ロバート・D・ヘイルズ長老

(1932-2017年)

高潔な人生


1994年以来十二使徒定員会の会員として,また1985年から十二使徒に召されるまで教会の管理ビショップとして奉仕してきたロバート・D・ヘイルズ長老は,2017 年 10 月 1 日 に死去しました。妻であるメアリー・クランドール・ヘイルズと2人の息子を残して逝きました。

ロバート・D・ヘイルズ長老

ロバート・D・ヘイルズ長老は,1950年代に米国空軍でジェット戦闘機のパイロットとして働きました。飛行中隊には,隊員の士気を高揚させるためのモットーがありました。

「わたしたちの中隊のモットーは『名誉の帰還』というもので,その言葉は機体の側面に記されていました。」1990年当時,管理ビショップを務めていたヘイルズ長老は神権者に向けてこう語りました。「わたしたちはこのモットーを見るたびに,全力を尽くし,余すところなく完全に任務を果たして基地に帰るという決意をいつも新たにしたのです。」2

 

1950年代,米国空軍でジェット戦闘機のパイロットとして働いたロバート・ヘイルズ。生涯を通じ,「名誉の帰還」というかつて自分が所属していた飛行中隊のモットーを実践した。

ヘイルズ長老は,名誉の帰還について度々語りました。天の御父の子供たちは皆,人生においてこのモットーを実践するなら,永遠の命に至る道に沿って歩むときに助けを受けることができると確信していました。わたしたちには日々果たすべき使命があるので,「自分は何者であるかということ,また家族とともに天の御父のみもとに『名誉の帰還』をするという永遠の目標を覚えておく必要がある」とヘイルズ長老は教えています。3

夫,父親,企業の役員,また40年以上にわたり末日聖徒イエス・キリスト教会の中央幹部として責任を果たす中で,ヘイルズ長老は自分が何者であるかを覚え,その理解に基づいて行動しました。その忠実さ,従順,勤勉,奉仕を通じて,あの飛行中隊のモットーを現世の生涯にわたり実践したのです。

固い絆で結ばれた家族

ロバート・ディーン・ヘイルズは,1932年8月24日,アメリカ合衆国ニューヨークシティーにて,J・ルーロン・ヘイルズとベラ・マリー・ホルブルック・ヘイルズ夫妻の第3子として生まれました。3人きょうだいの末っ子です。ロバートはロングアイランド近郊で,福音を中心とした家庭で育てられました。両親は,ステーク宣教師を含む様々な教会の責任を果たしました。毎週日曜日になると,一家はクイーンズワードへ出席するために約30キロの道のりを移動しました。

「固い絆で結ばれた家族でした」とヘイルズ長老は振り返ります。ヘイルズ長老は,子供の頃の家庭を「美しい成長の場」であり,家族を「力の源」と呼びました。4

両親が示した良い模範は,ヘイルズ長老の生涯を導くものとなりました。5「わたしの両親は福音に従った生活をし,聖文を研究し,父なる神と御子イエス・キリストを証しました。」ヘイルズ長老はそう語ります。両親は「また預言者ジョセフ・スミスのことも証しました。」6

ヘイルズ長老は若い頃,「家族を強める鍵は,主の御霊を家庭に招くこと」であると学びました。7

幼い頃のロバート・ヘイルズ,父のJ・ルーロン・ヘイルズ,母のベラ・マリー・ホルブルック・ヘイルズ,兄のジェラルドと姉のジャネット。

30年以上にわたり扶助協会で奉仕した母は, 貧しい人々や助けの必要な人々に奉仕する際にロバートを連れて行き,愛と奉仕とはどのようなものかを教えました。8ニューヨークシティーで芸術家として活躍していた父は,神権や回復についてロバートの心にいつまでも残る教訓を教えました。あるとき,父はロバートをサスケハナ川に連れて行きました。そこはジョセフ・スミスとオリバー・カウドリがバプテスマのヨハネからアロン神権を授かった場所です。別の折には,聖なる森に連れて行きました。

「わたしたちは森の中で一緒に祈り,授かっている神権にふさわしく誠実に行動できるようにと祈りました」とヘイルズ長老は振り返ります。「後年父は一緒に祈った場所を絵に描き,その日にともに交わした約束を覚えておけるようにと贈ってくれました。その絵は今もわたしのオフィスに飾られ,この地上の父親と天の御父に交わした約束とあの日の神聖な経験を日々思い出させてくれます。」9

若い頃,ロバートは野球をするのが大好きで,後にユタ大学のチーム選手となりました。中学3年のとき,別の町で行われた野球の対抗試合に初めて参加しました。その帰りのバスの中で,ロバートはチームメートの行動や言葉遣いにひどいショックを受けました。ロバートを励ますために,父は騎士の絵を描いてくれました。

若い頃,ロバートは野球をするのが大好きだった。

「父が絵を描きながら聖文を読んでくれたので,忠実な神権者になって神の王国を守り,擁護するにはどうすればよいのかが分かってきました。使徒パウロの……言葉が指針になりました。」(エペソ6:13-17参照)。

何年も後,この教訓について振り返り,ヘイルズ長老は次のように教えています。「神権の召しを忠実に果たすならば,神からの賜物として武具が与えられます。わたしたちにはこの武具が必要です。」10

ヘイルズ長老は,父の模範からもう一つの大切な特質を学びました。

「女性を尊敬することを学んだのも,母やわたしの姉,おばに対する父の優しい思いやりの模範を通してでした」とヘイルズ長老は語ります。ヘイルズ長老の母親が脳卒中で倒れてから亡くなるまでの最後の2年間,「何くれとなくいとしい妻の世話をした」父親の模範をヘイルズ長老が忘れることはありませんでした。「父は,母の50年以上にわたる愛に満ちた献身に比べれば,それはささやかなお返しにすぎないと語っていました。」11


一番大切なもの

1952年,大学から帰郷したとき,ロバートはメアリー・クランドールという若い女性に出会いました。メアリーの家族は,カリフォルニア州からニューヨークへ越してきたばかりでした。二人はすぐに互いを好きになりました。

「彼女と出会ってからは,ほかの誰ともデートしませんでした」とヘイルズ長老は振り返ります。12

夏が終わると,二人は大学のためにユタへ戻りました。ロバートはユタ大学に,メアリーはブリガム・ヤング大学に通いました。距離は離れていても,二人の関係が遠のくことはありませんでした。学年が終わって間もない1953年6月10日,二人はソルトレーク神殿で結婚しました。その後の5年間に,二人の息子,スティーブンとデビッドを授かります。

ロバート・D・ヘイルズは1953年6月10日,ソルトレーク神殿でメアリー・クランドールと結婚。その後の5年間に,二人の息子,スティーブンとデビッドを授かった。

1954年,ロバートは通信ビジネスの学位を取得してユタ大学を卒業し,間もなく,米国空軍でジェット戦闘機のパイロットとして勤務しました。それから約4年後,ロバートが空軍での任務を終えると,一家はフロリダからマサチューセッツに引っ越しました。ロバートはそこで経営管理学の修士号を取得しました。ハーバード・ビジネススクールで能力の限りを尽くしていた折,ロバートは長老定員会会長の召しを受けます。教会の召しを引き受けるべきかどうか迷いを抱いたのは,生涯においてそのときだけでした。

「長老定員会の会長になれば,勉強に支障をきたすかもしれない」ロバートはメアリーにそう話しました。

メアリーはその後のロバートの人生において支えとなる言葉を返しました。「ボブ,わたしはハーバードで修士号を取った夫より,活発な神権者である夫の方がいいわ。」そしてロバートを抱き締めると,こう付け加えました。「学業も,教会の責任も,二人で頑張りましょう。」13

二人はそれを実行しました。

翌日,メアリーは未完成だったアパートの地下室の一部を仕切り,ロバートが勉強に集中できる場所を作りました。

召しを引き受けるという「決断を下したとき,〔わたしは〕すべてを主の御手に委ねました」30年経った後,ヘイルズ長老はそう語っています。「あの決断は,後年,自分の仕事を辞めて十二使徒定員会補佐として働く召しを受け入れたときの決断よりも,もっと難しいものでした。」14

それから何年も後,一家が経済的に安定していたときのことです。ヘイルズ長老は,メアリーに高価なコートを買ってあげようと思っていました。ヘイルズ長老が考えていたコートをどう思うかと尋ねたところ,次のように尋ねられました。「コートを買うのはわたしのため?それともあなたのため?」

ヘイルズ長老は,彼女の質問を「忘れることのできない教訓」と呼んでいます。「つまり,『この贈り物の目的はわたしを愛していることを示すためですか,それとも,あなたが立派な養い手であることをわたしに示したり,周りの人たちに何かを証明したりするためですか』と尋ねたのです。わたしは質問されたことをよく考えた結果,妻と家族よりも自分のことを考えていたことを悟りました。」15

ユタ州オーカーマウンテン神殿の奉献式に出席するロバート・D・ヘイルズ長老と妻のメアリー夫人。写真/ゲリー・アバント,DeseretNews

ヘイルズ長老は,一番大切なものは妻であると認めています。16「妻がいなければ今のわたしはなかったでしょう。」と長老は語ります。「わたしは彼女を心から愛しています。彼女には御霊の賜物があります。わたしたちは一緒に聖文を研究します。また,わたしが教える概念の多くは,妻と一緒に研究し,祈った結果得たものです。だからこそ,今のわたしがあるのです。」17

ヘイルズ長老は,自分とメアリーが人生で成し遂げたことの多くを,二人のチームワークのおかげだと言っています。「わたしたちはいつもひとつのチームでしたし,これからもずっとそうあるつもりです。聖霊に耳を傾けることに次いで,妻の言葉に耳を傾けることは,わたしの人生に最も大きな影響を及ぼしてきました。」18


「あなたには多くの使命があります」

1960年,経営学修士号を取得して大学を卒業後間もなく,ロバートに就職の道が開かれました。その後の15年間,合衆国にある幾つかの主要企業で上級役員に就くこととなります。その際立った経歴において,ロバートと家族はイギリス,ドイツ,スペイン,また合衆国内の様々な地に移り住みました。そうした引っ越しに伴い,数々の指導者としての召しを受けることになり,ロバートは喜んでそれらの召しを引き受けました。

スペイン,ドイツ,また合衆国のジョージア州,マサチューセッツ州で支部会長会の一員として奉仕しました。ドイツのフランクフルト,合衆国のマサチューセッツ州とイリノイ州においてビショップを,イギリスのロンドンとマサチューセッツ州ボストンで高等評議員を,ボストンではステーク会長会としても奉仕しました。合衆国のミネソタ州とルイジアナ州では,地区代表を務めました。

1975年,ロバートが重役会議に出席していたとき,当時の大管長会第二顧問であったマリオン・G・ロムニー管長(1897-1988年)から電話がかかっている旨を伝えるメモを受け取りました。ロバートが電話に出ると,ロムニー管長から,伝道部会長として奉仕してほしいとの要請を受けました。ロバートは召しを引き受けました。ところがその年,イギリス・ロンドン伝道部の伝道部会長として着任する前に,ソルトレーク・シティーからの電話が再び鳴りました。今度は,スペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)からでした。

「3年以上働くようにお願いしてもよろしいでしょうか」とキンボール大管長は尋ねました。ロバートが「けっこうです」と答えると,キンボール大管長は彼に,十二使徒定員会補佐としての召しを伝えました。

「キンボール大管長は,『あなたが伝道部会長として働けなくて残念に思われるのは承知しています』とおっしゃいました」とヘイルズ長老は話します。しかしキンボール大管長はロバートを安心させ,こう続けました。「そのことについては思い煩わないでください。あなたには多くの使命がありますから。」19

1年後,ヘイルズ長老は七十人第一定員会に召されました。中央幹部として働いた3年後,ヘイルズ長老は再びイギリス・ロンドン伝道部会長に召されました。その務めが終わると,ヨーロッパ地域担当幹部として,トーマス・S・モンソン長老と一緒に働きました。当時,教会に対して門戸を開いていなかった国々で福音を確立し,東ドイツに神殿を建設すべく努めたのです。20

1979年まで,イギリス・ロンドン伝道部の伝道部会長として奉仕したロバート・D・ヘイルズ。Trilby Fox Cope版権所有。

「教会で働いていて大きな喜びを感じたことのひとつが,中央幹部として働いた最初の3年間で経験したことでした。その期間に27の地域大会の計画を手伝ったのです」とヘイルズ長老は語ります。「わたしが好きだったのは,大管長会や十二使徒,中央幹部,そのほかの指導者たちと一緒に旅行し,彼らやその奥さんたちと知り合いになることでした。国々を訪れて聖徒たちに福音の真実性を証する預言者,聖見者,啓示者を目にすることは,まったくすばらしい経験でした。」21

 

1985年に奉献されたドイツ・フライベルク神殿の前で―トーマス・S・モンソン長老とフランシス夫人(右端),ロバート・D・ヘイルズ長老とメアリー夫人,ジョセフ・B・ワースリン長老とエリサ夫人,エミール・フェッツァー。

1985年,ヘイルズ長老は教会の管理ビショップに召されました。彼の経歴,敬意を伴った管理と交渉,人々に対する愛,そういったものがへイルズ長老を召しにふさわしい者としました。

大管長会第一顧問のヘンリー・B・アイリング管長は,ヘイルズ長老とともに管理ビショップリックで奉仕していました。アイリング管長はヘイルズ長老について,聡明で謙虚,忠実なビジネスマンであり,また人々の必要に敏感で,物事を成し遂げる方法を知る人だったと言います。「管理ビショップリックの務めにおいても,同じ特質を発揮していました」とアイリング管長は語ります。22

妻のメアリー夫人は,ヘイルズ長老についてこう語っています。「まったく偽りがなく,清い心を持ち,正しいことを行いたいとひたすら望む人です。」23

様々な教義の中でも,ヘイルズ長老は管理ビショップとして,福祉の原則を強調しました。「わたしを助けてください。そうすれば,わたしもあなたの力になります。そして一緒に昇っていきましょう」これはヘイルズ長老がよく引用したお気に入りの格言の一つです。24

ヘイルズ長老は,聖徒たちにこう懇願しました。「わたしたちには,主イエス・キリストに代わって導きと恵みを施す天使として,困っている人を助ける力と責任があることに気づく必要があります。わたしたちは人を愛するがゆえに人から愛され,思いやりの心を持っているがゆえに慰めを受け,人を赦す能力を示したがゆえに赦されるのです。」25


教えと証

それから9年後の1994年4月2日,ヘイルズ長老は十二使徒定員会に召されました。新しい召しは彼に重くのしかかっていました。

わたしは「今61歳ですが,もう一度少年に戻った心地です」,使徒として初となる総大会の説教で,へイルズ長老はこう語りました。「この壇上には,使徒や大管長会の一員として,わたしの年齢の半分もの間仕えてこられた方々がいらっしゃいます。」

イエス・キリストの使徒になるということは一つのプロセスであるとヘイルズ長老は述べました。「悔い改めと己を謙遜にするプロセスです。これまで教えられてきたように自分自身を顧み,望まれている人物になれるよう赦しと力を求めていくプロセスです。」ヘイルズ長老は,「自分の声と主イエス・キリストへの証を人々の心にしっかりと伝えるために霊的な力を強めて」いけるよう,聖徒の祈りを懇願しました。26

1981年の総大会―ソルトレークタバナクルの外に立つロバート・D・ヘイルズ長老。

20年以上にわたり,救い主と回復された福音に関するヘイルズ長老の使徒としての証は,全世界の末日聖徒の心に響いてきました。ヘイルズ長老は,家族と信仰,試しと証,愛と忍耐,奉仕と従順,高潔と選択の自由など,様々なテーマについて説教を行いました。

選択の自由を賢明に用いることについて教えたとき,ヘイルズ長老は空軍でともに働いた一人の友人にまつわる経験を分かち合っています。

「ジェット戦闘機のパイロットになる訓練をしていたとき,……火災警報ランプが点灯し,飛行機が急旋回してコントロールが利かなくなった場合,いつ飛行機から脱出すればよいのかを判断する練習をしました。こういった準備をしていなかった大事な友人が一人いたのを覚えています。彼はシミュレーター訓練を抜け出してゴルフや水泳に行っていました。こうして彼は,緊急訓練をまったく受けませんでした。数か月後,彼の飛行機は火を噴き,炎に包まれたまま旋回しながら地上に落ちて行きました。火災警報ランプに気づいた彼の年下の同僚は,警報に対処する能力を身につけていたため,いつ飛行機からパラシュートで脱出すればよいのか分かっていました。しかし,その判断をする準備をしていなかったわたしの友人は飛行機にとどまり,墜落死しました。」

重要な選択を迫られる場面で,いつどのように行動すればよいかを知っていることは永遠に関わる結果をもたらす,とヘイルズ長老は付け加えています。27

「ニューヨークで生まれたわたしは,生徒が数千人もいた高校の中でたった2,3人しかいなかった教会員の一人でした。50年後の同窓会が最近あったのですが,かつての同級生たちはわたしが自分の価値観と信念に従って生活していたことを覚えていてくれました。そのとき感じたのは,もしわたしが知恵の言葉をほんの少しでも破ったり,道徳的な罪を犯したりしていたならば,『わたしはこういうことを信じています』と言って友人から信頼されることはなかっただろうということでした。

福音を分かち合いたくても,自分が実行していないことを人に教えることはできません。」28

2005年,教会機関誌のインタビューにて―高潔と徳について語ったロバート・D・ヘイルズ長老。写真/クレーグ・ダイモンド

その教導の業の晩年において,へイルズ長老は聖徒たちに「聖霊というすばらしい賜物」にふさわしく生活するように勧めました。29さらに,より良いクリスチャンとなり,クリスチャンとしての勇気を持ち,聖なる場所に確固として立つことによって,弟子としてさらに献身するよう教会員に勧めました。

「これは現代のクリスチャン一人一人に対するキリストの呼びかけです。『わたしの小羊を養いなさい……わたしの羊を養いなさい。』すなわち,ほかの人々,特に自分とは異なる考えや信仰を持つ人々を,鼓舞し,喜ばせ,慰め,励まし,育みながら,年齢を問わずあらゆる人に福音を分かち合うのです」とヘイルズ長老は教えています。30

「わたしたちを山から下ろし,神学上の泥試合に巻き込もうとする」人々に関して,ヘイルズ長老は,自らの証で答え,救い主とともに立つようにと末日聖徒に勧めました。

「主の愛を示すことは,反対者の心を和らげ,非難してくる人に非難せずに応じる唯一の力です。それは弱さではありません。それこそクリスチャンらしい勇気なのです。」31

救い主が「侮られて人に捨てられ」たように(イザヤ53:3,モーサヤ14:3),末日聖徒も誤解や批判,さらに言われのない非難まで受けることがあるかもしれません。「救い主とともに立つことは,わたしたちの神聖な特権です」ヘイルズ長老はそう語っています。32


主を待ち望む

主を待ち望むことについて語ったとき,ヘイルズ長老はその意味をよく理解していました。心臓疾患,大手術,繰り返される健康上の試練により,ヘイルズ長老は2011年4月の総大会で話すことができませんでした。そういった問題のために肉体的な苦しみを強いられましたが,霊的な洞察にあずかることもできました。

2000年に3つの大手術を受けて回復した後,ヘイルズ長老は末日聖徒にこう述べました。「過去2年間,わたしは主が肉体的な痛みや精神的苦痛,そして深く考える期間を通して現世での教訓を教えてくださるのを待ち望みました。わたしは,絶え間ない激痛には人を聖別する清めの力があり,人を謙遜にし,神の御霊に近づけてくれることを学びました。」33

2012年10月の総大会にて―ロバート・D・ヘイルズ長老に挨拶するトーマス・S・モンソン大管長。写真/オーガスト・ミラー

わたしたちは独りで試練に立ち向かう必要はありません。「究極の介護者」に助けを求めることができます,とヘイルズ長老は教えています。34「時折,主が望まれたときに,わたしは天の群衆の訪れによって慰めを受けました。彼らはわたしが助けを必要とするときに慰めと永遠の確信をもたらしてくれました。」35

祈りの答えがいつ,どのようにして与えられるかは分かりませんが,主御自身の方法,主の時刻表に従ってもたらされると,ヘイルズ長老は証しています。「来世に行くまで待たなくてはならない答えもあるでしょう。……主への信頼を絶やさないようにしましょう。主の祝福は一時的なものではなく,永遠のものです。」36


忠実な弟子

管理ビショップとして,ヘイルズ長老は息子アルマを彷彿させる証を述べました。長老は声高にこう述べました。「ああ,わたしに天使のラッパと御声が与えられ,全人類にこう告げ知らせることができたらよいものを。〔イエス・キリスト〕はよみがえり,生きておられます。イエスは神の御子,御父の独り子,約束されたメシヤ,わたしたちの贖い主,救い主であられます。そして,イエスは模範によって福音を教えるため,この世に来られた御方です。主の神聖な使命とは,あなたやわたしを御自身のもとに立ち返るように教え導き,わたしたちを永遠の命へ導くことです。」37

十二使徒定員会に召された後,初となる総大会の説教では,古代の預言者モルモンの証を自分に重ねて引用し,こう言いました。「わたしは神の御子イエス・キリストの弟子の一人であって,キリストの民に永遠の命を得させるために,キリストの道を宣べ伝える役目をキリストから委ねられた者である。」(3ニーファイ5:1338

中央幹部として40年近く,ロバート・D・ヘイルズ長老は,その説教と模範的な生活を通して,雄々しく,また力強く救い主の言葉を宣言しました。ヘイルズ長老は自分が述べた勧告を私生活や仕事,教会の務めの中でも覚えていました。「わたしたちは忠実に従い,終わりまで堪え忍ぶことによって,いつの日か,わたしたちの天父とその御子イエス・キリストのみもとに名誉の帰還をすることができるのです。」39

  1. ロバート・D・ヘイルズ「『あなたがたはキリストをどう思うか』『あなたがたはわたしをだれと言うか』」『聖徒の道』1979年10月号,111参照
  2. ロバート・D・ヘイルズ「アロン神権―名誉の帰還」『聖徒の道』1990年7月号,45
  3. “Fireside Commemorates Aaronic Priesthood Restoration” Ensign,1985年7月号,75で引用
  4. 「十二使徒定員会会員―ロバート・D・ヘイルズ長老」『聖徒の道』1994年7月号,112で引用
  5. ロバート・D・ヘイルズ「どのように子供の心に残る親か」『聖徒の道』1994年1月号,9参照
  6. ロバート・D・ヘイルズ「神の恵みへの感謝」『聖徒の道』1992年7月号,68
  7. ロバート・D・ヘイルズ「家族を強めること―わたしたちに託された神聖な義務」『聖徒の道』1999年7月号,38
  8. ロバート・D・ヘイルズ「神の恵みへの感謝」,68参照
  9. ロバート・D・ヘイルズ「どのように子供の心に残る親か」9
  10. ロバート・D・ヘイルズ「聖なる場所に堅く立ちなさい」『リアホナ』2013年5月号,48
  11. ロバート・D・ヘイルズ「どのように子供の心に残る親か」9
  12. ラリーン・ガーント「ロバート・D・ヘイルズ長老―名誉の帰還」『聖徒の道』1995年4月号,29で引用
  13. ロバート・D・ヘイルズ,“Celestial Marriage—A Little Heaven on Earth”(ブリガムヤング大学ディボーショナル,1976年11月9日),speeches.byu.edu参照
  14. ラリーン・ガーント「ロバート・D・ヘイルズ長老―名誉の帰還」31-32で引用
  15. ロバート・D・ヘイルズ「物心両面で賢い養い手となる」『リアホナ』2009年5月号,8-9
  16. ロバート・D・ヘイルズ「神の恵みへの感謝」68参照
  17. ロバート・D・ヘイルズ,“Gifts of the Spirit” Ensign,2002年2月号,19
  18. ラリーン・ガーント「ロバート・D・ヘイルズ長老―名誉の帰還」31で引用
  19. スペンサー・W・キンボールの言葉。ラリーン・ガーント「ロバート・D・ヘイルズ長老―名誉の帰還」31で引用
  20. ラリーン・ガーント「ロバート・D・ヘイルズ長老―名誉の帰還」32参照
  21. 「十二使徒定員会会員―ロバート・D・ヘイルズ長老」113で引用
  22. ヘンリー・B・アイリング管長へのインタビュー,2015年6月11日
  23. ラリーン・ガーント「ロバート・D・ヘイルズ長老―名誉の帰還」33で引用
  24. ロバート・D・ヘイルズ「正しい選択」『聖徒の道』1989年2月号,12
  25. ロバート・D・ヘイルズ「私たちの生活を導く福祉の原則―人の幸福のための永遠の計画」『聖徒の道』1986年7月号,31
  26. ロバート・D・ヘイルズ「イエス・キリストの比類なきメッセージ」『聖徒の道』1994年7月号,84
  27. ロバート・D・ヘイルズ「アロン神権者へ―決意の10年間に備える」『リアホナ』2007年5月号,48-49参照
  28. ロバート・D・ヘイルズ「人生の指針となる10の根本原理」『リアホナ』2007年2月号,38-39
  29. ロバート・D・ヘイルズ「聖霊」『リアホナ』2016年5月号,105
  30. ロバート・D・ヘイルズ「クリスチャンとして,キリストのような特質を高める」『リアホナ』2012年11月号,91
  31. ロバート・D・ヘイルズ,「クリスチャンらしい勇気―弟子としての犠牲」『リアホナ』2008年11月号,74,72。
  32. ロバート・D・ヘイルズ「聖なる場所に堅く立ちなさい」『リアホナ』2013年5月号,50
  33. ロバート・D・ヘイルズ「バプテスマの聖約―王国にあって王国の者となる」『リアホナ』2001年1月号,6
  34. ロバート・D・ヘイルズ「霊と肉体の癒し」『リアホナ』1999年1月号,18
  35. ロバート・D・ヘイルズ「バプテスマの聖約」『リアホナ』2001年1月号,6
  36. ロバート・D・ヘイルズ「主を待ち望む―みこころが行われますように」『リアホナ』2011年11月号,73
  37. ロバート・D・ヘイルズ「あなたがたはキリストをどう思うか」『聖徒の道』1979年10月号,111参照
  38. ロバート・D・ヘイルズ「イエス・キリストの比類なきメッセージ」86。「クリスチャンらしい勇気」75も参照
  39. ラリーン・ガーント「ロバート・D・ヘイルズ長老―名誉の帰還」33で引用

精選された教え

永遠の家族―「永遠のきずなは,神殿で結び固めの聖約を交わした結果として,自然に生じるのではありません。この生涯での行いの結果がわたしたちの永遠の行く末を決めるのです。天父が備えてくださった結び固めの祝福を受けるには,戒めを守り,家族が永遠に一緒に暮らしたいと願えるような方法で行動しなければなりません。この地上で得ている現在の家族関係は確かに大切です。しかしそれは,この地上で何世代も続き,またとこしえにわたって継続する家族の影響を考えると,なおさら大切です。」(「永遠の家族」『聖徒の道』1997年1月号,73)

イエス・キリストを信じる信仰―「試練はすべてわたしたちのために与えられますが,人生で試練に遭うと,信仰を持つのは難しく,信じるのは難しいように思えるものです。そんなときに平安と希望を与え,理解を助けてくれるのは,主イエス・キリストとその贖いに対する信仰だけです。主がわたしたちに代わって苦しまれたことを信じるようになって初めて,最後まで堪え忍ぶ力が得られるのです。」(「主イエス・キリストへの信仰を見いだす」『リアホナ』2004年11月号,73)

賢明な生活―「わたしたちは皆,自分と家族を物心両面で養う責任があります。賢く養うには将来に備えた賢明な生活の原則を実行しなければなりません。収入の範囲内で喜びをもって生活することです。つまり,現在あるもので満足し,過大な負債を避け,苦境や緊急時に備えて日ごろから貯金しておくのです。賢く生活していれば,自分や家族を養うとともに,人々に仕え祝福をもたらすという救い主の模範に従うことができます。」(「物心両面で賢い養い手となる」『リアホナ』2009年5月号,7-8)

試練―「だれしも時には『おお,神よ,あなたはどこにおられるのですか』と尋ねたくなるのがもっともなときがあります。〔教義と聖約121:1〕伴侶を亡くした夫や妻,家族が財政難に襲われたときの父親は,神はどこにおられるのだろうと問い, 子供が道を誤ったときの母親と父親は,悲しみに暮れて叫ぶのではないでしょうか。しかし,『夜はよもすがら泣きかなしんでも,朝と共に喜びが来る』のです。〔詩篇30:5〕そして,信仰と理解力が増し始めると,『みこころが……行われますように』と言いながら,立ち上がって主を待ち望むことを選ぶのです〔マタイ6:10〕。」(「主を待ち望む―みこころが行われますように」『リアホナ』2011年11月号,72)

弟子としての務め―「天の御父が望んでおられるようになるために,わたしたちはイエス・キリストに従います。主はたえず御自身に従うようにわたしたちに呼びかけておられると証します。もしあなたが末日聖徒は献身的なクリスチャンであることについて学び始めたばかりであるなら,あるいはこれまで教会に十分に参加してこなかったけれども,再び主に従いたいと思うなら,恐れないでください。主の最初の弟子たちは皆,教会の新会員であり,主の福音に新たに改宗した人たちでした。イエスは辛抱強く一人一人を教え, それぞれの責任を果たせるように助け, 主の友と呼び,彼らのために命をささげてくださったのです。同じことを,皆さんとわたしのためにもすでにしてくださっています。」(「クリスチャンとして,キリストのような特質を高める」『リアホナ』2012年11月号,91-92)

総大会―「総大会の最大の祝福は大会が終わった後にやって来ます。聖文にしばしば記されている規範を思い出してください。 わたしたちは集まって主の御言葉を聞き,家に帰って主の御言葉に従って生活します。」(「総大会―信仰と証を強める」『リアホナ』2013年11月号,7)

結婚―「完璧な相手と結婚する人はいません。可能性のある相手と結婚するのです。正しい結婚とは,自分が何を望むかだけでなく,自分がどのような者になることを自分の伴侶となる女性が望み,必要としているかも大切なのです。

はっきり言いましょう。 20代を通じて『楽しむ』ためだけにデートをして,他の趣味や活動のために結婚を先延ばしにしないでください。なぜなら,デートと結婚は最終目的地ではないからです。それらは,皆さんが最終的に行きたい場所への門なのです。」(「今日の世界のチャレンジに立ち向かう」『リアホナ』2015年11月号,46)

選択―「忘れないでください。誰もあなたの代わりに上に手を伸ばすことはできません。あなたの信仰と祈りだけが,あなたを高め,大きな心の変化をもたらします。従順になるというあなたの決意だけが,あなたの生活を変えます。あなたのための救い主の贖いの犠牲のおかげで,その力はあなたの内にあるのです〔教義と聖約58:28参照〕。あなたには選択の自由があります。あなたが従順であれば,強い証が備わります。そしてあなたを導く御霊に従うことができます。」(「今日の世界のチャレンジに立ち向かう」『リアホナ』2015年11月号,46)

聖霊―「思い起こしていただきたいのは,聖霊は,わたしたちをコントロールするために与えられるわけではないということです。よく考えずに,生活のあらゆるささいな決断について聖霊の導きを求める人がいます。このようなことをすると,聖霊の神聖な役割が取るに足りないものになってしまいます。聖霊は選択の自由の原則を尊重し,わたしたちの思いと心に,多くの重要な事柄について優しく語りかけてくださいます。」(「聖霊」『リアホナ』2016年5月号,105)