『モルモンしょ』​は『せいしょ』​と​かた​を​ならべる​聖典せいてん​で​ある。この​聖典せいてん​は、アメリカ​たいりく​の​むかし​の​じゅうみん​に​たいする​かみ​の​みちびき​の​ろく​で​あり、この​しょもつ​に​は​完全かんぜん​な​永遠えいえん​の​ふくいん​が​しるされて​いる。

この​しょもつ​は、むかし​の​おおく​の​げんしゃ​たち​が​けい​と​げん​の​れい​に​よって​しるした​もの​で​あり、モルモン​と​いう​​の​げんしゃ​で​あり​れき​で​あった​人物じんぶつ​が、金版きんばん​に​しるされた​こと​を​引用いんよう​し、みじかく​まとめた​もの​で​ある。この​ろく​は、だい​な​文明ぶんめい​を​つ​二つ​の​たみ​の​こと​を​べて​いる。一つ​の​たみ​は、げんぜん​六百​ねん​に​エルサレム​から​やって​て、のち​に​ニーファイじん​および​レーマンじん​として​られる​二つ​の​たみ​に​かれた。もう​一つ​の​たみ​は​それ​より​も​はるか​ぜん​に、しゅ​が​バベル​の​とう​で​げん​を​みだされた​とき​に​やって​た​人々ひとびと​で、ヤレドじん​として​られて​いる。しかし​すうせんねん​に​は、これら​の​文明ぶんめい​の​たみ​は​レーマンじん​の​ほか​は​すべて​ほろびて​しまった。この​レーマンじん​も​アメリカ​インディアン​の​せん​で​ある。

『モルモンしょ』​に​ろく​されて​いる​なか​で​もっとも​えいこう​ある​ごと​は、しゅ​イエス・​キリスト​が​ふっかつもなく、ニーファイじん​の​あいだ​で​したしく​おしえ​みちびかれた​こと​で​あろう。また、『モルモンしょ』​は​ふくいん​の​おしえ​を​宣言せんげん​し、すくい​の​けいかく​の​概要がいよう​を​き、ひと​が​この​で​へい​を​のち​の​​で​永遠えいえん​の​すくい​に​あずかる​に​は​なに​を​しなければ​ならない​か​を​げて​いる。

モルモン​は​ぶん​の​ろく​を​える​と、それ​を​むす​の​モロナイ​に​わたした。モロナイ​は、ぶん​の​こと​を​しょうくわえて、その​はん​を​クモラ​の​おか​に​かくした。そののち、千八百二十三​ねん​九がつ​二十一​にち​に、ふっかつ​し​えいこう​を​けた​おなじ​モロナイ​が​げんしゃ​ジョセフ・​スミス​に​あらわれて、だい​の​その​ろく​に​ついて​​を​あたえ、やがて​それ​が​えい​に​ほんやく​される​こと​を​げた​の​で​ある。

そののちとき​が​おとずれて、ジョセフ・​スミス​は​その​はん​を​わたされ、かみ​の​賜物たまもの​と​ちから​に​よって​ほんやく​した。そして、その​ろく​は​現在げんざい、イエス・​キリスト​が​ける​かみ​の​おん​で​あられる​こと​を​あかし​し、また​イエス・​キリスト​の​もと​に​て、イエス・​キリスト​の​ふくいん​の​りっぽう​と​しき​に​したがう​すべて​の​ひと​が​すくわれる​こと​を​あかし​する、あらた​な​もう​一つ​の​あかし​の​しょもつ​として、かずおおく​の​げん​で​しゅっぱん​されて​いる。

この​ろく​に​ついて、げんしゃ​ジョセフ・​スミス​は​つぎ​の​よう​に​って​いる。「わたし​は​きょうだい​たち​に​った。『モルモンしょ』​は​この​で​もっとも​正確せいかく​な​しょもつ​で​あり、わたしたち​の​宗教しゅうきょう​の​かなめ​いし​で​ある。そして、ひと​は​その​おしえ​を​まもる​こと​に​より、ほか​の​どの​しょもつ​に​も​して​かみ​に​ちかづく​こと​が​できる。」

しゅ​は​ジョセフ・​スミス​に​くわえて、ほか​に​十一​にん​の​人々ひとびと​を、金版きんばん​を​じっさい​に​​に​し、『モルモンしょ』​が​かみ​から​あたえられた​真実しんじつ​の​しょもつ​で​ある​こと​を​あかし​する、とくべつ​な​しょうにん​として​てられた。かれら​の​あかし​は、「三にん​の​しょうにん​の​あかし」ならびに「八​にん​の​しょうにん​の​あかし」として、この​しょもつ​に​おさめられて​いる。

わたしたち​は​あらゆる​​に​む​すべて​の​ひと​に、『モルモンしょ』​を​み、この​しょもつ​に​ふくまれて​いる​おしえ​を​こころ​の​なか​で​ふかく​かんがえ、そして、この​しょもつ​が​真実しんじつ​か​どう​か、キリスト​の​​に​よって​永遠えいえん​の​ちち​なる​かみ​に​う​よう​に​お​すすめ​する。この​じゅん​を​んで、しんこう​を​もって​う​人々ひとびと​は、『モルモンしょ』​が​かみ​から​あたえられた​真実しんじつ​の​しょもつ​で​ある​と​いう​あかし​を、聖霊せいれい​の​ちから​に​よって​る​で​あろう(モロナイしょだい十​しょう​三―五​せつ)。

せい​なる​たま​を​つうじて​かみ​から​の​この​あかし​を​る​人々ひとびと​は、その​おなじ​ちから​に​よって、イエス・​キリスト​が​​の​すくぬし​で​あられ、ジョセフ・​スミス​が​この​わり​の​だい​の​しゅ​の​けいしゃ​で​あり、しゅ​の​げんしゃ​で​ある​こと​を、そして​まつじつせい​イエス・​キリスト​きょうかい​が、メシヤ​の​再臨さいりん​に​さきって​じょう​に​ふたたび​せつりつ​された​しゅ​の​おうこく​で​ある​こと​を​る​で​あろう。

にん​の​しょうにん​の​あかし

この​しょもつ​を​​に​する​すべて​の​こくみんぞくこく​の​たみ民族みんぞく​に​この​こと​を​お​らせ​する。わたしたち​は、ちち​なる​かみ​と​しゅ​イエス・​キリスト​の​めぐみ​に​よって、この​ろく​が​しるされて​いる​はん​を​た。これ​は​ニーファイ​の​たみ​と、その​同胞はらから​で​ある​レーマンじん​と、聖典せいてん​に​べられて​いる​あの​とう​から​た​ヤレド​の​たみ​に​ついて​の​ろく​で​ある。また、その​はん​が​かみ​の​賜物たまもの​と​ちから​に​よって​ほんやく​された​こと​も​って​いる。かみ​の​こえ​が​わたしたち​に​その​こと​を​宣言せんげん​された​から​で​ある。したがって、わたしたち​は​この​しょもつ​が​真実しんじつ​で​ある​こと​を​たしか​に​って​いる。また、その​はん​に​きざまれて​いる​​を​た​こと​と、それ​が​わたしたち​に​しめされた​の​は​ひと​の​ちから​で​は​なく​かみ​の​ちから​に​よる​こと​を​あかし​する。また、ひと​の​てん使​が​てん​から​くだって​て、たずさえて​た​その​はん​を​​の​まえ​に​いた​ので、わたしたち​は​その​はん​と​それ​に​きざまれて​いる​​を​た​こと​を​つつしんで​言明げんめい​する。​で​て、これら​の​もの​が​真実しんじつ​で​ある​と​あかし​する​の​は、ちち​なる​かみ​と​しゅ​イエス・​キリスト​の​めぐみ​に​よる​もの​で​ある​こと​を​って​いる。これ​は​わたしたち​の​​に​おどろく​べき​こと​で​は​ある​が、しゅ​の​こえ​が​この​こと​を​あかし​する​よう​に​わたしたち​に​めいじられた​ので、わたしたち​は​神命しんめい​に​したがって​この​こと​を​あかし​する。わたしたち​は、キリスト​に​あって​ちゅうじつ​で​あれ​ば、すべて​の​ひと​の​​を​わたしたち​の​ころも​から​のぞいて、キリスト​の​さばき​の​​で​み​が​ない​と​みとめられ、キリスト​と​ともに​てん​に​永遠えいえん​に​める​こと​を​って​いる。一つ​の​かみ​で​ある​御父おんちち​と​おん​と​聖霊せいれい​に​ほまれ​が​ある​よう​に。アーメン。

オリバー・​カウドリ

デビッド・​ホイットマー

マーティン・​ハリス

八​にん​の​しょうにん​の​あかし

この​しょもつ​を​​に​する​すべて​の​こくみんぞくこく​の​たみ民族みんぞく​に​この​こと​を​お​らせ​する。わたしたち​は、この​しょもつ​の​ほんやくしゃ​ジョセフ・​スミス・​ジュニア​から、前述ぜんじゅつ​の​きん​に​える​はん​を​せて​もらい、また​スミス​​が​ほんやく​を​えた​ぶん​を​​で​れて​みた。また、その​はん​に​きざまれて​いる​​も​た​が、それら​は​すべて、むかし​の​もの​の​よう​で、にゅうねん​な​つくり​に​えた。わたしたち​は​じっさい​に​​で​​で​げ、いまかたって​いる​はん​を​スミス​​が​しょゆう​して​いた​こと​を​たしか​に​って​いる​ので、スミス​​が​わたしたち​に​せて​くれた​こと​を​つつしんで​あかし​する​もの​で​ある。そして​わたしたち​は、ぶん​たち​が​た​こと​を​​の​人々ひとびと​に​あかし​する​ため​に、各々おのおの​の​​を​おおやけ​に​する。わたしたち​は​いつわり​を​わない。かみ​が​その​こと​を​あかし​される。

クリスチャン・​ホイットマー

ジェイコブ・​ホイットマー

ピーター・​ホイットマー・​ジュニア

ジョン・​ホイットマー

ハイラム・​ページ

ジョセフ・​スミス・​シニア

ハイラム・​スミス

サミュエル・​H・​スミス

げんしゃ​ジョセフ・​スミス​の​あかし

げんしゃ​ジョセフ・​スミス​は、『モルモンしょ』​が​​に​される​に​いたった​だい​を、つぎ​の​よう​に​べて​いる。

「[千八百二十三​ねん]九がつ​二十一​にち​の​よる​の​こと​で​ある。わたし​は​……​ぜんのう​の​かみ​に​……​いのって​嘆願たんがん​した。……

わたし​は​この​よう​に​かみ​を​び​もとめて​いた​とき、室内しつない​に​ひかり​が​あらわれた​の​に​づいた。その​ひかり​は​だい​に​あかるさ​を​し、ついに​その​​は​ひる​の​とき​より​も​あかるく​なった。すると、すぐに​ひと​の​かた​が​わたし​の​寝台しんだい​の​かたわら​に​あらわれ、くうちゅう​に​たれた。と​いう​の​は、その​あし​が​ゆか​から​はなれて​いた​から​で​ある。

その​かた​は​この​うえ​なく​うつくしい​しろさ​の、ゆったり​と​した​ころも​を​て​おられた。それ​は、わたし​が​これまで​た​この​の​いかなる​もの​に​も​まさる​しろさ​で​あった。この​の​いかなる​もの​も、これほど​しろく​かがやいて​える​よう​に​する​こと​は​できない​と​おもう。その​かた​の​​は​あらわ​で、ころも​の​そで​は​くび​の​すこし​うえ​まで​で、その​あし​も​あらわ​で、ころも​の​すそ​は​足首あしくび​の​すこし​うえ​まで​しか​なかった。その​あたま​と​くび​も​おおわれて​いなかった。その​かた​の​むね​が​える​ほど​ころも​が​ゆったり​と​して​いた​ので、わたし​は​その​かた​が​その​ころも​の​ほか​なにも​て​おられない​の​に​づいた。

その​ころも​が​じょう​に​しろかった​だけ​で​なく、その​全身ぜんしん​も​ひっ​に​くし​がたい​かがやき​に​ち、その​かお​は​まことに​稲妻いなずま​の​よう​で​あった。​は​じょう​に​あかるかった​が、その​かた​の​すぐ​まわり​ほど​あかるく​は​なかった。わたし​は​さいしょ​に​その​かた​を​た​とき​に​おそれた​が、その​おそれ​は​すぐに​った。

その​かた​は​わたし​の​​を​び、ぶん​は​かみ​の​まえ​から​つかわされた​使しゃ​で​ある​こと、その​​は​モロナイ​で​ある​こと、かみ​が​わたし​の​なす​べき​わざ​を​そなえて​おられる​こと、また​わたし​の​​が​く​も​わるく​も​すべて​の​こくみんぞくこく​の​たみ​の​なか​で​おぼえられる​こと、すなわち、く​も​わるく​も​すべて​の​たみ​の​なか​で​かたられる​こと​を​わたし​に​げられた。

その​かた​は​また、この​たいりく​の​先住民せんじゅうみん​の​はなし​と​かれら​の​げん​を​つたえる、金版きんばん​に​しるされた​しょ​が​かくされて​いる​こと​も​げられた。また、それ​に​は​すくぬし​が​その​むかし​の​じゅうみん​に​べられた​まま​に​完全かんぜん​な​永遠えいえん​の​ふくいん​が​って​いる​こと​も​げられた。

また、ぎん​の​つる​に​はめた​二つ​の​いし​も​はん​と​ともに​かくされて​いる​こと――これら​の​いし​は​むねて​に​けて​あって、ウリム​と​トンミム​と​ばれる​もの​を​す――これら​の​いし​を​しょゆう​して​使つかった​もの​が​むかし​すなわち​まえ​の​だい​の​せいけんしゃ​と​なった​こと、ならびに​その​しょ​を​ほんやく​する​ため​に​かみ​が​それら​を​そなえて​くださった​こと​を、その​かた​は​げられた。

· · · · · · ·

さらに、わたし​が​その​かた​の​かたった​その​はん​を​る​とき――と​いう​の​は、それ​を​​に​れる​とき​は​まだ​て​いなかった​から​で​ある――その​はん​や、ウリム​と​トンミム​の​いた​むねて​を、それら​を​せる​よう​に​めいじられた​人々ひとびと​の​ほか​に​は​だれ​に​も​せて​は​ならない、もしも​せた​なら​ば​ほろぼされる、と​その​かた​は​わたし​に​告げられた。その​かた​が​はん​に​ついて​わたし​と​かたって​おられる​あいだ​に、わたし​の​こころ​に​げん​が​ひらかれ、わたし​は​その​はん​の​かくされて​いる​しょ​を​る​こと​が​できた。そして、それ​は​じょう​に​明瞭めいりょう​で​はっきり​と​して​いた​ので、そこ​を​おとずれた​とき​に​は​その​しょ​が​かった。

この​​を​けた​のち、わたし​が​る​と、室内しつない​の​ひかり​は​たちまち、わたし​に​かたって​おられた​その​かた​の​まわり​に​あつまり​はじめた。そして、ひかり​は​あつまり​つづけ、その​かた​の​すぐ​まわり​を​のぞいて​ついに​その​​は​ふたたび​くらく​なった。その​たん​に、わたし​が​る​と、あたかも​一筋ひとすじ​の​みち​が​てん​に​かって​まっすぐ​に​ひらいた​か​の​よう​で、その​かた​は​のぼって​かれ、ついに​その​姿すがた​が​まったく​えなく​なった。そして、その​​は、この​てん​の​ひかり​が​あらわれる​まえ​の​じょうたい​に​もどった。

わたし​は​その​​な​ありさま​を​つくづく​と​かんがえ、また​この​つね​ならぬ​使しゃ​に​よって​げられた​こと​を​​に​おもい​ながら​よこ​に​なって​いた。この​よう​に​おもい​に​ふけって​いる​最中さいちゅう​に、わたし​は、突然とつぜん​が​ふたたび​あかるく​なり​はじめた​の​に​づいた。そして、あたかも​突然とつぜん​で​ある​か​の​よう​に、おなじ​てん​の​使しゃ​が​ふたたび​わたし​の​寝台しんだい​の​かたわら​に​おられた。

その​かた​は​かたり​はじめ、さいしょ​に​おとずれた​とき​に​べた​こと​と​まったく​おなじ​こと​を​すこしも​えず​に​ふたたび​べられた。それ​を​べた​のちきん​と​せんそう​と​えきびょう​に​よる​ひどい​こうはい​を​ともなって​じょう​に​よう​と​して​いる​おおきな​さばき​に​ついて​わたし​に​げ、また​これら​の​きびしい​さばき​が​この​だい​に​じょう​に​る​こと​を​げられた。これら​の​こと​を​べた​のち、その​かた​は​ふたたび​まえ​と​おなじ​よう​に​のぼって​かれた。

この​とき​に​は、こころ​に​けた​印象いんしょう​が​じょう​に​ふかかった​ので、わたし​は​​が​さえて​ねむれなく​なって​おり、たり​いたり​した​こと​へ​の​おどろき​に​あっとう​されて​よこ​に​なって​いた。ところが​なんとも​おどろいた​こと​に、わたし​は​またもや​寝台しんだい​の​かたわら​に​おなじ​使しゃ​を​、その​かた​が​まえ​と​おなじ​こと​を​わたし​に​くわしく​かたられる​の​を、すなわち、ふたたび​かえし​かたられる​の​を​いた​の​で​ある。そして、その​かた​は​わたし​に​一つ​の​けいこく​を​くわ​え、(ちち​の​ぞく​は​まずしい​らし​を​して​いた​ので)かねち​に​なる​ため​に​はん​を​​に​れる​よう​に、サタン​が​わたし​を​ゆうわく​しよう​と​する​で​あろう​と​げられた。そして​その​かた​は、この​よう​な​こと​の​ない​よう​に​わたし​に​めいじ、はん​を​​に​れる​に​たって​は​かみ​の​えいこう​を​あらわす​がい​の​もくてき​を​こころ​に​いだいて​は​ならない​こと、また​かみ​の​おうこく​を​きずこう​と​する​どうがい​の​いかなる​どう​に​も​ゆう​されて​は​ならない​こと、そう​で​なければ​それ​を​​に​れる​こと​は​できない​こと​を​げられた。

この​三​​の​おとずれ​の​のち、その​かた​は​まえ​の​よう​に​また​てん​に​のぼって​かれた。そして、わたし​は​たった​いま経験けいけん​した​こと​の​さ​を​また​ふかく​かんがえ​つづけた。その​てん​の​使しゃ​が​三​​に​わたし​を​はなれて​のぼって​かれた​の​と​ほとんど​どう​に、にわとり​が​いた​ので、わたし​は​け​の​ちかい​こと​を​った。したがって、わたし​は​一晩ひとばんじゅう​その​使しゃ​と​会見かいけん​して​いた​こと​に​なる。

わたし​は​そのもなく​きて、いつも​の​よう​に、その​​に​しなければ​ならない​ごと​に​かけた。しかし、わたし​は​だん​の​よう​に​はたらこう​と​した​が、まったく​はたらけない​ほど​つかれ​てて​いる​の​を​った。わたし​と​いっしょ​に​はたらいて​いた​ちち​は、わたし​の​あい​が​わるい​の​に​づき、いえ​に​かえる​よう​に​った。そこで、わたし​は​いえ​に​かえろう​と​して​かけた。しかし、かこい​を​えて​はたけ​から​よう​と​した​とき​に、すっかり​ちから​を​うしなって​ぐったり​と​​に​たおれ、しばらく​の​あいだ​まったく​しき​を​うしなって​いた。

わたし​が​おもせる​さいしょ​の​こと​は、わたし​の​​を​んで、わたし​に​かたり​かける​こえ​が​あった​こと​で​ある。げる​と、あの​おなじ​使しゃ​が​まえ​の​よう​に​ひかり​に​つつまれて、じょう​に​って​おられる​の​が​えた。それから​その​かた​は、ぜん​わたし​に​はなした​すべて​の​こと​を​ふたたび​わたし​に​はなし、ちち​の​ところ​へ​って、わたし​が​けた​げん​と​命令めいれい​の​こと​を​げる​よう​に​と​めいじられた。

わたし​は​それ​に​したがい、はたけ​に​いた​ちち​の​ところ​へ​もどって、ちち​に​すべて​の​こと​を​くわしく​げた。すると、ちち​は​わたし​に、それ​は​かみ​から​て​いる​と​こたえ、その​使しゃ​から​めいじられた​とおり​に​する​よう​に​げた。わたし​は​はたけ​を​って、はん​が​かくされて​いる​と​使しゃ​から​げられた​しょ​へ​った。すると、それ​に​かんして​けて​いた​げん​が​明瞭めいりょう​で​あった​ので、そこ​に​く​と​すぐに​その​しょ​が​かった。

ニューヨーク​しゅう​オンタリオ​ぐん​マンチェスター​の​むら​の​ちかく​に、かなり​の​おおきさ​の​おか​が​一つ​ある。そこ​は​その​かいわい​って​の​たかい​おか​で​ある。この​おか​の​頂上ちょうじょう​から​とおくない​西側にしがわ​の​ところ​に​かなり​の​おおきさ​の​いし​が​あって、その​いし​の​した​に​あった​いし​の​はこ​の​なか​に​はん​が​かれて​いた。この​いし​は​あつみ​が​あって、じょう​の​ちゅうおう​が​まるみ​を​びて​おり、へり​に​く​に​したがって​うすく​なって​いた​ので、その​ちゅうおう​は​じょう​に​えて​いた​が、へり​は​すべて​つち​に​おおわれて​いた。

わたし​は​つち​を​のぞいて、てこ​を​一ぽん​に​れ、それ​を​その​いし​の​へり​の​した​に​んで、わずか​な​ちから​で​それ​を​げた。なか​を​のぞき​む​と、あの​使しゃ​から​われた​よう​に、じっさい​に​そこ​に、はん​と、ウリム​と​トンミム​と、むねて​が​えた。それら​が​おさめられて​いた​はこ​は、ある​しゅ​の​セメント​の​なか​に​いし​を​いて​つくった​もの​で​ある。はこ​の​そこ​に​は、よこき​に​二​​の​いし​が​かれ、その​いし​の​うえ​に​はん​と​その​の​もの​が​いっしょ​に​せられて​いた。

わたし​は​それら​を​そう​と​した​が、あの​使しゃ​に​められた。そして、それら​を​す​とき​は​まだ​て​いない​こと​を​ふたたび​らされた。また、その​とき​から​四​ねん​たたない​と、その​とき​は​ない​と​の​こと​で​あった。その​かた​は​わたし​に、その​とき​から​ちょうど​一ねん​に​その​しょ​に​る​よう​に、そう​すれ​ば​かれ​が​わたし​に​って​くださる​こと、また​はん​を​​に​れる​とき​が​る​まで​わたし​は​それ​を​つづけ​なければ​ならない​こと​を​げられた。

それで、わたし​は​めいじられた​とおり​に、一ねん​ごと​に​そこ​へ​き、その​たび​に​あの​使しゃ​に​お​い​した。そして、お​い​する​たび​に、しゅ​が​なに​を​おこなおう​と​して​おられる​か、また​わり​の​とき​に​しゅ​の​おうこく​が​どの​よう​に​どう​される​べき​か​に​かんして、その​かた​から​​と​らせ​と​を​けた。

· · · · · · ·

ついに、はん​と、ウリム​と​トンミム​と、むねて​を​​に​れる​とき​が​やって​た。千八百二十七​ねん​九がつ​二十二​にち、わたし​が​いつも​の​よう​に​まん​一ねん​に、それら​が​かくされて​いる​ところ​へ​く​と、あの​おなじ​てん​の​使しゃ​が、それら​を​つぎ​の​責任せきにん​と​ともに​わたし​に​わたして​くださった。すなわち、わたし​は​それら​に​たいして​責任せきにん​を​たなければ​ならない、もし​わたし​が​ちゅう​や​ぶん​の​怠慢たいまん​で​それら​を​うしなう​なら​ば、わたし​は​たれる​で​あろう、しかし​その​かた、つまり​その​使しゃ​が​それら​を​り​に​られる​まで、わたし​が​それら​を​ぞん​する​ため​あらゆる​りょく​を​くす​なら​ば、それら​は​まもられる、と​いう​の​で​あった。

わたし​は​もなく、なぜ​それら​を​安全あんぜん​に​たもつ​ため​に​その​よう​な​きびしい​責任せきにん​を​せられた​の​か、また​わたし​が​ぶん​に​もとめられた​こと​を​げた​とき​に​それら​を​り​に​る​と​なぜ​使しゃ​が​われた​の​か、その​ゆう​が​かった。わたし​が​それら​を​って​いる​こと​が​れる​や​いなや、わたし​から​それら​を​うばおう​と​する​あらんかぎり​の​りょく​が​はらわれた​から​で​ある。その​ため​に​おもいつく​かぎり​の​あらゆる​さくりゃく​が​じっこう​に​うつされた。はくがい​は​ぜん​に​も​して​はげしく、ようしゃ​の​ない​もの​と​なり、おおぜい​の​ひと​が、できれ​ば​わたし​から​それら​を​うばおう​と​えず​かい​を​うかがった。しかし、わたし​が​もとめられた​こと​を​それら​に​よって​げる​まで、それら​は​かみ​の​​に​よって、わたし​の​​の​なか​で​​で​あった。そして、まえもって​さだめられた​とおり、使しゃ​が​それら​を​り​に​られた​とき、わたし​は​それら​を​使しゃ​に​わたした​の​で​ある。そして、千八百三十八​ねん​五がつふつ​の​今日き ょ う​まで、その​使しゃ​が​それら​を​かん​して​おられる。」

ろく​の​全文ぜんぶん​に​ついて​は、『こう真珠しんじゅ』​の「ジョセフ・​スミス―れき」ならびに『まつじつせい​イエス・​キリスト​きょうかいれき』(History ​of ​The ​Church ​of ​Jesus ​Christ ​of ​Latter-day ​Saints)だい一​かんだい一―六​しょう​を​参照さんしょう​して​いただきたい。

この​よう​に​して、​の​なか​から​かたる​一つ​の​たみ​の​こえ​として​​から​され、かみ​の​断言だんげん​に​よって​あきらか​な​よう​に、かみ​の​賜物たまもの​と​ちから​に​よって​近代きんだい​の​げん​に​ほんやく​された​この​だい​の​ろく​は、千八百三十​ねん​に、​THE ​BOOK ​OF ​MORMON ​(『モルモンしょ』)として​はじめて​​に​された。