5人の思慮の浅いおとめと5人の思慮深いおとめの置かれた状況を対照的に物語っています。10人は皆,婚宴に招待されましたが,花婿が来たときに明かりの油を準備していたのは5人だけでした。備えのできていた5人は婚宴の部屋に入り,戸は閉められました。備えを怠った5人は婚宴の席に遅れました。戸はすでに閉まっており,主人はこの5人を部屋に入れず,こう言いました。「わたしはあなたがたを知らない。」(12節)救い主は次のように話を結ばれました。「だから,目をさましていなさい。その日その時が,あなたがたにはわからないからである。」(13節)

このたとえが示す教えには身も凍るような思いがします。10人のおとめは明らかにキリストの教会の会員を指します。なぜなら皆婚宴に招待され,花婿が来たときに部屋に入れてもらうための条件を知っていたからです。しかし,実際に備えができていたのは半分だけでした。

近代の啓示の中にも同じ教えが記されています。主は教会の初期の指導者にこう語られました。

「また,あなたがたの証の後に,激しい怒りと憤りが人々に及ぶ。

あなたがたの証の後に,地の中でうなりを起こす地震の証が来る。… …

また,雷の声と,稲妻の声と,暴風雨の声と,その境を越えて打ち上げる海の波の声の証も来る。

また,すべての物事が混乱する。そして,必ず人々は気落ちする。恐れがすべての人に及ぶからである。

また,天使たちが天のただ中を飛び,大声で叫び,神のラッパを吹き鳴らして言う。『おお,地に住む者よ,備えなさい,備えなさい。わたしたちの神の裁きが来たからである。見よ,見よ,花婿は来られる。あなたがたは花婿を迎えに出なさい。』」(教義と聖約88:88-92)

IV.

兄弟姉妹の皆さん,モルモン書が教えているように,「現世は人が神にお会いする用意をする時期である。まことに,現世の生涯は,人が各自の務めを果たす時期である。」(アルマ34:32)わたしたちは備えているでしょうか。

主は近代の啓示のはしがきでこう宣言されました。「あなたがたは備えなさい。来るべきことのために備えなさい。主は近いからである。」(教義と聖約1:12)

また,次のようにも警告しておられます。「まことに,あなたがたの叫びをすべての人の中に出て行かせなさい。『目を覚まし,立ち上がり,花婿を迎えに出なさい。見よ,見よ,花婿は来る。あなたがたは花婿を迎えに出なさい。主の大いなる日のために自らを備えなさい。……』」(教義と聖約133:10。教義と聖約34:6も参照)

主の来臨の日時を知ることはできないと絶えず警告されています。マタイ24章でイエスはこうお教えになりました。

「だから,目をさましていなさい。いつの日にあなたがたの主がこられるのか,あなたがたには,分からないからである。

このことをわきまえているがよい。家の主人は,盗賊がいつごろ来るかわかっているなら,目をさましていて,自分の家に押し入ることを許さないであろう。」(マタイ24:42-43)「〔そして〕用意をしていたであろう。」(ジョセフ・スミス―マタイ 1:47)

「だから,あなたがたも用意をしていなさい。思いがけない時に人の子が来るからである。」(マタイ24:44;教義と聖約51:20も参照)

もし主が明日来られるとしたらどうでしょうか。早すぎる死や予期せぬ主の来臨によって,明日主にお会いすることが分かったなら,わたしたちは今日何をするでしょうか。何を告白するでしょうか。どのような習慣を断ち,どのような問題を解決し,どのような赦しの手を差し伸べるでしょうか。また,どのような証をするでしょうか。

主の来臨のときにそうするのであれば,なぜ今しないのでしょう。得られるときに平安を求めないのはなぜでしょうか。備えのランプが消えかかっていたら,すぐに油を補充しましょう。

再臨のときに起こると預言されている事柄に対して物質的および霊的な備えをする必要があります。最も怠りがちな備えは,目に見えにくく,より難しい霊的な備えです。緊急物資を集めた72時間キットは,この世的な問題に対して価値があるでしょう。しかし,思慮の浅いおとめたちが悲しみのうちに学んだように,霊的に備えるための24時間キットには,はるかに大きく永続的な価値があります。

V.

わたしたちは「平和が地から取り去られ」(教義と聖約1:35),「すべての物事が混乱〔し〕……人々は気落ちする」(教義と聖約88:91)と預言された時代に住んでいます。戦争や自然災害など世の混乱の原因は様々ですが,現代に見られる「混乱」のはるかに大きな原因は霊的なものです。

周囲の出来事を信仰のレンズと永遠の見地から眺めるならば,「悪魔が自分の領域を支配する力を持つ」(教義と聖約1:35)という預言があらゆる所で成就しているのを見るでしょう。賛美歌でも「敵の群れは罪の集まり」(「シオンのつわもの」『賛美歌』159番)と歌われていますが,まさしくそのとおりなのです。

かつては特定の場所に限定され,はれもののように覆いをかけられていた悪が,今や合法化され大手を振って歩いています。文明の最も基本的な土台や砦とりでが,問題視され,攻撃を受けています。多くの国々で信仰の遺産が捨てられ,結婚や家族の責任は,利己的な満足を妨げるものとして軽視されています。映画や雑誌,テレビは,人の態度に影響を与えるものですが,そこには神の子供を残酷な野獣として,あるいは個人的な快楽を追い求めるだけの取るに足りない存在として描く物語や映像が満ちています。そしてあまりにも多くの人がこれらを娯楽として容認しているのです。

過去に,大きな犠牲を払って邪悪な政府と戦った人々がいました。彼らを導いた価値観は現代の教育から姿を消そうとしています。不実,無関心,価値のない個人の衝動が,善行や真実,美しさに取って代わろうとしているのです。驚くまでもなく,若人と大人の多くが,ポルノグラフィー,体の様々な部位へのピアス,自己中心的な快楽の追求,不正直な振る舞い,慎みのない服装,そして恥ずべき性的放縦のとりことなっています。

ますます多くのオピニオンリーダーとその追随者たちが,アブラハム,イサク,ヤコブの神の存在を否定し,世俗的な神々だけをあがめています。権力と影響力を持つ多くの人々は,神が定められた善悪の定義を否定し,善と悪の存在を信じていると公言する人々の中にすら,「悪を呼んで善といい,善を呼んで悪とい〔う〕」(イザヤ5:20;2ニーファイ15:20)人がいるのです。大勢の人が個人の責任を否定し,他人に依存しています。思慮の浅いおとめたちのように,借り物の物質や借り物の光で生きているのです。

これはすべて天の御父にとって嘆かわしいことです。御父は神のすべての子供たちを愛し,みもとに帰る妨げとなるあらゆる行いを禁じておられるからです。

わたしたちは永遠の命を得るためにどのような備えをしているのでしょう。神の民はいつの時代も聖約を交わしました。バプテスマの水をくぐるとき,聖なる神権を受けるとき,神殿に参入するときに交わす聖約に,どれほど従っているでしょうか。約束をしても守らない民,信じても実行しない民となってはいないでしょうか。

主の命令に従っているでしょうか。「主の日が来るまで,あなたがたは聖なる場所に立ち,動かされないようにしなさい。見よ,その日はすぐに来る……。」(教義と聖約87:8)この「聖なる場所」とは何を指すのでしょう。神殿とそこで交わす聖約を忠実に守ることはもちろん含まれるでしょう。また,子供を大切に育て,両親を敬う家庭もそうです。伝道の召し,あるいは支部,ワード,ステークで忠実に果たされる召しなど,神権の権能によって与えられる召しも,聖なる場所に含まれます.

救い主が再臨の預言の中で教えられたように,主が来られたときに,自分の義務を果たしている「忠実な思慮深い僕」は幸いです(マタイ24:45-46参照)。預言者ニーファイもその日についてこう教えました。「義人は恐れるには及ばない。」(1ニーファイ22:17;1ニーファイ14:14;教義と聖約133:44も参照)また近代の啓示にも「主〔は〕聖徒たちを支配する力を持〔つ〕」(教義と聖約1:36)と約束されています。

わたしたちは様々な問題に取り巻かれています(2コリント4:8-9参照)。しかし,神への信仰があれば,戒めを守る者に約束された祝福を信じることができます。わたしたちは未来を信じています。そして未来に向かって備えているのです。身近なスポーツの世界の比喩ひゆを用いるなら,この試合はいつ終わるのかも,最終的な得点は何点かも分かりません。しかしはっきりと言えることは,試合が終わったときに,チームは必ず勝つということです。「神の目的が成し遂げられ,大いなるエホバは,御業は成ったと告げられる」まで(History of the Church,第4巻,540),わたしたちはたゆまず前進し続けます。

主はこうおっしゃいました。「忠実であり,常に祈り,あなたがたのランプの芯しんを切りそろえて火をともし,油を備えて,花婿が来るときに用意ができているようにしなさい。見よ,まことに,まことに,あなたがたに言う。わたしはすぐに来る。まことにそのとおりである。」(教義と聖約33:17-18)

イエス・キリストについて証します。主は約束されたように必ず来られます。主にお会いする備えができるよう,イエス・キリストの御名により祈ります。アーメン。