マウンテンメドーの虐殺


1857年9月11日,ユタ南部において, 50~60人から成る地元の民兵が,アメリカンインディアンと同盟を結び,彼らの支援を受けて,荷馬車でカリフォルニアへ向かっていた約 120名の移住団を虐殺しました。この恐ろしい事件が起きたのは,シーダーシティーの南西約35マイル〔56キロ〕の山岳地帯にある,マウンテンメドーと呼ばれる峡谷でした。この虐殺を免れたのは,6歳以下の子供17人だけでした。犠牲者のほとんどはアーカンソー州の出身者で,明るい未来を夢見てカリフォルニアへ向かっている途中でした(リチャード・E・ターリー・ジュニア,“The Mountain Meadows Massacre,” Ensign, 2007年9月号)。 下の「その他の情報」をクリックすると,この記事全体を見ることができます。

その他の情報

リチャード・E・ターリー・ジュニア,"The Mountain Meadows Massacre," Ensign, 2007年9月号