インスティテュート
聖文を教える


聖文を教える

宗教教育者への話からの抜粋,1977年10月14日,4-7 から抜粋

教会の歴史の中で,セミナリー・インスティテュートプログラムの始まり以上に,預言者がこの民を備えさせているという良い実例はありません。これらのプログラムは,民に品があり,危機的に必要であったわけではない時期から開始されました。これらのプログラムは,それが発展して教会のための防壁となる時期に与えられたのです。これらは現在,非常に多難な時代に現代のイスラエルを救う天の恵みとなっています。わたしたちは今,悪に取り囲まれています。教会の青少年はきわめて危険な状況の中にいます。現代は昔の預言者たちが予見した,終わりの時なのです。

ここで,一つの,明確に記述されて的中した預言をお読みします。これは昔と言われるほど古いものですが,非常に時宜を得ており,今日のニュースにそれぞれの声明の証拠を見ることができます。

「しかし,このことは知っておかねばならない。終りの時には,苦難の時代が来る。

その時,人々は自分を愛する者,金を愛する者,大言壮語する者,高慢な者,神をそしる者,親に逆らう者〔預言されていることを想像できるでしょうか〕,恩を知らぬ者,神聖を汚す者,

無情な者〔現在わたしたちの周囲に性倒錯の高波が見受けられ,教会員の中においてさえ児童虐待という憂慮すべき状況が普通のこととなっていることは言うまでもありません〕,融和しない者,そしる者,無節制な者,粗暴な者,善を好まない者,

裏切り者,乱暴者,高言をする者,神よりも快楽を愛する者,

信心深い様子をしながらその実を捨てる者となるであろう。こうした人々を避けなさい。

〔現在の社会で起こっていることを考えるとき,次の節にはきわめて大きな意味があります。〕

彼らの中には,人の家にもぐり込み,そして,さまざまの欲に心を奪われて,多くの罪を積み重ねている愚かな女どもを,とりこにしている者がある。

彼女たちは,常に学んではいるが,いつになっても真理の知識に達することができない。」(2テモテ3:1-7

わたしたちの時代に関するその預言者の言葉はまさに現実となっています。皆さんが教えているそれぞれの生徒は,ここに述べられている邪悪な状況に取り囲まれているのです。

ある日,わたしは聖文を研究していたとき,その箇所を読み,いすに腰掛けたまま,その預言のそれぞれが現在成就していることを確認するすべての証拠について深く思い巡らしました。すると,とても暗い気持ちになり,非常に不穏な挫折感,何を行っても無駄なのではないかという予感がしました。そのページにざっと目を通すと,一つの言葉が目に留まりました。それは偶然ではないと思います。わたしはそれをじっくりと読み,そのすべての問題について預言した使徒が,同じ手紙の中にそのすべてに対する予防策を記しているのを発見しました。同じ章から数節先の言葉を続けて読みます。

「悪人と詐欺師とは人を惑わし人に惑わされて,悪から悪へと落ちていく。

しかし,あなたは,自分が学んで確信しているところに,いつもとどまっていなさい。あなたは,それをだれから学んだか知っており,

また幼い時から,聖書に親しみ,それが,キリスト・イエスに対する信仰によって救に至る知恵を,あなたに与えうる書物であることを知っている。

聖書は,すべて神の霊感を受けて書かれたものであって,人を教え,戒め,正しくし,義に導くのに有益である。

それによって,神の人が,あらゆる良いわざに対して十分な準備ができて,完全にととのえられた者になるのである。」(2テモテ3:13-17

そして,皆さんにはそれがあります。すなわち,宗教教育における皆さんの務めと特権と目的があります。皆さんは聖文を教えなければなりません。そのページで目に留まったのが聖文という言葉でした〔訳注-日本聖書協会発行の聖書では,「聖文」ではなく「聖書」と訳されています〕。生徒が啓示についてよく知っている場合,それが個人的なことであれ,社会的なことであれ,政治についてであれ,職業についてであれ,回答の見つからない疑問など存在しないでしょう。聖文には完全な永遠の福音が収められています。また,人類やその個人が遭遇するあらゆる混乱,あらゆる問題,あらゆる窮地を解決する真理の原則をそこに見いだすことができます。

わたしたちは聖文に記された大きな出来事が起こる時代に生きています。つい先ごろ二つの啓示が標準聖典に追加されました。……

最初の啓示〔教義と聖約第137章〕は,1836年1月21日にオハイオ州カートランドにある神殿で預言者ジョセフ・スミスに与えられたもので,日の栄えの王国に関する示現です。その啓示によって,死者のための救いの教義が明らかにされました。

第2の啓示〔教義と聖約第138章〕は,1918年10月3日にジョセフ・F・スミスに与えられた示現です。スミス大管長は,死すべき世で福音を受け入れることなく亡くなった人々にどのように福音が宣べ伝えられるかを見ました。その両方の啓示の主題は同じであり,そのことが非常に重要なのです。

標準聖典に二つの啓示が追加されるというその発表が教会によってごく当然のこととして受け入れられた様子に,わたしは驚きました。幹部の兄弟たちも全員驚いたことと思います。しかし,わたしたちは将来その重要性を感じることでしょう。自分がその時代にいたことを孫やひ孫に伝え,日記に記し,またそれが行われたときのことを忘れないでしょう。

過去4年間,教会員が聖文をもっと簡単に研究できる方法を定めるための作業が,大規模に進められてきました。この素晴らしいプロジェクトの第一段階は,欽定訳聖書とすべての標準聖典を相互参照できるようにすることです。このプロジェクトは現在順調に進んでおり,その範囲が非常に広いため,コンピューターの助けがなければできなかったことでしょう。相互参照のほかに,一部の言葉に対してヘブライ語の意味を明らかにする有益な資料が追加され,また適切な箇所についてはジョセフ・スミス訳から幾つかの解説資料が加えられます。この資料はすべて,聖書のページの脚注として非常に読みやすい形式で配置されます。〔訳注-日本語版は聖書協会出版の聖書を使用するため,この脚注はありません。〕

このプロジェクトの大きな業績の一つは,項目リストと呼ばれるようになったものを聖書に含めることです。聖書の節の多くに,標準聖典から見ることのできる非常に多くの重要な参照聖句が表示されます。脚注にそのすべてを入れることはできませんので,参照しやすいように,主要な見出しごとにこれらの参照聖句を集めて,アルファベット順に並べることになります。例えば,項目リストの「家族」という言葉の下には主要な見出しが8つあります。「家族」「家族,子供の義務」「家族,子供に対する責任」「家族,永遠の」「家族,家庭の夕べ」「家族,愛」「家族,財政管理」「家族,族長」がそれです。そのカテゴリーの一つの中に,すべての標準聖典から取った80を超える参照聖句があります。これで脚注にすべてを入れることができない理由が分かります。……

現在準備中の聖書の中には,末日聖徒の神学を反映する聖書辞典も含まれる予定です(訳注:「聖書辞典」は日本語版にはありません)。末日聖徒の啓示によってより大きな光が与えられるため,既存の辞書の多くの項目にさらに説明を加えることができます。そこで,教会は独自の聖書辞典を準備しています。それは素晴らしいものです。……

ところで,これまでの4年間の素晴らしい偉大な努力は始まりに過ぎません。いつの日かすべての標準聖典がそのように構成され準備されて,イエスはキリスト,神の御子,御父の独り子であるという一つの素晴らしい証となることでしょう。全人類が救いの教義を得られるようにしなければなりません。人々の手に渡るだけでなく,思いと心にも入るようにしなければなりません。そして,皆さんとわたし,すなわちわたしたち全員が,この役割を果たさなければなりません。創世以来,このようなことが行われたことはありませんが,現在,それは順調に進んでいます。

15年前に静かに開始されて以来,教会のカリキュラムはすべて,作り直され,調整され,常にしっかりと聖文を心に留められるようになりました。 ……

わたしは以前に,啓示を知っていれば予防できないような大きな問題に出遭うことはないと言いました。一つの実例が心に浮かんでいますので,それをお話ししたいと思います。

およそ1年前の大統領選挙で,有力な両候補者が,票の半分を獲得するために堕胎に賛成したいと思い,また票の半分を獲得するために堕胎に反対したいと思いました。それは当時も現在も大きな政治上の問題です。教会にいるわたしたちの立場はどうでしょうか。どうすれば自分のなすべきことが分かるでしょうか。物事を決める助けになる情報をどこで得ることができるでしょうか。さて,啓示を知っていれば,次の啓示を呼んだことがあるでしょう。「あなたは自分自身を愛するように隣人を愛さなければならない。あなたは盗んではならない。姦淫をしてはならない。殺してはならない。これに類することをしてはならない。」(教義と聖約59:6,強調付加)

あなたは殺してはならない。「これに類することをしてはならない。」啓示をよく知っている末日聖徒はだれでも,それがどんなものであっても世に広まっている問題に,あれこれ惑わされることはありません。

兄弟たち,お分かりでしょうか。姉妹たち,お分かりでしょうか。素晴らしい偉大な業がこの神の教会と王国の中で順調に進んでいます。この民を備えさせている強さと守りに集中する力に目を向けているでしょうか。栄光に目を向けているでしょうか。皆さんとわたし,すなわちわたしたち一人一人,わたしたち全員が,この世における役割を負っているのです。この大いなる果樹園における皆さんの働きは,柔らかい若芽を養うことです。彼らを守り,しっかりと導き,養ってください。必要なときに彼らの周りを掘り,刈り込んでください。そうすれば,彼らが野生の実を結ぶことはないでしょう。

皆さんが,ヤコブ書の栽培されたオリーブの木と野生のオリーブの木についての比喩を読み,わたしが述べてきたことにそれを当てはめるならば,その部分の幾つかを初めて理解できることでしょう。この神権時代の最初の時期に,主は,果樹園のいちばん低い場所であるこの地にわたしたちを導かれました。そして,木が生長したときに,枝が切り取られ,杭にされ,主の僕たちが行くことのできるすべての国の地にそれが打ち込まれました。すると,それは生い茂り,多くの実を結びました。皆さんにはその光景が見えますか。その中での自分の役割がわかりますか。皆さんは自分がこのようなことに関係していると知って,温かく厳かな気持ちを感じないでしょうか。

1907年に大管長会は次のように述べています。「わたしたちの動機は利己的なものではありません。わたしたちの目的は,規模の小さな,この地上に限定されるものではありません。わたしたちは,過去,現在,将来の全人類を不滅の存在であると考えています。その人々の救いのために働くことこそわたしたちの使命です。そして,永遠のように広大で,神の愛のように深いこの御業に,わたしたちは,現在献身しており,これから先いつまでも献身します。」(ジョセフ・F・スミス,ジョン・R・ワインダー,アンソン・H・ランド,Improvement Era, 1907年5月号,495ページ)

わたしは教会の中で静かに進んでいるビジョンの幾分かをとにかく伝える力を持てたらと願っています。わたしたちは啓示に大きな注意が払われているのを目にしてきました。それによって,素晴らしい再構築が行われ,土台と基盤がしっかりと据えられました。そして,わたしたちは今,備えができています。わたしたちは高波が周囲に押し寄せているのを見るとき,ジョンソンの軍隊が近づいて来ているという知らせを受けたブリガム・ヤング大管長が語ったように,わたしたちもこう言うことができます。「助けは必要ありません。彼らを来させましょう。」ヤング大管長には静かに霊的に立ち向かう力がありました。なぜなら,大管長は自分が信頼を寄せている御方を知っていたからです。そして,彼らが準備を整えていたように,わたしたちも今,準備を完了しているのです。