2018
1つの赤い電球
2018年12月号


熟考

1つの赤い電球

筆者はアメリカ合衆国オレゴン州在住です。

とてもシンプルなクリスマスツリーの装飾品が,クリスマスのほんとうの意味を思い出させてくれました。

画像
single red bulb

「ベテスダで病人を癒されるキリスト」の一部,カール・ハインリッヒ・ブロッホ画,ブリガム・ヤング大学美術博物館の厚意による

クリスマスは,クリスマスではありませんでした。クリスマスの音楽をかけて明るくしようと努力しながらも,重い気持ちで収納箱を取り出しました。雪だるまの形をしたクッキーの入れ物は,クッキーを一緒に焼く相手がいないことを思い出させました。小さなサンタの置き物は,靴下を飾る意味などもはやないのだと言っているようでした。ペパーミント菓子のようなストライプ模様の包装紙を見詰めながら,興奮した子供たちの声は朝になっても聞こえてこないことを思い出しました。

末の子が今年大学へ進学し,家の中はひっそりと寂しくなってしまいました。サンタとは関係のない装飾品だけを選び,ほかはすべて箱に戻しました。

夫が町の外へ出かけていたので,ツリーの飾り付けを一人でしました。義理の娘がインターネット上に掲載した,孫がツリーの飾り付けをしている画像を見ながら,わたしは遠い昔を懐かしみました。どうしてこんなに早く時が過ぎ去ってしまったのでしょう。どうして子供たちはこんなにも早く成長してしまったのでしょう。物思いにふけっていると,ふと手の中の小さな電球に目が止まりました。それは,赤い電球でした。

色をよく見てみると,とても深みのある赤で,真紅色でした。手もとに残した簡素な装飾品を見渡しました。キリスト降誕の場面に関連したものが少々,アイスキャンディーの棒で作った飼い葉おけ,そして金の文字で「NOEL」〔訳注—「クリスマス」の意味〕と書かれた飾り。目が涙で濡れました。電球は,救い主の贖いの血のような赤い色をしていました。

わたしは今まで,飾りや,型抜きのクッキー,そしてクリスマスの朝に響く子供たちの歓声こそが,クリスマスの時期にわたしを幸せにしてくれるものだと考えてきましたが,ふと子供たちと彼らの永遠の家族のことを考えました。わたしが家族から得られた喜びや,子供たちがそれぞれの家庭で得ている喜びのことを考えました。飼い葉おけに眠る幼子がそれらを可能にしたのです。わたしだけではなく,全人類に与えられた救い主という贈り物に思いをはせていると,心にじんわりとしたぬくもりを感じました。

「御使は言った,『恐れるな。見よ,すべての民に与えられる大きな喜びを,あなたがたに伝える。』」(ルカ2:10;強調付加)

ツリーの飾り付けをしながら,わたしはイエス・キリストのつつましい誕生と生涯について思い巡らしました。主は傷ついた者を癒し,虐げられた者を奮い立たせ,孤独な者を慰め,不完全な者に平安をもたらし,苦しむ者に哀れみをかけるために来られたのです。わたしたちが御父の王国で再び主とともに住めるように,主は生まれ,死なれたのです。人がほんとうの幸福を知ることができるようにと,おいでになったのです。胸がいっぱいになり,キリストに喜びを見いだしました。なぜなら,キリストこそがクリスマスだからです。