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第46章:教義と聖約121:1-10;122-123章


「第46章:教義と聖約121:1-10;122-123章」教義と聖約 生徒用資料

「第46章」教義と聖約 生徒用資料

第46章

教義と聖約121:1-10122-123章

紹介とタイムライン

1838年10月31日,ミズーリ州ファーウェストで,ミズーリ州民兵隊が預言者ジョセフ・スミスら教会指導者を捕らえた。これらの兄弟たちは,最終的にミズーリ州クレイ郡のリバティーの監獄に拘留され,4か月にわたる監禁の間,ひどい苦難を被った。1839年3月20日,預言者はリバティーの監獄で教会員への手紙を口述した。そのおよそ2日後に書かれた2通目の手紙には,自身と「苦しんでいる聖徒たち」を哀れんでくださるよう主に願い求めるために書いた祈りが盛り込まれた(教義と聖約121:4,6参照)。この祈りに対する主の答えと,ミズーリの家から追い出された教会員に対する勧告も加えられた。これらの手紙の一部が,教義と聖約121-123章に記録されている。

1838年8月-10月ミズーリ州の住人と教会員の間に誤解と緊張が高まり,武力紛争へと発展した。

1838年10月27日リルバーン・W・ボッグズ知事が,ミズーリ州から全末日聖徒を撲滅または追放することを承認した。

1838年10月30日ミズーリ州ファーウェストの東12マイル(19キロ)のハウンズミルの入植地で,反モルモン自警団によって教会員が襲撃され,男性と少年17人が殺され,13人が負傷した。

1838年10月31日ミズーリ州ファーウェストで,ミズーリ州民兵隊が預言者ジョセフ・スミスらを捕らえた。

1838年12月1日預言者ジョセフ・スミスと同僚たちがミズーリ州クレイ郡にあるリバティーの監獄に拘留された。

1839年3月20-22日預言者ジョセフ・スミスはリバティーの監獄から送る手紙を口述した。その一部が教義と聖約121-123章に記録されている。

1839年4月6日預言者ジョセフ・スミスと同僚たちは,法廷審問を受けるためリバティーの監獄からミズーリ州ガラティンに移送された。1839年4月16日に監禁を解かれ,イリノイ州の聖徒に合流した。

教義と聖約121-123章:追加の歴史的背景

1838年7月4日,合衆国の独立を祝い,ミズーリ州ファーウェストの神殿用地で隅石を据える式典に参加するために,何千人もの教会員が集まりました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 6: February 1838–August 1839, ed. Mark Ashurst-McGee and others [2017], 170)。しかし1か月後,ファーウェストでの比較的平和な状態は損なわれ,1838年末までにはミズーリの住人は教会員を州から追い出すようになりました。この年の前半,オリバー・カウドリ,デビッド・ホイットマー,ジョン・ホイットマー,ウィリアム・W・フェルプス,ライマン・ジョンソンほか幾人かの主要な教会員が背教していました。この人々が聖徒を攻撃するよう暴徒を扇動するのを恐れて,一部の教会員は民兵団を結成し,離反者に脅しの手紙を配布したので,離反者はファーウェストとコールドウェル郡から逃れることになりました(See The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 6: February 1838–August 1839, 9–10.)。預言者ジョセフ・スミスは,後に「ダナイツ」として知られるこの民兵団の結成を承認していたかもしれませんが,時折威嚇や脅しなどに関与する彼らの行動をすべて知っていたわけでも,すべてを承認していたわけでもないと考えられます。これらの出来事によって,1838年後半には教会員とミズーリ州の住人との間の緊張は高まりました(“Peace and Violence among 19th-Century Latter-day Saints,” Gospel Topics Essays, topics.lds.org)

教会員と他のミズーリの住人との宗教的,文化的,政治的な違いが,教会から破門された人たちによる報復的動きと相まって,双方の敵対心へと発展していったのです。1838年10月25日,コールドウェル郡民兵隊に属する教会員と,モルモンではないレイ郡民兵隊とがミズーリ州クルックト川で衝突し,教会員3人とミズーリの住人1人が死亡しました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 6: February 1838–August 1839, 269)。この事件やミズーリ州でのほかの争いについて反モルモンが行った,極端に教会員を責める報告を信用したリルバーン・W・ボッグズ知事は,全モルモンを撲滅するか,州外に強制的に追放することを求める行政命令を出し,州軍がファーウェストに行軍することを承認しました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 6: February 1838–August 1839, 269–70)

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〔ハウンズミルの画像〕

1838年10月30日,約240人の男がミズーリ州コールドウェル郡で,この付近のハウンズミルにあった末日聖徒の入植地を襲撃し,少なくとも17人が殺された。

1838年10月30日,武装した暴徒がファーウェストの東約12マイル(19キロ〉にあるハウンズミルのモルモンの入植地を襲撃し,男性,女性,子供を銃撃しました。17人の教会員が無残に殺害されまたは致命傷を負って後に死亡し,ほかに13人が負傷しました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 6: February 1838–August 1839, 269)

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〔Valiant in Our Testimony of the Savior,by Dan Burrの画像〕

Valiant in Our Testimony of the Savior(「救い主についての証に雄々しく」)by Dan Burr.1838年11月,預言者ジョセフ・スミスとほかの教会指導者は,ミズーリ州リッチモンドに監禁された。

その間,何千人もの州軍兵がファーウェストに行軍しました。預言者ジョセフ・スミスとほかの教会指導者は逮捕され,慌ただしい軍事裁判の後,反逆罪により死刑を言い渡されました。しかし,ミズーリ州軍の准将アレクサンダー・ドニファンが,この命令を遂行するのを拒否しました。被告であった教会指導者たちは,その後,厳重な警護の下,ミズーリ州インディペンデンスの当局まで連行され,1838年11月4日に到着しました。数日後,指導者たちはミズーリ州リッチモンドに移送され,ファーウェストで逮捕された数十人の末日聖徒の男性とともに,3週間鎖につながれたまま監禁されました。その間,オースティン・キング判事は法廷を開き,ジョセフ・スミス,シドニー・リグドン,ライマン・ワイト,アレクサンダー・マクレー,ケイレブ・ボールドウィンには,反逆罪を科すための証拠が十分であると判断しました。それからキング判事は指導者たちをミズーリ州クレイ郡にあるリバティーの監獄に送り,翌春に予定されている裁判を待ちました(See The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 6: February 1838–August 1839, 265, 271–74.)

1838年から1839年にかけての冬の間,預言者ジョセフ・スミスと同僚たちは,リバティーの監獄の暖房がなく不衛生な環境で苦しまなければなりませんでした。加えて悲惨だったのは,厳しい冬のさなかに十分な持ち物もなくミズーリ州から追放されていた家族やほかの教会員を助けることもできないという現実でした。(See The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 6: February 1838–August 1839, 274–76; see also JustinR. Bray, “Within the Walls of Liberty Jail,” in Revelations in Context, ed. Matthew McBride and James Goldberg [2016], 258–59, or history.lds.org.)預言者ジョセフ・スミスが主に慰めと霊的な理解力を嘆願し,ついに主から授けられたのは,このような極度に困難な状況下でのことでした。1839年3月20日,預言者は,エドワード・パートリッジビショップとイリノイ州クインシーやほかの場所にいる教会員に向けた手紙を口述しました。そのおよそ二日後に,預言者はパートリッジビショップと聖徒たちにもう一度手紙を書き,慰めと勧告を与えました(See The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 6: February 1838–August 1839, 357, 389.)。これらの手紙の一部は,教義と聖約121-123章に記録されています。

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地図8:アメリカ合衆国のミズーリ,イリノイ,アイオワ地域

教義と聖約121:1-10; 122章

主は預言者ジョセフ・スミスの嘆願におこたえになる

教義と聖約121:1-6。「あなたの隠れ場を覆う大幕はどこにあるのですか」

約4か月間,預言者ジョセフ・スミスと同僚たちはリバティーの監獄でひどい苦難を被りました。地下牢のような部屋を出入りできる扉は,天井にある落とし戸だけでした。壁の厚さは4フィート(約1.2メートル)で,薄暗い部屋には格子付きの小さな窓が二つあるだけでした。石の床は冷たく,しかも部屋に暖房もなく,収監された者たちは不潔なわらの上で眠りました。収監された一人は与えられる食べ物について,「非常に粗末で不潔だったので,空腹に耐えられなくなるまで食べることができなかった」と言っています (in Bray, “Within the Walls of Liberty Jail,” 258)。1839年3月20日,預言者ジョセフ・スミスが教会員にあてた手紙の中で,預言者は次のように言っています。その監獄は「悪魔に取り囲まれた地獄。……ここでは神聖を汚すののしりの言葉ばかりを聞かされ,冒瀆,泥酔,偽善,あらゆるたぐいの背徳の有様を見せられています。」(in The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 6: February 1838–August 1839, 361; spelling standardized)預言者たちはまた,聖徒がミズーリ州から追い出され,苦難に遭っているという報告を聞いてさらに落胆しました。

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〔リバティーの監獄の展示の画像〕

ミズーリ州のリバティーの監獄ビジターセンターにある,リバティーの監獄の様子の再現

聖徒にあてた同じ手紙の中で,預言者は主に対して次のように訴えています。「〔聖徒たち〕がどれほど長くこれらの不当な扱いと不法な虐げを受ければ,あなたの心は彼らに和らぎ,あなたの胸は彼らに対する哀れみの情に動かされるのですか。」(教義と聖約121:3)預言者はまた次のように叫びました。「おお,神よ,あなたはどこにおられるのですか。あなたの隠れ場を覆う大幕はどこにあるのですか。」(教義と聖約121:1see also The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 6: February 1838–August 1839, 362大幕とは,見えないように仕切ったり,隠したりするための天蓋やテントのようなものです。預言者ジョセフ・スミスのこの訴えを引用してから,大管長会のヘンリー・B・アイリング管長は次のように述べています。

「わたしたちの多くは,苦難のときに神を遠く感じることがあります。しかし,一見すると天の助けを妨げている大幕ですが,神を覆うことはありません。大幕が覆うのは多くの場合,わたしたちの方なのです。神は決してお隠れになりませんが,わたしたちは時折神から隠れることがあります。わたしたちは動機という大幕に覆われてしまうのです。その大幕はわたしたちを神から引き離し,神が遠くにおられ,近づく手立てがないと思い込ませます。『御心が行われますように』というよりも自分自身の望みを,という気持ちでいると,神を妨げる大幕が生じます。神はいつでもわたしたちを見たり,わたしたちと交わったりすることがおできになりますが,わたしたちは神の御心に快く耳を傾けず,神が定められた時に従わないことがあります。

神の前で幼子のようになるにつれ,神を遠くに感じる気持ちは次第に薄らいでいきます。ほかの人の意見が自分の動機にきわめて大きな影響を及ぼす世の中にあって,それは容易なことではありません。しかし,幼子のようになれば真理,すなわち,神はわたしたちの近くにおられ,わたしたちを御存じであり,忠実な神の子供たちから御自身を隠されることは決してないという真理に気づくことができます。……

『御父の定められたときに』『御心が行われますように』と心から祈るときに大幕は取り去られます。神の時は遅すぎることはありません。なぜなら,神は最善のことのみを望んでおられるからです。」(「大幕はどこにあるのですか」『リアホナ』2012年11月号,72-73参照)

教義と聖約121:4。「シェオルなる暗い闇の領域」

シェオルとは,「肉体を離れた霊の住む所のヘブライ語の名前」です(Bible Dictionary, “Sheol”)。「シェオルなる暗い闇の領域」(教義と聖約121:4)という言葉は,闇が支配する霊界の区域のことを指しているのでしょう。預言者ジョセフ・スミスは主のことを,「悪魔とシェオルなる暗い闇の領域を支配し従えておられる御方」(教義と聖約121:4)と言い表すことで,神の力を信じる信仰と,神がサタンやサタンに従う者を含めすべてを支配しておられることを信じる信仰を示しました。

教義と聖約121:7-10。「あなたの苦難は,つかの間にすぎない」

何か月もの間苦しんだ後,預言者ジョセフ・スミスは主から次のような安心させる言葉を受けました。「息子よ,あなたの心に平安があるように。あなたの逆境とあなたの苦難は,つかの間にすぎない。」(教義と聖約121:7)次に主は,「あなたがそれをよく堪え忍ぶならば,神はあなたを高い所に上げるであろう。あなたはすべての敵に打ち勝つであろう」(教義と聖約121:78)と約束されました。

十二使徒定員会のジェフリー・R・ホランド長老は,リバティーの監獄での預言者の経験から学べることについて,次のように教えました。

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〔リバティーの監獄の扉のレプリカの画像〕

リバティーの監獄の扉のレプリカ

「わたしたちは皆,何らかの形で,大きいか小さいか,劇的か月並みかの違いはあっても,しばらくの間,霊的な意味でリバティーの監獄で過ごすことになります。自分の落ち度でなくても,様々な理由で,直面したくない事柄に直面するものです。実際,まったく正しく適切なのに,主の戒めを守ろうと努力しているからこそ生じる理由で,困難な状況に直面することもあります。迫害に直面するかもしれません。心痛や愛する人との別離に耐えるかもしれません。空腹で,寒くて,惨めかもしれません。……

しかし1838年から1839年の冬がわたしたちに教えてくれるのは,すべての経験は,たとえつらくとも,天の御父にいつもつながっているならば,贖いを実感する経験になるということです。これらのつらい教訓が教えてくれるのは,わたしたちの窮地を神は機会として用いられ,もし,わたしたちが謙遜で忠実であれば,また,信じる者となり,自分の問題のために神をのろうようなことがないならば,不公平で非人間的で,人を落胆させる人生の牢獄を神殿に,あるいは少なくとも慰めと啓示,神の臨在と平安をもたらす状況に,神はお変えになれるということです。」(“Lessons from Liberty Jail,” Ensign, Sept. 2009, 28

預言者ジョセフ・スミスがリバティーの監獄にいる間に受けた知識の詳細については,本書の教義と聖約121:26-33の解説を参照してください。

教義と聖約122:1-4。「地の果ての人々があなたの名を尋ね……るであろう」

1823年9月,天使モロナイは若きジョセフ・スミスを訪れたとき,「〔ジョセフの〕名が良くも悪くもすべての国民,部族,国語の民の中で覚えられる〔であろう〕」と告げました(ジョセフ・スミス—歴史1:33)。その後の数年間に,預言者ジョセフ・スミスはこの預言の成就を経験しました。1838年,敵はジョセフをリバティーの監獄に入れ,聖徒をミズーリ州から追い出すことに成功しました。この試練の時に,「神は,とこしえにいつまでも,あなたの傍らに立つであろう」という約束に,預言者は安心感を得ました(教義と聖約122:4参照)。さらに,「心の清い者と,知恵のある者と,高潔な者と,徳高い者は,絶えず〔彼〕の手から助言と権能と祝福を求めるであろう」,そして,ジョセフの「民が,裏切り者の証によって〔彼〕に背くことは決してない」と約束されました(教義と聖約122:2-3)。

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〔Joseph Smith in Liberty Jail,by Greg K. Olsenの絵〕

Joseph Smith in Liberty Jail(「リバティーの監獄におけるジョセフ・スミス」) by Greg K. Olsen1838年から1839年の数か月にわたり,預言者ジョセフ・スミスはリバティーの監獄に監禁された。

そのときから,預言者ジョセフ・スミスと末日聖徒イエス・キリスト教会に対する反対が続いています。今日の教会員は時に,預言者ジョセフ・スミスは神の預言者ではなかったと主張する人々に直面します。十二使徒定員会のニール・L・アンダーセン長老は,ジョセフ・スミスが預言者であるということを霊的に理解するためには,神に頼らなければならないと次のように強調しています。

「どうして主は,悪く語る人と良く語る人が共存するようになさるのでしょうか。一つの理由は,神にかかわる事柄に敵対する人がいるからこそ,真理を求める人は答えを得るためにひざまずくからです。

ジョセフ・スミスは回復の預言者です。彼の霊的な働きは,御父と御子が御姿をお見せになった時から始まりました。その後,天からの訪れが何度となく繰り返されます。ジョセフは神の御手に使われる者となり,神聖な聖典や失われていた教義を世に送り出し,神権を回復しました。ジョセフの業の重要性を知るには,知的な考察だけでは不十分です。わたしたちもジョセフのように,『神に願い求め』なければなりません〔ヤコブの手紙1:5ジョセフ・スミス—歴史1:11-13も参照〕。霊にかかわる質問には霊を通して神から答えが与えられます。」(「ジョセフ・スミス」『リアホナ』2014年11月号,28参照)

教義と聖約122:5-7。「これらのことはすべて,あなたに経験を与え,あなたの益となるであろう」

リバティーの監獄にいる預言者ジョセフ・スミスに対する主の勧告から,主はジョセフの艱難をすべて御存じであったことが分かります。預言者の苦難にこたえて主が挙げられたほとんどの試練を預言者は経験していました(教義と聖約122:5-7参照)。逆境を通してわたしたちは強められ,精錬され得るという神聖な教えを主は強調なさっています。わたしたちが忍耐をもって忠実に試練を堪え忍ぶなら,「これらのことはすべて,〔わたしたち〕に経験を与え,〔わたしたち〕の益となる」でしょう(教義と聖約122:7教義と聖約100:15も参照)。スペンサー・W・キンボール大管長(1895-1985年)は次のように教えています。

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〔ハウンズミルの画像〕

聖徒はミズーリ州のハウンズミルなどの地で厳しい苦難に遭った。

「わたしたちの存在が現世ですべて終わってしまうと考えるなら,苦痛,悲しみ,失敗,そして短命に終わる生涯は,不幸なものだったと言えるでしょう。しかし,人生を永遠に続くものとしてとらえ,遠い昔の前世から,死を迎えた後に永遠に続く未来までを視野に入れるならば,すべての出来事を正しい見地に立って理解することができるでしょう。

〔神〕はわたしたちが克服できるように試練を与え,達成できるように責任を与え,筋肉を鍛えるために労働を与え,精神を試すために悲しみを与えられます。そこには知恵があるのではないでしょうか。わたしたちが誘惑に遭うのは強さを試されるためであり,病気になるのは忍耐を学ぶためであり,死を経験するのは不死不滅と栄光を受けるためではないでしょうか。……

もしわたしたちの利己的な望みと限られた理解力に応じてすべての祈りが即座にこたえられるとするならば,苦しみ,悲しみ,失望,そして死さえもが,ほとんど,あるいはまったくなくなるでしょう。そしてもしこれらがなければ,喜びも,成功も,復活も,永遠の命もなく,神のようになることもないのです。……

わたしたちは人間として,自分の生活から肉体的な苦痛や精神的な苦しみを追い出し,安楽と安らぎをいつまでも得ていたいと望みます。 けれども,もし悲しみや悩みに対して扉を閉ざしてしまうならば,最も得難い友人や恩人を締め出すことになるのかもしれません。人は苦しみの中で忍耐と寛容と自制を学ぶときに聖徒となるのです。」(『歴代大管長の教え—スペンサー・W・キンボール』15-16

教義と聖約122:8。「人の子はこれらすべての下に身を落とした」

預言者ジョセフ・スミスはリバティーの監獄にいる間に,圧倒されるような試練を経験しました。ジョセフは,主が自分の苦難のすべてを知っておられるという安らかな確信によって祝福されました。さらに,死すべき世で経験するどの逆境も,イエス・キリストが死すべき世で使命を果たす間に受けられた苦しみ以上のものではないことも知りました。預言者ジョセフ・スミスの質問に答えて,主は彼に次のようにお尋ねになりました。「人の子はこれらすべての下に身を落とした。あなたは人の子よりも大いなる者であろうか。」(教義と聖約122:8)—ジェフリー・R・ホランド長老は次のように説明しています。

「確かにジョセフ・スミスは救い主よりも大いなる者ではありませんでした。それはわたしたちについても言えます。救い主に従い,主の足跡をたどって歩み,主の弟子になると約束するとき,わたしたちはその神聖な道が導く所へ行くと約束しているのです。そして,救いの道はいつの時代にもゲツセマネに続いているのです。したがって,救い主がそのような不法と落胆,迫害と不義,苦しみに立ち向かわれたのであれば,また,わたしたちが依然として自分自身を主の真の弟子,忠実な信奉者と呼ぶ気持ちがあるのであれば,自分はそのような経験をすることはない,などと期待することはできないのです。

実に,イエスは贖罪の過程で,わたしたちがそれほど激しく,それほど深く直面しなくてもよいように,アダムとエバからこの世の終わりに至るまでのすべての人類家族が経験した,あるいは経験する,あらゆる種類の心痛と悲哀,あらゆる種類の落胆と不法を経験されました。このことは,わたしたちにとって偉大な教義的慰めを与えてくれる事実です。わたしたちの荷がどれほど重かったとしても,救い主がわたしたちの前にその道を歩んでくださっていなかったとしたら,また,わたしたちとともに,そしてわたしたちに代わって重荷を担ってくださらなかったとしたら,はるかに重い荷となったことでしょう。

預言者ジョセフがその務めの初期のころに,救い主は次の教義をお教えになりました。強烈で堪え難い苦しみについて語った後,イエスはこう言われたのです。『神であるわたしは,すべての人に代わってこれらの苦しみを負い,人々〔つまりあなたやわたし,すべての人〕が悔い改めるならば苦しみを受けることのないようにした。』(教義と聖約19:16)苦痛と試練を受けているときに,わたしたちは震えおののき,状況がもっと悪くなるのではないかと考えることもあるでしょう。しかし,贖罪がなければ,悪くなるかもしれないだけでなく,悪くなるでしょう。ただわたしたちの信仰と悔い改め,そして神聖な贖罪を備えた福音への従順を通してのみ,もっと悪くなるのを避けることができるのです。

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〔イエス・キリストが十字架を背負って運んでいる画像〕

「人の子はこれらすべての下に身を落とした。」(教義と聖約122:8

さらに注目すべきことは,まったく罪のない救い主だけが苦しまれたのではなく,ほとんどの預言者,また聖文に記された偉大な男女も同様に苦しんだということです。わたしが言いたいこと,それは,つらい目に遭っているとき,あなたには仲間がたくさんいるということです。ほんとうにすばらしい仲間,最上の仲間がともにいるということです。」(“Lessons from Liberty Jail,” 31)

教義と聖約122:9。「あなたの道に踏みとどまりなさい」

預言者ジョセフ・スミスが聖徒にあてた手紙と教義と聖約122章に記録されている教えを主から授けられたとき,リバティーの監獄にいた預言者と同僚たちは,1か月のうちに家族と再会できることを知りませんでした。預言者の敵の影響力は限られており,預言者の命は主の手の内にあることを主が明らかにされました(教義と聖約122:9参照)。預言者ジョセフ・スミス(1805-1844年)は後に,主が守ってくださることへの確信を次のように述べています。「わたしは自分の使命と用向きを理解しています。全能の神がわたしの盾です。そして神がわたしの友であるなら,人はわたしに何ができるでしょうか。わたしは定められた時が来るまで,犠牲になることはありません。したがって,時が来れば喜んで犠牲となりましょう。……神が敵から守ってくださることに感謝しています。真理のためでなければ,敵などいません。わたしはすべての人に善いことをする以外に望みはありません。すべての人のために祈りをささげたいと思います。」(in Manuscript History of the Church, vol. D-1 [addenda], page 6, josephsmithpapers.org)

ジェフリー・R・ホランド長老は,わたしたちは試練のときにどのようにすればよいか,次のような勧告を与えました。

「自分の信仰にすがってください。希望をしっかり持ってください。『常に祈り,そして信じて』いてください〔教義と聖約90:24〕。……

皆さんには黒雲を縁取る銀色の光は必ずしも見えないかもしれませんが,神は御覧になれます。皆さんが探し求めるまさにその光の源であられるからです。神は皆さんを愛し,皆さんの恐れを御存じで,祈りを聞いてくださいます。神は皆さんの天の御父であり,御自身の子供たちとともに涙を流してくださいます。」(「すでに現れた祝福の大祭司」『リアホナ』2000年1月号,42参照)

教義と聖約123章

預言者ジョセフ・スミスは聖徒に艱難と迫害の記録を出版するように勧告する

教義と聖約123:1-6。「〔彼らに〕加えられた苦難と虐待に関する一切の事実について,情報を集める」

1839年1月から3月まで,激しい迫害と暴力の恐怖に直面した後,コールドウェル郡とデイビーズ郡の約8,000人から1万人の教会員が,厳しい冬のさなかにミズーリ州から逃れました。教会員の多くはミシシッピ川を渡ったイリノイ州クインシーや,アイオワ州とイリノイ州のほかの地域に避け所を見いだしました(see The Joseph Smith Papers, Documents, Volume 6: February 1838–August 1839, 275, 327)。1839年2月,教会員の隣人に助けられて,預言者の妻エマ・スミスは子供たちとともにミズーリ州ファーウェストを去りました。ミシシッピ川は一時的に凍っており,エマは4人の小さな子供とともに氷の上を歩いて渡ることができました(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』369参照)。エマとほかの多くの教会員は,イリノイ州クインシーの住人の優しさと思いやりによって祝福を受けました。1839年4月初旬までに,ほとんどの教会員がミズーリ州を去りました。

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〔イリノイ州クインシーの記念碑の画像〕

1839年初めに多くの末日聖徒はミズーリ州を追い出された後,イリノイ州クインシーに避け所を見いだした。イリノイ州クインシーの住民の優しさを記念するこの記念碑の付近で,聖徒はミシシッピ川を渡った。

リバティーの監獄から預言者は教会員に,「〔ミズーリ州〕の人々から加えられた苦難と虐待に関する一切の事実」と「〔教会員たち〕が損害を被ったすべての財産と損害額を,不動産だけでなく,人格ならびに身体への侵害についても」詳細に書いた宣誓供述書,つまり公式の陳述書を準備するように指示しました(教義と聖約123:1-2)。何百人もの教会員がイリノイ州とアイオワ州の行政当局のもとへ行き,被った損害に対する弁償と不当な扱いに対する報いを求める申し立てをしました。1839年の晩秋,合衆国大統領マーティン・バン・ビューレンと合衆国議会の議員に会うために,預言者ジョセフ・スミスは少人数の教会の代表団とともにワシントンD.C.へ行きました。大統領や議員は,聖徒のために行動することを拒みました。例えば,バン・ビューレン大統領は聖徒の状況に同情を示しましたが,「わたしにはできることはない。……もしわたしが何かすれば,ミズーリ州全体と衝突〔対立〕することになるのだ」と声を荒らげました(in Joseph Smith and Elias Higbee, Letter to Hyrum Smith and Nauvoo, Illinois, High Council, Dec. 5, 1839, page 85, josephsmithpapers.org)。1840年代初め,教会指導者は合衆国政府から損害賠償を得ようと何度も試みましたが,その努力は実を結びませんでした(see Clark V. Johnson, ed., Mormon Redress Petitions: Documents of the 1833–1838 Missouri Conflict [1992], xxi–xxii)。とはいえ,指導者たちは主がお求めになったことを行いました(教義と聖約123:6)。

教義と聖約123:7-14。「ぜひとも果たすべき義務」

1838年3月,リバティーの監獄から教会員にあてて書いた2通目の手紙で,預言者ジョセフ・スミスは,敵対する者の影響下で行働している敵の手により受けた「殺害や圧制や暴虐の」記録を出版することは,聖徒たちの「ぜひとも果たすべき義務」であると説明しています(教義と聖約123:7)。また別のときに,預言者ジョセフ・スミスは次のように教えています。

「わたしたちの宗教の諸原則は世の人々の前にあり,だれもがいつでも調べることができます。にもかかわらず,わたしたちの友に向けられているすべての迫害が,真理と義に反した偽りの告発と誤解に基づいていることを,わたしたちは知っています。ほかのすべての宗教組織がその初期にそうであったように,わたしたちはこれを堪え忍んでいます。……

わたしを滅ぼせば敵は満足するだろうと思っている人々がいます。しかし皆さんに申し上げますが,彼らはわたしの血を流すとすぐに,完全な福音の霊をわずかでも心に宿しているすべての人の血を求めてやって来るでしょう。これらの人々が反対するのは,あらゆる義に敵対する者の霊によって扇動されているからです。わたしだけでなく,神がこの時代の人々に教えるようにと霊感によってわたしに与えられた教義を勇気をもって信じる,すべての男女を滅ぼそうとするのです。

わたしは経験によって次のことを学びました。すなわち,真理の敵はまどろむことがなく,すべての重要な事柄について人々の憤りをかき立て,それによって,主の僕たちに対する偏見を人々に抱かせようと絶えず努力しています。」(『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』372-373

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〔リバティーの監獄の写真〕

ミズーリ州リバティーにあるリバティーの監獄

LDS教会記録保管庫の厚意により掲載

エズラ・タフト・ベンソン大管長(1899-1994年)は,神の言葉がサタンの影響からわたしたちを守ってくれることについて,次のように教えています。

「現代は大きなチャレンジの時代です。この時代について主は『平和が地から取り去られ,悪魔が自分の領域を支配する力を持つ時』と語られました(教義と聖約1:35)。……証を持ち,戒めを守ろうとしている教会員に対して,サタンは戦いを挑んでいます。そして多くの教会員は忠実で堅固な信仰を持っていますが,揺らいでいる者もあり,倒れる者もあります。……

使徒パウロはわたしたちの時代を見ました。パウロは現代について,多くの者が神をそしり,不正直で乱暴な者,無情で高慢な者,快楽を愛する者となると説明しています(2テモテ3:1-7参照)。またこのように警告しています。『悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて,悪から悪へと落ちていく。』(2テモテ 3:13

昔の預言者たちによるこのような恐ろしい預言は,もしこの同じ預言者たちが同時にその解決の道を示していなかったならば,大変な恐怖と失望を招いていたことでしょう。彼らの霊感あふれる勧告の中に,わたしたちは現代の霊的な危機に対する答えを見いだすことができるのです。

リーハイは夢で,暗黒の霧の中で人々を導いてくれた鉄の棒を見ました。リーハイは,もし人々がその棒にしっかりとつかまっているならば,汚れた川を避け,禁じられた道へ踏み込まず,破滅へと続く違った道でさまようことがないことを見ました。後にリーハイの息子ニーファイは,鉄の棒の象徴についてはっきりと説明しています。レーマンとレミュエルが『鉄の棒は何を意味するのか』と尋ねたとき,ニーファイはこのように答えました。『それは神の言葉であって,〔次の約束に注目してください〕だれでも神の言葉に聞き従って,それにしっかりつかまる者は,決して滅びることがなく,また敵対する者の誘惑や火の矢も,彼らを打ち破って盲目とし,滅びに至らせることはない〔。〕』(1ニーファイ15:23-24;強調付加)神の言葉はただすべてに勝る祝福へとわたしたちを導くだけではありません。わたしたちは神の言葉の中に,また神の言葉を通して,誘惑に打ち勝つ力,すなわちサタンとその使いの業を覆す力を見いだすのです。」(「み言葉の力」『聖徒の道』1986年7月号,79-80参照)

教義と聖約123:12-13。「見いだす場所を知らないということだけで真理を得られずにいる多くの人がいる」

預言者ジョセフ・スミスは,偽りの宗教の「信条」つまり信仰が,教会員に対する圧制の源であると見なしています(教義と聖約123:7)。また,これらの信条は「世を混乱で満たし」(教義と聖約123:7),神の子供たちは「目をくらまされ」るので,イエス・キリストの福音の真理を認識するのが難しいと説明しています(教義と聖約123:12)。ですから,教会員には,ほかの人が真理を見いだせるよう助ける義務があります。

十二使徒定員会のロバート・D・ヘイルズ長老は,ほかの人によってわたしたちの信仰が試されるときにどのように対処すべきか次のように説明しています。 

「歴史から分かるのは,教会に対する批判は新しい問題ではないということ,そして,そのような批判はなかなか消滅しないということです。しかしキリストの真の弟子は反対の中に存在する機会に目を向けます。……

経験から分かるのは,教会が悪評を受けている時期には,それがきっかけで主の目的が達せられることもあるということです。1983年,大管長会は教会の指導者にこう書き送りました。『反対こそが好機かもしれません。宣教師は常に,宗教や教会のメッセージに対する人々の関心が薄いという問題に直面しています。教会が批判されるとき,人々は教会に関心を持ちます。それは〔会員たちにとって〕教会に関心を向ける人々に真理を紹介する機会になります。』〔大管長会からの手紙,1983年12月1日付〕

このような機会は様々な方法で活用できます。批判を載せた新聞や雑誌の編集責任者に親切な手紙を書く,友人と話す,ブログにコメントを書く,教会を中傷している人に教会についての不安を解消する言葉をかける,などです。誤った情報や偏見に影響を受けている人,『見いだす場所を知らないということだけで真理を得られずにいる』人に(教義と聖約123:12),愛をもって答えるのです。非難する人にこのように応じることは,決して弱さではないことを断言します。これこそクリスチャンらしい勇気の実践なのです。 」(「クリスチャンらしい勇気—弟子としての犠牲」『リアホナ』2008年11月号,72-73)

十二使徒定員会のM・ラッセル・バラード長老は次のように教えています。

「教会は,常にどこかで話題に上っています。そうした会話は,わたしたちがその輪に加わるか否かに関係なく続いていきます。しかし,教会が何を教えているかについて,教会を批判する人も含めたほかの人々が彼ら自身で結論を出そうとしているときに,わたしたちは傍観しているわけにはいきません。何十万,あるいは何百万という人々の加わる会話から,それよりもはるかに少ない人数で行われている多くの会話まで,インターネットでのやり取りに加わる人々はそこから影響を受けています。一つ一つの会話ややり取りから,末日聖徒イエス・キリスト教会に対する認識が形成されていくのです。……

福音を分かち合い,回復のメッセージを簡潔で明瞭な言葉を使って説明するため,インターネット上の会話に参加していただけないでしょうか。……そのためには,言うまでもなく,福音の基本的な原則を理解しておく必要があります。福音の真理について明快正しい証を提供できることが不可欠です。また,あなたも,あなたが証する相手も,あなたが教会全体を代表して話しているのではないと理解することも重要です。一人の会員として話してください。それでも自分が知るようになった真理を証してください。

あまりにも多くの人が,教会について事実と懸け離れた理解をしています。教会について聞く情報のほとんどが,論争がもとで書かれたニュースメディアによるものだからです。論争ばかりに目が行くと,末日聖徒イエス・キリスト教会についての人々の認識が否定的なものになってしまいます。……

……主イエス・キリストに従う者としての経験を,恐れることなく人々に伝えてください。わたしたちは,今の自分自身を確立するうえで何らかの影響を受けてきました。それについての話は,ほかの人々にとって興味深いものでしょう。そのような経験談を伝えることで,ほかの人々は違和感なく話を聞くことができます。そうすることで,教会についての誤った認識を正すことができます。自分に影響を及ぼせる範囲で,誤解を解くための手助けができるでしょう。

……世界にわたしたちのメッセージを伝えることにおいて,皆が確固として立ち,信仰をもって語ろうではありませんか。」(「インターネットを用いて福音を分かち合う」『リアホナ』2008年6月号「チャーチ・ニュース」3-4参照)

教義と聖約123:13-17。「願わくは,……わたしたちがこの上ない確信をもって待ち受けて,神の救いを目に〔する〕……ことができるように」

1839年3月20日の手紙の冒頭で表した失望感とは対照的に(教義と聖約121:1-6),預言者ジョセフ・スミスは御霊によって確信を新たにして教会員にあてた次の手紙を終えています。ジョセフは迫害を受けていた聖徒を慰め,彼らが「闇の中の隠されたことをすべて明るみに出すために」神の業を行っていることを思い起こさせました(教義と聖約123:13)。また次のように確信を与えました。「わたしたちの力の限りすべてのことを喜んで行おう。そして願わくは,その後,わたしたちがこの上ない確信をもって待ち受けて,神の救いを目にし,また神の腕が現されるのを見ることができるように。」(教義と聖約123:17

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〔リバティーの監獄においてジョセフ・スミスが書いた手紙の画像〕

リバティーの監獄にいる間に預言者ジョセフ・スミスが書いた手紙

ヘンリー・B・アイリング管長は,神の業に貢献しようとする人を神が強めてくださることについて,次のように証しています。「主はあなたの力を何倍にもするという究極の保証を与えておられます。主の望みは,あなたが全身全霊をささげることだけです。信仰の祈りをもって元気に進んでください。御父とその愛子が,あなたを導くために聖霊を伴侶として送ってくださるのです。あなたの仕える人々の人生の中で,あなたの働きは大いなるものとなるのです。やがてこの時期を振り返るとき,困難な日々としか思えなかった奉仕と犠牲が,祝福に変わっているのです。そして,あなたが神のために仕えた人々を,さらにあなた自身を,神がその腕で抱き上げてくださったのだと悟るのです。」(「神からの召し」『リアホナ』2002年11月号,78)