10月 2018 | 教会の正しい名称

    教会の正しい名称

    10月 2018 総大会

    イエス・キリストは,教会を主の御名で呼ぶように指示されました。なぜなら,主の力に満ちた主の教会だからです。

    愛する兄弟姉妹の皆さん,この美しい安息日にわたしたちはともに主からたくさん祝福を受けて喜びを感じています。回復されたイエス・キリストの福音に対する皆さんの証と,主の聖約の道を歩み続けるため,またはその道に戻るために払ってきた犠牲と,主の教会での皆さんの神聖な奉仕に心から感謝します。

    今日,わたしはとても大切なことについて話さなければならないと感じています。何週間か前に,わたしは教会の名称に関する軌道修正の声明を発表しました。1そうしたのは,御自身の教会のために定められた名称,すなわち「末日聖徒イエス・キリスト教会」という名称の重要性を,主がわたしの心に深く刻みつけられたからです。2

    皆さんの予想どおり,この声明と更新された表記のガイドラインに対する反応は様々でした。3多くの会員は自分のブログとソーシャルメディアのページですぐに教会の名称を変えてくれました。一方で,世の中でほかにいろいろなことが起こっているのに,どうしてそのような「ささいなこと」を強調する必要があるのかといぶかしく思う人もいました。そんなことはできないから,やる意味がないと言う人たちもいました。どうしてこれがそれほど大切なのかを説明しましょう。最初に,これはどういうことでないのかを話します。

    • 名前を変えるのではありません

    • ブランドを変えるのでもありません

    • 表面的な変更でもありません

    • 気まぐれな変更でもありません

    • ささいなことでもありません

    そうではなく,誤りを正すことなのです。これは主がお命じになったことなのです。ジョセフ・スミスを通して回復された教会を,ジョセフ・スミスは命名しませんでしたし,モルモンも命名していません。「わたしの教会は,終わりの時にこのように,すなわち末日聖徒イエス・キリスト教会と呼ばれなければならない」4とおっしゃったのは救い主御自身でした。

    それよりもさらに前,紀元34年に,復活された主は,アメリカ大陸の主の教会の会員たちを訪れたときに同じような教えを与えられました。そのとき主はこう言われました。

    「あなたがたは教会をわたしの名で呼びなさい。……

    わたしの名で呼ばれなければ,どうしてわたしの教会であろうか。ある教会がモーセの名で呼ばれれば,それはモーセの教会である。あるいは,ある人の名で呼ばれれば,それはその人の教会である。しかし,わたしの名で呼ばれ……れば,それはわたしの教会である。」5

    したがって,教会の名称を変えることはできません。主が御自分の教会の名称を明言されたときに,その名で「呼ばれなければならない」とまでおっしゃったのです。主にとってとても大切なことです。そしてわたしたちがニックネームの使用を容認したり,自分でも採り入れたり,ましてや奨励したりするようなことがあれば,主は悲しまれます。

    名称またはこの場合にはニックネームには,どんな要素があるでしょうか。「LDS教会」「モルモン教会」「末日聖徒教会」などの教会のニックネームに関して言えば,ここでいちばん重大なことは救い主の御名が抜けてしまっていることです。主の教会から主の御名を取り除くのはサタンにとって大きな勝利です。わたしたちは主の御名を切り捨てるとき,イエス・キリストがしてくださったすべてのことを暗にないがしろにしているのです。主の贖いさえもです。

    主の見地から考えてみてください。前世で主はエホバ,すなわち旧約聖書の神でした。御父の指示の下に,イエス・キリストは地球とそのほかの世界を創造されました。6主は御父の御心に従うことを選ばれ,神のすべての子供たちのためにほかのだれもできないことをすることを選ばれました。肉における御父の独り子として地上に降られ,冷酷にののしられ,あざけられ,つばきを吐きかけられ,鞭で打たれたのです。ゲツセマネの園で,救い主は皆さんとわたし,そしてこれまでに地上に生を受けた,あるいはこれから生を受けるすべての人々が経験するあらゆる痛み,あらゆる罪,そしてすべての悩みと苦しみを,御自分の身に受けられました。その堪え難い重荷のゆえに,主はすべての毛穴から血を流されました。7残酷にもカルバリで十字架につけられると,このすべての苦しみは,さらに激しさを増しました。

    このような堪え難い経験とそれに続く主の復活という,無限の贖罪を通して主はすべての人に不死不滅を与えられ,また悔い改めを条件としてわたしたち一人一人を罪の結果から解放してくださいました。

    救い主の復活と使徒たちの死後,世の中は何百年もの暗黒の時代に入りました。そして1820年に,父なる神と御子イエス・キリストが預言者ジョセフ・スミスに御姿を現されて,主の教会の回復が始まったのです。

    主がこれほどのことに耐え,これほどのことを人類のためにしてくださったにもかかわらず,わたしたちが無意識のうちに主の回復された教会がほかの名称,つまりイエス・キリストの神聖な御名が除かれた名称で呼ばれることを黙認してしまったことが,深く悔やまれます。

    毎週日曜日にふさわしい状態で聖餐を受けるとき,わたしたちは進んで御子イエス・キリストの御名を受けるという天の御父との神聖な約束を新たにします。8御子に従い,悔い改め,御子の戒めを守り,いつも御子を覚えていることを約束します。

    わたしたちは主の御名を主の教会の名称から外すとき,気づかないうちにを自分の人生の中心から外してしまっています。

    救い主の御名を受けるということには,行いと言葉を通して,周りの人にイエスがキリストであられることを宣言し,証することが含まれます。わたしたちのことを「モルモン」と呼ぶ人の気分を害するのを恐れるあまり,救い主の御名を冠する教会の名称についてすら,救い主を擁護してこなかったのでしょうか。

    もし民として,そして個人としてイエス・キリストの贖いの力,つまり清め,癒し,強め,大いなる者とし,最終的に昇栄させる力を受けるのであれば,わたしたちは主をその力の源としてはっきりと認めなければなりません。最初にできることは,主の教会を主が定められた名称で呼ぶことです

    世の多くの人々は,現在,主の教会を「モルモン教会」だと思い込んでいます。しかし,主の教会の会員としてわたしたちは,どなたがこの教会の頭として立っておられるかを知っています。それはイエス・キリスト御自身です。残念なことに,多くの人はモルモンという言葉を聞くとわたしたちがモルモンを礼拝していると思うかもしれません。これはまったく違います。わたしたちはその偉大な古代アメリカの預言者を尊び,敬意を払いますが,9モルモンの弟子ではありません。主の弟子なのです。

    教会が回復された初期の時代,モルモン教会モルモンという言葉10は,悪意とののしりを込めた蔑称としてしばしば使われており,その意図するところは,この末日にイエス・キリストの教会を回復するために働いた神の御手を完全に見えなくさせることでした。11

    兄弟姉妹の皆さん,教会の正しい名称を回復することに対してこの世的な議論がたくさんあります。わたしたちの生きているデジタルの世界では,必要な情報をほぼ即時に見つけられるようにサーチエンジンが最適化されています。それには主の教会の情報も含まれています。そのために,評論家は今の時点で名称を正すのは賢明ではないと言います。また,「モルモン」とか「モルモン教会」として広く知られているのだからそれを最大限に活用すればいいと感じる人たちもいます。

    もしこれが人が作った組織のブランド戦略の話なら,そのような議論が優勢になるかもしれません。しかしこのきわめて重大な問題に関して,わたしたちはこの教会の頭であられる主を仰ぎ見て,主の道は今も将来も人の道とは異なることを認めているのです。忍耐をもってすべきことをきちんと行えば,主はこの重大な問題を切り抜けられるよう導いてくださいます。詰まるところ,ニーファイが海を渡るための船を作るという責任を果たせるように主が助けてくださった12と同じように,主の御心を行おうとする者を主が助けてくださることをわたしたちは知っているのです。

    この誤りを正すうえで礼儀正しく忍耐強くありましょう。責任能力の高いメディアはわたしたちの要請に思いやりのある対応をしてくれるでしょう。

    以前の総大会で,ベンハミン ・ デ ・ オヨス長老がそうした出来事について話しました。このような話です。

    「〔何年か前に〕メキシコの教会広報部で奉仕していたとき,〔わたしと同僚は〕ラジオのトークショーに招かれました。〔番組のディレクターの一人が〕こう尋ねました。『どうして教会の名称はそんなに長いのですか?……』

    わたしたちはまたとない質問を受けて笑みを浮かべると,教会の名称は人が付けたものではないことを説明しました。それは主から与えられたものです。……すると司会者はすぐさま敬意を表して『喜んでその名称を使わせていただきます』と答えました。」13

    この報告から学べる法則があります。長い年月をかけて徐々に定着してしまった誤りを正すためには,わたしたちが一つ一つに全力を尽くすことが求められるでしょう。14世の人々は教会を正しい名称で呼ぶというわたしたちの取り組みに倣ってくれるかもしれませんし,そうならないかもしれません。しかし,もしわたしたちが教会と教会員を間違った名称で呼ぶなら,世の人々の多くが同じように呼ぶことに対して不満に思うのは,誠実ではありません。

    更新された表記のガイドラインが役に立つでしょう。こう書いてあります。「最初に言及するときは,教会の正式名称,『末日聖徒イエス・キリスト教会』が望ましいです。短縮した表現が必要な場合は,『教会』または『イエス・キリスト教会』という言葉が推奨されます。『回復されたイエス・キリストの教会』も正確であり,使用を推奨します。」15

    もしだれかから「あなたはモルモンですか」と尋ねられたら,このように答えられます。「末日聖徒イエス・キリスト教会の会員であるかと問われているのでしたら,はい,そうです。」

    「末日聖徒ですか」16と尋ねられたら,このように答えてもいいでしょう。「はい,そうです。わたしはイエス・キリストを信じていて,キリストの回復された教会の会員です。」

    愛する兄弟姉妹の皆さん,わたしたちが主の教会の正しい名称を回復するために全力を尽くすならば,この教会の頭(かしら)である主は末日聖徒の頭(こうべ)に,わたしたちが今まで見たことのないような力と祝福を注いでくださる17ということを,皆さんに約束します。わたしたちは,必要な神の知識と力を持つようになるでしょう。そしてイエス・キリストの回復された福音の祝福をあらゆる国民,部族,国語の民,民族に携えて行き,世を主の再臨に備えさせるでしょう。

    では,名称にはどんな要素がありますか。主の教会の名称に関して言えば,その答えは「すべて」です。イエス・キリストは,教会を主の御名で呼ぶように指示されました。なぜなら,主の力に満ちた主の教会だからです。

    わたしは神が生きておられることを知っています。イエスはキリストです。主は今日御自分の教会を導いておられます。このことを,イエス・キリストの聖なる御名によって証します,アーメン。

    参照箇所を表示する参照箇所を非表示にする

      1. 「主はわたしの心に,主が御自身の教会のために啓示された名称,すなわち『末日聖徒イエス・キリスト教会』という名称の重要性について,強い印象を与えられました。わたしたちの前には,主の御心にわたしたち自身を調和させるという務めがあります。この数週間,教会の様々な指導者や部門が,そのための必要なステップを開始しました。この重要な事柄に関する詳しい情報は,来月以降に提供される予定です。(ラッセル・M ・ネルソン 「教会の名称に関する声明」〔公式声明,2018年8月16日〕mormonnewsroom.org)

      2. 過去の大管長も同じような要請をしている。例えば,ジョージ・アルバート・スミス大管長はこう話した。「この教会をモルモン教会と呼ぶことによって,主をがっかりさせないでください。主は教会をモルモン教会と呼ばれませんでした。」(in Conference Report, Apr. 1948, 160)

      3. 「表示ガイド—教会の名称」mormonnewsroom.org参照

      4. 教義と聖約115:4

      5. 3ニーファイ 27:7-8

      6. モーセ1:33参照

      7. 教義と聖約19:18参照

      8. モロナイ4:3教義と聖約20:37,77参照

      9. モルモンはモルモン書のおもな筆者4人のうちの一人。ほかの3人はニーファイ,ヤコブ,モロナイである。この4人は全員が主にまみえた証人であり,それは霊感を受けて翻訳をした預言者ジョセフ・スミスも同様であった。

      10. 「モルモン人」という言葉さえあざけりの言葉として使われた(see History of the Church, 2:62–63, 126)。

      11. 蔑称が使われた例は,ほかに新約聖書の時代に見られたようである。使徒パウロはペリクスの法廷に立ったときに,「ナザレ人らの異端のかしら」と言われている(使徒24:5)。「ナザレ人」という言葉の使用についてある人はこう書いている。「この呼称は通常クリスチャンを侮辱するために使われた。そのように呼ばれたのはイエスがナザレ出身だったからである。」(Albert Barnes, Notes, Exlplanatory and Practical, on the Acts and Apostles [1937], 313)

        同様に,別の注釈にもこうある。「わたしたちの主を人々が侮辱を込めて『ナザレ人』と呼んだように(マタイ26:71),ユダヤ人は主の弟子たちも『ナザレ人』であるとした。弟子たちがクリスチャン,つまりメシヤの弟子であると認めようとはしなかったのである。」 (The Pulpit Commentary: The Acts of the Apostles, ed. H. D. M. Spence and Joseph S. Exell [1884], 2:231)

        同様のことをニール・A・マックスウェル長老も述べている。「聖典に書かれた歴史を見れば,預言者たちを追い払うために彼らの面目をつぶすようなことをしたり,その影響力を殺ぐためにあしざまに言ったりしたことが分かります。しかし,ほとんどの場合,預言者たちはただ単に同時代の人々と世俗的な歴史から無視されました。結局のところ,初期のクリスチャンは『ナザレの一宗派』としか見なされませんでした(使徒24:5)。」(「人に知られぬ所より『聖徒の道』1985年1月号,10参照)

      12. 1ニーファイ18:1-2参照

      13. ベンハミン・デ・オヨス「召された聖徒『リアホナ』2011年5月号,106

      14. わたしたちはどう呼ばれるかについてはどうにもできないが,自分自身をどう呼ぶかについては完全に自分の意志で決めることができる。もしわたしたち会員が教会の正しい名称を尊重しなかったならば,どうやってほかの人たちにそれを尊重してもらうことができるだろうか。

      15. 表示ガイド—教会の名称」mormonnewsroom.org

      16. 聖徒という言葉は聖書でしばしば使われる。例えば,パウロが書いたエペソ人への手紙では,すべての章で聖徒という言葉を少なくとも1回は使っている。聖徒とはイエス・キリストを信じて,キリストに従おうと努力する人のことである。

      17. 教義と聖約121:33参照