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10月 2017 | 主は御自分の教会を導かれる

主は御自分の教会を導かれる

10月 2017 総大会

主が御自分の教会を導かれるには,世界中で主に奉仕するすべての人々の深く揺るぎない信仰が必要です。

神の神権を持つ,愛する兄弟の皆さん,今晩,わたしは主がこの地上において御自分の教会を導かれるすばらしい方法について話したいと思います。皆さんは基本的な原則をすでに知っています。聖霊がそれらの原則への確認を皆さんに与えてくださるよう祈っています。

第1に,イエス・キリストは全世界における教会の長であられます。

第2に,イエス・キリストは預言者として召された人に語りかけることによって,御自分の教会を導かれます。また主はそれを,啓示を通して行われます。

第3に,イエス・キリストは昔も今も,また将来も預言者に啓示を与えられます。

第4に,イエス・キリストは預言者の指導のもとで奉仕する人に確認をもたらす啓示を与えられます。

これらの基本原則から,主が御自分の教会を導かれるには,世界中で主に奉仕するすべての人々の深く揺るぎない信仰が必要であることが分かります。

例えば,復活された主は御自分の王国で日々何が起こっているのか詳しく知っておられると信じるには信仰が必要です。主は信任される地位に不完全な人を召されると信じるには信仰が必要です。主は御自分が召される人を,その人の能力も可能性も含めて,すべて完全に知っておられるので,召しを間違えることはないと信じるには信仰が必要です。

そう聞くと,苦笑いをしたり,首を横に振ったりする人がいるかもしれません。自分が現在の召しで奉仕するよう召されたのは間違いだったかもしれないと思っている人や,主の王国における責任を果たすのにあの人はふさわしくないと思っている人たちです。どちらの人であれ,わたしからの助言はこうです。主が見ておられるように見ることができるようになるまで,そのような判断は先送りにしてください。むしろ,皆さんが下すべき判断は,自分には啓示を受け,その啓示に従って恐れることなく行動する能力があるということです。

それができるようになるには信仰が必要です。また,主は皆さんを導くために不完全な人間である僕を召される,と信じるにはさらに大きな信仰が必要です。今晩のわたしの目的は,皆さんが神に仕えるときに,神が導かれるという皆さんの信仰を育むことです。さらにもっと大切なことで,わたしが願っているのは,主は皆さんの指導者として御自分が召された不完全な人間に霊感をお与えになるという皆さんの信仰を育むことです。

そのような信仰は,主の教会と王国が成功を収めるうえで重要ではないと,始めは思うかもしれません。しかし,主の預言者であれ,新しく召されたアロン神権者であれ,どのような神権の召しを受けて奉仕していようと,そのような信仰が不可欠であると気づくことでしょう。

まずは,教師定員会または執事定員会の会長にとって信仰がどのような意味を持つのか,考えてみましょう。彼は,自分の弱点と長所を知ったうえで,主は自分を個人的に召されたという信仰を持つ必要があります。自分に召しを与えた人が神の御霊によって啓示を受けたという信仰を持たなければなりません。恐れることなく自信を持って会長に従うために,顧問や定員会の会員にも同じような信仰が必要です。

わたしはそのような自信を,ある日曜日の朝に執事定員会会長会と一緒に座っていた一人の少年に見ました。その少年は会長会の書記として召されたばかりでした。その若い会長会はともに評議しました。一人のあまり活発でない少年を教会に呼び戻すという,ビショップの要望にこたえる幾つかの方法について話し合いました。祈り,話し合った結果,会長会により選ばれた書記が,集会に一度も来たことのない少年の家に行き,教会に招くことになったのです。

書記はこの少年のことを知りませんでしたが,この少年の両親の一人はあまり活発でなく,もう一人は会員でなく,友好的でもないことを知っていました。彼は不安になりましたが,恐れませんでした。失われた羊を呼び戻すよう,神の預言者が神権者に求めていることを知っていました。また会長会が自分のために祈っているのを聞きました。助けを必要としているこの少年の名前と自分自身の名前について会長会の意見が一致するのを聞きました。

書記がこのあまり活発でない少年の家に向かって歩く様子をわたしは見守っていました。まるで非常に危険な場所に入るかのように,ゆっくりと歩きました。しかし,30分ほどで通りに出てきたときはそのあまり活発でない少年と一緒で,幸せそうにほほえんでいました。この書記は,そのとき理解していたかどうかは分かりませんが,自分は主の用向きを受けているという信仰を持って出かけたのです。その信仰はその後も残り,宣教師,父親,若い男性の指導者,ビショップとして過ごした年月に深まりました。

ビショップにとって信仰がどのような意味を持つのか,考えてみましょう。ビショップは自分ことをよく知っている人に仕えるよう召されることがあります。ワードの会員たちは,このビショップの人間的な弱点や霊的な強さを知っていますし,ビショップに召されてもよかったワードのほかの会員,つまりもっと学歴が高く,経験豊富で,快活な,見た目も格好のいい人を知っています。

これらの会員たちは,ビショップとして奉仕する召しが,主から啓示によって与えられたことを知る必要があります。会員たちの信仰がなければ,神に召されたビショップであっても,彼らを助けるのに必要な啓示が受けにくくなります。自分を支持してくれる会員たちの信仰がなければ成功することはできないのです。

幸いなことに,その逆もまた真実なのです。主の僕であり,自らの民を悔い改めへと導いたベニヤミン王のことを思い出してください。人間的な弱点があったとしても王は神に召されたという信仰,王の言葉は神から来るという信仰のゆえに,民の心はやわらぎました。​民が何と言ったか覚えているでしょう。「そのとおり,わたしたちは,王がわたしたちに語ってくださった言葉をすべて信じています。……全能の主の御霊のおかげで,わたしたちは王の言葉が確かで真実であることを知っています。御霊は,わたしたちが悪を行う性癖をもう二度と持つことなく,絶えず善を行う望みを持つように,わたしたちの中に,すなわちわたしたちの心の中に大きな変化を生じさせてくださいました。」(モーサヤ5:2

指導者が主の業において成功を収めるには,その指導者が神に召されているという人々の信頼が,その指導者の欠点や人間的な弱点に対して抱いている人々の思いを凌駕しなければなりません。ベニヤミン王が指導者としての自分自身の役割をどのように説明したか,覚えているでしょう。

「わたしがあなたがたに,ここに来るように命じたのは,あなたがたにわたしを畏れさせるためでもなければ,わたしが死すべき人間以上の者であると思わせるためでもない。

わたしはあなたがたと同じで,心身ともにあらゆる弱さを持っている。それでもわたしは,この民を治める統治者となり王となるように,この民に選ばれ,父によって任じられ,主の御手によって認められた。そして,主から授かった勢力と思いと力を尽くしてあなたがたのために努めるように,主のたぐいない力によって守られてきたのである。 」(モーサヤ2:10-11

主の教会における皆さんの指導者は,皆さんの目に,弱く,人間的に見えることもあれば,強く,霊感を受けているように見えることもあるでしょう。実は,どの指導者もそういった特質やその他の特質を合わせ持っているものなのです。わたしたちを導くよう召された主の僕たちにとって助けとなるのは,主が彼らを召されたときに主が彼らをご覧になったように,わたしたちも彼らを見ることができるときです。

主は御自分の僕たちを完全に理解しておられます。その可能性と未来を理解しておられます。また,まさしくその性質が変えられることを御存じです。自分が導く人との様々な経験を通じて,指導者がどのように変わり得るのかも御存じです。

皆さんは自分が仕えるように召された人々によって強くされた経験があったかもしれません。わたしはヤングシングルアダルトのビショップに召されたことがあります。主の目的が,彼らにわたしがもたらすことのできる変化のためだったのか,それとも彼らがわたしにもたらすことのできる変化のためだったのか,わたしにはよく分かりません。

自分にはよく理解できないのですが,このワードの青年のほとんどは,わたしが特に彼らのために神に召されたかのように振る舞ってくれました。わたしの弱点を見ても,受け流してくれました。

一人の青年から教育の選択について助言を求められたことを覚えています。彼はとても優秀な大学の一年生でした。わたしが彼に助言を与えた1週間後,彼はわたしと会う約束を作りました。

ビショップ室にやって来た彼にこう尋ねられて驚きました。「ビショップ,話す前に一緒に祈ってもらえますか。ひざまずいてもいいですか。わたしが祈ってもいいですか。」

そのお願いにわたしは驚きました。しかし,彼の祈りにはもっと驚きました。こんなふうに祈ったのです。「天のお父様,先週アイリングビショップがわたしに助言をしてくれましたが,効果がなかったことは御存じでしょう。どうぞ彼に,わたしが今なすべきことを理解できるよう霊感をお与えください。」

これを聞いて皆さんは笑うかもしれませんが,わたしは笑いませんでした。彼は主が彼に何をしてほしいと望んでおられるのかすでに知っていたのです。しかし,主の教会におけるビショップの職を尊び,恐らく,その召しにあって啓示を受けるという,より大きな自信を得る機会にあずかってほしいと望んだのかもしれません。

でも,今度は効果があったのです。立ち上がって席に腰掛けると,必要な啓示が与えられました。わたしは主が彼にするよう望んでおられると感じたことを告げました。彼は当時18歳でしたが,霊的には成熟していました。

そのような問題についてビショップに助言を求める必要はないということをすでに理解していたのですが,主の僕を人間的な弱点があっても支持することを学んでいたのです。彼はやがてステーク会長となりました。彼はわたしたちがともに学んだ教訓を心に刻みつけました。もし皆さんに,主は御自分が召された不完全な僕たちに対する啓示を通して教会を導かれるという信仰があるならば,主は彼らのために天の窓を開いてくださったように,皆さんのためにも天の窓を開いてくださるのです。

その経験からわたしは教訓を学びました。わたしたちの仕える人々の信仰が,時としてわたしたちの信仰よりも勝って,主に仕えるときに啓示をもたらすのです。

わたしにとってもう一つの教訓があります。最初に良い助言を与えられなかったことで,あの青年がわたしを裁いていたら,再びわたしのもとに来て尋ねることはなかったでしょう。ですから,わたしを裁かなかったことで,彼は自分の望んでいる確認を受けたのです。

しかし,その経験から得たもう一つの教訓は,わたしに良い結果をもたらしてくれました。わたしの知るかぎり,わたしが最初は適切な助言を与えなかったことを,彼は決してワードのだれにも言いませんでした。もし言っていたら,このワードでビショップの霊感を信頼するという信仰は弱められたかもしれません。

わたしは主の僕を裁いたり,彼らの表面的な弱点について話したりしないように努めています。また,子供たちに対し,そのことを模範によって教えるよう努力しています。ジェームズ・E・ファウスト管長は,わたしが実践しようと努力している信条を紹介してくれました。皆さんにもそれをお勧めします。

「地元の指導者も支え,支持する必要があります。なぜなら,彼らも『召され,選ばれ』ているからです。この教会の会員は皆,ビショップや支部会長,ステーク会長,伝道部会長,大管長,大管長を補佐する人たちから勧告を受けます。彼らは自分から召しを求めたわけではありません。だれも完全ではありません。けれども,霊感を受ける資格のある人たちを通して,主から召された主の僕です。召され,支持され,任命された人には会員の支持を受ける権利があるのです。

……宗務指導者を軽んじた多くの人は霊的な衰退と堕落を味わってきました。わたしたちを管理するよう召された人々の欠点や落ち度,短所へのわだかまりを捨てて,任じられているその職を支持しなければなりません。」(「召され,選ばれた者」『リアホナ』2005年11月号,54-55)

この助言はあらゆる状況のもとで神の僕たちに祝福をもたらしてくれます。

主の教会の初期の時代に,預言者ジョセフ・スミスの身近にいた指導者たちは預言者のあら探しをし始めました。主の御心を行うジョセフを目にし,知っていたにもかかわらず,批判と嫉妬の気運が疫病のように広まりました。しかし,十二使徒の一人が,主の王国で奉仕するつもりであれば,わたしたちが守るべき信仰と忠誠の標準を示してくれました。

次のような報告があります。「何人かの長老たちがジョセフ・スミスを堕落した預言者であると考える人々を招いて神殿で集会をした。目的はデビッド・ホイットマーを新たな指導者として擁立することであった。……預言者を批判する発言があった後にブリガム〔・ヤング〕は立ち上がり,こう証した。『ジョセフは預言者です。わたしはそれを知っています。彼を罵倒し中傷する人は気の済むまでそうすればいい。しかし,神の預言者としての召しを滅ぼすことはできません。そうしようとすれば自分の権能を滅ぼし,神の預言者とつながっていた糸を自らの手で断ち切り,地獄に落ちていくのです。」(『時満ちる時代の教会歴史 生徒用手引き』 〔教会教育システム手引き,2003年〕,第2版,174;『歴代大管長の教え-ブリガム・ヤング』79も参照)

奉仕するときに,わたしたちを主につなぐ糸があります。この糸は,何であれわたしたちが王国で奉仕するよう召されている責任から,わたしたちを神権にあって管理するよう召されている人たちへ,そしてさらには主とつながる預言者まで走る糸です。召された責任にあって奉仕し,主は自分たちと自分たちを管理する人たちを召しておられると信じ,そのような人たちを完全な信仰をもって支持するには信仰と謙虚さが必要です。

カートランドの時代と同様,今後も,主に召された責任にあって奉仕するために,また主が召された預言者と指導者に忠実であるために,ブリガム・ヤングのような信仰と高潔さを求められることがあるでしょう。

厳粛に,また喜びをもって皆さんに証します。主イエス・キリストこそこの教会の頭であられます。主は御自分の教会と僕たちを導いておられます。トーマス・S・モンソンが,この時代にこの地上において聖なる神権のすべての鍵を保有し,行使することのできる唯一の人であることを証します。加えて,イエス・キリスト御自身が導いておられるこの回復された教会にあって,心から喜んで,また熱心に奉仕する謙遜な僕たちのうえに祝福が注がれるよう祈ります。ジョセフ・スミスが父なる神とイエス・キリストにまみえたことを証します。御二方はジョセフに語られました。天の御父のすべての子供たちに祝福をもたらすべく神権の鍵が回復されました。主の大義を推し進める中で,与えられた責任にあって奉仕することがわたしたちの使命であり務めです。イエス・キリストの御名によって,アーメン。