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第3課 御霊の賜物


第3課

御霊の賜物

目的 御霊の賜物を受けられるように備え,その影響を理解できるようになる。

御霊の賜物を受ける

「わたしたちは,異言,預言,啓示,示現,癒し,異言の解釈などの賜物があることを信じる。」(信仰箇条1:7

御霊の賜物には,このほかに信仰,識別,証,奇跡,知恵,知識,思いやりなどがあります。御霊の賜物は,末日聖徒イエス・キリスト教会特有のものです。

わたしたちは皆,教会員として確認されたとき,頭の上に手を置かれ,聖霊を受けるように告げられました。もし忠実であるならば,絶えず聖霊を伴侶として生活することができます。わたしたちはこの聖霊を通して,御霊の賜物と呼ばれる霊的な力を祝福として受けます。

ハンナ・クリスティナ・クラーソンの息子は,母親が持っていた預言の賜物について次のように語っています。

「わたしがまだ若かったころ,わたしたち一家はアンドリュー・キンボール会長(スペンサー・W・キンボール大管長の父親)の家の近くに住んでいました。ある日の夕方,ちょうど暗くなりかけたころ,母とわたしが家に帰ってくると,スペンサーが大きな声で歌いながら乳を搾っていました。母は一瞬立ち止まって,『あの坊やはいつか主の使徒になるよ』と言ったのです。それから5メートルほど歩いたでしょうか。母は息切れでもしたように再び立ち止まりました。そして両手を挙げ,天を見上げて言いました。『きっと教会を指導する人になるよ。』」(レオン・ハートショーン,“An Apostle of the Lord,” in Leon Hartshorn, comp., Remarkable Stories from the Lives of Latter-day Saint Women, 2 vols.,1973年,1975年,2:39)

御霊の賜物を受けるためには,神の律法に従うことが必要です。わたしたちは御霊の賜物によって福音の真理を理解し,教えることができます。また,自分だけでなく他の人々にも多くの恵みをもたらすことができます。この賜物はわたしたちが天父のみもとに帰れるように助け導いてくれます。

御霊の賜物を受けるために備える

この聖句には,「各人に神の御霊によって一つの賜物が与えられる」と記されています。しかし,聖霊は霊的に清くない所には宿られないので,わたしたちはこれらの霊的な賜物を受けるにふさわしく自分自身を備えなくてはなりません。

御霊の賜物を受けるために,どのような準備をするように教えられていますか。このほかにも自己を備える方法がありますか。答えを黒板に書く。

預言者ジョセフ・スミスは次のように述べています。「徳高く純粋でありなさい。真理と高潔の人でありなさい。そして神の戒めを守りなさい。そうすれば真実と偽りの違い,すなわち神の賜物と人の事物の違いがより完全に分かるようになるであろう。」(マリオン・G・ロムニー,History of the Church,5:31)

  • ジョセフ・スミスはさらにどのような条件を挙げていますか。(徳高く純粋であること,真実と高潔の人であること,戒めを守ること)答えを黒板に書く。

御霊の賜物を享受するには,謙遜になって悔い改め,隣人と平和に生活することが必要です。預言者ジョセフ・スミスでさえ,すべての人に対してよい感情を抱かないかぎり,霊感を受けることができませんでした。

「ある朝,妻のエマのしたことにいら立ちを覚えたジョセフは……『モルモン書』を翻訳しようと努めましたが,どうしてもできませんでした。……そこで果樹園に行って祈った後エマのところに戻って赦しを求めました。すると,再び翻訳ができるようになったのです。」(デビッド・ホイットマー引用,B. H. Roberts, A Comprehensive History of the Church,1:131)

  • 預言者ジョセフは御霊の賜物を使うために,どのように自分を備えましたか。

御霊の賜物を受ける備えができていない場合,それはどのようなことから分かりますか。(みじめな気持ち,混乱,意気消沈,利己心,ねたみ,教会で働くのにふさわしくないという思い,教会の指導者に対して批判的になる,祈りたくない,故意に戒めを破る)

御霊の賜物によって得られる祝福

御霊の賜物は神聖なものであり,わたしたちを導き,慰め,教えるために与えられます。御霊の賜物を通して,わたしたちは霊的高揚や励まし,信仰を強める力を得ることができます。御霊の賜物を享受するときに,この世における平安と,日の栄えの王国に至るための導きとを得ることができるのです。

  • 教義と聖約46:8を読む。最善の賜物を求める理由は何でしょうか。(欺かれないようにするため)

御霊の賜物を必要とするときはたくさんあります。病気のときや混乱したとき,悲しいときには,癒しや導き,慰めが必要です。また困難な状況に対処するために問題の解決法や導きを求めているときには,知識や理解力,洞察力,高められた能力が必要となってきます。そのようなときに御霊の賜物を通して祝福が得られることが分かっていれば,慰められます。聖典には次のように記されています。「これらすべての賜物は,神の子たちを益するために神から来る。」(教義と聖約46:26

  • 割り当てておいた姉妹に,御霊の賜物を受けたときの経験に関する次の話をしてもらう。

ジェーン・グローバー・スチュワート姉妹は,次のように記録しています。

「ある朝のことです。わたしたちは,すぐりの実を取りに行きたいと思っていました。タナー老人は馬車の用意をすると,ライマン家の二人の姉妹と幼い孫娘とわたしを乗せて出発しました。森に着いたとき,わたしたちは老人に,すぐりの実を摘む間,休んでいるように言いました。

ライマンとわたしがその場を離れてから間もなくのことでした。突然,悲鳴が聞こえてきたのです。……タナー老人の見える所まで歩いて行くと,彼は馬車の向きを変えようとしていました。……さらに近づくと,インディアンが馬車を取り囲み,奇声を上げて仲間を呼び集めているのが見えました。わたしたちは馬車に乗り込んで馬を走らせようとしましたが,インディアンたちはすかさず4人が車輪を押さえ,二人が手綱をつかんでわたしたちの行く手を阻みました。そして,もう一人がわたしを馬車から引きずり下ろそうとやって来たのです。

わたしは怒りと恐ろしさがこみあげてきて,タナー老人に,自分を馬車から下ろして助けを呼びに行かせてくれるように頼みました。ところが『かわいそうだが,もう手遅れだ』と言うのです。わたしは『このままでは助からないわ』と言いました。老人の顔は真っ青でした。インディアンはタナー老人の持ち物をはぎ取り始めました。時計,ハンカチ,次々と奪い取っていきます。一方で別のインディアンがわたしを馬車から引きずり下ろそうとしました。わたしは心の中で天父に祈り始めました。

必死に抵抗しながら祈っていると,全能の主の御霊がわたしに降り,わたしは強い力を得て立ち上がりました。あのときの気持ちは,とても言葉では表現できません。わたしはこのうえない幸福感に満たされたのです。死んだ方がましだ!そんな気持ちになろうとしていた矢先のことでした。わたしは神の力によって手を挙げ,インディアンの言葉で話し始めたのです。わたしが神の力によって語っている間,インディアンたちは馬や馬車から手を離し,わたしの前に立ちすくんでいました。そして頭を下げ,わたしの話に同意するしぐさを見せたのです。

タナー老人と幼い孫娘は,あ然とした様子でその光景を見ていました。わたしは,自分たちがどんな状況に陥ろうとしていたのか知りました。彼らはタナー老人を殺し,馬車を焼き払ってから,わたしたちを連れて行く算段だったのです。すべてがわたしの前にはっきりと描き出されました。わたしが話し終えると,彼らはわたしたち3人と握手をし,タナー老人から奪った物をすべて返しました。そこで老人はハンカチを,わたしはすぐりの実とクラッカーをインディアンに手渡しました。そうこうしているうちに二人の女性がこちらにやって来たので,わたしたちは急いで家に帰りました。

主はあのときわたしが何を語ったか,その一部を教えてくださいました。

『あなたたちインディアンは,わたしたちを殺すつもりなのね。でも大霊があなたたちを見ていて,何だってあなたたちの考えていることを見通していらっしゃるわ。わたしたちはただ果物を取りに来ただけで,害を加えるために来たんじゃない。もしわたしたちに手をかけて,髪の毛1本でも傷つけようものなら,大霊に打たれ,地に倒れて息絶えるに違いないわ。わたしたちもあなたたちと同じようにこれまでずっと家を追われて来たわ。そして,ただよいことをするためにここに来たのよ。決してあなたたちを苦しめるためじゃない。わたしたちもあなたたちも皆,主の民ですもの。もう人殺しや悪いことをしてはいけないわ。主はそんなことを喜ばれないし,ずっとそんなことをしていたら栄えるはずがないわ。あなたたちは,ここの土地や森や馬がみんな自分たちのものだと思っているのでしょう。でも,あなたたちのものは何一つないのよ。今吸っている空気だってそうよ。みんな大霊のものなんですもの。』」(エドワード・W・タリッジ,“I Talked to Those Indians in Their Own Language,” in Leon Hartshorn, comp., Remarkable Stories from the Lives of Latter-day Saint Women,1:26-28)

  • グローバー姉妹に与えられた二つの賜物は何ですか。(異言の賜物,異言を解する賜物)彼女はこれらの賜物を受けるために何をしましたか。これらの賜物を受けたときどのような気持ちを感じましたか。

ペルーのリマに住むアントニア・フロレス姉妹は,自分の体験について次のように語っています。

「数年前のことですが,わたしは支部長との面接で,扶助協会会長の召しを伝えられました。わたしは扶助協会の会長になるのがとても怖くて,そのような責任をどう果たしたらよいのか見当もつかなかったので,すぐに返事ができませんでした。その日遅くに,わたしは断食と祈りの原則を思い出しました。そこで断食し,この恐ろしい召しを受けることについて祈りました。

啓示を受けたのはその夜のことでした。わたしは夢の中で手に大きな荷物を抱えて歩いていました。重い物を持って長時間歩いていたので,疲れ果てていました。そのとき,主イエス・キリストが現れて,荷物を持ってくださり,わたしを招いてこう言われました。『わたしに従ってきなさい。』(ルカ18:22)翌朝,わたしはそうかいな気分で目覚めました。恐れはすっかりなくなっていました。わたしは急いで支部長の所に行き,この経験を話しました。また,すでに恐れがないことと,召しを受け入れるべきであると分かったことを話しました。それから現在に至るまで,すばらしい副会長の助けを得て,わたしは会長としての責任を果たしています。」(レオン・ハートショーン編,“He Took the Weight out of My Hands,” Remarkable Stories from the Lives of Latter-day Saint Women,2:87)

  • フロレス姉妹が個人の啓示という御霊の賜物を受ける必要があったのはなぜですか。

聖霊が真理を明らかにしてくださる方法は,夢のほかにもあります。わたしたちは聖霊によって目が開かれます(教義と聖約76:12参照)。また,声を聞くことができます(モーセ5:44参照)。聖霊はわたしたちの心に語りかける力を持っておられます(教義と聖約6:23エノス10:10参照)。真実を語る宣教師,預言者,主の僕の言葉を聞くときに,わたしたちは聖霊の力を感じることができるのです(モロナイ10:4-5参照)。また,主の言葉の中に揺るぎない信仰を感じ取ることができます(エテル3:11-12参照)。わたしたちが祈り求めるならば,主は真理の御霊によってわたしたちの心を照らし,安らぎを得させてくださるのです(教義と聖約6:14-16,21-24参照)。

ソルトレーク・シティーのアフトン・アフレック姉妹は,信仰の賜物を得た経験について次のように語っています。

「クリスマスの準備をしていたときのことです。……わたしは,パーティーをすばらしいものにしたいと考えていたので,準備に精を出していました。ところがひどく頭痛がして,痛みはひどくなるばかりでした。午後になって何回も夫のボブに連絡しようとしましたが,なかなか連絡が取れないでいるうちに,『あなたは髄膜炎だ』とささやく声が聞こえてきたのです。『そんなはずないわ。』わたしは思わず大声を出してしまいました。わたしの父は脊髄膜炎が原因で亡くなっていたのです。

医者のバートンが来てくれたとき,容態はかなり悪くなっていました。医者がわたしの片足を持ち上げると,首筋の当たりから閃光が走るように感じました。彼はボブに『祝福をしよう』と言って,二人はわたしに癒しの儀式を施してくれました。それから,病院へ向かう前にボブは,ソルトレーク神殿のロバート・ヤング神殿長に電話し,病院に来てくれるように頼みました。……

病院に着くと,ヤング神殿長とボブがわたしに祝福を施してくれました。わたしは意識がもうろうとする中で,ヤング神殿長の言葉を聞いていました。神殿長は病を叱責し,わたしの体をむしばむ力が消え失せるように宣言しました。また,必ず完治すると約束し,わたしにこの苦しみに耐える力が与えられるように祝福してくれました。

激痛に一人で耐えながら,わたしは救い主について,贖いについて,また主イエス・キリストの愛について,多くのことを学びました。絶えず教えを受け続けていたように感じます。一度だけですが,激痛にもう耐えられないと感じたことがありました。ちょうどそのとき,叔父のレイ・モスといとこのラフェルが来て,頭の上に手を置き,わたしに癒しの儀式を施してくれました。……

その間も目に激しい痛みを感じて,わたしは目を開けることができませんでした。意識を取り戻したとき,医師が助手の人に視力回復の可能性は五千に一つだと話しているのが聞こえました。それでも,自分は見えるよちになると信じ,完全に治るという言葉を疑ったことは一度もありませんでした。しかし体の右半分が冒されていたため,右腕や右足を動かすことができませんでした。……

ある夜のことです。……わたしは『砂粒の千分の一ほどの信仰があれば,足は動き,目も見えるようになる』という声を聞きました。そのときまで自分は強い信仰を行使していると思っていたので,叱責されたような気がしました。

わたしは信仰を持って祈りました。そして頭の向きを変えたのです。それまでは,向きを変えようとすると必ず意識を失っていましたが,それができたのです。そのうえ,一筋の光がドアの下からさし込んでいるのが見えるではありませんか。

そして,動かそうと思えば足も動くように感じました。……

信仰は神から与えられる賜物です。主は,それまでにない信仰をわたしに与えてくださいました。確かに足を動かすことができたのです。わたしは喜びに満たされ,夜通し主を讃美しました。朝まではだれとも話したくありませんでした。主は信仰と神権の力によって,またわたしを愛する人々の祈りによって,病が癒されると約束してくださいました。わたしはこの機会を通して,自分自身を強めることができました。主がわたしにこの経験をさせてくださったことを心から感謝しています。」(“Faith Is a Gift of God,” Remarkable Stories from the Lives of Latter-day Saint Women,2:1-3)

  • アフレック姉妹はどのような御霊の賜物を受けましたか。信仰を持つことによって,彼女はどのような祝福を受けましたか。

まとめ

末日聖徒イエス・キリスト教会の会員には霊的な賜物が約束されています。これらの賜物は,聖霊を通して主から与えられ,義にかなった生活を送って神のみもとに戻れるようにわたしたちを助けてくれます。御霊の賜物を受けるには,自分自身を備えなければなりません。信仰を持って祈り,戒めを守るのです。また謙遜になり,主の業を喜んで行う必要があります。

チャレンジ

教義と聖約46:8-26モロナイ10:5-301コリント12章を読む。自分に与えられた賜物が何かを知り,ほかの人のためにそれを使う。機会をとらえて,家族がそれぞれの賜物に気づき,それを伸ばせるように助ける。

参照聖句

教師の準備

レッスンの前に,以下の事柄を行う。

  1. 『末日聖徒の女性A』第4課「聖霊の賜物」を学ぶ。

  2. 『福音の原則』第21章「聖霊の賜物」から「聖霊の賜物」の部分を学ぶ。

  3. 『福音の原則』第22章「御霊の賜物」を学ぶ。

  4. モロナイ10:5-301コリント12章教義と聖約46:8-26を読む。

  5. 信仰箇条第7節を書いた紙を用意する。またはクラスの始まる前に黒板に書いておく。

  6. 黒板とチョークを用意する。

  7. 本課の引用文と聖句の発表を生徒に割り当てる。