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第28課 教会での奉仕


第28課

教会での奉仕

目的 教会で奉仕する召しを受けるために備える。

主の教会で奉仕する機会

ヒュー・B・ブラウン長老は,次のような話をしました。

「わたしは軍人のコーディネーターを務めている間,英国のロンドンにいました。あるとき,リバプール近くに駐屯する大隊の先任従軍牧師に,次のような電報を打ちました。『アスアサ10ジソチラヘツク。シュウカイヒラクコト,スベテノモルモンニツタエコウ。』

次の朝キャンプに着くと,そこには75名の青年がいました。

会衆の中から一人が進み出て,わたしに握手して言いました。『わたしがこの隊の従軍牧師で,電報を受けた者です。わたしのもとに届いたのは,今朝(安息日)のことです。電報を受けてからすぐに調査を始めて,くまなく当たった結果,76名の末日聖徒がいることが分かりました。その中の1名は入院中で,現在ここには75名が集っています。』

それから彼はこう言いました。『ブラウンさん,あなたにぜひお聞きしたいのですが,どうしたらこのようなことができるのですか。この隊には,わたしの所属する教会の会員が600名いますが,たとえ半年前から通知しても,恐らく全員が集まることはないと思います。いったいどのようにしたのですか。』

『そうですね,わたしたちの集会に出席すれば,それをお見せできると思いますよ。』そこで彼はわたしの後について兵舎に入り,75名の青年と向かい合って着席しました。わたしは従軍牧師に隣に座るように勧めました。

『この中で,専任宣教師として伝道した経験のある人はいますか。』すると半数以上が手を挙げました。わたしはその中の6名を指名し,前に出て聖餐式を執行するように言ってから,別の6名を指して,『前に来て,話の準備をするように』と言いました。従軍牧師を見ると,彼は驚いた様子でした。彼はこのような光景を目にしたことがなかったのです。……

『だれか指揮のできる人はいますか。』こう言うと,ほとんどの人が手を挙げました。わたしはその中の一人を指揮者に選びました。『この携帯用オルガンを弾ける人はいますか。』このときも,数人が手を挙げたので,わたしはその中の一人を指名しました。……

わたしたちは集会を続け,指名を受けた青年たちは確信に満ちた力強い話をしました。……全員が話を終えた時点で,わたしは言いました。『皆さん,これで閉会にしたいと思います。』

すると彼らが言いました。……『これから証会をしましょう。』

わたしは従軍牧師の方を見て言いました。『こんな経験をされたことはないと思います。集会を始めて2時間たちますが,これからもう2時間,集会を続けることになりました。席をお立ちになるのでしたら,御遠慮なくどうぞ。』

彼はわたしのひざに手を置いて言いました。『ここにいてもよろしいですか。』わたしはもちろん,彼にとどまるように勧めて,それからまる2時間,……青年たちは福音の真理について証しました。……

やがて時間となり,会を閉じました。この従軍牧師はわたしの方を向いて次のように言いました。『わたしは21年も牧師をしてきましたが,これは人生で最もすばらしい霊的な経験でした。』それから,また同じ質問をしました。『どうしたらこのようなことができるのですか。だれを指名したらよいか,どうして分かったのですか。』

『だれを指名しても大丈夫です。みんな準備ができていますから。』」(レオン・R・ハートショーン編,“Thank You, God,” Outstanding Stories by General Authorities,第1巻,12-15)

  • 従軍牧師は末日聖徒の教会について,どのような違いがあることに気づきましたか。

  • 青年たちは何をする備えができていましたか。

  • 彼らはどのようにして自分自身を備えたのでしょうか。

  • 教会の奉仕に備えることが大切なのはなぜですか。

末日聖徒イエス・キリスト教会には,ほかの教会に共通して見られるような職業聖職者がいません。……すべての教会員は,奉仕を行って教会の活動を遂行するという召しを受けなければならないのです。」(ボイド・K・パッカー,Conference Report,1966年4月,146;Improvement Era,1966年6月号,551)

支部やワード,ステークが組織されるとき,それらのユニットのすべての責任に教会の会員が召されて奉仕します。

教会で奉仕する召しはどのように与えられるか

教会の指導者には,教会での責任に会員を召すという責務があります。指導者は,それぞれの責任を果たすために必要な条件や適性を心得ています。それらのことを心に留め,祈りの気持ちで候補者のリストについて考えます。そして各々の召しについて霊感と導きを求め,主からそれを受けるようにします。

わたしたちは主から教会の責任に召されたとき,どのような態度を取るべきですか。(主から行うように求められたことを喜んで行う。指導者を批判せずに,快く支持する)

責任を受けるように選ばれると,神権指導者から個人面接を受けます。この面接では,神権指導者から新しい召しの責任について説明があります。また,召しにかかわる時間や準備,集会の出席,交通など,必要な条件を満たせるかどうか自分で判断できるように,個人や家族の状態について質問されます。わたしたちは,だれに対して報告し,どの指導者から援助を受けられるのか理解する必要があります。時には,家族の人々が責任を受けた人を支援するように求められることがあります。

七十人第一定員会のローレン・C・ダン長老は,教会の召しの性質についてこのように語っています。

「教会における召しは,個人的で神聖なものです。すべての人は,自分がその職にあって神の御名により働くよう召されていることを知る権利があります。この教会に属する人は皆,自分が神から召されていることを知る権利を与えられているのです。もしそのような確信を持てない人がいれば,受ける権利のあるものを受けることができるように,与えられている召しについて真剣に祈りをもって考えるようにお勧めします。」(“We Are Called of God,” Ensign,1972年7月号,44)

  • 自分に与えられている召しが神からのものであるという確信を得るには,どうしたらよいでしょうか。

召しを果たすときにどのような援助を受けられるか

召しが霊感によって与えられることは知っていても,自分にはふさわしさや資格がないと感じたり,恐れを抱いたりすることがあります。聖文によれば,エノク,モーセ,エレミヤ,そのほか主に選ばれた人々も,自分はふさわしくないという思いを味わいました(モーセ6:31出エジプト4:10エレミヤ1:6参照)。

次の言葉を書いたポスターを提示する。「奉仕することによって奉仕する方法を身に付ける。」(スペンサー・W・キンボール,“Small Acts of Service,” Ensign,1974年12月号,2)

召しを果たす際にふさわしくないという思いを持つことについて,キンボール大管長は次のように語っています。「わたしたちは,奉仕することによって奉仕する方法を身に付けます。わたしは経験からそれを学びました。……わたしたちが目を外に向け,召しの一部として神から託された人々に真心からの関心を示すことが大切なのです」(“Small Acts of Service” Ensign,1974年12月号,2)

  • キンボール大管長の助言によれば,奉仕する方法を身に付けるにはどうしますか。また,ふさわしくないという思いを克服するには,どうすればよいでしょうか。

わたしたちの能力や才能,可能性をよく御存じの主は,それらを考慮したうえで,わたしたちを選び,責任を果たすように召されました。そのことを自覚すると,わたしたちは自信を持つことができます。

監督や支部長,ステーク会長,地方部長は,わたしたちが新しい責任を果たせるように祝福を与えてくれます。これは「任命」されるときに与えられます。

わたしたちは教会で奉仕する責任に召されるとき,自分一人でそれを行うように期待されてはいません。主から力と権能と助けを受けることができるのです。主は「御霊は信仰の祈りによってあなたがたに与えられるであろう」(教義と聖約42:14)と言われました。また,わたしたちがふさわしければ,「高い所から教えを受け……力を授けられ……るであろう」(教義と聖約43:16)と約束されました。

L・トム・ペリー長老は十二使徒に召されたとき,次のように語りました。「皆さんが福音に添った生活をするとき,主はいつもそこにおられます。わたしが特別な備えをするなら,また研究と準備を怠らないなら,主はいつでも,わたしのとるべき道を示してくださいました。このことが真実であることは,わたし自身の経験が証明しています。」(“News of the Church,” Ensign,1974年5月号,121)

  • 召しを果たすときに主の御霊の助けを受けることが大切なのはなぜですか。(主の業に召された人は,その召しを果たすために必要な力や霊感を受けることができる)

支部やワード,地方部,ステークの指導者や役員も,わたしたちが召しを果たせるように援助する責任を受けています。わたしたちは,これらの指導者に助けを求め,彼らの勧告に従います。また,指導者がわたしたちを訓練し,教え,霊的に鼓舞する集会に出席します。

  • これまでにどのような指導者から援助を受けましたか。

聖文に加えて,教会発行の手引きやテキストが,召しに関する指示や指針を与えてくれます。また,地域大会や総大会で話された預言者や中央幹部の説教も出版されています。教会の機関誌『リアホナ』を通して,そのような指導者の話の多くに触れることができます。わたしたちは,指導者の霊感に満ちたメッセージに含まれる教えや勧告を学び,それらに従う必要があります。

  • 中央幹部の勧告に従い,教会の出版物を研究することにより,自信を持って責任を果たせるようになるのはなぜでしょうか。(主が望んでおられる方法で真理を教え,人々を導いていることが分かるから)

召しに伴う個人の責任

わたしたちは主の教会で責任を引き受けるとき,主の管理人になります。簡単に言えば,主がわたしたちを信頼して特別な責務を任され,わたしたちは主の代理人となって託された事柄を行うということです。

これはまた,主から託された事柄に対して主に報告する責任があることを意味します。すべての人は,自分の召しに関して管理の職が与えられています。

  • 教義と聖約72:3-4を読む。

  • 管理の職について主に報告しなければならない人はだれですか。(すべての人)

  • 管理の職や召しに忠実な人には,どのような約束が与えられていますか。(父の住まいを受け継ぐのにふさわしい者となる)

  • 教義と聖約107:99-100を読む。

  • 教会の召しがどれも大切なのはなぜですか。教会で奉仕するときに全力を尽くさなければならないのはなぜですか。(わたしたちは,自分の義務を学んで全力でそれを果たすように戒められている。怠惰な者は祝福を受ける資格がない)

まとめ

中央扶助協会会長会の会長を務めたベル・S・スパッフォード姉妹は,次のように語っています。

「『わたしに従ってきなさい』という主の呼びかけは,当時の弟子たちと同様,今日のわたしたちにもあてはまる言葉です。……主の業は前進しなければなりません。そしてその前進の度合は,わたしたちがささげる力によって決まります。主はわたしたちの力を必要としておられ,わたしたちの弱点に寛容であられます。わたしたちはそれぞれ,何らかの力を持っているので,それに応じた責任に召されています。主からの召しを受け入れ,主の業の中にあって成長することが,わたしたちの責任なのです。」(Women in Today’s World,1971年,67)

教会では主に仕える機会が多くあります。わたしたちは霊感によって与えられた管理の職を,主が望まれる方法で果たせるように努めなくてはなりません。

チャレンジ

主が指導者に霊感を与えてわたしたちを教会の責任に召されることを銘記する。教会の召しを果たすときに,主や指導者,聖文,教会で認可された手引きなどを援助の源とする。管理の職にかかわるすべての責任を喜んで引き受ける。現在受けている教会の召しにおいて,管理の職をもっとよく果たすための方法を列挙する。

参照聖句

教師の準備

レッスンの前に,以下の事柄を行う。

  1. 『福音の原則』第28章「奉仕」を読む。

  2. 本書第12課「教会の組織」を復習する。

  3. 「奉仕することによって奉仕する方法を身に付ける」と書いたポスターを用意する。

  4. 本課の引用文と聖句の発表を生徒に割り当てる。