2018
連絡を取り続ける—いつでも,どこにいても,どんな方法でも
January 2018


家庭訪問の原則

連絡を取り続ける——いつでも,どこにいても,どんな方法でも

家庭訪問とは,仕え,教え,導くことです。イエスは,いつでも,どこにいても,仕え,教え,導かれました。わたしたちも同じようにすることができます。

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woman on cell phone

「仕え,教え,導く」とは,人の慰めや幸福につながる奉仕や世話,助けを提供することです。家庭訪問とは,訪問先の人々に仕え,教え,導く方法を見つけることなのです。イエス・キリストは,いつでも,どこにいても,あらゆる人々に仕え,教え,導かれました。5,000人に食物を与え,兄弟を亡くしたマリヤとマルタを慰め,井戸端の女性に福音を教えられました。それはすべて,主の心からの愛に端を発したものでした。

主の模範に従い,わたしたちが行うすべての基が愛であることを心に留めていれば,訪問教師として訪問先の姉妹たち一人一人をよく知り,愛することができるようになります。訪問先の姉妹に仕え,信仰を強められるよう助けるにはどうしたらよいか,それを知ろうと霊感を求めて祈るとき,「天使は皆さんの友とならずにはいられないでしょう。」1

1842年に扶助協会が組織されてから今日に至るまで,女性による教導の業は人々の生活を祝福してきました。夫に先立たれた82歳のジョーン・ジョンソン姉妹と家庭訪問の同僚の例を挙げましょう。二人は,近所に住む,肺炎になった89歳の姉妹を訪問しています。訪問先の姉妹が月に1度の訪問以上の助けを必要としていることを見て取った二人は,週に1度,訪問や電話で様子を確認するようにしています。

別の訪問教師にとっては,携帯メールや電子メールを送って励ますことが,その月に訪問先の姉妹にできる最善の働きかもしれません。個人的な関係を築き,愛をもって耳を傾けることが,家庭訪問の本質です。現代のテクノロジーと昔ながらの直接の訪問を併用することにより,わたしたちはいつでも,どこにいても,様々な方法で家庭訪問ができるのです。2それこそ,イエスがなさったように仕え,教え,導くことなのです。

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Relief Society seal

信仰・家族・扶助

  1. 『歴代大管長の教え—ジョセフ・スミス』454

  2. 『手引き 第2部——教会の管理運営』9.5.1参照