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安息日


安息日

宗教教育セミナリー・インスティテュート衛星放送・2015年8月4日

今日は,皆さんとご一緒でき多くを学べてうれしく思っています。この場にいられて光栄です。皆さん一人一人とその働きにわたしの深い愛と感謝,敬意をお伝えしたいと思います。妻のクリスティにも感謝しています。今日は結婚25周年に当たり,友である9万8,000人の皆さんとともに祝えることを喜んでいます。皆さんと伴侶の方々の傑出した働きと貢献に感謝しています。皆さんとともにこの御業の一端を担えて光栄です。

先日の総大会に合わせて,中央幹部対象の訓練が行われました。テーマは「安息日を守り,喜びの日とする」です。教会の管理定員会は一致して,教会と家庭で安息日を守ることの大切さを教える重要な取り組みを世界中で行い,地域およびステークの評議会,その他の調整評議会で教えてきました。ステーク会長はビショップを訓練し,両者は今後もステークとワードの会員を教えます。

教会指導者に向けた訓練

その中央幹部対象の訓練を部分的に収録した多くのビデオが制作されて利用可能になり,ウェブサイトに掲載されます。1 皆さんに,この重要な資料を注意深く繰り返し観て,活用していただきたいと思います。本日は,その訓練の中から2つお見せします。ラッセル・M・ネルソン会長とM・ラッセル・バラード長老のお話です。

ラッセル・M・ネルソン会長: 「愛する兄弟姉妹の皆さん,皆さん一人一人を心から愛し,称賛しています。本日大管長会が議題としているのは,わたしたちが深く危惧していること,つまり,教会を去り,行方が分からない人,あまり活発ではない人に関してです。この問題については特に,予防策を中心に話したいと思います。そこで,今日と明日のセッションの中心となるのは,神と主イエス・キリストを信じる信仰と主の贖いを信じる信仰を育むことです。……主に聖任された使徒として,このテーマで話すよう割り当てられたことに感謝しています。安息日を聖別し,聖なるものとしなさいという主の戒めは,非常に真剣にまた文字どおりに受け取るべき義務です。もしそれを本当に行うことができれば,会員たちが主を信じる信仰を育み,主と主の教会に対する改心を深めるよう助けることができます。……安息日を聖別する方法をさらによく学ぶことで,世界中で信仰が深まります。」

M・ラッセル・バラード長老: 「兄弟姉妹,この重要な総大会の訓練に皆さんを歓迎します。大管長会と十二使徒定員会は過去数か月間,長い時間をかけて,天の御父と主イエス・キリストと主の贖いに対する信仰を深める教会の教義と原則に関して,手に入る限りの研究資料を見直しました。ご存じのように,わたしたちはいつも,改心が末永く続くこと,聖約を守ること,家族が代々にわたって活発に教会に集い続けること,教会員が霊的に強められることについて心を配ってきました。そして,今日救いの業を速めることができる組織または方針上の変更や教義面での訓練の中で特に,安息日の霊性と力を高めることが,会員や家族を主イエス・キリストに近づけるうえで最も大きな影響を及ぼすことになるという判断に至りました。」

ネルソン会長は不活発な会員に対する懸念,およびイエス・キリストと主の贖いを信じる信仰を強める必要性について語り,次のように約束しました。「わたしたちが安息日を聖別する方法をさらによく学ぶことで,世界中で信仰が深まります。」

また,皆さんはバラード長老の次の言葉にきっと注目したことでしょう。「今日救いの業を速めることができる組織または方針上の 全ての 変更や教義面での訓練の中で特に,安息日の霊性と力を高めることが,会員や家族を主イエス・キリストに近づけるうえで最も大きな影響を及ぼすことになるという判断に至りました。」2

宗教教育セミナリー・インスティテュートの役割

こうした世界的な取り組みの中で,セミナリーとインスティテュートの役割は,教会教育管理会の具体的な指導を受けながら,安息日を守るという原則と聖餐に関連した教義を教えることに改めて重点を置くことにより,その取り組みを 助ける ことです。また,これらの原則への理解を深め,実践することを青少年とヤングアダルトに求めることです。そのために,聖文を教えるときやコース概説の中でこれらの原則が自然な形で出て来るときに,その原則を強調するのです。預言者,聖見者,啓示を受ける者として召された人たちの指導を受け,彼らと協力して働くのはわたしたちにとってすばらしい機会です。そうすることにより,わたしたちは青少年とヤングアダルトがイエス・キリストの教えと贖罪を理解し支えとするのを助けるという目的を一層よく果たすことができます。

イエス・キリストへの信仰が深まるように,安息日と聖餐に関する原則を教えるにはどうしたらよいか,その方法を説明するために,おもに旧約聖書から実例を選びました。数か月後,皆さんの多くが旧約聖書を教えることになるからです。

安息日

1.安息日は主から与えられたしるしである。

安息日に関する一つの重要な原則が出エジプト記 の第31章に記されています。

「あなたがたは必ずわたしの安息日を守らなければならない。これはわたしとあなたがたとの間の,代々にわたるしるしであって,わたしがあなたがたを聖別する主であることを,知らせるためのものである。……

ゆえに,イスラエルの人々は安息日を覚え,永遠の契約として,……安息日を守らなければならない。」3

安息日がわたしたちへの神の契約のしるしであるという考えは重要です。それは,わたしたちが皆,「清くない者は神とともに住むことができない」4 というジレンマを抱え,「すべての人は罪を犯したため,神の栄光を受けられな〔い〕」5 と知っているからです。それを解決するのは,御父の贖いの計画の中心となるイエス・キリストです。「わたしはあなたがたを聖くすることができ」ると 教義と聖約60 章7節 でおっしゃっています。また,使徒パウロが教えたように,「〔わたしたち〕は,代価を払って買いとられた」6 のです。

その代価となったのが,完全な神の御子の生と死と苦しみでした。では,買い取られた証拠は何でしょうか。何が支払いを証明するのでしょうか。安息日は神が子供たちと交わした聖約の成就の永久のしるしであり,わたしたちを聖くすることがおできになるというしるしです。

2.安息日はわたしたちから主へのしるしである。

安息日は,主がわたしたちを買い取られ,わたしたちを聖別されるしるしであるだけでなく, わたしたち から へのしるしでもあります。つまり,主がしてくださったこと, 主の 犠牲と, わたしたちの 聖約に対する思いを,主へささげるしるしでもあるのです。

先日の総大会で,ネルソン会長はこう教えました。「わたしがまだ若かったとき,安息日に行うことと行っては ならない ことについて他の人々がリストにしたものを学習しました。程なくして,安息日に対する自分の行いと態度が自分と天の御父の間の しるし であると聖典から学びました。そのことを理解すると,もう行うことや行わないことのリストは要りませんでした。ある活動が安息日にふさわしいかどうか判断する必要がある場合,こう自問するだけでした。『自分は神にどんな しるし を差し出そうとしているだろうか。』この質問は安息日についての選びをきわめて明確にしました。」7

安息日に関する各々の選択は各個人の問題です。個々人がささげるものであり,主が喜んでわたしたちを聖別してくださることへの感謝のしるしです。何をするかしないかのリストではなく,わたしが 伝えたい のは,世界中で目にした,安息日を聖くすることを選んだ青少年やヤングアダルトのことです。多くの人が日曜日に仕事をしない選択をしました。また日曜日に勉強しないという目標を立てた人もいます。タイのある若い女性は,友達を失うかもしれないのに安息日に友人と遊ばないことに決めました。それは,友達にとって聞いたことのない考え方でした。わたしの知っているカリフォルニアの若い男性は,プロのサッカー選手を目指していましたが,仲間やコーチからのプレッシャーにも臆せず,また,優秀なスポーツ選手に与えられる大学の奨学金を不意にする危険を冒しても,安息日に大会に参加しないと決心しました。

主の日を聖なる日として主を尊んだこのようなすばらしい若者を,主は必ずや称賛されると確信しています。わたしたちの聖約に対する気持ちは,安息日への態度と行動に表れ,それが,主へのしるしであること,また,「安息日を聖く守ることは聖約の全てを守ることの象徴」8であることを生徒に教えてください。8

3.安息日は喜びの日である。

旧約聖書に書かれたもう一つの原則

「もし安息日にあなたの足をとどめ,わが聖日にあなたの楽しみをなさず,安息日を喜びの日と呼び,主の聖日を尊ぶべき日ととなえ,これを尊んで, おのが 道を行わず, おのが 楽しみを求めず,むなしい言葉を語らないならば,

そのとき あなたは主によって喜びを得〔る〕。」9

出エジプト記 16章はこの原則を実によく表しています。イスラエルの子らが空腹だと文句を言い,エジプトの「肉のなべ」のある所へ帰りたいと望んだとき,主は言われました。

「わたしはあなたがたのために,天からパンを降らせよう。民は出て日々の分を日ごとに集めなければならない。こうして彼らがわたしの律法に従うかどうかを 試み よう。

六日目には,彼らが取り入れたものを調理すると,それは日ごとに集めるものの 二倍 あるであろう。」10

この聖句には少なくともあと二つ原則があります。一つは,安息日に主はわたしたちの従順を試しておられるということ。もう一つは,主はわたしたちが主の戒めを守れるように方法を備えておられるということです。安息日が喜びとなるという約束がどのように成就されるか考えてください。生きるために毎日働いてマナを集めていたある日,主が言われました。「今日は働く必要がありません。けれども,働いたかのように,食物を与えます。」うれしい言葉ではありませんか。

この話の現代版ともいうべき話を聞きました。アフリカで奉仕した夫婦宣教師のビーチャー夫妻の話です。

「わたしたちはウガンダとの国境沿いにあるケニヤの非常に貧しい地域に住んでいます。ある一人の支部会長……は,親戚が所有する土地に住む農夫で,小さな家族を持つ若い父親です。

その支部会長に会員は,家を留守にしている間に近所の人が作物を盗むのではないかと心配で,日曜日に教会には行けない,と言うのです。これは深刻な問題です。実際,人々は近所の人たちが植えつけを始めるのを待って,植えつけを始めます。他より早く実った作物が盗まれないようにするためです。

また,とても貧しくて日曜日にも働かなければならないから,教会に行けないとも彼らは訴えています。

支部会長は続けて言いました。『わたしは会員たちにこう言っています。「わたしは毎週日曜日に家を出ると,その日の大半を教会で過ごします。安息日には働きません。家へ帰ると,トウモロコシや鶏や卵,果物などが盗まれていることがよくあります。皆お腹がすいているのに,食べ物がないのです。ところが,収穫高は,毎週日曜日に働く人たちよりわたしのほうが多いという祝福を受けています。わたしは安息日を聖く守っているので祝福を受けます。だから,わたしの土地は他より多く実るのです。」』

この支部会長の話を聞き,別の支部会長がこう言いました。『わたしも同様の経験をしています。わたしには2エーカーのトウモロコシ畑があり,隣人の畑は10エーカーです。隣人は毎週日曜日に働いていますが,わたしは日曜日には働きません。でも収穫のときになると,わたしには十分な収穫があります。しかし隣人の収穫は足りず,食物を求めてわたしのところに来るのです。わたしも同じように,安息日の律法に従うことにより祝福を受けています。』」11

主の道はわたしたちの道より高く,主の計算方法もわたしたちとは異なります。什分の一がそうではありませんか。什分の一では,十引く一は九ではありません。主は必要なものだけでなく,それ以上の祝福をわたしたちに与えてくださいます。安息日についても同様です。1週間は7日ありますが, 6日間働くことで本当に必要なものを,それ以下ではなくそれ以上与えてくださいます。「これをもってわたしを試み,わたしが天の窓を開いて,あふるる恵みを,あなたがたに注ぐか否かを見なさい」12 という主の声が聞こえませんか。

安息日は肉体的な労働を休む日であるだけでなく,霊を活気づける日でもあります。世の思い煩いから離れて休む日です。

ジョセフ・F・スミス大管長は主の安息について次のように教えました。「神の知識と愛を知ること〔です〕。すなわち,……人々の悪巧みによって起こる様々な教えの風に吹き回されたり,もてあそばれたりしているのでは〔なく〕,……神の目的と計画に対して信仰を持つことです。」13 (真理を求め,真理と誤りを識別するよう生徒を助けるというわたしたちの優先事項に関連した その 約束の力について考えてください。)

また,聖文から得られるもう一つのきわめて重要な祝福を挙げなくてはなりません。出エジプト記 31章には「代々にわたる」14 という言葉が使われています。また,イザヤ 58章で,主は「ヤコブの嗣業をもって,あなたを養う」15 と約束しておられます。これらの聖句と教会指導者から受ける訓練を研究するとき,安息日を聖なるものとすることの最も大きな祝福の一つが子供や孫たちのためであると分かるでしょう。毎週日曜日は,皆さんが何を優先し,そのために自分の強い望みを進んで犠牲にして主の戒めを守っていることを子供たちに教える機会です。

これは子供たちにとって大きな祝福です。家族が代々イエス・キリストの忠実な弟子となるのを助けます。安息日の祝福はこれだけではありません。それを知れば,安息日が喜びであるというのは当然のことではないでしょうか。

4.安息日はわたしたちを世の汚れから守ります。

安息日に関するもう一つの原則が教義と聖約59章に書かれています。「また,あなたは,世の汚れに染まらずに自らをさらに十分に清く保つために,わたしの聖日に祈りの家に行って,聖式をささげなければならない。」16

旧約聖書にはこの原則を教えている箇所が多くあります。例えば,アブラハムの聖約を教えるときに,世にあって世のものにならないことを青少年に教えることができます。サムエル上 8章にも良い例があります。

スペンサーW・キンボール大管長はサムエル上8章を用いて意味深い教えを説いています。

「主と主の預言者は失望し悲しみました。……しかし民は『ほかの国々のように』王を求めました。……

現代のわたしたちもそれと似ています。この世の魅力と空虚を求め,愚かさが招く結果に気づかないこともあります。教会員でない人々は安息日に娯楽を求めます。わたしたちも多くの場合,安息日にすべきことをせず,主の聖日を破ることになっても,同じように楽しみたいと思うのです。今,人は無宗教で結婚式を挙げ,わたしたちも,同じようにしなければと思います。この世の魅力に心を奪われ,真の結婚の厳粛さを見失うことになってもです。……

粗野な金の亡者が流行を作り,新しいファッションを次々に流行遅れにしていきます。……流行遅れになるより死んだ方がましなのです。……他の国々のように王が必要なのです。

主の民は聖なる民となると主は言われますが,わたしたちは聖なる民になりたいと望んでいません。

……末日聖徒が自分の足でしっかりと立ち,自らの標準を確立し,正しい規範に沿って,福音の導きに従って栄誉に満ちた人生を送るのは,一体いつのことでしょうか。」17

わたしたちの青少年が世俗的な人生観や慣習,この世の標準や流行に押し流されそうになるとき,この世の影響を受けることなく,聖なる民になるべきことが分かるように助けてあげてください。18 安息日を聖く保つことは,そのように行うための方法であり,この世の汚れから身を守る方法であることが分かるようにしてあげてください。

聖餐

聖餐の目的

では話題を変えて,聖餐の目的について少しお話ししたいと思います。

わたしたちは,御子の体と血の 記念 として聖餐に与ります。これが主御自身の述べられた聖餐の理由であり,聖地とアメリカ大陸の両方で主御自身がお定めになりました。19 これはわたしたちが毎週行うべき重要なことです。聖餐は主を覚えるための機会です。さらに,文字どおりの復活と罪の贖い,人生の苦難に立ち向かうために与えられた十分な恵みに関わる,主の体と血が表す全てのことを覚える機会です。

わたしたちは進んで御子の御名を受け,御子の戒めを守ることを永遠の父なる神に 証明 し,それによって 全て の聖約を新たにします。もしわたしたち各人が毎週誠実にそう行うならどのようになるか,想像できるでしょうか。聖餐会は霊的な糧をいただき,最高の約束として主から「いつも御子の御霊を受け」,希望と癒し,強さと慰めと赦しを受けるという機会になるでしょう。20

わたしたちには,赦しと癒やしが必要です。中には,赦して,長い間抱いてきた辛らつな思いをなくす必要のある人もいます。贖いと聖餐は,今そのようにする機会を与えてくれます。

聖文のあらゆる箇所で聖餐の目的を教えることができ,それを全クラスでも教えることができます。わたしは,そのために少なくとも二つの具体的な方法があることを提案します。一つは, 救い主の予型または象徴 を教えるときはいつも,聖餐の目的を教える機会となります。もう一つは, 聖約 に関連した原則を教えるときはいつも, それらの 原則を聖餐に関連づけて教えることができるということです。

再び旧約聖書を使って,二つの方法の具体例を一つずつ紹介しましょう。

1.予型と象徴はイエス・キリストへ心を向けさせる。

救い主の予型と象徴を用いることを説明する第一の例がレビ記1章にあります。主はイスラエルの子らに自主的に供え物をささげるように教えておられます。礼拝に来た人の供え物が受け入れられ,その人が贖われるためには, 供え物は傷のない,オスの動物でなければなりません。そこで,その人は動物をほふり,祭司たちがその血を祭壇の周囲に注ぎかけます。21

この象徴が何を意味し,どのように聖餐と関係しているのか,そして人が聖められる一方で,主ご自身はその人の苦難や悲しみを受け,罪を背負われることはすぐに分かります。義人の「衣は小羊の血によって白〔くされ〕」22 るのに対して,「主の装いは赤〔い〕」というのは,驚くような逆説だと思います。「彼らの血がわたしの衣に降りかかり,わたしの装いをことごとく汚した」23 と主が言われたとおりです。

赤い衣の主が白い衣を着た天使たちに囲まれている光景は何と感動的でしょうか。イエス・キリストが苦難をお受けになったことにより,「たといあなたがたの罪は緋のようであっても,雪のように白くなる」24 のです。

次に,供え物は頭と内臓と足と脂肪に切り分けられます。25 頭はわたしたちの思考,内臓は心と感情,そして足は行動の象徴です。象徴を通してわたしたちは聖餐を思い起こし,心と勢力,思いと力を尽くして神を愛すると決心するのです。26

すなわち,ニール・A・マックスウェル長老が「個人の本当の犠牲は,祭壇に動物をささげることでは決してありません。そうではなく,わたしたちの中の動物的な欲望を進んで祭壇の上に置き,焼き尽くすのです。」27 と教えたとおりです。

また,「アロンの子」28 である祭司の役割を用いて,聖餐式で果たす役割の大切さを若い男性に教えてください。祭司たちに, 彼ら こそアロンの子であり,この世から離れて,救い主の代理を務めることを教えてください。アロン神権の教師たちに,彼らはアリマタヤのヨセフの役割を担い,キリストの体を葬る用意をするのだと教えてください。(皆さんの中には,亡くなった人の埋葬の用意という神聖な経験をした人がいることでしょう。アリマタヤのヨセフの神聖な経験を想像できるでしょうか。29 ) 聖餐会は救い主を記念する 追悼式 であることを理解するよう若い男性を助けてください。

あるステーク会長がこのことを教師定員会に教えました。今,この定員会の15歳の会長は,毎週日曜日に定員会の全員に聖餐会の30分前に来てもらい,一緒に聖文を読んで祈り,みんなで聖餐の準備をするようになりました。

また,執事たちに自分たちの果たす役割を教えてください。皆さんは,救い主の追悼式でひつぎを担ぐ自分を想像できるでしょうか。

アロン神権者が神権を尊んでいることにより,全ての人がゲツセマネで流された主の血の祝福と赦し,そして癒しを受けられるということを教師や執事たちに伝えてください。

2. 聖約について教えることは聖餐を教える機会となる。

聖約に関連した原則を教えるときも,聖餐について教えるもう一つの機会となります。

これに関する例がホセア書にあります。夫と彼の妻,妻の裏切り,結婚の聖約の試しを象徴に用いて,天の御父 との聖約関係について教えています。主はホセアに「淫行の妻と,淫行によって生れた子らを受け入れよ」30 とお命じになります。そこでホセアはゴメルをめとります。しかし,ゴメルを家に入れ,面倒を見,愛したにもかかわらず,ゴメルは元の生活に戻り,ホセアを裏切るのです。

自分がホセアであったら,どう思うでしょうか。このような裏切りに対して,ホセアが語った言葉をよく聞いてください。

「わたしは彼女をいざなって,荒野に導いて行き,ねんごろに彼女に語ろう。

……わたしは彼女に……ぶどう園を与え〔る〕。」31

そして次の聖句では,話の主体がホセアとゴメルから主と契約の民イスラエルに変わり,主はこう語ります。「“わたし は永遠に あなた とちぎりを結ぶ。すなわち正義と,公平と,いつくしみと,あわれみとをもってちぎりを結ぶ。」 32

聖約に対するホセアの思いを知り,わたしたちと交わされた聖約に対する主の思いも同じであると理解することは,わたしにとって大きな祝福でした。

わたしがこの話を好きになったきっかけは,ヘンリー・B・アイリング管長の話でした。皆さんの中にも,管長がセミナリーで旧約聖書を教えた経験について語ったときに会場にいた人もいるでしょう。「理由はよく説明できないのですが,ホセア書を教えていた当時,わたしは何か新しいもの,もっと力強いものを感じました。これは共同経営者同士の商取引の話ではありません。……これは愛の話です。愛,固い愛の絆で結ばれた結婚の聖約の話です。当時感じた思いは年月を経て深まってきました。わたしは主と聖約を交わす祝福を受けていますが,主はわたしを,そして皆さんを,またわたしたちが教える人々を愛しておられます。その不動の愛にわたしはいつも驚き,その模範に習いたいと心から望んでいます。」33

この話はこれにとどまりません。1995年のCESシンポジウムでのアイリング管長のすばらしい話をもう一度視聴してみてください。わたしが言いたいのは,わたしたちには聖約を教える機会があるということです。アイリング長老は,神がわたしたちを愛しておられ,聖約を通してわたしたちを祝福することを喜んでおられると感じました。わたしたちが聖約について教えるとき,アイリング長老が感じたように生徒たちも感じるように,助けてください。儀式と聖約が,神の愛,そして,わたしたちの昇栄を願う神の思いの象徴であることを理解するようになるとき,わたしたちは聖餐によって永遠に変えられるのです。

まとめ

教会の青少年とヤングアダルトが毎週聖餐会に出席し,心から救い主を覚え,主の贖いに感謝するならば,そして,日々救い主の御名を身に受けて主の戒めを守り,聖霊の賜物にふさわしく生活するよう努力することを御父に証明するならば,どのようなことが起きるか想像できますか。また週日は,愛する天の御父の計画の中で最も重要な役割をもつ救い主に 焦点を合わせた セミナリーやインスティテュートのクラスで学んで,イエス・キリストの弟子となる約束を思い起こすならば,そして家庭でこうした事柄について両親と話し,安息日が一週間の中心となるように一緒に計画するなら,どのようなことが起きるでしょうか。34 どのような主の祝福がわたしたちを待ち受けているのか,とても想像ができません。

最後にわたしの証を述べたいと思います。わたしたちがこの教義を力強く教えるためには,まず自ら実践しなければなりません。安息日を聖なるものとして,毎週日曜日にわたしたち自身が聖約を新たにして救い主を覚えるなら,安息日は わたしたち の喜びとなり,わたしたちと家族は代々にわたって祝福されます。また,愛する生徒たちを霊的に鼓舞する能力が大いにまします。それによって生徒たちは,安息日を聖くすることが, 彼ら にとってイエス・キリストの教えと贖いを理解し,頼ることができることを知る助けになると分かるでしょう。世の救い主の弟子として聖約に対する認識を深め,聖約を守る決意を強めるでしょう。

わたしたちが常に主を覚えることができますように,イエス・キリストの御名により,アーメン。

  1. 「安息日訓練ビデオ」参照,si.lds.org

  2. 強調付加

  3. 出エジプト31:13,16

  4. 1ニーファイ10:21

  5. ローマ3:23

  6. 1コリント6:20

  7. ラッセル・M・ネルソン「安息日は喜びの日」『リアホナ』2015年5月号,130

  8. ドナルド・W・パリー,ジェイ・A・パリー,ティナ・M・ピーターソン, Understanding Isaiah ,497;『わたしの福音を宣べ伝えなさい』74も参照

  9. イザヤ58:13-14;強調付加;申命32:13も参照

  10. 出エジプト16:3-5 ; 強調付加。

  11. ニール・ビーチャーとジャッキー・ビーチャー,R・ケリー・ハウズへのEメール,2011年5月24日

  12. マラキ3:10

  13. 『歴代大管長の教え―ジョセフ・F・スミス』57

  14. 出エジプト31:13

  15. イザヤ58:14

  16. 教義と聖約59:9

  17. スペンサー・W・キンボール,“Like All the Nations”, Church News ,1960年10月15日,14

  18. 『聖句ガイド』「安息日」23-24参照

  19. JSマルコ14:20‐23(『聖句ガイド』) 参照; 3ニーファイ18:7,11

  20. 教義と聖約20:77 ;メルビン・J・バラード,“The Sacramental Covenant,” New Era, 1976年1月号,8も参照。

  21. レビ1:2‐5 参照

  22. エテル13:10

  23. 教義と聖約133:48,51

  24. イザヤ1:18

  25. レビ1:6‐9,12‐13 参照

  26. 教義と聖約4:2

  27. ニール・A・マックスウェル「すべて神のみこころに背くことを捨てよ」『聖徒の道』1995年7月号, 73参照;エペソ6:14‐17;教義と聖約27:15‐18 も参照

  28. レビ1:7-8,11 参照

  29. マタイ27:57-60

  30. ホセア1:2

  31. ホセア2:14-15

  32. ホセア2:19 ,強調付加

  33. ヘンリー・B・アイリング,”Covenants and Sacrifice”( 教会教育システム宗教教育者への講話,1995年8月15日),2,si.lds.org

  34. 申命6:5‐7 参照