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きょうせいやく

第​20​章

千八百三十​ねん​四がつげんしゃ​ジョセフ・​スミス​を​とおして​あたえられた、きょうかい​の​しき​と​かん​に​かんする​けい(『きょうかいれき』​だい一​かん、六十四-七十​ページ)。げんしゃ​は​この​けい​を​ろく​する​に​さきち、つぎ​の​よう​に​しるして​いる。「わたしたち​は​げん​と​けい​の​れい​に​よって、イエス・​キリスト​から​つぎ​の​けい​を​けた。わたしたち​は​これ​に​よって​おおく​の​しき​を​た​だけ​で​なく、しゅ​の​こころ​と​命令めいれい​に​したがって、この​じょう​に​もう​いちしゅ​の​きょうかい​を​しき​し​はじめる​べき​たいてき​な​り​も​​された。」(『きょうかいれき』​だい一​かん、六十四​ページ)

1-16『モルモンしょ』​は、まつじつ​の​わざ​が​かみ​から​て​いる​もの​で​ある​こと​を​しょうめい​して​いる。​17-28そうぞう​と​らく贖罪しょくざい、および​バプテスマ​の​きょう​が​かくにん​される。​29-37あらため​と​にんきよめ、および​バプテスマ​に​かんする​りっぽう​が​説明せつめい​される。​38-67長老ちょうろう​と​さいきょう、および​しつ​の​​が​ようやく​される。​68-74会員かいいん​の​​と​ども​の​しゅくふく、および​バプテスマ​の​様式ようしき​が​あきらか​に​される。​75-84せいさん​の​いのり​と​きょうかい​の​会員かいいんかく​に​ついて​の​まり​が​さだめられる。

1 この​わり​の​とき​に​おける​キリスト​の​きょうかい​の​こり。それ​は、わたしたち​の​しゅ​で​あり​すくぬし​で​ある​イエス・​キリスト​が​にくたい​を​って​られて​から​千八百三十​ねん​で​あって、だい四​の​つき、四がつ​と​ばれる​つき​の​だい六​にち​に、かみ​の​こころ​と​命令めいれい​に​より、わが​くに​の​ほうりつ​に​かなって​正式せいしき​に​しきせつりつ​された。

2 この​命令めいれい​は、かみ​から​されて、イエス・​キリスト​の​使​に​聖任せいにん​され、この​きょうかい​の​だいいち​の​長老ちょうろう​と​なった​ジョセフ・​スミス・​ジュニア​と、

3 また、イエス・​キリスト​の​使​と​なり、この​きょうかい​の​だい​の​長老ちょうろう​と​なる​ため​に​かみ​から​され、ジョセフ・​スミス・​ジュニア​の​​の​もと​で​聖任せいにん​された​オリバー・​カウドリ​に​あたえられた。

4 これ​は、わたしたち​の​しゅ​で​あり​すくぬし​で​ある、イエス・​キリスト​の​めぐみ​に​よる。しゅ​イエス・​キリスト​に、いま​も​とこしえ​に​も、すべて​の​えいこう​が​あり​ます​よう​に。アーメン。

5 この​だいいち​の​長老ちょうろう​は、ぶん​の​つみ​の​ゆるし​を​けた​こと​を​まことに​あきらか​に​された​のちふたたび​​の​きょえい​に​まれた。

6 しかし、かれ​が​しんこう​に​よって​あらためて​こころ​から​へりくだる​と、かみ​は​ひと​の​せい​なる​てん使​に​よって​かれ​を​おしえ​みちびかれた。その​てん使​の​かお​は​稲妻いなずま​の​よう​で​あり、その​ころも​は​ほか​の​どんな​しろい​もの​に​も​まさって​きよらか​で​しろかった。

7 そして、かみ​は​かれ​を​​する​数々かずかず​の​いましめ​を​くだされた。

8 また、まえもって​そなえられた​て​に​よって『モルモンしょ』​を​ほんやく​する​ため​に、たかい​ところ​から​かれ​に​ちから​を​さずけられた。

9 この​しょ​に​は、ある​らく​した​たみ​の​ろく​と、ほうじん​ならびに​ユダヤじん​に​あてた​イエス・​キリスト​の​完全かんぜん​な​ふくいん​が​って​いる。

10 これ​は​霊感れいかん​に​よって​あたえられ、てん使​たち​の​はたらき​に​よって​ほか​の​人々ひとびと​に​かくにん​され、その​人々ひとびと​に​よって​​の​人々ひとびと​に​らされる​の​で​ある。

11 これら​の​こと​は、聖文せいぶん​が​真実しんじつ​で​ある​こと、また​かみ​が​じつに​人々ひとびと​に​霊感れいかん​を​あたえて、むかし​と​おなじ​よう​に​この​​と​だい​に​あって​も​かみ​の​せい​なる​わざ​に​人々ひとびと​を​して​おられる​こと​を、​に​しょうめい​して​いる。

12 これ​に​よって、かみ​は、ぶん​が​昨日き の う​も、今日き ょ う​も、また​とこしえ​に​わる​こと​の​ない​かみ​で​ある​こと​を​しめして​おられる​の​で​ある。アーメン。

13 それゆえ、この​よう​な​おおいなる​あかし​が​ある​ので、​の​人々ひとびと、すなわち、この​のち​この​わざ​に​ついて​る​すべて​の​ひと​は、これら​の​あかし​に​よって​さばかれる​で​あろう。

14 そして、しんこう​を​もって​これ​を​れ、​を​おこなう​もの​は、永遠えいえん​の​いのち​の​かんむり​を​ける​で​あろう。

15 しかし、しんこう​に​よって​こころ​を​かたくな​に​し、これ​を​こばむ​もの​は、その​こと​に​よって​ぶん​の​つみ​の​せんこく​を​まねく​で​あろう。

16 しゅ​なる​かみ​が​これ​を​かたられた​から​で​ある。わたしたち、きょうかい​の​長老ちょうろう​は​これ​を​き、たかい​ところ​に​おられる​え​ある​こう​の​かた​の​こと​に​ついて​あかし​する。この​かた​に、とこしえ​に​いつまで​も​えいこう​が​あり​ます​よう​に。アーメン。

17 これら​の​こと​に​よって、わたしたち​は、てん​に​かみ​が​おられ、この​かみ​は​げん​かつ​永遠えいえん​で、永遠えいえん​から​永遠えいえん​に​わたって​わる​こと​の​ない​おなじ​かみ​で​あり、てん​と​その​なか​に​ある​万物ばんぶつ​を​かたちづくられた​かた​で​ある​こと​を​って​いる。

18 また、かみ​は​ひと​を​そうぞう​された。すなわち、ぶん​の​かたち​に、ぶん​に​せて、おとこ​と​おんな​に​そうぞう​された。

19 そして、かみ​は​かれら​に、唯一ゆいいつ​の​ける​まこと​の​かみ​で​ある​ぶん​を​あいし、ぶん​に​つかえる​よう​に​と​の​いましめ、また​ぶん​が​かれら​の​れいはい​す​べき​唯一ゆいいつ​の​そんざい​で​ある​と​の​いましめ​を​あたえられた。

20 しかし、これら​の​せい​なる​りっぽう​に​そむいた​こと​に​よって、ひと​は​官能かんのう​に​おぼれ、あく​に​したがう​よう​に​なり、らく​した​もの​と​なった。

21 そこで、ぜんのう​の​かみ​は​ぶん​の​ひと​を​あたえられた。それ​は、あたえられて​いる​聖文せいぶん​に、ひと​に​ついて​しるされて​いる​とおり​で​ある。

22 ひと​は​数々かずかず​の​ゆうわく​に​われた​が、それら​を​すこしも​こころ​に​められなかった。

23 ひと​は​じゅう​に​つけられ、んで、みっ​に​よみがえり、

24 御父おんちち​の​みぎ​に​して​御父おんちち​の​こころ​に​したがって​ぜんのう​の​ちから​を​もって​おさめる​ため​に、てん​に​のぼって​かれた。

25 それ​は、しんじて、その​せい​なる​​に​よって​バプテスマ​を​け、さい​まで​しんこう​を​もって​しのぶ​すべて​の​ひと​が​すくわれる​ため​で​ある。

26 すなわち、ひと​が​とき​の​ちゅうかん​に​にくたい​を​って​られた​のち​に​しんじた​人々ひとびと​だけ​で​なく、とき​の​はじめ​から​の​すべて​の​ひと、すなわち、ひと​が​られる​まえ​に​いた​すべて​の​ひと​で、聖霊せいれい​の​賜物たまもの​に​よって​霊感れいかん​を​ける​まま​に​かたり、すべて​の​こと​に​おいて​ひと​に​ついて​じっさい​に​あかし​した​せい​なる​げんしゃ​たち​の​こと​を​しんじた​すべて​の​ひと​も、永遠えいえん​の​いのち​を​る​ため​で​あり、

27 また​のち​に​る​人々ひとびと​で、御父おんちち​と​おん​の​こと​を​あかし​する​聖霊せいれい​が​もたらされる​かみ​の​賜物たまもの​と​し​を​しんじる​人々ひとびと​も​永遠えいえん​の​いのち​を​る​ため​で​ある。

28 この​御父おんちち​と​おん​と​聖霊せいれい​は、げん​かつ​永遠えいえん​で、わり​の​ない​一つ​の​かみ​で​あられる。アーメン。

29 また、わたしたち​は​って​いる。すなわち、すべて​の​ひと​は​あらためて​イエス・​キリスト​の​​を​しんじ、イエス・​キリスト​の​​に​よって​御父おんちち​を​れいはい​し、また​イエス・​キリスト​の​​を​しんじて​さい​まで​しのばなければ​ならない。そう​しなければ、かみ​の​おうこく​に​すくわれない。

30 また、わたしたち​は​って​いる。すなわち、わたしたち​の​しゅ​で​あり​すくぬし​で​ある​イエス・​キリスト​の​めぐみ​に​よる​にん​は、ただしく、かつ​真実しんじつ​で​ある。

31 わたしたち​は​また​って​いる。すなわち、わたしたち​の​しゅ​で​あり​すくぬし​で​ある​イエス・​キリスト​の​めぐみ​に​よる​きよめ​は、かみ​を​あいし、勢力せいりょく​と​おもい​と​ちから​を​くして​かみ​に​つかえる​すべて​の​ひと​に​とって、ただしく、かつ​真実しんじつ​で​ある。

32 しかし、ひと​が​めぐみ​から​ち、ける​かみ​から​はなれる​こと​も​ありる。

33 それゆえ、きょうかいいん​は​ゆうわく​に​おちいらない​よう​に、用心ようじん​して、つねに​いのり​なさい。

34 まことに、きよめられて​いる​人々ひとびと​で​さえ​も​用心ようじん​しなさい。

35 また、わたしたち​は​って​いる。すなわち、これら​の​こと​は​真実しんじつ​で​あり、ヨハネ​の​けい​に​ある​とおり​で​あり、わたしたち​は​かれ​の​しょ​の​げん​や​数々かずかず​の​聖文せいぶん​や、この​のち聖霊せいれい​の​賜物たまもの​と​ちから​に​よって、かみ​の​こえ​に​よって、あるいは​てん使​の​はたらき​に​よって​あたえられる​かみ​の​けい​に​くわえる​こと​も、そこ​から​る​こと​も​ない。

36 しゅ​なる​かみ​が​これら​の​こと​を​かたられた。しゅ​なる​かみ​の​せい​なる​​に、いま​も、また​いつまで​も、ほまれ​と​ちから​と​えいこう​が​あり​ます​よう​に。アーメン。

37 さらに​また、バプテスマ​の​様式ようしき​に​かんして​きょうかい​に​あたえられた​いましめ​は、つぎ​の​とおり​で​ある。​すなわち、かみ​の​まえ​に​へりくだって、バプテスマ​を​けたい​と​ねがい、くだかれた​こころ​と​いる​れい​を​もって​すすみ​て、ぶん​の​すべて​の​つみ​を​こころ​から​あらためた​こと​と、さい​まで​イエス・​キリスト​に​つかえる​決心けっしん​を​して​すすんで​イエス・​キリスト​の​​を​ける​こと​と​を​きょうかいいん​の​まえ​に​しょうめい​し、また​ぶん​の​つみ​の​ゆるし​を​る​よう​に​キリスト​の​たま​を​けた​こと​を​その​おこない​に​よって​まことに​あきらか​に​する​ひと​は​みな、バプテスマ​に​よって​キリスト​の​きょうかい​に​れられる。

38 長老ちょうろう​と​さいきょうしつ、および​キリスト​の​きょうかい​の​会員かいいん​の​​は、つぎ​の​とおり​で​ある。​すなわち、使​は​長老ちょうろう​で​あり、その​し​は​バプテスマ​を​ほどこし、

39 ​の​長老ちょうろう​や​さいきょうしつ​を​聖任せいにん​し、

40 キリスト​の​にく​と​​の​象徴しょうちょう​で​ある​パン​と​ぶどう​しゅ​の​しき​を​しっこう​し、

41 バプテスマ​を​けて​きょうかい​に​はいる​人々ひとびと​に、聖文せいぶん​に​ある​とおり​に、​と​聖霊せいれい​に​よる​バプテスマ​の​ため​の​按手あんしゅ​に​よる​かくにん​を​おこない、

42 おしえ、かし、すすめ、バプテスマ​を​ほどこし、きょうかいいん​を​まもり、

43 按手あんしゅ​と​聖霊せいれい​の​じゅ​と​に​よって​きょうかいいん​を​かくにん​し、

44 また​すべて​の​集会しゅうかい​を​どう​する​こと​で​ある。

45 長老ちょうろう​は、かみ​の​いましめ​と​けい​に​ある​とおり​に、聖霊せいれい​に​みちびかれる​まま​に​集会しゅうかい​を​り​おこなわなければ​ならない。

46 さい​の​​は、き、おしえ、かし、すすめ、バプテスマ​を​ほどこし、せいさん​を​しっこう​する​こと​で​あり、

47 また​かく会員かいいん​の​いえ​を​おとずれて、かれら​が​こえ​に​して​いのり、ひそか​に​も​いのる​よう​に、また​てい​に​おける​すべて​の​​を​たす​よう​に​すすめる​こと​で​ある。

48 さい​は​また、​の​さい​や​きょうしつ​を​聖任せいにん​する​こと​も​できる。

49 また、長老ちょうろう​が​ひと​も​いない​とき​に​は、さい​は​集会しゅうかい​を​どう​しなければ​ならない。

50 しかし、長老ちょうろう​が​いる​とき​は、さい​は​き、おしえ、かし、すすめ、バプテスマ​を​ほどこし、

51 また​かく会員かいいん​の​いえ​を​おとずれて、かれら​が​こえ​に​して​いのり、ひそか​に​も​いのる​よう​に、また​てい​に​おける​すべて​の​​を​たす​よう​に​すすめる​だけ​で​ある。

52 これら​の​すべて​の​​に​ついて、さい​は、ひつよう​で​あれ​ば​長老ちょうろう​を​たすけ​なければ​ならない。

53 きょう​の​​は、つねに​きょうかいいん​を​まもり、かれら​と​ともに​いて​かれら​を​つよめる​こと​で​あり、

54 きょうかい​の​なか​に​ざいあく​が​ない​よう​に、たがいに​かたくな​に​なる​こと​の​ない​よう​に、いつわり、陰口かげぐち悪口あっこう​の​ない​よう​に​はからう​こと​で​あり、

55 また​きょうかいいん​が​しばしば​会合かいごう​する​よう​に​はからい、また​すべて​の​会員かいいん​が​ぶん​の​​を​たす​よう​に​はからう​こと​で​ある。

56 また​きょう​は、長老ちょうろう​や​さい​が​ざい​の​とき​に​集会しゅうかい​を​どう​しなければ​ならず、

57 ひつよう​で​あれ​ば、きょうかい​に​おける​きょう​の​すべて​の​職務しょくむ​に​ついて、つねに​しつ​の​たすけ​を​け​なければ​ならない。

58 しかし、きょう​や​しつ​に​は、バプテスマ​を​ほどこし、せいさん​を​しっこう​し、按手あんしゅ​を​おこなう​権能けんのう​は​ない。

59 しかしながら、かれら​は​けいこく​し、かし、すすめ、おしえ、また​キリスト​の​もと​に​る​よう​に​すべて​の​ひと​を​まねかなければ​ならない。

60 長老ちょうろうさいきょうしつ​は​それぞれ、あたえられる​かみ​の​賜物たまもの​と​し​に​おうじて​聖任せいにん​され​なければ​ならない。また、聖任せいにん​する​もの​の​うち​に​ある​聖霊せいれい​の​ちから​に​よって​聖任せいにん​され​なければ​ならない。

61 キリスト​の​この​きょうかい​を​こうせい​する​長老ちょうろう​たち​は、三​か​げつ​に​一​の​大会たいかい​に、あるいは​その​大会たいかい​が​​または​てい​する​折々おりおり​に​あつまらなければ​ならない。

62 そして、これら​の​大会たいかい​は、なんでも​その​とき​に​おこなう​ひつよう​の​ある​きょうかい​の​ぎょう​を​おこなわなければ​ならない。

63 長老ちょうろう​たち​は、ぶん​が​しょぞく​する​きょうかい​の​さん​の​ひょうめい​に​よって、​の​長老ちょうろう​たち​から、あるいは​大会たいかい​から​にんしょ​を​​なければ​ならない。

64 さい​から​聖任せいにん​を​ける​さい​や​きょうしつ​は​それぞれ、その​とき​に​聖任せいにん​を​おこなう​さい​から​しょうめいしょ​を​る​こと​が​できる。聖任せいにん​を​けた​もの​は​その​しょうめいしょ​を​長老ちょうろう​に​てい​する​と、ぶん​の​し​の​​を​遂行すいこう​する​ため​の​権能けんのう​を​あたえる​にんしょ​を​ようきゅう​できる。あるいは、それ​を​大会たいかい​から​る​こと​が​できる。

65 この​きょうかい​の​正式せいしき​に​しき​された​​が​ある​ところ​で​は、その​きょうかい​の​さん​の​ひょうめい​が​なければ、だれ​も​この​きょうかい​に​おける​いかなる​しょく​に​も​聖任せいにん​される​こと​は​ない。

66 しかし、さん​の​ひょうめい​を​もとめる​こと​の​できる​きょうかい​の​​が​ない​ところ​で​は、かん長老ちょうろう​や​じゅんかい​ビショップ、こうとうひょういんだいさい長老ちょうろう​が、聖任せいにん​の​とっけん​を​つ​こと​が​できる。

67 だいしんけん​の​ちょう(すなわち​かん長老ちょうろう)や​ビショップ、こうとうひょういんだいさい​は​それぞれ、こうとうひょうかい​あるいは​そう大会たいかい​の​​に​よって​聖任せいにん​され​なければ​ならない。

68 バプテスマ​に​よって​れられた​のち​の​会員かいいん​の​​は、つぎ​の​とおり​で​ある。かれら​が​せいさん​を​け、また​長老ちょうろう​たち​の​按手あんしゅ​に​よって​かくにん​される​に​さきち、長老ちょうろう​または​さい​は、キリスト​の​きょうかい​に​かんする​すべて​の​こと​を​説明せつめい​する​十分じゅうぶん​な​かん​を​って、かれら​が​かい​できる​よう​に​しなければ​ならない。それ​は、すべて​の​こと​が​ちつじょただしく​おこなわれる​ため​で​ある。

69 そして​会員かいいん​たち​は、聖文せいぶん​に​かなった​おこない​と​しんこう​が​ある​よう​に、しんこうぶかい​あゆみ​と​かい​に​よって、すなわち​しゅ​の​まえ​を​きよく​あゆむ​こと​に​よって、ぶん​が​それ​を​ける​に​ふさわしい​もの​で​ある​こと​を​きょうかいいん​の​まえ​に、また​長老ちょうろう​たち​の​まえ​に​も​しめさなければ​ならない。

70 ども​を​つ​キリスト​の​きょうかい​の​かく会員かいいん​は、きょうかいいん​の​まえ​で​長老ちょうろう​たち​の​もと​に​ども​たち​を​れてなければ​ならない。そして​長老ちょうろう​たち​は、イエス・​キリスト​の​​に​よって​かれら​に​​を​き、その​​に​よって​かれら​に​しゅくふく​を​さずけ​なければ​ならない。

71 ひと​は​かみ​の​まえ​に​責任せきにん​を​う​年齢ねんれい​に​たっし、かつ​あらため​の​のうりょく​が​なければ、だれ​も​キリスト​の​きょうかい​に​は​れられない。

72 バプテスマ​は、あらためる​すべて​の​ひと​の​ため​に、つぎ​の​ほうほう​で​しっこう​しなければ​ならない。

73 すなわち、かみ​から​され、イエス・​キリスト​から​バプテスマ​を​ほどこす​権能けんのう​を​さずけられて​いる​ひと​は、バプテスマ​の​ため​に​出頭しゅっとう​した​ひと​と​ともに​みず​の​なか​に​りて​き、かれ​または​彼女かのじょ​の​​を​んで、つぎ​の​よう​に​わなければ​ならない。「わたし​は​イエス・​キリスト​より​権能けんのう​を​けた​ので、御父おんちち​と​おん​と​聖霊せいれい​の​​に​よって、あなた​に​バプテスマ​を​ほどこし​ます。アーメン。」

74 そののち、その​ひと​は、かれ​または​彼女かのじょ​を​水中すいちゅう​に​しずめ、そして​ふたたび​みず​から​て​​なければ​ならない。

75 きょうかいいん​は、しゅ​イエス​の​ねん​として​パン​と​ぶどう​しゅ​を​ける​ため​に、しばしば​あつまる​こと​が​ひつよう​で​ある。

76 長老ちょうろう​または​さい​が​これ​を​しっこう​しなければ​ならない。つぎ​の​よう​な​ほうほう​で​しっこう​しなければ​ならない。すなわち、かれ​は​きょうかいいん​と​ともに​ひざまずき、厳粛げんしゅく​な​いのり​に​よって​御父おんちち​に​び​もとめて、つぎ​の​よう​に​わなければ​ならない。

77 永遠えいえん​の​ちち​なる​かみ​よ、わたしたち​は​おん​イエス・​キリスト​の​​に​よって​あなた​に​ねがい​もとめ​ます。この​パン​を​いただく​すべて​の​人々ひとびと​が、おん​の​からだ​の​ねん​に​これ​を​いただける​よう​に、また、すすんで​おん​の​​を​け、いつも​おん​を​おぼえ、おん​が​あたえて​くださった​いましめ​を​まもる​こと​を、永遠えいえん​の​ちち​なる​かみ​よ、あなた​に​しょうめい​して、いつも​おん​の​たま​を​けられる​よう​に、この​パン​を​しゅくふく​し、きよめて​ください。アーメン。」

78 ぶどう​しゅ​を​しゅくふく​する​ほうほう​は、つぎ​の​とおり​で​ある。すなわち、かれ​は​また​さかずき​を​って、つぎ​の​よう​に​わなければ​ならない。

79 永遠えいえん​の​ちち​なる​かみ​よ、わたしたち​は​おん​イエス・​キリスト​の​​に​よって​あなた​に​ねがい​もとめ​ます。この​ぶどうしゅ​を​いただく​すべて​の​人々ひとびと​が、この​人々ひとびと​の​ため​に​ながされた​おん​の​​の​ねん​に​これ​を​いただける​よう​に、また、いつも​おん​を​おぼえて​いる​こと​を、永遠えいえん​の​ちち​なる​かみ​よ、あなた​に​しょうめい​して、おん​の​たま​を​けられる​よう​に、この​ぶどう​しゅ​を​しゅくふく​し、きよめて​ください。アーメン。」

80 また、いましめ​に​そむいて​いる、あるいは​あやまち​に​おちいって​いる​キリスト​の​きょうかい​の​会員かいいん​は​だれ​で​あろう​と、聖文せいぶん​で​​されて​いる​とおり​に​あつかわれ​なければ​ならない。

81 キリスト​の​きょうかい​を​こうせい​する​かくきょうかい​は、きょうかい​の​長老ちょうろう​たち​が​ひらく​大会たいかい​に​しゅっせき​する​よう​に​ひとじょう​の​きょう​を​けん​する​​が​ある。

82 その​さいきょう​は​前回ぜんかい​の​大会たいかいらいきょうかい​に​にゅう​した​会員かいいん​たち​の​めい簿​を​たずさえて​しゅっせき​する。あるいは、それ​を​さい​の​​に​よって​おくって​も​よい。これ​は、ぜんきょうかい​の​すべて​の​人名じんめい​の​って​いる​正式せいしき​な​めい簿​が、​の​長老ちょうろう​たち​に​より​折々おりおり​に​選任せんにん​される​長老ちょうろう​に​よって、一​さつ​の​しょ​に​かん​される​ため​で​ある。

83 また、もしも​だれか​が​きょうかい​から​じょめい​された​なら​ば、かれら​の​まえ​を​人名じんめい​の​一般いっぱんきょうかいろく​から​抹消まっしょう​する​ため​で​も​ある。

84 ぶん​の​んで​いる​しょ​の​きょうかい​から​てんきょ​する​すべて​の​会員かいいん​は、面識めんしき​の​ない​きょうかい​へ​く​あいぶん​が​正式せいしき​な、ふさわしい​会員かいいん​で​ある​こと​を​しょうめい​する​がみ​を​たずさえて​く​こと​が​できる。その​がみ​を​ける​会員かいいん​は、長老ちょうろう​または​さい​を​だれか​じんてき​に​って​いれ​ば、その​しょうめいしょ​に​その​長老ちょうろう​または​さい​の​しょめい​を​もらう​こと​が​できる。あるいは、きょうかい​の​きょう​または​しつ​から​しょめい​を​もらって​も​よい。