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    4月 2005 | ポルノグラフィー

    ポルノグラフィー

    4月 2005 総大会

    わたしたちは皆,個人の行動を改め,いっそう努力して……ポルノグラフィーの容赦ない攻撃から,愛する者たちと環境を守ろうではありませんか。

    昨年の夏,オークス姉妹とわたしは2年にわたるフィリピンでの生活から帰還しました。現地での奉仕の機会はすばらしく,故郷へ帰ることも大きな喜びでした。家から離れているときには,周囲の物事を新しい観点で,さらに深い感謝の念と,時には新たな懸念を抱きながら見るものです。

    わたしたちがアメリカを離れていた間に,ポルノグラフィーがこの国を襲っているのを目にして心を痛めていました。何年もの間,教会の指導者は性的な欲望をかき立てるような画像や言葉の危険性について警告してきました。今日こんにち,商業的利益を目的として作られ広がったポルノグラフィーの破壊的な影響力が,悪の雪崩のごとく社会に蔓延まんえんしています。

    前回の大会で,ゴードン・B・ヒンクレー大管長は話の時間のすべてをこのテーマに費やし,「わたしたちの間でさえ,これが非常に深刻な問題となっている」と,明瞭めいりょうな言葉で警告しました(「悲劇をもたらす悪」『リアホナ』2004年11月号,60)。ステーク大会で会う監督の多くが,この問題について深く憂慮しています。

    メルキゼデク神権者の皆さん,そして若人の皆さん,今日きょうわたしはポルノグラフィーについて話します。多くの人がこれにさらされており,そのせいで霊を汚している人が多いことを知っています。

    話をこのテーマに絞るとき,預言者ヤコブと同じ気持ちを感じます。彼はその時代の人々に,感じやすい妻や子供の前でひどくあからさまに話さなければならないのは悲しいことであると語っています。難しい責任であっても,彼はそうしなければならなかったと言っています。神がお命じになったからです(モルモン書ヤコブ2:7-11参照)。わたしも同じ理由でそうしています。

    自分の名前を付けた書の第2章で,ヤコブは「みだらな行い」について男性を叱責しっせきしました(23,28節)。また,彼らが「妻子の前に良くない手本を示して,感じやすい妻の胸を張り裂けさせ,子供たちの信頼を失った」と述べています(35節)。甚だしく邪悪な「みだらな行い」とは何のことでしょうか。すでに何人かが悪事に手を染めていたことは明らかです。しかし,ヤコブの偉大な説教の主眼は,すでに犯した悪事ではなく,心の中にある悪事についてなのです。

    ヤコブは説教を始めるに当たり,こう述べました。「〔彼らは〕今までわたしが宣のべてきた主の御言葉みことばに従ってきた。」(モルモン書ヤコブ2:4)しかし,ヤコブは人々の心の思いを見抜き,彼らが「神にとっても〔非常に〕忌まわしく思われる罪を犯し始めている」と言っています(5節)。そして「あなたがたの心が邪悪であることをあなたがたに証言しなければならない」とも述べています(6節)。ヤコブは「だれでも,情欲をいだいて女を見る者は,心の中ですでに姦淫かんいんをしたのである」と語られたイエスと同じことを話しているのです(マタイ5:28。3ニーファイ12:28;教義と聖約59:6;63:16も参照)。30年以上前,わたしはブリガム・ヤング大学の学生たちに,読んだり見たりするものについて,「不道徳な性的関係を助長する文学」を避けるように強く勧告し,次のようなたとえを引用しました。

    「わいせつな内容や性欲をかき立てるような物語や写真は,汚い食べ物や汚染された食物よりも害を及ぼします。体には有害な食物を受けつけない防衛作用があります。生死にかかわるわずかな例外はありますが,有害な食物を食べると,病気にはなっても,それが果てしない害悪を及ぼすことはありません。これに対して,汚れた話,わいせつな話,性欲をかき立てるような画像や書籍に絶えず接している人は,頭脳というこの優れた情報検索システムの中にそれらを記録として残すことになります。脳は汚らわしいものを吐き出すことができません。いったん記録されると,それは呼び出すことができるテーマとして脳の中にとどまり,ゆがめられた映像が心に浮かんできて,人生の健全な道からあなたを遠ざけるのです。」1

    兄弟の皆さん,監督や専門のカウンセラーはポルノグラフィーにかかわる男性が増加しているのを目まの当たりにしていると言わなければなりません。その多くが活発会員です。ポルノグラフィーにかかわっている人たちは明らかにその深刻さを軽視しており,神の神権を行使し続けています。だれにも気づかれないと思っているからです。しかし本人が知っています。そして兄弟たち,主も御存じです。

    ポルノグラフィーは神殿推薦状の面接の質問に含めるべきだとの提案がありますが,すでに含まれています。面接を受ける人が霊的な感受性と,主の宮で礼拝する人に期待される正直さを持っていれば,少なくとも5つの質問が告白と話し合いへとつながるはずです。

    救い主の印象的な教えの一つは,隠れてポルノグラフィーを見ている人に当てはまります。

    「偽善な律法学者,パリサイ人たちよ。あなたがたは,わざわいである。杯さかずきと皿との外側はきよめるが,内側は貪欲と放縦とで満ちている。

    盲目なパリサイ人よ。まず,杯の内側をきよめるがよい。そうすれば,外側も清くなるであろう。」(マタイ23:25-26。アルマ60:23も参照)救い主は続けて,目に見える部分は手入れをするのに,内なる人を清めないでいる人たちをとがめていらっしゃいます。

    「あなたがたは白く塗った墓に似ている。外側は美しく見えるが,内側は死人の骨や,あらゆる不潔なものでいっぱいである。

    このようにあなたがたも,外側は人に正しく見えるが,内側は偽善と不法とでいっぱいである。」(マタイ23:27-28)

    このような偽善が霊にすぐに及ぼす影響は破滅的です。ポルノグラフィーを求め,それにふける人々は神権の力を失います。主は宣言されました。「わたしたちが自分の罪を覆い隠そうと……するとき,まことに天は退き去り,主の御霊みたまは深く悲しむ。そして主の御霊が退き去ると,その人の神権,すなわち権能は終わりである。」(教義と聖約121:37)

    ポルノグラフィーを見る人は御霊を伴侶はんりょとする権利も失います。ポルノグラフィーは霊性を破壊する幻想を生み出します。「肉の思いは死」――つまり霊の死です(ローマ8:6。2ニーファイ9:39も参照)。

    聖典には,主の御霊は汚れた宮には宿らないことが繰り返し述べられています。ふさわしい状態で聖餐せいさんを受けるとき,わたしたちは「いつも御子の御霊を受け……る」と約束されています。その約束にふさわしくなるために,わたしたちは,「いつも御子を覚え〔る〕」と聖約します(教義と聖約20:77)。性的な刺激のためにポルノグラフィーを求め,それにふける人々がその聖約を破っていることは明らかです。また,神聖でない,不純な行いから遠ざかるという聖約も破っています。そのような人は主の御霊を受けることができません。そのような人は皆,使徒ペテロの勧めに耳を傾けるべきです。「だから,この悪事を悔いて,主に祈れ。そうすればあるいはそんな思いを心にいだいたことが,ゆるされるかも知れない。」(使徒8:22)

    兄弟たち,皆さんはわたしがポルノグラフィーの精神衛生面や犯罪行為などに対する影響について話しているわけではないということにお気づきでしょう。わたしは霊性に対する影響について,すなわち主の御霊を伴侶とする力,神権の力を行使する資格について語っているのです。ポルノグラフィーは最も大切な個人的な関係にも致命的な傷を負わせます。昨年10月,ヒンクレー大管長は神権を有する男性に向けた説教の中で,ある女性からの手紙を引用しました。その女性は,ポルノグラフィーが「心と魂を奥底まで傷つけ,……関係を壊し……てしまう」ということを教会員に警告してほしいと大管長に依頼しました(『リアホナ』2004年11月号,60)。最近のステーク大会で,ある女性が似通った手紙をわたしにくれました。彼女の夫は教会で長い間大切な召しを受けていながら,ポルノグラフィーの中毒にかかっていました。そして,この問題を神権指導者に深刻に受け止めてもらうことが困難だと語っていました。「過剰に反応しすぎだとか,わたしのせいだとか――そんな答えばかりでした。現在の監督はよくやってくれます。夫は15年に及ぶポルノグラフィー中毒と向き合っています。しかし,今となっては15年の長きにわたる習慣を断ち切るのはいっそう困難ですし,その間に失ってきたものは計り知れません。」

    ポルノグラフィーは,異性との間に正常な感情に基づく,ロマンチックで霊的な関係を築く能力を損ないます。また,不適切で異常な,違法行為に立ちはだかる道徳の壁を破壊します。良心が鈍くなるにつれ,ポルノグラフィーを見る人は自分の人生やほかの人々の人生に及ぼす影響を考えることなしに,自分が目にしてきたことを行動に表すようになります。

    また,中毒性もあります。意思決定の力を損ない,見る人を「とりこ」にし,取りつかれたように何度も繰り返させます。ポルノグラフィーと強い薬物の中毒になった男性は,このように比較しています。「わたしに言わせれば,コカインなんて比べものになりません。わたしは両方に手を染めたことがあります。……最も中毒性の高い薬物をやめることでさえ,〔ポルノグラフィーをやめる努力〕と比べれば何でもありません。」(2005年3月20日付けの手紙)

    ある人々は,見ているのは「ソフト」であって,「ハード」ではないという議論をして,習慣を正当化しようとします。ある賢明な監督はこのことを,悪を悪と認識しないことだと言いました。彼が引き合いに出したのは,見る選択を正当化するために,「あれよりはましだ」,あるいは「良くないのはたった一場面だけだ」などと比較する人々です。しかし,何が悪であるかを判断するのは程度ではなく,その影響です。御霊が退き去るほど長く邪悪な思いを抱くならば,人は霊的な守りを失い,悪あしき者の力と命令に支配されるのです。この監督が言うところの「いつでも可能な性的興奮」のために(2005年3月13日付けの手紙),インターネットやその他のポルノグラフィーを見るなら,大いなる罪の汚れを負うことになります。

    ベニヤミン王の偉大な説教は悲惨な結末を述べています。わたしたちが主の御霊から身を引くとき,義の敵となり,強烈な罪の意識にさいなまれ,「主の御前からしりごみ」するのです(モーサヤ2:36-38参照)。そして「そのような者には憐あわれみは及ばない。したがって,その者の最後の状態は,決して終わることのない苦痛に耐えることである」と結論づけています(39節)。

    ダビデ王の悲劇的な事例を考えてください。ダビデはイスラエルの霊の巨人でありながら,見るべきでないものを見てしまいました(サムエル下11章参照)。見たものに心を奪われた王は,十戒の二つの戒めを破りました。その始まりが「あなたは姦淫してはならない」という戒めです(出エジプト20:14)。こうして,預言者でもあった王は昇栄から落ちたのです(教義と聖約132:39参照)。

    しかし救いとなるのは,この苦痛へと続く堕落の道をだれも歩む必要がないということです。この恐ろしいエスカレーターにとらわれたすべての人には,方向を変える鍵が与えられています。脱出できます。悔い改めて清くなることができます。

    息子アルマは語っています。

    「まことに,わたしは自分のあらゆる罪と不義を思い出し,そのために地獄の苦しみを味わった。…………神の御前に行くことを考えるだけで,わたしは言いようのない恐怖に責めさいなまれた。… …

    そして苦痛に責めさいなまれていたときに,わたしは自分の多くの罪を思い出してひどく苦しみながら,見よ,かつて父がイエス・キリストという御方の来臨について民に預言するのを聞いたことを思い出した。イエス・キリストは神の御子であり,世の罪を贖あがなうために来られるというのである。

    心にこの思いがはっきりと浮かんできたとき,わたしは心の中で,『おお神の御子イエスよ,苦汁の中におり,永遠の死の鎖に縛られているわたしを憐れんでください』と叫んだ。

    さて見よ,このことを思ったとき,わたしはもはや苦痛を忘れることができた。まことに,わたしは二度と罪を思い出して苦しむことがなくなった。

    おお,何という喜びであったことか。何という驚くべき光をわたしは見たことか。まことに,わたしは前に感じた苦痛に勝るほどの喜びに満たされたのである。」(アルマ36:13-14,17-20)

    このような中毒に陥り,誘惑に悩まされている兄弟たち,道はあります。

    第1に,それが悪だと認識してください。言い訳や,正当化をしないでください。少なくとも4半世紀にわたり,指導者たちは,男性,そして女性や子供たちにもこの悪を避けるように訴えてきました。2 現在,教会機関誌にはこのテーマに関する警告や情報,助言が数多く載っています。今年と去年だけでも,20以上の記事が発行済み,あるいは発行予定です。3

    第2に,主と主の僕しもべの助けを求めてください。ヒンクレー大管長の言葉を心に留めてください。

    「自分を縛りつけている中毒を取り除いてくださるように,心の奥底から,主に願い求めてください。また,勇気を奮い,監督の愛に満ちた導き,必要ならば,思いやりのある専門家の助言を求めてください。」(『リアホナ』2004年11月号,62)

    第3に,それを避けるために,あらゆる努力を払ってください。もしポルノグラフィーにかかわる場にいると分かったら――これはこの世に生きているだれにでも起き得ることです――そのときはエジプトのヨセフの模範にかぎなる程度であっても誘惑に負けてはなりません。罪を遠ざけ,必ず起こる破滅に向き合わねばならないような事態を避けるのです。スイッチを切り,目をそらしてください。どんな犠牲を払ってでも避けるのです。健全な道に心の思いを向けるのです。聖約を思い起こし,忠実に神殿に参入しください。前に話した賢明な監督はこう述べています。「エンダウメントを受けた神権者が定期的に神殿で礼拝しているかぎり,ポルノグラフィーに屈することは絶対にあり得ません。神殿での礼拝に無関心になったときに,そうなるのです。」(2005年3月13日付けの手紙)

    愛する人々を守るためにも行動しなければなりません。両親は,家族が煙や一酸化炭素にさらされたら警告できるように,警報装置を設置します。霊を脅かすものに対しても,防御策を講じる必要があります。例えば,インターネットの接続を制限するフィルターを用いたり,何を見ているのかだれでも分かる場所にモニターを置いたりすることができます。そして,家族の霊的な強さを培うべきです。愛にあふれた関係や家族の祈り,聖文学習を通してこれを行うのです。

    最後に,ポルノグラフィーを支援してはなりません。あなたの購買力を低俗なものに使わないでください。若い女性の皆さん,ぜひ理解してください。慎みのない服装をする人は,あなたを見る男性にとってポルノグラフィーになり,この問題を悪化させているのです。

    どうかこの警告を心に留めてださい。わたしたちは皆,個人の行動を改め,いっそう努力して,霊性や結婚,子供たちを脅かすポルノグラフィーの容赦ない攻撃から,愛する者たちと環境を守ろうではありませんか。

    これこそ,わたしたちが礼拝する御方から祝福を頂けるように,なすべきことであると証します。イエス・キリストが世の光であり命であられ,この教会が主の教会であることを証あかしします。イエス・キリストの御名によって,アーメン。

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      1. .Challenges for the Year Ahead(小冊子,1 9 7 4 年),4 - 5 。“Thing s They’re Saying”New Era,1974年2月号,18で再版

      2. .例えば,以下の記事を参照する。ゴードン・B・ヒンクレー「悲劇をもたらす悪」『リアホナ』2004年11月号,59-62;デビッド・E・ソレンセン「毒蛇と戯れてはならない」『リアホナ』2001年7月号,48-50;トーマス・S・モンソン「魔の運び屋――ポルノグラフィー」『リアホナ』2001年11月号,2-6;デビッド・B・ヘイト「個人の性道徳」『聖徒の道』1985年1月号,68-71

      3. .例えば,以下の記事を参照する。ロリー・C・リード「義にかなった生活に立ち返る――ポルノグラフィーを捨てる」『リアホナ』2005年2月号,28-33;アリアンヌ・B・コープ“Internet Cafe ´”New Era,2005年3月号,34-37;ニコル・S・ラーセン“The Decision”Friend,2004年3月号,40-41