2000–2009
離婚
2007年4月


離婚

よい結婚生活は,完全な男性と完全な女性を求めてはいません。完全に向かって一緒に努力しようと決意する男性と女性を必要としているのです。

離婚について話すよう霊感を受けました。繊細なテーマです。なぜなら離婚は,いろいろな面で関与した人たちに,激しい感情をもたらすからです。ある人たちは自分や愛する人たちを離婚の被害者者と考えます。自分は離婚によって恩恵を受けたと考える人もいます。離婚を失敗のしるしと見なす人もいます。一方,結婚から逃げるのに欠かせない緊急避難口と考える人もいます。様々な点で,離婚は教会の多くの家族に影響を与えます。

皆さんの考えがどのようであろうと,福音の計画の一部としてわたしたちが追い求める永遠の家族関係に離婚が与える影響について,率直に話しますので,どうか耳を傾けてください。わたしは心配なので話しますが,希望も抱いています。

結婚の概念そのものが危機に瀕ひんし,離婚がありふれたことのようになっている世の中で,わたしたちは暮らしています。

結婚生活は夫婦と子供の幸せばかりか共通の利益にもなります。そのため,結婚生活を維持することに,社会は強い関心を寄せてきました。しかし,この概念は,結婚は成人した男女の合意に基づくごく私的な関係にすぎず,一方の意志で解消されるという考えに置き換えられてきています。1

離婚を認める法律が存在しなかった国々でも,離婚が認可されるようになってきましたし,離婚を認めている多くの国では,より簡単に離婚できるようになってきました。残念ながら,現在の無責離婚法(訳注──夫婦の合意がなくても一方の意思で離婚できるという,1970年に合衆国で制定された法律。)の下では,好ましくない従業員との雇用関係を解消する手続きよりは,好ましくない配偶者との婚姻関係を解消する手続きの方が簡単なのです。そのうえある人は最初の結婚を,引っ越す前にしばらく滞在する小さな家のように,「腰かけ結婚」と考えています。

結婚は永続する貴いものであるという考え方が,どこでも希薄になってきています。自分自身の両親の離婚や,「結婚は自己実現の足かせである」という通俗的な考えに影響され,ある若い人々は結婚を避けています。揺るぎない決意をせずに結婚する人の多くは,最初の重大な問題に出遭うと逃げ出してしまいます。

対照的に,現代の預言者は,結婚を「自分の都合で始め,……最初の困難に直面するとすぐに破棄する単なる契約と〔見なすことは〕,……邪悪であり,厳しい罪の宣告を招く」と警告しています。特に子供たちを苦しめる場合はそうです。2

古代においてだけでなく,現在教会員が住んでいる一部の国の部族内のしきたりにおいても,男性はささいなことで妻を離縁する権限を持っています。女性に対するそのような不義で不当な権力行使は,救い主によって拒否されました。主はこうはっきりと言われました。

「モーセはあなたがたの心が,かたくななので,妻を出すことを許したのだが,初めからそうではなかった。

そこでわたしはあなたがたに言う。不品行のゆえでなくて,自分の妻を出して他の女をめとる者は,姦淫かんいんを行うのである。また出された女をめとる者も,姦淫を行うのである。」(欽定訳マタイ19:8-9から和訳)

昇栄を目指す結婚には,離婚は想定されていません。結婚生活は永遠に存続すると信じ,互いに神のようになることを目標としているからです。二人は主の神殿において永遠に結婚します。しかし,ある結婚はそうした理想に向かって進みません。「〔わたしたち〕の心が,かたくななので」主は日の栄えの標準に基づく結果を今は強要なさいません。主は離婚した人も,より高い律法で定められている不道徳の染みがないものとして,再び結婚することを認められるのです。つまり,離婚した教会員が重大な背きを犯していなければ,その人はほかの教会員に適用されるふさわしさの標準と同じ標準で,神殿推薦状の資格を得ることができるのです。

離婚した多くの善良な教会員がいます。最初にそのような人たちに話します。皆さんの多くは罪のない犠牲者であることを,わたしたちは知っています。別れた配偶者は神聖な聖約を度々裏切り,結婚の責任を将来にわたって遂行することを放棄し,拒絶しました。そのようなつらい事態を経験した教会員は,離婚しなければさらに事態が悪化してしまうと確信していました。

結婚生活が破綻はたんし,修復の希望がなくなったときは,終わらせる手段がなければなりません。そんな事例をフィリピンで経験しました。神殿結婚の2日後,夫は若い妻を見捨てて姿を消し,10年以上も音信がありませんでした。妻は他国に逃れ,そこで離婚しましたが,フィリピンにいる夫とは国の法律上,依然として婚姻関係にありました。フィリピンの法律には離婚についての条項がないので,彼女のように,伴侶が扶養義務を放棄して出て行ってしまい犠牲者となった罪のない人たちは,その国にいるかぎり,自分たちの婚姻関係を終結させて新たな生活を始めるすべがないのです。

ある人たちは離婚を振り返るとき,破綻に至ったのは,部分的にあるいは全面的に自分の至らなさのせいだと考え,後悔の念にさいなまれています。離婚を経験したすべての人は,その苦痛を知っており,癒いやしの力と,贖いがもたらす希望を必要としています。その癒しの力と希望は,彼らと子供たちのためにあります。

今度は,結婚している教会員,特に離婚を考えている教会員の皆さんにお話しします。

皆さんと,現実に向き合うよう皆さんに助言してくれている人たちに強く勧告します。ほとんどの場合,結婚問題に対する解決法は,離婚ではなく悔い改めです。原因の多くは,性格の不一致ではなく,利己心です。最初のステップは,別れることではなく,自分を変えることです。離婚は万能薬ではなく,長期にわたる心痛をもたらします。広範にわたる国際的な研究では,「人生の大きな出来事」の前後における人の状態について,平均的に見て,人は,離婚後よりも伴侶を亡くした後の方が,はるかに立ち直りやすく,元の幸せな状態に戻りやすいという結果が出ています。3離婚により問題を解決しようと望む夫婦は,離婚によって事態が悪化したと気づくことがよくあります。離婚の持つ複雑性が新たな問題を生むのです。子供がいる場合は特にそうです。

最初に子供のことを考えてください。なぜなら離婚によって自分たちのことばかりに心が奪われ,子供のことがないがしろにされてしまうからです。子供が最初の犠牲者です。家族問題の専門家は,現在子供の福利が脅かされている最大の原因は,昨今の結婚の弱体化であると語っています。なぜなら,家族が不安定なために,両親が子供とのかかわりを持てなくなっているからです。4離婚後,ひとり親のもとで成長した子供は,薬物やアルコールの乱用,性的不道徳,成績不振など,様々な問題にさらされる危険性が高いことが知られています。.

結婚生活に伴う重大な問題を抱える夫婦は,ビショップと話す必要があります。ビショップは主の判士として勧告を与え,場合によっては,癒しへと導く教会宗紀の手配をしてくれるでしょう。

ビショップは離婚するようには勧告しません。もちろん,夫婦が決断をして離婚をしてしまった場合は,その結果と取り組むのを助けてくれます。主の律法の下では,結婚生活は,貴く,命が宿っています。人の命と同じです。もし体が病気になれば治そうとします。あきらめません。生きる可能性が少しでもあるかぎり,何度でも癒しを求めるものです。結婚も同じであるべきです。そして主を探し求めれば,主はわたしたちを助け,癒してくださいます。

末日聖徒の夫婦は,結婚生活を守るために力の限りを尽くすべきです。『リアホナ』2007年4月号の「大管長会メッセージ」5に記された,結婚生活を豊かにするための勧めに従ってください。いわゆる「性格の不一致」を避けるためには,夫婦は最善の友でなければなりません。親切で,思いやりがあり,互いの必要としている事柄に敏感で,互いがいつも幸せであるように努めてください。この世のものへの願望を抑えるために協力し,財政管理の面でパートナーとなってください。

もちろん,相手が自分の期待に添わないために傷ついたり苦しんだりする場合もあるでしょう。そのような事態が起きて嫌な思いをさせられた人は,過去に経験した良いことや将来の明るい展望を思い描いて,現在の失望を帳消しにしてください。

過去の過ちをいつまでも心に残しておき,何度も繰り返して思い出すことのないようにしてください。婚姻関係においては,わだかまりは破滅を招きます。赦しは神が定められたものです(教義と聖約64:9-10参照)。過ちを赦し,欠点を克服し,関係を強めるために,(先ほど,ファウスト管長が非常に分かりやすく教えてくださったように)主の御霊の導きを求めてください。

もし今,名ばかりの夫婦となってしまっているのでしたら,二人で手を取り合い,一緒にひざまずき,贖いの助けと癒しの力を祈り求めてください。二人の謙虚で一致した願いによって,主を,そしてお互いをもっと身近に感じるでしょう。そして主は,調和の取れた結婚生活を回復するための険しい山登りを助けてくださるでしょう。

結婚生活に伴う問題で教会員に助言している経験豊かで賢明なあるビショップの意見について考えてみましょう。離婚した人たちについて,彼はこう述べています。

「一般的に,どの夫婦や個人も,離婚は良いことではないと分かっていました。しかしながら,皆が『自分たちの場合は別です』と主張しました。

たいてい,彼らは配偶者の欠点にばかり焦点を当て,自分自身の言動には少しも責任を取ろうとしません。夫婦間の会話は途絶えています。

一般的に,彼らは過去を見詰めています。道端に置かれた,過去の言動が詰まったごみ箱から離れようとせず,前進しようとしません。

重大な罪が関係している場合もありますが,それ以上によくあるのは,『愛が冷え切っている』場合です。彼らは,『彼はわたしの必要をもう満たしてくれない』とか,『彼女は変わってしまった』と言います。

だれもが子供たちへの影響を心配しますが,結論はいつもこうです。『わたしたちが一緒に暮らしてけんかをするのは,子供たちにとってもっと悪いことです。』」

これとは対照的に,このビショップの助言に従ってともに暮らす夫婦は,自分たちの夫婦関係がいっそう強くなっていることが分かってきます。そのような前途は,戒めを守り,教会に出席し,聖文を読み,祈ることに,絶えず前向きに取り組み,自分の欠点を直そうとする互いの決意から切り開かれます。彼らは「配偶者と自分にとって贖いがいかに重要で力を持つかをよく理解しています。辛抱強く,努力を重ねます。」ビショップの報告によれば,彼が助言を与えた夫婦は,自分たちの結婚生活を守るために,これらのことを行い,悔い改め,努力していくうちに,「癒しが100パーセント達成されました。」

配偶者に全面的に非があると考える場合でも,性急な行動を取ってはなりません。ある研究によって,次のことが明らかになっています。「一般的に,成人にとって,離婚または別居した方が不幸な結婚生活にとどまるよりも幸福になれるという証拠はなかった。また,幸福な結婚生活を送っていないと感じながらも離婚を思いとどまった3人のうち2人は,5年後に幸せな結婚生活を送っていると報告した。」6子供が成長するまでつらい結婚生活を長年辛抱してきた女性はこう説明しています。「わたしたちの結婚生活には3人の当事者がいました。夫とわたし,そして主です。わたしは自分にこう言い聞かせました。『わたしたちのうちの二人が踏みとどまれば,結婚生活を維持していけるだろう』と。」

これらの事例に見られる希望の力は,時には,悔い改めや改善という良い報いにつながりますが,そうならないときもあります。個人の置かれた環境は実に様々です。自分以外の人の選択をわたしたちはコントロールできませんし,それに伴う責任を負うことはできません。それらがわたしたちにひどい衝撃を与えるときであったとしてもそうです。わたしは,ポルノグラフィー中毒や,その他の依存症的な行為,また子供時代に受けた虐待に端を発する,長期にわたる悪影響などの深刻な問題で悩んでいる配偶者を,愛をもって助けようとしている夫や妻たちを,主が愛し,祝福されていると確信しています。

結果がどうあろうと,また皆さんの経験がどんなに困難であろうと,皆さんが主を愛し,主の戒めを守り,最善を尽くしているならば,永遠の家族関係という祝福を失うことはないという約束が皆さんにはあります。若いヤコブが家族の行為で「ひどい苦難を味わい,つらい思いをした」とき,父リーハイはヤコブにこう言って確信させました。「あなたは神の偉大さを知っている。神はあなたの苦難を聖別して,あなたの益としてくださる。」(2ニーファイ2:1-2)同じように使徒パウロもわたしたちにこう保証しています。「神は,神を愛する者たち……と共に働いて,万事を益となるようにして下さる……。」(ローマ8:28

最後に,結婚について深く考えている人たちに短く話します。不信仰で,乱暴で,非協力的な配偶者との離婚を避ける最善の方法は,そのような人との結婚を避けることです。もしよい結婚を望むなら,結婚相手のことをよく知ってください。ただ「一緒に過ごすだけ」のデートや,インターネット上で情報を交換するだけでは,結婚への十分な基盤を築けません。デートに続いて,入念で,思慮深く,十分なコートシップの期間を設けるようにしてください。様々な環境の下で将来伴侶となる可能性のある人がどのような行動を取るかを観察する十分な機会を持つべきです。婚約している人たちは,間もなく結婚して親族となる互いの家族について,できるだけ多くのことを知ってください。このすべてに関連して理解しておくべきことは,よい結婚生活は,完全な男性と完全な女性を求めてはいないということです。完全に向かって一緒に努力しようと決意する男性と女性を必要としているのです。

スペンサー・W・キンボール大管長はこう教えました。「結婚の聖壇に向かう二人は,自分たちが望んでいる幸福な結婚を実現するために必要とされる次のことをわきまえておかなければなりません。すなわち,結婚は……犠牲と分かち合いであり,さらには個人の自由をある程度狭めることさえも意味するということです。結婚は長期にわたって難しい倹約の生活に入ることを意味します。また,子供たちを通して経済的な重荷,奉仕の重荷,心配と不安の重荷が強いられることを意味します。しかし同時に,結婚は,すべての中で最も深く,最もすばらしい感情を経験させてくれるものでもあります。」7

個人的な経験から,結婚と家族生活のこの上ない喜びについて証します。「家族──世界への宣言」には,結婚は「互いに愛と関心を示し合うとともに,子供たちに対しても愛と関心を示すという厳粛な〔夫婦の〕責任」と「主イエス・キリストの教え」の上に成り立つと記されています。8わたしは,わたしたちの救い主である主について証し,永遠の家族という至高の祝福のために努力しているすべての人たちのために主の御名によって祈ります。イエス・キリストの御名により,アーメン。

  1. ブルース・C・ヘーフェン, Covenant Hearts (2005年),37-39; アラン・カールソン, Fractured Generations(2005年), 1-13; ブライス・クリステンセン,Divided We Fall(2006年),44-45

  2. デビッド・O・マッケイ,Conference Report,1969年4月,8-9または“Structure of the Home Threatened by Irresponsibility and Divorce,”Improvement Era,1969年6月号,5参照

  3. リチャード・E・ルーカス,“Adaptation and the Set-Point Model of Subjective Well-Being: Does Happiness Change after Major Life Events?” Current Directions in Psychological Science, 2007年4月号, http://www.psychologicalscience.orgで閲覧可能

  4. ジーン・ベスク・エリシュタイン,デビッド・ポピーノ,“Marriage in America ”(1995年)参照, ブルース・C・ヘーフェン,“Marriage and the State’s Legal Posture toward the Family,”Vital Speeches of the Day, 1995年10月15日号付,18。Marriage and the Public Good: Ten Principles (2006年), 24も参照

  5. ジェームズ・E・ファウスト「結婚生活を豊かにする」『リアホナ』2007年4月号,2-6

  6. リンダ・J・ウェート,その他の共著,Does Divorce Make People Happy? Findings from a Study of Unhappy Marriages (Institute for American Values, 2002年),6。Marriage and the Law,A Statement of Principles (Institute for American Values,2006年),21で引用された学術的研究も参照

  7. 『歴代大管長の教え──スペンサー・W・キンボール』194

  8. 「家族──世界への宣言」『リアホナ』2004年10月号,49