4月 2011 | 啓示の霊

    啓示の霊

    4月 2011 総大会

    啓示の霊は実在し,個人の生活でも,末日聖徒イエス・キリスト教会の中でも作用し,実際に機能しています。

    啓示の霊

    啓示のパターン

    わたしのお話の後に歌われる賛美歌「今日きょうわれ善きことせしか」(『賛美歌』137番)が霊感によって選ばれたことを感謝します。わたしに霊感を与えてくれました。

    ほとんどの人が光に関して経験したことのある二つのことについて考えてみましょう。

    一つ目は,暗い部屋に入って電気のスイッチを入れたときの経験です。一瞬で部屋に光があふれ,闇やみが消え去ったときの様子を思い出してください。見えていなかったもの,何だかよく分からなかったものが,はっきりと識別できるようになります。この経験は,瞬時に強い光を認識するという点が特徴的です。

    二つ目は,夜が朝に変わるのを見守っているときの経験です。地平線で光がゆっくりと,ともすれば気づかないぐらいに明るさを増していく様子を思い出してください。暗い部屋で電気のスイッチを入れるのとは対照的に,日の出の光は突然現れることはありません。むしろ少しずつ確実に光の強さが増し,朝の光が夜の暗闇に取って代わります。やがては建物や山の向こうから太陽が顔をのぞかせます。しかし間もなく太陽が現れることは,地平線のかなたに実際に日が昇る何時間も前からはっきり分かります。この経験は,微妙に,少しずつ光を識別するという点が特徴的です。

    光に関するこの二つのありふれた経験から,啓示の霊について多くを学べます。わたしがこれから啓示の霊と,啓示が授けられる基本パターンについて話す間,聖霊がわたしたちに霊感を与え,教えてくださるように祈っています。

    啓示とは,神から地上の子供たちへのコミュニケーションです。それは,偉大な祝福の一つです。それは聖霊の賜物たまものと,聖霊を常に伴侶はんりょにできることに関連しています。預言者ジョセフ・スミスは「聖霊は啓示者であられ」「だれも啓示を受けずに聖霊を授かることはできません」と教えました(『歴代大管長の教え─ジョセフ・スミス』132)。

    啓示の霊は,正しい神権の権能によって救いの儀式,すなわち罪の赦ゆるしのために水に沈めるバプテスマと聖霊の賜物を授かるための按手あんしゅを受け,「聖霊を受けなさい」という神権の命令を,信仰をもって果たすすべての人に与えられます。この祝福は教会の管理役員に限定されてはいません。これは責任を負える年齢に達し,神聖な聖約を交わしたすべての男女や子供の生活の中で働くはずのものです。心からの望みとふさわしさは生活に啓示の霊を招きます。

    ジョセフ・スミスとオリバー・カウドリは,モルモン書を翻訳しながら啓示の霊に関して貴重な経験をしました。この兄弟たちは,信仰と正直な心を持ち,受けることができると信じながら求めれば,業を成し遂げるために必要な知識を何でも受けられることを知りました。啓示の霊が概して聖霊の力によって頭や心に浮かぶ考えや思いとして機能することを次第に理解していきました(教義と聖約8:1-2;100:5-8参照)。主が彼らに次のように教えられたとおりです。「さて見よ,これは啓示の霊である。見よ,モーセがイスラエルの子らを導いて乾いた地を通って紅海を渡らせたのは,この霊による。これがあなたの賜物である。この賜物を使いなさい。」(教義と聖約8:3-4)

    わたしは啓示の霊に関して言われた「この賜物を使いなさい」という言葉を強調します。聖文では,聖霊は「静かな細い声」(列王上19:12;1ニーファイ17:45。3ニーファイ11:3も参照)や「まったく優しい静かな声」(ヒラマン5:30)と表現されています。御霊みたまは優しく,繊細にささやくので,なぜわたしたちがふさわしくないメディア,ポルノグラフィー,有害で依存性のある薬物や行為を避けるべきか,分かるでしょう。サタンはこれらの手段を使って,御霊の力によって伝えられる,神の静かなメッセージを認識してそれにこたえるわたしたちの能力を損ない,ついには破壊します。わたしたち一人一人が,悪魔の誘惑を拒み,「この賜物」すなわち啓示の霊を個人の生活や家族の中に義にかなって「使〔う〕」方法を真剣に,よく祈って深く考えるべきです。

    啓示は様々な方法で与えられます。例えば,夢や示現,天の使いとの対話,霊感などです。ある啓示は即座に,強烈な方法で受けます。ほかの啓示は少しずつ,わずかに認識されます。前に話した光に関する2種類の経験は啓示のこの二つの基本的なパターンをよりよく理解するのに役立ちます。

    暗い部屋で照明をつけることは神のメッセージを素早く,完全に,一度に受けることに似ています。わたしたちの多くは,神の御心みこころと時に応じて,心からの祈りがこたえられたり,必要な導きや守りを受けたりして,この啓示のパターンを経験したことがあります。このような即座で強い現れは,聖典や教会歴史の出来事,そしてわたしたちの生活の中に見つけることができます。確かにこれらの強力な奇跡は起きます。しかしこのようなパターンの啓示は一般的ではなく,むしろ珍しいことなのです。

    日の出のときに少しずつ光が増していく様子は,「教えに教え,訓戒に訓戒を加えて」神からメッセージを受けることと似ています(2ニーファイ28:30)。ほとんどの場合,啓示は時間をかけて少しずつもたらされ,わたしたちの望み,ふさわしさ,準備の度合いに応じて与えられます。天の御父からのそのようなメッセージは少しずつ,優しく「天からの露のように〔わたしたち〕の心に滴る」ものです(教義と聖約121:45)。このパターンの啓示は珍しいことではなく,むしろ一般的であり,ラバンから真鍮しんちゅうの版を無事に手に入れるまでに様々な方法を試したニーファイの経験に現れています(1ニーファイ3-4章参照)。彼は最終的に,「前もって自分のなすべきことを知らないまま」御霊によってエルサレムへ導かれました(1ニーファイ4:6)。また,入念な造りの船を建造する方法は一度に学んだのではなく,主が「船材をどのようにしてこしらえるかを,〔彼に〕度々示して」くださったのです(1ニーファイ18:1)。

    教会の歴史にも,わたしたちの生活にも,「教えに教え,訓戒に訓戒を加えて」啓示を受けるという主のパターンの例はたくさんあります。例えば,回復された福音の基本的な真理は聖なる森で預言者ジョセフ・スミスに一度に伝えられたのではありませんでした。それらの貴い宝は,状況が整ったとき,時宜にかなっているときに明らかにされました。

    ジョセフ・F・スミス大管長はこのパターンの啓示が自分の人生でどのように起きたかを説明しています。「少年のころ,ノノわたしは頻繁にノノ自分の証あかしを得たくて,何かすばらしい奇跡をお見せくださいと主に求めました。しかし,主は奇跡をお見せにならず,頭のてっぺんから足のつま先までわたしが真理を理解するまで,疑問や恐れが一掃されるまで,教えに教えノノを加えてくださいました。そのために天の使いを遣わしたり,天使長のラッパの声をもって語ったりなさいませんでした。生ける神の御霊の静かな細い声によって,神はわたしが今持っている証を与えてくださいました。そしてこの原則と力により,神は人の子らの心にいつまでも残る真理の知識をお与えになり,その結果わたしたちは神のように真理を知るようになり,キリストのように御父の御心を行うようになるのです。奇跡的な現れをどんなに多く経験しても,このような結果は得られないでしょう。」(Conference Report,1900年4月,41)

    わたしたち教会員は奇跡的で劇的な現れを強調するあまり,聖霊が働かれる一般的なパターンを認識できずに見過ごしているかもしれません。小さな霊的印象が徐々に大きくなり,長い時間をかけて,待ち望んでいた答えや必要な導きになっていくという「方法が単純」であるために(1ニーファイ17:41),わたしたちは「的のかなた」に目を向けてしまうかもしれません(モルモン書ヤコブ4:14)。

    奇跡的な,あるいは強烈な印象を頻繁に受けないために,自分の証の強さや霊的な能力を疑うたくさんの人と話したことがあります。おそらく,ジョセフが聖なる森でした経験やサウロがダマスコへ行く途中でした経験,息子アルマがした経験を考えると,そのようなよく知られた著しく霊的な例と同じような経験がない自分には何か問題や欠陥があるのではないかと思うようになるのでしょう。このような思いや疑問を持ったことがあるならば,皆さんはごく普通の人であることを覚えておいてください。従順に,救い主を信じる信仰をもって進み続ければよいのです。そうするなら,「迷うことはあり得」ません(教義と聖約80:3)。

    ジョセフ・F・スミス大管長は次のように勧告しています。「教会にしっかり根付くために,奇跡やしるし,示現を必要とする末日聖徒がいるとすれば,彼らはノノ神の前で良い評価を得ておらず,ぬかるんで滑りやすい道を歩んでいる会員です。わたしたちが真理に根付くのは奇跡的な現れによるのではなく,神の戒めと律法に謙遜けんそんに,忠実に従うことによるのです。」(Conference Report,1900年4月,40)

    光に関するもう一つのありふれた経験から,「教えに教え,訓戒に訓戒を加える」という啓示のパターンについて別の真理が学べます。時々,朝太陽が昇るときに空が曇っていたり,霧に覆われたりしていることがあります。薄暗いために光が見にくく,太陽が地平線から昇るまさにその瞬間を確認できません。しかし,そのような朝でも,新しい日が始まったことを認識したり,用事を済ませたりするための光は十分あります。

    同様に,啓示をいつどのように受けたか正確に認識しないで啓示を受けることがよくあります。この原則は,教会歴史のある重要な出来事に現れています。

    1829年の春,オリバー・カウドリはニューヨーク州パルマイラで学校の教師をしていました。ジョセフ・スミスとモルモン書の翻訳の業について知り,オリバーは若い預言者に支援を申し出るべきだと感じました。そこでペンシルベニア州ハーモニーへ行き,ジョセフの筆記者となりました。オリバーの到着時期と彼の提供した助けはモルモン書を世に出すためにきわめて重要でした。

    その後,オリバーが導きを求めて祈る度に主の御霊から導きを受けていたことを救い主は明らかにされました。主はこのように宣言されました。「そうでなかったならば,現在あなたがいる所に来ることはなかったであろう。見よ,あなたがわたしに尋ねたので,わたしがあなたの思いを照らしたことを,あなたは知っている。そして今,あなたが真理の御霊に照らされたことを知るように,わたしはこれらのことをあなたに告げるのである。」(教義と聖約6:14-15)

    このようにオリバーは自分が啓示を受けてきたことを知らせる啓示を,預言者ジョセフ・スミスを通して受けました。明らかにオリバーは神からいつどのように導きを受けていたか認識しておらず,啓示の霊について理解を深めるためにこの教えを必要としていました。つまり,オリバーは曇った空に昇りつつある太陽の光の中を歩いて来ていたのです。

    人生で直面する多くの不確実なことや困難の中で,神はわたしたちが最善を尽くし,作用される者ではなく作用する者となり(2ニーファイ2:26参照),神を信頼することを望んでおられます。わたしたちは天使を見たり,天の声を聞いたり,圧倒されるような霊的な印象を受けることはないかもしれません。神の御心に従っているかどうか完全な確信がないまま,望みと祈りをもって前進することが多いかもしれません。しかし,聖約を尊んで戒めを守り,善を行い善い人になるよう絶えず努めるなら,神が導いてくださることを確信して進むことができます。そして語るときには,神が霊感によって語るべき言葉を与えてくださることを確信することができます。それは「神の前においてあなたの自信は増〔す〕」という聖句が意味することの一つです(教義と聖約121:45)。

    啓示の霊をふさわしく求めて従うときに,「主の光の中を歩〔める〕」ことをわたしは約束します(イザヤ2: 5;2ニーファイ12:5)。時々,啓示の霊は即座に強く働くことがありますが,それ以外のときは,わずかに少しずつ,そして多くの場合意識的に認識できないほど繊細に働きます。しかしどのようなパターンでこの祝福を受けても,啓示の霊がもたらす光は皆さんの心を照らして広げ,理解力に光を注ぎ(アルマ5:7;32:28参照),皆さんと家族を導き守ってくれるでしょう。

    わたしは使徒として,御父と御子が生きておられることを証します。啓示の霊は実在し,個人の生活でも,末日聖徒イエス・キリスト教会の中でも作用し,実際に機能しています。これらの真理を主イエス・キリストの聖なる御名みなにより証します,アーメン。