2010–2019
用意をする時期
2011年10月


用意をする時期

〔わたしたちは〕最も大切な事柄……に時間を費やさなければなりません。

『わたしの福音を宣のべ伝えなさい』の第8章は,時間を賢く使うことにわたしたちの注意を向けています。この章でM・ラッセル・バラード長老は,目標を設定し,それを達成するための技術を習得する方法を学ばなければならないと教えています(『わたしの福音を宣べ伝えなさい-伝道活動のガイド』146参照)。目標を達成するために必要な技術の一つが,時間の有効な使い方です。

わたしはトーマス・S・モンソン大管長の模範に感謝しています。神の預言者として多くのことを行いながらも,大管長は救い主がなさったように,病気の人を見舞い(ルカ17:12-14参照),落胆している人を励まし,すべての人の僕となる時間を十分に確保しています。わたしはまた,自分の時間をささげて同胞のために務めているほかの多くの人の模範にも感謝しています。時間をささげて人のために務めることを神はお喜びになり,そうした行いはわたしたちを神に近づけてくれることを証します。救い主は,「この世において忠実で賢い者は,彼のために用意された父の住まいを受け継ぐのにふさわしいと見なされる」という御み言こと葉ばのとおりになさることでしょう(教義と聖約72:4)。

時間はどこにも売っていません。どんなに努力しても,どの店で幾ら支払っても買うことはできません。それでも時間を賢く使うなら,その価値は計り知れません。毎日すべての人に同じだけの時間が無料で与えられます。そしてすぐに,わたしたちは聞き慣れた賛美歌が注意深く教えている次のことを悟ります。「時は羽もて飛び去り行ゆく 誰たれもそを,呼び 戻し得ず」(「時を惜しみて」『賛美歌』146番。与えられている時間を賢く使わなければなりません。ブリガム・ヤング大管長は次のように述べています。「わたしたちは皆,有益に時間を用いる能力について神に恩を受けています。したがって,神はこの能力の使用について詳細に報告するようわたしたちに求められるでしょう。」(『歴代大管長の教え-ブリガム・ヤング』313)

そのように求められているわたしたちは,目標に合わせて選択肢に優先順位を付けることを学ばなければなりません。そうしないと,先延ばしという風に身を任せ,当てもなく時間を浪費し続ける危険性があります。わたしたちは皆,偉大な教師から優先順位について教わっています。その御方は山上の垂訓で次のように宣言されました。「だから,この世のものを求めないで,まず,神の王国を築き,神の義を打ち立てることを求めなさい。」(ジョセフ・スミス訳マタイ6:38)(ダリン・H・オークス「的を絞ることと優先順位」『リアホナ』2001年7月号,99-102も参照)

アルマは次のように教えたとき,優先順位について語っていたのです。「この世の生涯は試しの状態,すなわち神にお会いする用意をする時期……となった。」(アルマ12:24)神にお会いする用意をするために時間という貴い贈り物を最も有効に使うには少し指針が必要かもしれませんが,わたしたちは間違いなく,主と家族を最優先事項に挙げることでしょう。ディーター・F・ウークトドルフ管長は,「家族関係において,愛するとは,時間をともに過ごすことです」と教えています(「最も大切な事柄について」『リアホナ』2010年11月号,21)。心から助けを祈り求めるとき,天の御父はわたしたちが時間を費やすに値する事柄をほかの事柄よりも重要視できるよう助けてくださることを証します。

時間を上手に使わないことは怠惰と近い関係にあります。「怠惰であるのをやめなさい」という戒めに従うとき(教義と聖約88:124参照),忙しくあることは生産的であることと同じでなければなりません。例えば,すぐに連絡を取れる手段がまさに文字どおり手もとにあるのはすばらしいことですが,手軽な通信手段に取りつかれてしまわないようにしましょう。時間を奪う新しい種類の依存症に陥っている人がいると感じます。絶えずメッセージの送受信をすることに縛られ,忙しく実のある時間を過ごしていると誤解してしまうのです。

手軽に通信や情報入手ができることでたくさんの恩恵が受けられます。記事や大会説教,先祖の記録を調べたり,電子メールやフェイスブックの通知機能,ツイッターの最新情報,携帯電話のメールを受け取ったりするのは役に立ちます。しかし,これらがどれほど良いものであっても,そのために最も大切なものがわきに押しやられることがあってはいけません。複雑な電話やコンピューターが,愛にあふれた天の御父への率直な心からの祈りに取って代わってしまうとしたら,何と悲しいことでしょう。携帯電話でメールを送るのと同じように,いつでもひざまずきましょう。

コンピューターゲームやオンライン上の知り合いは,いつまでも真の友の代わりをしてはくれません。真の友は,抱き締めて励まし,祈ってくれ,最もわたしたちのためになるものを追い求めてくれます。定員会やクラス,扶助協会の会員が結集して支え合うのを見て,わたしはどれほど感謝してきたことでしょう。そのような機会に,使徒パウロの次の言葉の意味がよく分かるようになりました。「あなたがたは,もはや異国人でも宿り人でもなく,聖徒たちと同じ国籍の者であ〔る〕。」(エペソ2:19

最大の幸福が得られるのは主に心を向けるときであり(アルマ37:37参照),永続する報いをもたらすものに心を向けるときであることを知っています。無分別に何時間もソーシャルメディアを利用したり,インターネットや携帯電話で農場経営や鳥を撃ち落とすゲームに興じたりするときではありません。わたしたちの一人一人が,貴重な時間を奪うそうしたものの常習性に支配されることなく,それらを有効に使おうと決意するように勧めます。

救い主が語っておられる平安を得るためには(ヨハネ14:27参照),最も大切な事柄,すなわち神にかかわる事柄に時間を費やさなければなりません。心からの祈りによって神と交わり,毎日聖文を読んで研究し,読んだことや感じたことについて深く考え,その後,学んだ教えを応用して実践するとき,わたしたちは神に近づきます。最良の書物から熱心に求めるときに,神は「その聖なる御み霊たまによって……知識を……与え〔る〕」と約束してくださっています(教義と聖約121:26教義と聖約109:14-15も参照)。

サタンは健全そうに見えるものを用いて注意をそらし,誤った時間の使い方をするように誘います。わたしたちは誘惑に遭うでしょうが,クエンティン・L・クック長老は次のように教えています。「救い主のメッセージに応じる聖徒は,心を乱す破壊的な行為によって道を踏み外してしまうことはありません。」(「あなたは聖徒ですか」『リアホナ』2003年11月号,96参照)モルモン書の八人の証人の一人であるハイラム・ページは,注意をそらすものについて貴重な教訓を残しています。ハイラムはある石を持っていて,それを使って,教会に対する啓示だと思った事柄を書き記しました(教義と聖約28章参照)。ハイラムの誤りが正された後,記録によれば,石は二度と注意をそらすものとならないよう粉々に砕かれました。1わたしたちも生活の中から,注意をそらし時間を浪費するものを見つけましょう。比ひ喩ゆ的な意味で,それを粉々に砕く必要があるかもしれません。時間の天秤の上に,主と家族と仕事と健全な娯楽活動をバランスよく載せることができるように,賢く判断する必要があるでしょう。多くの人がすでに見いだしているように,「徳高いこと,好ましいこと,あるいは誉れあることや称賛に値すること」を尋ね求めることに時間を使うとき,生活の中の幸福が増します(信仰箇条1:13)。

時計が時を刻む音に合わせて,時は瞬く間に過ぎていきます。現世の時計が動いている今日のうちに,神にお会いする用意をするために自分が行っていることを見詰め直すとよいでしょう。現世において不死不滅と永遠の命に向けて用意する時間を取る人にはすばらしい報いがあることを証します。イエス・キリストの御名により,アーメン。

  1. Provo Utah Central Stake general minutes,1856年4月6日,第10巻(1855-1860年),ソルトレーク・シティー,教会歴史図書館,273参照(原文〔英語〕においては,綴り,句読点,大文字を現代用法に修正)。「父〔エマー・〕ハリスは次のように述べた。『わたしたちは天上のもろもろの支配や権威と戦わなければならないと使徒は言っている。』ハイラム・ページ兄弟は地中から一つの黒い石を掘り出してポケットに入れた。帰宅してその石を見た。まるで紙に書かれているかのように文が示されるのが見えた。ページ兄弟が一つの文を書くとすぐに別の文が石の上に現れ,書き記した文書は16ページになった。ジョセフ兄弟はそのことを告げられた。ある人がジョセフに,それが正しいものかを尋ねた。ジョセフは分からないと言ったが,祈ったところ,その石は悪魔から出ているものであるとの啓示を受けた。その後,石は粉々に砕かれ,書き物は焼かれた。それは闇の力の業であった。アーメン。」