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10月 2015 | ごらんなさい。これはあなたの母です

ごらんなさい。これはあなたの母です

10月 2015 総大会

この世のどのような愛よりも,献身的な母親の子供に対する無私の愛ほどイエス・キリストの純粋な愛に近いものはありません。

皆さんとともに,ロナルド・A・ラズバンド長老とゲーリー・E・スティーブンソン長老,デール・G・レンランド長老とその伴侶の方々をこの上ない親しい交わりに歓迎いたします。

イザヤは救い主の贖罪を預言してこう記しました。「彼はわれわれの病を負い,われわれの悲しみをになった。」1 末日に与えられた荘厳な示現は,「イエスは,……世の罪を負〔う〕……ため世に来た」と強調しています。2 古代と現代の聖文はともに「〔主が〕彼らを贖い,また昔から常に彼らを負い,彼らを担った」と証しています。3 よく歌われる賛美歌は,「聞けよや……主の呼ぶ声を」とわたしたちに強く勧めています。4

負う,負われる,担う,救う。 これらは,メシヤの使命を表す力強い,励みになる言葉です。助けと希望を意味する言葉です。これらの言葉は,わたしたちが現状から望ましい状態まで無事に進むことができるよう,助けと希望が与えられることを意味します。助けなしに到達することができないからです。また,これらの言葉には重荷,苦しみ,疲労の意味が含まれています。言語に絶する犠牲を払い,倒れたわたしたちを抱き上げ,力を失ったわたしたちを背負って進み,とても無理だと思ったときにわたしたちを救い,無事に家まで送り届けてくださるという,主の使命を表すのに大変ふさわしい言葉です。主は次のように言っておられます。「父は,わたしが十字架に上げられるようにと,わたしを遣わされた。……わたしは人々によって上げられたが,そのように人々は……上げられて,わたしの前に立〔つ〕……のである。」5

しかし,これらの言葉は別の意味でも使われます。英語の 負う負われる担う抱き上げる苦労する救う に当たる言葉にはそれぞれ,産む,生まれる,身ごもる,取り上げる,陣痛,分娩などの意味もあります。イエスがまさに贖いの業を成し遂げようとされていたそのときに,ヨハネに向かって言われた「ごらんなさい。これはあなたの母です」6 という言葉は,わたしたち全員にも向けられているのです。

今日はこの壇上から,これまでにも語られた事柄について宣言します。この世のどのような愛よりも,献身的な母親の子供に対する無私の愛ほどイエス・キリストの純粋な愛に近いものはありません。イザヤがメシヤについて語ったとき,エホバの愛を表現するのに母親の無私の愛を例に挙げて尋ねました。「女がその乳のみ子を忘れ〔る〕……ようなことがあろうか。」彼は,そんなばかげたことはない,しかし主がわたしたちをお忘れになると思う方がもっとばかげていると暗に言っているのです。7

このような毅然とした愛は,「長く堪え忍び,親切であり,……自分の利益を求めず,……すべてを忍び,すべてを信じ,すべてを望み,すべてに耐え」ます。8 何よりも,そのような忠節は「いつまでも絶えることが〔ありません〕。」9 「山々が去り,丘が動いても,わたしの慈しみはあなたから去ること〔はない〕」とエホバは言っておられます。10 わたしたちの母親も同じように言うことでしょう。

母親は単に子供を産むだけではありません。子供の重荷を 一緒に 負い続けるのです。その養いは妊娠中だけでなく,母親として生涯担い続けるのです。驚異的としか言いようがありません。もちろん,中には悲しい例外もあります。しかし,大半の母親は,それが神から託された最も気高い,神聖な業であることを直観的かつ本能的に知っています。そして,その重責を知っているからこそ,特に若い母親にとって大変な重荷になることもあるのです。

最近,すばらしい若い母親から次のような手紙をもらいました。「人はどうして,自分の自由をほとんど犠牲にするほど深く子供を愛せるのでしょうか。人はどうして,責任,弱さ,不安,頭痛の種を進んで受け入れ,受け入れ続けるほど強く愛せるのでしょうか。一旦子供を授かると,人生はもう自分の自由にならないことを受け入れる人の愛とは,一体どのようなものなのでしょうか。母親の愛とは きっと 天与のものなのでしょう。それ以外に説明がつきません。母親が行う務めは,キリストの業において不可欠の要素です。それを知っていれば必然的に分かりますが,そのような愛の効果は,我慢できないレベルから至上の幸福と感じられるレベルまでさまざまです。そのような経験は幾度となく繰り返され,地上に来た霊の子の最後の一人が無事救われるまで続くのです。〔そのときには,〕わたしたちはイエスと声を合わせてこう言うことができます。『〔父よ,〕わたしは,わたしにさせるためにお授けになったわざをなし遂げ……ました』と。11

このすばらしい手紙を念頭に置きながら,わたしがここ数週間行った務めの中で目にした母親のすばらしい影響力についてお話ししましょう。

最初の話は警告的な例で,母親の努力が必ずしも順調に実るわけではないこと,少なくともすぐに成果が得られるわけではないことを示唆するものです。これは50年来の愛する友人との会話です。彼は心の中では真実と知っていたものの,教会を離れたまま死を迎えようとしていました。わたしがどんなに慰めようとしても,彼は平安を得られないようでした。最後に彼はこう言いました。「ジェフ,神の御前に立つのはわたしにとってとても苦しいことだろうと思う。だけど,母の前に立つことを考えると耐えられないんだよ。母にとって福音と子供が全てだった。わたしのために母はとても心を痛めた。それを思うと,わたしの心は張り裂けそうになるんだ。」

彼が亡くなった後,母親は腕を広げ,愛情を込めて迎えたことだろうとわたしは確信しています。親とはそういうものだからです。しかし,この話を通して警告したいことは,子供によって母親の心が痛むことが ある ことです。この点でも,天の業とよく似ています。御存じのように,イエスは世の罪を負ったことによる疲労と疲弊から,心臓が砕けて亡くなられました。ですから,誘惑に遭ったときは,救い主だけでなく「〔わたしたち〕の母」に目を向けて,わたしたちの罪のせいで悲しませることがないようにしましょう。

次に,ふさわしい状態で伝道に出たのに伝道半ばで帰還した青年について話しましょう。彼は同性に引かれる問題と,それに関連して経験したトラウマのために自ら帰還することを選んだのです。ふさわしさは保っていたものの,彼の信仰は危機的状況にありました。日を追うごとに情緒的な苦しみは深まり,霊に覚える苦痛も増していきました。彼は心痛,混乱,怒り,絶望を順繰りに味わっていました。

彼の伝道部会長,ステーク会長,ビショップが彼を助けようと,長い時間をかけて思い巡らし,涙し,彼に祝福を授けました。しかし,彼の心の傷の多くがあまりにも個人的だったので,人に打ち明けられないでいたものが幾つかありました。彼の愛する父親は全身全霊を傾けて息子を助けようとしましたが,多忙を極める仕事のために,母親と息子だけで,魂の長く暗黒の苦闘に対峙しなければなりませんでした。昼も夜も,何週間も,何か月も,何年も,二人は一緒に,癒やしを受ける道を探し求めました。時には(ほとんどは彼が,時折彼女が)反感を感じることも,(ほとんどは彼女が,時折彼が)恐れることもありましたが,母親が息子に神の力と教会について,特に神が彼を愛しておられることについて証を述べました。この「述べる」に当たる言葉も,英語では,先ほど出たすばらしい「負う」と同じ言葉です。また彼女は,息子に対する彼女自身の変わらない不滅の愛を証したのです。イエス・キリストの福音と家族という,自分の存在に関わる絶対に重要で不可欠な2本の柱を一つにして,彼女はとめどなく心を注ぎ出して祈りました。断食をし,泣き,また断食して,息子が胸の張り裂けそうな思いを打ち明けるたびに耳を傾け続けました。このようにして,彼女は再び彼の養いを担ったのです。ただ,今度は10か月ではありません。今回,息子を絶望の淵から連れ戻す努力は永遠に続くだろうと彼女は思っていました。

しかし,神の恵みと母親の不屈の精神,そして多くの教会指導者と友人,家族,専門家の助けによって,この粘り強い母親は息子が約束の地に戻るのを見届けることができました。悲しいことに,さまざまな状況にある子供について悩む全ての親にそのような祝福が与えられていないこと,または少なくともまだ与えられていないことを,わたしたちは承知しています。しかし,ここに希望があります。そして,わたしはこの息子の場合も,彼の性的指向が奇跡的に変わったわけではないことを申し上げなければなりません。変わるとは誰も思っていませんでした。しかし,彼の心は少しずつ変わったのです。

彼は再び教会の集会に出席し始めました。進んで,そしてふさわしい状態で聖餐を受けるという選択をしました。もう一度神殿推薦状を取得し,早朝セミナリーの教師の召しを受けて,すばらしい奉仕をしました。それから 5年 たった今,彼は自ら希望して教会の少なからぬ協力を得,主への奉仕を全うするべく伝道地に戻っています。わたしは,問題を解決し信仰を守るためにこの青年とその家族が示した勇気と誠実さと固い決意を思い,涙しました。彼は自分が戻って来られたのは本当に多くの人々のおかげだと知っています。しかし,最大の恩人はメシヤの属性を持った二人だということを知っています。その二人は彼を負い,担い,彼とともに働き,彼を救ってくれたからです。二人とは,彼の救い主,主イエス・キリストと,固い決意と赦しの心を持った,清廉そのものの彼の母親です。

最後に,わずか3週間前に行われたメキシコ・メキシコシティー神殿の再奉献式での話です。その感動的な奉献式で,わたしとヘンリー・B・アイリング管長は,わたしたちの愛する友人リサ・タトル・パイパーが立ち上がるのを見かけました。しかし彼女は,少し苦労しながら立っていました。非常に重い障がいを抱える愛娘ドラを右手で支え,もう一方の手をドラの不自由な手に添えて,この身体的に問題のある,永遠の価値を持つ神の娘が白いハンカチを振って,自分自身と天の御使いにしか聞き取れないようなうめき声で「ホサナ,ホサナ,ホサナ,神と小羊に」と叫ぶのを手伝っていたからです。12

世界中の過去,現在,そして将来の母親の皆さん,皆さん全員に申し上げます。「ありがとうございます。子供を産み,魂と人格を形作り,キリストの純粋な愛を示してくださり,感謝します。」母なるエバ,サラ,リベカ,ラケル,ナザレのマリヤ,そして天のお母様に申し上げます。「永遠の目的を達成するためにきわめて重要な役割を果たしてくださり,感謝します。」困難を抱えている方を含め,あらゆる状況にある全ての母親に申し上げます。「平安がありますように。どうぞ神と自分を信じてください。皆さんは自分で思うより,よくやっています。皆さんは実にシオン山における救い手であり,13 皆さんが従っている主と同じように,皆さんの愛は『いつまでも絶えることが〔ありません〕』。14 」最高の賛辞を贈ります。イエス・キリストの御名により,アーメン。

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