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4月 2015 | 慰め主

慰め主

4月 2015 総大会

主が慰められるのをわたしたちがお助けすると固く決心した人々に,生けるキリストは慰め主である聖霊を遣わしてくださることを,わたしは証します。

愛する姉妹の皆さん,皆さんとともにいられることはわたしにとって喜びです。わたしは自分の母と,妻と,娘と,義理の娘と,孫娘について考えていました。孫娘のうちの一人がここにいます。このすばらしいプログラムは彼女たちに対する感謝の念を増してくれました。そのようなすばらしい家族があるのは,彼女たちが救い主を中心にした生活をしているからです。わたしたちは今夜,音楽や祈りや霊感あふれる説教を通して主を思い起こしてきました。わたしたちが最も感謝している救い主の特質の一つは,救い主の限りない哀れみです。

今夜,皆さんは,主が皆さんを御存じで,愛しておられることを感じてきました。皆さんの周りに座っている人に対する主の愛を感じてきました。彼女たちは皆さんの姉妹で,天の御父の霊の娘です。御父は皆さんと同様に彼女たちを心にかけ,その全ての悲しみを理解し,助けたいと願っておられます。

わたしから皆さんへの今夜のメッセージは,御父が慰めの要る者に慰めを与えられるうえで,皆さんには大切な役割を果たす能力と義務があるということです。助けを求める祈りに御父がどうこたえられるかをさらに知ることができれば,皆さんはその役割を最大限に果たすことができます。

多くの人が,悲しみや孤独や恐れという重荷を背負えるように天の御父に助けを祈り求めています。天の御父はそのような祈りを聞かれ,そのような人々の必要を理解しておられます。御父とその愛する御子である復活されたイエス・キリストは,助けると約束しておられます。

イエス・キリストは次のようなすばらしい約束をされました。

「すべて重荷を負うて苦労している者は,わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。

わたしは柔和で心のへりくだった者であるから,わたしのくびきを負うて,わたしに学びなさい。そうすれば,あなたがたの魂に休みが与えられるであろう。

わたしのくびきは負いやすく,わたしの荷は軽いからである。」1

主の忠実な僕がこの世で背負わなければならない重荷は,主の贖いによって軽くされます。罪の重荷は取り去っていただくことができます。それでも,善良な人々に対するこの世の試練はつらい重荷になることがあります。

皆さんは,愛する人々の生活の中にそのような試練を見たことがあり,助けたいと望んだことがあります。皆さんが彼らに哀れみを感じるのには理由があります。

皆さんは聖約を交わしたイエス・キリストの教会の会員です。主の教会に加わったとき,皆さんの心の中に大きな変化が生じ始めました。皆さんは聖約を交わし,一つの約束を受けました。その約束が皆さんの本質を変え始めたのです。

アルマはモルモンの泉のそばで彼自身が語った言葉によって,皆さんがバプテスマのときに約束した事柄と,それが皆さん自身と皆さんの周囲にいる一人一人,特に皆さんの家族にとって何を意味するかを説明しました。アルマは皆さんが交わしている聖約を今まさに交わそうとしていた人々に語っていました。そして彼らも,主が皆さんに約束されたのと同じ約束を受けました。

「見よ,ここにモルモンの泉がある。(この泉はこのように呼ばれていた。)あなたがたは神の羊の群れに入って,神の民と呼ばれたいと願っており,重荷が軽くなるように,互いに重荷を負い合うことを望み,

また,悲しむ者とともに悲しみ,慰めの要る者を慰めることを望み,また神に贖われ,第一の復活にあずかる人々とともに数えられて永遠の命を得られるように,いつでも,どのようなことについても,どのような所にいても,死に至るまでも神の証人になることを望んでいる。」2

これこそが,悲しみや困難の重荷を背負って前進しようともがいている人を助けたいという感情が皆さんの内にある理由なのです。皆さんは,主が彼らの重荷を軽くし,慰められるのを助けると約束しました。聖霊の賜物を受けたとき,そのような重荷を軽くするのを助ける力が与えられました。

救い主ははりつけになる少し前に,御自身がどのように重荷を軽くするのを助けられるのか,また,重荷を背負う強さをどのように与えられるのかを教えられました。主は弟子たちが悲しむようになることを御存じでした。彼らが将来を恐れ,自分たちだけで前進できるか不安になることを御存じでした。

そこで主は,わたしたちとすべての主の真の弟子たちに与えられたのと同じ約束を彼らに与えられました。

「わたしは父にお願いしよう。そうすれば,父は別に助け主を送って,いつまでもあなたがたと共におらせて下さるであろう。

それは真理の御霊である。この世はそれを見ようともせず,知ろうともしないので,それを受けることができない。あなたがたはそれを知っている。なぜなら,それはあなたがたと共におり,またあなたがたのうちにいるからである。」3

それから,こう約束されました。

「しかし,助け主,すなわち,父がわたしの名によってつかわされる聖霊は,あなたがたにすべてのことを教え,またわたしが話しておいたことを,ことごとく思い起させるであろう。

わたしは平安をあなたがたに残して行く。わたしの平安をあなたがたに与える。わたしが与えるのは,世が与えるようなものとは異なる。あなたがたは心を騒がせるな,またおじけるな。」4

この数週間,重荷が軽くされるように祈り求めていた神の子供たちの生活の中で,聖霊が送られるという約束が成就するのをわたしは目にしました。主が約束された方法によって,重荷が軽くされるという奇跡が起こりました。すなわち,主と天の御父が,主の弟子たちを助けるために,助け主である聖霊を送ってくださったのです。

最近,ある3世代の家族が,5歳の男の子の死を悼んでいました。その男の子は,家族で休日を過ごしているときに事故で亡くなりました。わたしは,再び,主が忠実な人たちを慰め,堪え忍ぶ力をお与えになる様子を見る機会をいただきました。

わたしは主がどのように彼らの重荷を軽くされるのかを見ました。わたしは主の聖約の僕として―皆さんがしばしばそうしているように―「悲しむ者とともに悲しみ,慰めの要る者を慰める」5ために彼らとともにいました。

そうすることが良いと知っていたので,祖父母から男の子の両親と彼らとわたしとで葬儀の前に話し合うように招かれたときに,わたしは喜んでそうしたいと思い,平安を感じました。

わたしは,主が彼らを慰められるのをどのようにお助けしたらよいか知るために祈りました。彼らは我が家の居間にわたしとともに腰掛けました。わたしは寒い夜に部屋を温めるために,暖炉に小さな火をくべておきました。

わたしは彼らを愛していることを伝えたいと感じていました。彼らに対する主の愛を感じていると伝えました。ほんのわずかの言葉で彼らに伝えようとしたのは,わたしは彼らに哀悼を感じるが,彼らの痛みと悲しみを自分のことのように完全に理解できる御方は主だけであるということでした。

それを言い終えると,彼らが気持ちを話している間,愛をもって耳を傾けるべきだという印象を受けました。

ともに座っている間,彼らの方がわたしより多く話しました。その口調や表情から,聖霊が彼らに触れておられるのを感じました。何が起きたのか,どう感じたのかを簡潔な証を交えながら彼らは話してくれました。聖霊はすでに彼らに,永遠の命の希望からもたらされる平安を与えておられました。罪なく死んだ彼らの息子は永遠に彼らのものとなるのです。

わたしはそれぞれに神権の祝福を授けたときに,その場に聖霊の影響があったことを感謝しました。慰め主が訪れ,わたしたち全員に希望と勇気をもたらし,強さを増し加えてくださいました。

その夜,主が御自分の民の重荷をどのように軽くされるかを目にしました。皆さんは,モルモン書の中で,荒々しい監督者たちに背負わされた重荷によって主の民が虐げられていたときのことを覚えているでしょう。

彼らは,わたしたちが愛し仕える多くの人がしているように,助けを求めて祈りました。そのときのことがこう記されています。それが事実であることをわたしは知っています。

「『またわたしは,あなたがたの肩に負わされる荷を軽くし,あなたがたが奴隷の状態にある間,あなたがたの背にその荷が感じられないほどにしよう。わたしがこのようにするのは,あなたがたがこの後,わたしのために証人になれるようにするため,また主なる神であるわたしが,苦難の中にいる自分の民を訪れるということを,あなたがたが確かに知ることができるようにするためである。』

そこで,アルマと彼の同胞に負わされた重荷は軽くなった。まことに,主は,彼らが容易に重荷に耐えられるように彼らを強くされた。そこで彼らは心楽しく忍耐して,主の御心にすべて従った。」6

わたしはそのような奇跡が起こるのを何度も何度も繰り返し見てきました。わたしたちは,主が人を強められるのを助けるときに,最もよく人の重荷を軽くすることができます。だからこそ主は,わたしたちに人を慰めることを求められたときに,いつでも,どのようなところにいても,主の証人になるように命じられたのです。

あの幼い男の子の父親と母親は,あの夜,我が家の居間で救い主についての証を述べました。聖霊が来られ,皆慰められました。両親は強さを得ました。悲しみの重荷は消えませんでしたが,悲しみを背負うことを可能にしていただきました。彼らの信仰は増しました。彼らが強さを求め,それにふさわしく生活するなら,強さは増し続けるでしょう。

その夜にもたらされた贖いに対する御霊の証は,ヨブにも,自分の重荷を背負う強さを与えました。

「わたしは知る,わたしをあがなう者は生きておられる,後の日に彼は必ず地の上に立たれる。

わたしの皮がこのように滅ぼされたのち,わたしは肉を離れて神を見るであろう。」7

御霊によるこの証こそが,堪え忍ぶ力をヨブに与えました。ヨブは,試練の時期を忠実に過ごした後に来る喜びを目にするために,嘆きの時期と周囲の人から慰めが得られない時期を過ごそうと決意していました。

それはヨブにとって真実でした。祝福がこの世でヨブにもたらされました。ヨブの話は次の奇跡で終わります。

「主はヨブの終りを初めよりも多く恵まれた。……

全国のうちでヨブの娘たちほど美しい女はなかった。父はその兄弟たちと同様に嗣業を彼らにも与えた。

この後,ヨブは百四十年生きながらえて,その子とその孫と四代までを見た。

ヨブは年老い,日満ちて死んだ。」8

将来起こる贖罪に関する御霊の証があったからこそ,ヨブは人生の目的の一部である試練を堪え忍ぶことができました。それは御父の偉大な幸福の計画の一部です。御父は御子に,贖いの犠牲を通して,わたしたちに希望を与えることを許されました。それは,御父のみもとに行く道がどれほど険しいときも,わたしたちを慰めることができるようにするためでした。

御父と御子は,旅の途中にある主の弟子たちを慰め,強めるために聖霊を遣わされます。

わたしはあの幼い男の子の葬儀が行われる教会に到着したときに,建物の外でこの慰めの奇跡を目にしました。わたしは,面識のない美しい若い姉妹に呼び止められました。彼女は,この葬儀に来たのは哀悼のためと,できるなら慰めを与えるためであると言いました。

彼女は,自分自身にも慰めが得られることを願って葬儀に来たと言いました。彼女は最近最初の子供を亡くしたのだと言いました。彼女は腕に小さくて可愛らしい女の子を抱いていました。わたしはその幼い女の子の笑顔をのぞき込みました。この赤ちゃんの母親に,この子の名前は何ですかと尋ねると,彼女は即座に元気な声でこう答えました。「この子の名前はジョイ(喜び)です。悲しみの後には必ず喜びが来ます。」

彼女はわたしに証をしていました。唯一の確かな源から彼女に平安と慰めが与えられていたことがわたしには分かりました。神だけが人の思いを御存じであり,神だけが本当の意味で「あなたの気持ちが分かる」とおっしゃることができるのです。ですから,彼女の喜びとそれに先立つ悲しみをわたしには想像することしかできませんが,彼女を愛しておられる主はそれを御存じなのです。

主が天の御父の子供に平安と喜びの機会をもたらすのを,わたしたちが主の弟子としてお助けするたびに,主が感じられる喜びはわたしたちには計り知れません。

主が僕であるわたしたち一人一人に,互いの重荷を負うように助け合うことを求めておられることを,わたしは証します。わたしたちはそうすると約束しました。主が贖いと復活により,死の縄目を断たれたことを証します。主が慰められるのをわたしたちがお助けすると固く決心した人々に,生けるキリストは慰め主である聖霊を遣わしてくださることを,わたしは証します。

わたしの母が扶助協会中央管理会の一員として20年以上前に着けていたバッジに刻まれていた次の言葉が真実であることを,皆さんは全員,わたしと同じように証することができます。「愛はいつまでも絶えることがない」9わたしは今でも,その言葉の完全な意味は分かりません。しかし,母が助けの必要な人々に手を差し伸べるのを見たときに,その一部を理解しました。聖文は次の真理を教えています。「慈愛はキリストの純粋な愛〔である。〕」10

キリストの愛は決して絶えることがありません。「悲しむ者とともに悲しみ,慰めの要る者を慰める」11という促しを,わたしたちの心が感じなくなることはないでしょう。そして,主の代わりに人々に仕えるときに,主が約束された平安がわたしたちから離れ去ることもないでしょう。

生ける主であるイエス・キリストと,慰め主である聖霊が,弱くなったひざを強め,垂れている手を上げられるのを助けるために,12皆さんが本当によく努力していることに対して,わたしは主の証人として感謝をお伝えします。わたしの人生の中で,イエス・キリストの真の弟子としてわたしを助け,祝福してくれた,女性たちに心から感謝しています。イエス・キリストの御名により,アーメン。

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