家族のリソース
第15課:子供が決定を下すに当たって,導きを与える


第15課

子供が決定を下すに当たって,導きを与える

応用のための提案

あなた自身の必要や状況に合わせて以下の提案に従ってください。

  • この課の読書課題でM・ラッセル・バラード長老は,「家族の周囲に信仰のとりでを築き,特に青少年が清さ,純潔,そして純粋さを保つよう備える助けをなし,神殿に参入するために完全にふさわしくなれるようにする」ための4つの提案をしている。提案を読み,あなたの家庭で提案にどう従うかを具体的に計画する。

  • 学校,家庭,その他の場面で子供たちが直面する決定について考える。子供たちが義にかなった決定を下せるようにどのような助けができるかを考える。

読書課題

以下の記事を研究する。既婚者の場合は伴侶はんりょと一緒に読んで話し合う。

消せない炎のように

十二使徒定員会
M・ラッセル・バラード

神殿結婚の喜び

ふさわしさを身に付けた若い兄弟姉妹が主の宮で結婚し,結び固められるとき,わたしはその儀式を執行する特権にあずかることがあります。そのような機会は常に,家族や友人にとって特別なものです。そのようなときに感じるのは,この世の幸福と永遠の喜びが円満に入り交じった気持ちであり,それは心からこの日が来るのを祈っていた母親の目に浮かぶ,あふれるほどの涙に表れます。そのような気持ちは父親の目にも表れますが,彼はここ何か月かぶりで,結婚費用の捻出ねんしゅつ以外のことが頭をもたげているといった次第です。しかし最もそのような気持ちが表れるのは,世の誘惑を退け,福音の教えに忠実に生きてきた徳高い花嫁と花婿の目です。清らかさ,純潔,純粋さを保ってきた人は,特別で,否定できない気持ちを抱くことができます。

道徳の標準は絶対的である

教会に集う,あまりに多くの若い男性や女性が,悪に満ちたメッセージや不道徳な行いが蔓延まんえんしているこの世の圧力に屈しています。ルシフェルは老若ろうにゃくを問わず,人々の心によこしまな闘いをいどんできます。そしてその犠牲者の数は増大しています。この世の標準はまるで風に吹かれる砂漠の砂のごとく移り変わっていきます。かつては聞いたことも,受け入れられたこともないような事柄が,今では常識となっています。この世の見方があまりにも大きく変わってしまったため,伝統的な道徳上の標準を固守している人が奇妙に見られ,神の戒めを守りたいという望みに対して,まるで申し開きでもしなくてはならないような状況となっています。

しかしこのことだけは確かです。戒めは変わっていません。これについて誤解があってはなりません。正しいことは今でも正しいままです。そして,たとえ社会的な信頼を得て,政治的に正当化されるよう巧妙に装われていても,誤りは依然として誤っているのです。わたしたちは結婚するまで純潔を守り,結婚後も忠誠を尽くすことを信じています。その標準は真理の絶対的な標準です。世論調査の対象になることもなければ,状況や環境に左右されることもありません。物議をかもす必要もなければ,ほかの福音の標準も必要ありません。

家族の周囲に信仰のとりでを築く

しかし親,指導者,教師は,教会の青少年が福音の標準を理解し,愛し,尊び,守って生活することを学べるよう助けることがどうしても必要です。両親と青少年はともに狡猾こうかつな敵対者に対して,身構えなくてはなりません。わたしたちは福音に添って生活するよう献身的に,効果的に,強固な意志をもって努めなくてはなりません。なぜならばサタンは福音とわたしたちを滅ぼすことに対し同様な態度で臨んでいるからです。

わたしたちの目の前には大きな試練があります。愛する人々が危険にさらされています。家族の周囲に信仰のとりでを築き,特に青少年が清さ,純潔,そして純粋さを保つよう備える助けをなし,神殿に参入するため完全にふさわしくなれるようにする4つの方法を提案したいと思います。

子供に福音を教える

最初は福音を知らせることです。わたしの知るかぎり,最も大切で,人生を変えることのできる情報は,わたしたちが永遠の父なる神のまことの子供であると知ることです。これは教義的に正しいだけではなく,霊的にもきわめて重要なことです。キリストは弟子のために祈りをささげたとき,このように述べられました。「永遠の命とは,唯一の,まことの神でいますあなたと,また,あなたがつかわされたイエス・キリストとを知ることであります。」(ヨハネ17:3)天の御父を知り,自分にとって父であり神である天の御父との関係を理解することは,現世に意義を見いだし,来るべき世への希望を抱くことです。天の御父が実在し,自分たちがまことに御父の息子,娘であり,御父が今も,そして永遠に所有される財産をすべて受け継ぐことを,家族は知る必要があります。その知識に確信が持てれば,悪にそれる道を求める心は薄れ,神に頼って生きるようになるでしょう(民数21:8参照)。

都合に合わせるのではなく,聖約に従って生活する

わたしたちも何らかの方法で,先祖である開拓者に倣い,イエス・キリストの福音に対する力強いあかしを心に培わなければなりません。1846年9月にノーブーの町が敵の手に落ちたとき,聖徒たちが粗末なキャンプで過ごした耐え難い状況を思い起こしてください。ウィンタークォーターズにその報告が届いたとき,ブリガム・ヤングは直ちに兄弟たちを召集しました。状況を説明し,ノーブー神殿で聖約したことを彼らに思い起こさせました。それは,来たいと望む者はたとえどれほど貧しくても,皆連れて行くというものでした。そして彼らに次のような注目すべきチャレンジを与えました。

「今こそ働くときである。主の宮で交わした聖約の火を,消せない炎のように心の中に燃え立たせよう。」(カウンシル・ポイントの高等評議会へあてた1846年9月27日付けのブリガム・ヤングの書簡,末日聖徒イエス・キリスト教会歴史部記録保管庫,1,強調付加)すると何日もたたないうちに,ウィンタークォーターズの民は非常に貧しい境遇にもかかわらず,何台ものほろ馬車がミシシッピ川沿いの貧しいキャンプに住む聖徒を救うため,東へと向かいました。

初期の聖徒が耐えた困難や払った犠牲についてよく耳にし,わたしたちはこう言います。「開拓者はどうやってそんなことができたのだろうか。どこからそんな力を得たのだろうか。」その答えの一部はブリガム・ヤングの力強い言葉にあります。初期の末日聖徒は神と聖約を交わしました。そしてその聖約は心の中で消せない炎のように燃えたのです。

わたしたちは時々,聖約より自分の都合に合わせて生活するように誘惑を受けることがあります。確かに,福音の標準に添って生活し,真理を擁護し,回復をあかしするというのは,都合のいいことばかりではありません。福音をだれかに分かち合うのも,たいてい不都合なことです。教会の召しを受けること,特に自分の能力を上回るような召しを受けることも,必ずしも都合のいいことではありません。またわたしたちは,意義ある方法で奉仕をすると聖約しましたが,そのような機会がこちらの都合に合わせて訪れることはまれです。だからといって自分の都合に合わせて生活すると,そこに霊的な力は宿りません。そのような力は,わたしたちが聖約を守るときにもたらされるのです。初期の聖徒たちの生活を見れば,その根本的な力は彼らが交わした聖約にあったことが分かります。彼らの模範や証は,その後何世代にもわたって子孫に影響を及ぼすほどの力がありました。

子供に道徳について教える

子供は成長するにつれ,適切な事柄と不適切な事柄について,親からより率直にはっきりと教わる必要があります。親は子供に対し,ポルノグラフィーに関する写真や小説をすべて避けるよう教える必要があります。ポルノグラフィーはどのような種類であってもすべて悪魔の道具であり,それらをもてあそぶならば,人の霊を中毒させ,鈍らせ,ついには滅ぼす力があることを,子供と青少年は親から学ばなくてはなりません。そして汚らわしい言葉を使わず,主の御名みなをみだりに口にせず,礼節を欠く冗談を耳にしたらそれを繰り返さないことも学ばなくてはなりません。肉欲を礼賛らいさんする音楽を聴かないよう,家族に教えてください。性について,また純潔に関する福音の教えについて,はっきりと話してください。このような情報は,家族の中で適切な方法により親が教えるようにしてください。家族は皆規則を知り,それを守れるよう霊的に強められる必要があります。そして過ちを犯してしまったとき,驚嘆すべき主イエス・キリストのあがないを理解し,受け入れなくてはなりません。そうすれば完全かつ,時には困難な悔い改めの過程を経て,ゆるしと将来への希望を得ることができます。個人も家族も永遠の命を求めることに対し,決してあきらめてはなりません。

残念なことに,今日こんにちの世の中にはあまりにも多くの両親が,これらの価値観や教会のほかの教義を家族に教える責任を放棄し,他人任せにしています。同世代の仲間,学校,教会の指導者と教師,果てはメディアにまで任せている状態です。子供は,自らの価値体系に深く影響を及ぼす経験や認知で頭や心を満たしながら,日々学習しています。

悪に対して互いに強め合う

兄弟姉妹の皆さん,わたしたちは互いを教え合い,心に信仰を培い,悪がさらに蔓延まんえんする世にあっても戒めを守る勇気を持てるよう,自らを強めなくてはなりません。聖約の火が心の中で消せない炎のように燃え上がるほど,キリストの福音に深く改宗する必要があります。そしてそのような信仰をもって,忠実かつふさわしくあるために必要な事柄を行うのです。

子供と率直なコミュニケーションを図る

2番目は,コミュニケーションを図ることです。家族内では,率直で正直なコミュニケーションほど大切なものはありません。それは,子供に福音の原則と標準を教えようとしている親にとっては特に大切です。青少年に勧告を与える能力と,恐らくもっと大切なことですが,彼らの関心事にじっくりと耳を傾ける能力は,良い関係を築く土台です。自分の目に映り,心に感じる事柄は,わたしたちが聞いたり語ったりする事柄をはるかに上回るものを伝えることがよくあります。ここで子供の皆さんにひと言お伝えしたいと思います。自分の親に対し,決して失礼な態度を執らないでください。皆さんは聞くこと,特にお父さんやお母さんの勧告と御霊みたまによる勧めを聞くことも学ぶ必要があります。わたしたちは教えるための特別な機会を求め,活用しなくてはなりません。そのような機会は家族の関係の中では常に訪れるものです。そして,毎週月曜日の夜に家庭の夕べを開くよう,今決意する必要があります。

また定期的に行う家族の祈りと家族の聖文研究を通して,効果的なコミュニケーションの機会が得られます。聖文は家族の価値観や目標を定める助けとなり,それについてともに話し合うことにより,家族一人一人が安定し,霊的に強まり,自立するのを学べるようになります。これを実現するには時間を要しますので,テレビ,映画,ビデオ,テレビゲーム,インターネット,または家庭の外の活動などについて,許容する時間をともに協議しなくてはなりません。

両親と指導者は間に入るべきである

3番目は,間に入ることです。誤った選択をするのを見たら,間に入るのが親の務めです。それは尊い賜物たまものである選択の自由を子供から奪うことではありません。選択の自由は神から授かった賜物であるため,究極的には,子供たちが何を行い,どのように振る舞い,何を信じるかという選択は,常に子供たちにかかっています。しかし親として,適切な振る舞いについて,そして誤った道に進んだ場合の結果について,子供たちが理解していることを確認する必要があります。覚えていただきたいのは,家庭の中には非合法の検閲官のような人は存在しないということです。映画,雑誌,テレビ,ビデオ,インターネット,そのほかのメディアは,家庭では客のような存在です。そして家族の娯楽としてふさわしいと判断した場合だけ,招き入れるべきです。皆さんの家庭を平安と義の避け所としてください。自分の特別な霊の環境が悪の影響に汚染されるのを許してはなりません。互いの言葉や態度を親切で,思いやり深く,温和で,情け深いものにしてください。また福音の標準に基づいた家族の目標があれば,よりいっそう良い決断をしやすくなります。

監督,教師,そのほかの教会指導者の皆さんが家族を助けようと努めるとき,同じ原則が当てはまります。皆さんの責任下にある人が道徳的に適切ではない選択をしているのに,そばでただ黙って立っていることはありません。青少年の一人が人生における道徳上の岐路に立たされているとき,常にだれかが,つまり親,指導者,教師といった人たちがだれか,愛と優しさをもって間に入ることで,影響を与えることができるのです。

子供にとって良い模範となる

4番目は模範を示すことです。疲れ切った航海士が羅針盤の助けを借りずに,海図に載っていない海を渡るのが難しいのと同様に,良い模範という導く光がないまま,子供や青少年が人生という海原を渡って行くことはまず不可能です。親が原則に反し,福音に添って生活しない姿を子供に見せるなら,子供がふさわしくない事柄を避けるよう期待することはできません。

両親,教師,そして指導者としてのわたしたちの厳粛な義務は,義にかなった強さ,勇気,犠牲,利己心のない奉仕および自制の模範を力強く個人的に示すことです。これらの模範の特色は,青少年が福音の鉄の棒につかまり,まっすぐで細い道に残れるようになるというものです。

福音に添った生活は過ちを避けるのを容易にする

知らせる,コミュニケーションを図る,間に入る,そして模範を示すことに心を向ければ必ず結果として,福音の標準から決してそれることのない完全な子供に恵まれた,完全な家族が誕生すると申し上げられたら,どんなにすばらしいことでしょう。残念ながらそうではありません。しかし福音の原則と標準を知り,教え,それに添って生活する家族の方が,深刻な過ちから生ずる痛みを味わわずに済んでいるようです。前向きなコミュニケーションの方法や忠実な模範が,長期間にわたり定着し,広く浸透すれば,個人的な問題についてともに協議し,家族の一人一人を祝福するのに必要な変化をもたらすことが,はるかに容易になります。

ベニヤミン王は,次のような重要な勧告をしています。

「……あなたがたが罪を犯すもとになることをすべて告げることはできない。その方法や手段はいろいろあって,数え上げられないほど多いからである。

しかし,これだけは言える。もし自分自身や自分の思い,言葉,行いに注意を払わず,神の戒めを守らず,主の来臨について聞いた事柄を生涯の最後まで信じ続けないならば,あなたがたは滅びるに違いない。おお,人々よ,覚えておきなさい。滅びてはならない。」(モーサヤ4:29-30

兄弟姉妹の皆さん,「聖約の火」を心の中に「消せない炎のように」燃やしているわたしたち一人一人のうえに,神の祝福がありますように。また,わたしたちが霊的に備えられ,毎週聖餐せいさんをとるときに,神聖な聖約を新たにできますように。聖約を新たにすることにより,主を尊び,最も喜ばしく偉大なこの時代にあって,家族を強めるという方法で主の教会を建設するために,なすべきことを喜んで果たすよう,へりくだってお祈りします。