2000–2009
天の御父の娘
2007年4月


天の御父おんちちの娘

天の御父は皆さんをじで,愛しておられます。皆さんはの特別な娘です。主は皆さんのために計画を用意しておられます。

義理の息子が3歳の娘エライザに,とても特別なテーマで家庭の夕べのレッスンをするよと話したところ,エライザはにっこり笑い,そのテーマを当てようとしてこう言いました。「きっと,わたしのことね。だって,わたし,とっても特別だもの。」エライザは,自分がだれであるかを覚えています。自分がとても特別な神の子であることを知っているのです。エライザはこのことを母親から学びました。この集会の開会で歌った「神の子です」(『賛美歌』189番)は,エライザが赤ちゃんのときから毎晩聞いていた子守歌です。

12歳から18歳までの若い女性は,世界中で,そしてほとんどの言語で同じことを宣言しています。「わたしたちは天父の娘です。天父はわたしたちを愛し,わたしたちも天父を愛しています。」(「若い女性のテーマ」『成長するわたし』〔小冊子〕,5)しかし成長するにつれて,3歳のエライザが抱く「わたしは特別」という確かな知識から遠ざかってしまうことがよくあります。若人はしばしば「自己じこ認識にんしきの危機きき」を経験し,自分は一体だれなのかと悩みます。また,10代は「自己認識の脅おびやかされる」時期でもあるとわたしは考えます。この世の考えや哲学てつがく,策略さくりゃくがわたしたちを混乱こんらんさせ,翻弄し,ほんとうの自分についての知識を奪うばおうとするからです。

ある,とても立派な若い女性がわたしにこう言いました。「時々,自分が何者なにものなのか自信がなくなります。天のお父様の愛が感じられず,生きることがとてもつらく思えるのです。わたしが望み,願い,夢に見たようにはいかないことばかりです。」わたしは今,そのとき彼女に話したことをそのまま世界中の若い女性の皆さんに伝えます。わたしははっきりと知っています。皆さんは神の娘です。天の御父は皆さんを知り,愛し,皆さんのために計画を用意しておられます。御父はわたしに,このメッセージを皆さんに伝えるよう望んでおられます。

末日の預言者よげんしゃと使徒しとたちは,わたしたちの持つ神から受け継ついだ特質について証しています。家族についての世界への宣言せんげんにはこうあります。「人は皆,天の両親から愛されている霊の息子,娘です。したがって,人は皆,神の属性ぞくせいと神聖な行ゆく末すえとを受け継いでいます。」(『リアホナ』2004年10月号,49)また,ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこのように話しました。

「皆さんに及およぶ者などいません。皆さんは神の娘たちなのです。

生まれながらの受け継ぎとして,皆さんは美しく,神聖な,天与てんよの特質を授かっています。決してそのことを忘れないでください。皆さんの永遠の御父は偉大な宇宙の主であられます。御父はすべてを支配しておられますが,御自分の娘である皆さんの祈りにも耳を傾かたむけ,皆さんが語りかけるときに聞いてくださいます。そして皆さんの祈りにこたえてくださるのです。皆さんを独ひとりにしたりはなさいません。」(「気高い道にとどまる」『リアホナ』2004年5月号,112)

自分が神の娘であるという知識を心の奥深くにしっかりと植え付けるなら,皆さんは慰なぐさめられ,信仰を強められ,振ふる舞まいに影響えいきょうを受けるでしょう。この徳高い真理で絶えず皆さんの思いを飾るなら,今年のミューチャルのテーマが約束するように,自信をもって神の御前に立つことができるのです(教義と聖約121:45参照)。

では,どうしたら自分が天の御父の娘であると知り,また感じることができるでしょう。天と地との間には幕があり,わたしたちはこの幕,つまり「眠りと忘却ぼうきゃく」を通ってこの世に生まれました(ウイリアム・ワーズワース“Ode Intimations of Immortality from Recollections of Early Childhood”,第5連,58)。これは,わたしたちが「完成に向かって進歩して,最終的に永遠の命を受け継ぐ者としての神聖な行く末を実現するために,地上での経験を得〔る〕」うえで必要なことです(『リアホナ』2004年10月号,49)。天の御父はわたしたちを愛し,わたしたちが御父のことを思い出すよう願っておられます。天の御父が,わたしたちに永遠をかいま見させてくださるのはそのためです。使徒パウロはこのように教えています。「御霊みずから,わたしたちの霊と共に,わたしたちが神の子であることをあかしして下さる。」(ローマ8:16)御霊は自分のほんとうの姿をかいま見させてくださいます。わたしたちが祈るとき,聖文を読むとき,わたしたちに対する主の憐あわれみについて思い巡めぐらすとき,神権の祝福を受けるとき,人に仕えるとき,あるいは人から愛され,認められていると感じるとき,御霊はしばしばわたしたちに語りかけてくださいます。

モーセは力強く霊的な経験を通して自分が何者であるかを学びました。神と顔を合わせて語ったモーセは,自分が神の息子であり,特別な使命を与えられていることを知りました。この驚おどろくべき経験の後,モーセはサタンに打たれました。しかし,神の栄光を身をもって感じていたモーセは,サタンが何の栄光も持たないことに気づきました。そして自分が神の息子であり,神から使命を与えられていることを知っていたので,モーセはサタンを退け,義にかなった判断を下し,力を求めて神を呼び求め,常に神の御霊とともにいるための力と能力を持つことができたのです(モーセ1章参照)。

わたしたちも同じ方法を使うことができます。自分が何者であるかを知り,感じるようになると,善と悪を見分け,誘惑ゆうわくに抵抗ていこうするための力が得られるようになります。主から与えられた自分の神聖な使命を理解する一つの方法は,祝福師の祝福です。これは非常に具体的で個人的なメッセージであり,神権の力によってわたしたち一人一人が受けることができます。

皆さんの持つ永遠にわたる特質を教えてくれる霊的な物の見方は,親や指導者を通して得ることもできます。彼らは,霊感を受けて皆さんの真の姿を見ることができ,皆さんを勇気づけてくれます。わたしはこれまで,自分の子供たちの真の姿について,とても具体的な御霊のささやきを折に触れて受けてきました。子供の一人が生まれる前の晩,心の中に,この子はきょうだい一人一人にとってすばらしい友,そして助け手となるという,とてもはっきりとした印象を受けました。そしてまさにそのとおりになっています。また,10代の子供が自動車事故のためにとても落ち込んでいたとき,わたしの頭に「わたしはこの子を愛している。そしてこの子の人生を導いていく」という言葉が,はっきりと聞こえました。確かにこの子は導かれました。その後も,このような導きを何度も受けてきました。子供たちに励ましが必要になったとき,わたしは祝福されて,彼らの偉大で高貴こうきな永遠の霊を感じ取ることができたのです。

皆さんは外出するとき,母親や父親から「自分が何者であるかを忘れないで」と言われたことがありますか。この言葉は何を意味しているのでしょうか。「家族の一員として恥ずかしくない振る舞いをしてね」という意味もあるでしょう。しかし何よりも「神の子であることを忘れないでね。それにふさわしく行動しなくてはならないのですよ」という意味が込められています。宣教師は胸に名札を着けることで,末日聖徒イエス・キリスト教会の代表者であることを常に心に留とめています。だからこそ彼らは慎つつしみ深く,さっぱりとした服装ふくそうをし,礼儀正しく人に接し,キリストの面影おもかげをその顔に受けるよう努力しているのです。彼らは名札を着け,外から見える形で自分が何者であるかを示しているので,このような行動をしなければならないのです。わたしたちも皆,聖約によってキリストの御名を受けました。主の御名がわたしたちの内側,つまり心の中に刻きざまれていなければなりません。わたしたちも同様に,天の御父の子供としてふさわしく行動することが期待されています。ひょっとすると,天の御父もわたしたちをこの世に送り出すとき「自分が何者であるかを忘れないで」とおっしゃったかもしれません。

教会の若い女性の皆さんに仕える召しを受けたとき,わたしはそれにふさわしい行動をしなければならないと思いました。ある日,娘が道路に車を止めていたとき,期限きげん切れの登録証とうろくしょうをはっていたために違い反はん切符きっぷを切られてしまいました。郵送ゆうそうされて来るはずの登録書類とうろくしょるいしがまだ届いていないことが原因でした。わたしは娘の代わりに事情を説明しようと強気で市役所へ向かいました。こちらに非のないことを証明しようと厳きびしい表情で建物に入って行くと,だれかがわたしに声をかけ,「あなたのことを知っていますよ」と言いました。それを聞いて足が止まりました。わたしも,自分が何者であるかを思い出す必要があることに気づいたのです。ただ中央若い女性会長であるというだけではありません。何よりも,わたしは神の娘なのです。

人と付き合うときは,相手もまた天の御父の子供であることを覚えておかなければなりません。結婚したばかりのころ,主人はよくこう言いました。「君が美人だから結婚したんじゃないよ。」あまり何度も言うので,とうとうわたしは「あまりお世せ辞じには聞こえないけど」とからかってみました。すると主人は,これがわたしへの最高の褒ほめ言葉のつもりだと説明してくれました。それはわたしにもよく分かっていたのです。そして主人は「君にはすばらしい特質が備わっていて,君はそれを永遠にわたって伸ばしていくと思う。だから君が好きなんだ」と言ってくれました。主は言われました。「顔かたちや身のたけを見てはならない。……わたしが見るところは人とは異ことなる。人は外の顔かたちを見,主は心を見る。」(サムエル上16:7)家族や友人関係,デート,結婚など,いずれにおいても,外見がいけんの美しさや経歴けいれきだけで判断するのではなく,性格せいかくや高い価値かち観かん,そしてお互いの持つ神から受け継いだ特質を大切にするべきです。

チリのあるステークで,キャンプを行った若い女性たちがこのことを実践しました。お互いのすばらしい特質を書き留めたのです。彼女たちは日に日にお互いをもっとよく知るようになりました。そしてそれぞれの中に備わっている良い点に気づき,書き出していきました。キャンプの終わりに,彼女たちは感じたことを伝え合いました。それは全員が自分の中にある神聖な特質に気づく助けになりました。ある指導者はこう語っています。「わたしたちは文字どおり,思いやりと優しさにあふれたすばらしい御霊に包まれていました。誇張こちょうではなく,若い女性たちからは一言の不平ふへいも聞かれませんでした。互いを受け入れる優しい心が彼女たちの中にあふれていました。これは10代の少女の間ではあまり見られないことです。競きそい合いも,争いもありませんでした。キャンプは,小さな天国のようでした。」(私信より)少女たちはお互いが持つ,神から受け継いだ特質に気づき,認め合いました。徳高い思いが語られたこのキャンプは御霊に満たされていました。

C・S・ルイスは,賢明けんめいにもこう言っています。「周りにいる人は皆,神や女神になる可能性を持っている。この事実を軽々かるがるしく扱ってはならない。すぐ近くにいる,だれよりも物分かりが悪くつまらない人が,いつの日か,あなたが心から崇拝すうはいしたくなるような存在となるかもしれないということを忘れてはいけない。今のあなたには,その姿が見えていないだけなのだ。……この世に凡人ぼんじんなどいない。……あなたの隣人りんじんはあなたが知覚し得るものの中で,最も神聖な存在なのである。」(“The Weight of Glory,”Screwtape Proposes a Toast and Other Pieces〔1974年〕,109-110)

自分やほかの女性たちが愛にあふれた天の御父の娘であると知っている若い女性は,どこに住んでいようとも,徳高く,奉ほう仕しを愛する模範的もはんてきな生活を送ることによって主への愛を示します。ブラジルの非常に蒸むし暑あつい地域にあっても慎み深い服装をしている若い女性を見て,わたしは感銘かんめいを受けました。彼女たちは「慎み深くあることは,気候の問題ではなく,心の問題です」と語っています。この若い女性たちは,自分が神の娘であることを知っていました。

最近,悲惨ひさんな水の事故で亡くなった,アイダホの末日聖徒の学生5人の徳高い行動について聞き,わたしは胸を打たれました。彼らは義の標準ひょうじゅんに従って生活し,徳の高さと健全けんぜんさにおけるすばらしい模範として,周りの学生や地域の人々に知られていました。彼らは,自分たちが神の息子,娘であることを知っていました。

両親が離婚した,ある若い女性の示した模範からも感銘を受けました。彼女は幼い弟や妹たちが愛されていないと感じることのないように,毎晩ともに祈り,愛を伝えました。この若い女性は,自分が天の御父の娘であり,御父が彼女を愛していらっしゃることを知っています。そして弟や妹を愛することによって,御父への愛を示しています。

また,貧困ひんこんや政治的弾圧せいじてきだんあつにあえぐ地域に住む若い女性の行動について知り,感動しました。自分たちこそ困難こんなんな状況じょうきょうにあるにもかかわらず,彼女たちはキャンプに集まり,人々を元気づける方法を計画しました。助けの必要な女性のために衛生えいせいセットを作ったり,地域や病院,家庭でさらに奉仕を行ったりもしました。その行動を見れば,彼女たちは自分が神の娘であることを理解しているのが分かります。彼女たち,そして世界中の若い女性たちに対する愛で,わたしの心は満ちあふれています。皆さんは神の娘であり,神は皆さんを愛しておられることをわたしは知っています。

最後に,特別な,わたしにとって神聖とも言える経験を話しましょう。わたしが最初に中央若い女性の会長に召されたとき,自分は力不足だと感じ,身のすくむ思いがしました。幾晩いくばんも心を悩まし,悔くい改あらため,泣きながら夜を明かしました。数日間このような夜を過ごした後,とても感動的な経験をしたのです。まず,若い女性の年齢にある姪めいたちのことを考え始めました。次に近所とワードの若い女性,そして高校でいつも会っていた若い女性を思い浮かべ,それから50万を超こえる世界中の教会の若い女性たちを心に描えがきました。それまで味わったことのない,すばらしく温かい思いが込み上げてきて,わたしを包んでくれました。世界中に住む末日聖徒の若い女性,皆さん一人一人に対してこの上なく深い愛を感じ,この気持ちは天の御父が皆さんに抱いだいておられる愛であると分かりました。力強く,すべてを包み込むような愛でした。そのとき初めて平安を感じました。天の御父がわたしに望んでおられることを知ったからです。それは,主が皆さんに抱いておられる大いなる愛を,皆さんに証することです。ですからわたしはもう一度証します。わたしは一点の疑うたがいもなく知っています。天の御父は皆さんを御存じで,愛しておられます。皆さんは天父の特別な娘です。主は皆さんのために計画を用意しておられます。いつもそばにいて,導みちびき,道を示し,ともに歩んでくださいます(「神の子です」参照)。皆さんがこのことを知り,感じることができるように,イエス・キリストの御名によって心から祈ります,アーメン。