2018
「わたしにしたのである」
2018年12月号


「わたしにしたのである」

シャノン・ナイト

(アメリカ合衆国,カリフォルニア州)

画像
shaking hands

イラスト/アレン・ガーンズ

わたしの家族にはクリスマスに伝統があります。食べ物,手袋,帽子,そのほか生活必需品を詰めたギフトバッグを,助けが必要な人に配るのです。2016年のクリスマスイブ,わたしたちの住むアメリカ合衆国カリフォルニア州地域は特に厳しい寒さに見舞われました。厚着をしてもまだ震えたぐらいです。

家の近くの公園には多くのホームレスがいて,そこに車で向かう途中,バス停の小さな待合所の中で毛布にくるまってかがみ込んでいる男性を見かけました。夫のデニスは車を止め,息子のジョナサンを連れてその男性にギフトバッグを渡しに行きました。わたしは娘のアビーと一緒に車に残り,見守っていました。

デニスがバッグを手渡すと,男性は顔を上げました。男性は満面に笑みを浮かべました。二人は握手をし,話し始めました。これは珍しいことで,普段はそれほどやり取りすることはないのです。

数分後,デニスは車に戻ると,トランクを開けました。

「大丈夫なの?」と尋ねると,

「大丈夫だよ」と夫は答えました。「ぼくのパーカーを上げようと思って。ぼくよりもあの人に必要だからね。」

わたしは言葉を失いました。それはとても良いパーカーで,デニスはまだ数回しか着ていなかったのです。デニスは男性のところに戻ると,その暖かいパーカーを着せました。男性の顔は喜びに満ちていました。デニスと男性はそのまま話し込んでいました。

わたしもその人と話してみたくなりました。車のドアを開けると,アビーもついて来ました。近づくと,デニスはほほえみながら男性にわたしたちを紹介しました。わたしは手を差し出しながら,名前を聞いてみました。

男性はわたしの手を取り,温かくほほえむと,「ヘスースです」と答えました。

その後も家族は会話を続けましたが,わたしの耳にはあまり入ってきませんでした。わたしはずっとこの優しげな男性の名前の意味を考えていました。「ヘスース」は英語読みで「ジーザス」,わたしたちの救い主イエスの名前です。一瞬のうちに,わたしは救い主の教えを思い出しました。「わたしの兄弟であるこれらの最も小さい者のひとりにしたのは,すなわち,わたしにしたのである。」(マタイ25:40)この経験は,わたしを永遠に変えました。