教会歴史
日本—教会歴史年表


日本—教会歴史年表

1901年8月12日・日本,横浜末日聖徒の宣教師,最初の一団が日本に到着。

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日本の奉献の地における宣教師たち

1901年9月1日・横浜

ヒーバー・J・グラントが,福音を宣べ伝える地として日本を奉献。

1902年3月8日・日本,大森中澤元(はじめ)が日本における最初の改宗者となる。

1902年4月28日・日本,東京教会の最初の集会が中澤家の自宅で開かれる。

1902年8月17日・東京日本で最初の日曜学校が組織される。当初,集会は英語で行われた。

1902年8月20日・東京日本人学者の高橋五郎が『麼兒門教と麼兒門教徒』(モルモン教とモルモン教徒)を出版。

1903年10月11日・東京加藤建蔵のバプテスマが日本語で執行される。日本語で行われた最初の儀式だった。

1903年10月16日・日本,北条日本語による日曜学校が初めて組織される。

1904年1月-1909年9月 • 東京アルマ・O・テーラー監督の下,モルモン書が初めて日本語に翻訳される。

1909年10月6日・東京日本語のモルモン書の初版が印刷,製本される。

1910年7月3日・東京日本における最初の相互発達協会(MIA)が設立される。会長として桜庭武四郎が召される。

1917年5月30日・東京日本における最初の扶助協会が組織される。

1923年1月 • 日本奈良冨士哉,日本における管理長老に聖任される。

1924年5月26日・ ワシントンD.C.合衆国議会が,アジア・太平洋地域から合衆国への移民を禁止する1924年移民法を可決する。

1924 年6月9日・東京アメリカ合衆国・日本間の緊張の高まりを受けて,ヒーバー・J・グラント大管長が日本伝道部を閉鎖する。

1925年1月1日・東京『棕櫚』創刊号が発行される。これは,日本における支部間の継続的な親睦を図った機関誌であった。

1926-1938年 • ソルトレーク・シティーと日本大管長会はアルマ・O・テーラーに,日本人聖徒とのやり取り続けるよう依頼する。テーラーは大管長会に,日本での活動報告書を定期的に提出した。

1926年11月 • 東京,大阪,札幌ブリガム・ヤング大学(BYU)学長であったフランクリン・S・ハリスが教会の支部を訪問し,MIAをさらに正式なものとして組織する。奈良冨士哉が日本におけるMIAの監督責任者として召された。

1927年12月 • ソルトレーク・シティーと東京大管長会からの手紙で,奈良冨士哉の管理長老としての指名が再確認される。

1934 年7月7日・ソルトレーク・シティー藤原武夫がヒーバー・J・グラントより,日本の「管理長老および特別宣教師」として任命される。

1934年7月-12月 • 東京,大阪,甲府,札幌藤原武夫により,東京,大阪,甲府,札幌に支部が組織される。

1935年4月28日・甲府藤原武夫の管理の下,伝道部閉鎖後初となる聖餐会が行われる。米山連(むらじ)が支部会長として召され,支持を受ける。

1935年5月19日・東京石川光威(てるたけ)と望月京子がバプテスマと確認を受ける。これは,伝道部閉鎖後初めて行われた神権の儀式であった。

1936年1月27日・東京藤原武夫,結核により死去。日本における後任の管理長老が正式に召されることはなかった。

1937-1945年 • ハワイ,ホノルルホノルルに本部を置いた日本伝道部が,日本における教会の諸事を監督する。

1939年4月 • 大阪,東京,札幌ヒルトン・A・ロバートソンが日本全国の聖徒を訪ね,新たに8人にバプテスマを施し,一人を長老に聖任する。

1945年10月30日・東京エドワード・クリソルドが地元の新聞に,日本にいるすべての教会員と連絡を取りたい旨の広告を載せ,奈良冨士哉がそれにこたえる。

1947年10月22日・ ソルトレーク・シティーエドワード・L・クリソルド,日本伝道部を再開するよう召される。

1948年3月7日・東京クリソルド,奈良冨士哉が指導する日本語の日曜学校と子供日曜学校に出席する。

1949年7月17日・東京十二使徒定員会のマシュー・カウリーが,日本に多くの教会堂と,さらには「幾つかの神殿」が建てられるであろうと預言する。

1952-1953年 • 日本バイナル・マース日本伝道部会長が,軍人会員による宣教師基金を始める。岸上ひで,日本人を教えるために召された最初の日本人女性宣教師となる。

1955年 • 東京教義と聖約,高価な真珠が日本語で初めて出版される。

1964年4月26日・東京東京北支部の集会所が奉献される。これは,アジアで建設された最初の末日聖徒の集会所である。

1965年7月・日本とハワイ会員が神殿の儀式に参加するために最初のハワイ州ライエ神殿団体参入を行う。それ以降,幾度も神殿団体参入が行われることとなる。

1965年 • 日本日本の伝道部を管理する伝道部会長としては初の日系人であるアドニー・Y・小松が北部極東伝道部のとして会長召される。

1970年3月15日・東京田中健治を会長に,アジア初のステークである東京ステークが組織される。

1970年3月15日-9月13日 • 大阪大阪で万国博覧会が開催される。

1972年 • 東京教会教育システム,日本で初めてセミナリーとインスティテュートを組織する。

1975年4月4日・ソルトレーク・シティーアドニー・Y・小松が十二使徒定員会補助に召され,日系人として初の中央幹部となる。

1975年8月9日・東京スペンサー・W・キンボール大管長,東京神殿建設を発表。

1977年10月1日・ソルトレーク・シティー菊地良彦が七十人第一定員会会員に召される。中央幹部として奉仕した,最初の日本生まれの日本人であった。

1980年10月27-29日 • 東京スペンサー・W・キンボール大管長,アジア初の神殿である日本東京神殿を奉献。

1990年3月31・ソルトレーク・シティー岡崎チエコ,中央扶助協会会長会第一顧問として召される。岡崎は,アジア系の女性では初となる教会の中央役員であった。

2000年6月11日・日本,福岡ゴードン・B・ヒンクレー大管長,日本福岡神殿を奉献。

2011年3月 • 日本東北,東日本を襲ったマグニチュード9.0の地震と津波に際し,教会は180トンの緊急時用物資を送る。

2016年8月21日・札幌十二使徒定員会のラッセル・M・ネルソン会長,日本札幌神殿を奉献。