家族のリソース
第15課:子供が決定を下すに当たって,導きを与える


第15課

子供が決定を下すに当たって,導きを与える

目 的

何かを決めようとする子供を導くうえで役立つ原則を教える。

準 備

  1. 教える備えをしながら,「教師としてのあなたの責任」(本書 ixxi)にある原則を実践する方法を探す。

  2. 太字の見出しを読む。これらの見出しには本課の教義と原則が要約されている。準備の一部として,これらの教義と原則を応用できるよう参加者を助ける方法を思い巡らす。参加者の必要に合ったレッスンを行うためには何を強調すればよいかを御霊みたまの導きを求めながら決める。

  3. 『家庭の夕べアイデア集』(31106 300)がある場合は,253-254ページにある「自由意志-成長のかぎおよび268-269ページにある「迷い出た子供」を研究する。これらの項目をレッスンで参照することを検討する。

  4. 小さな石を一つクラスに持参する。本課の最後の箇所で使用する。

レッスンの進め方の提案

子供は決定を下すときに導きが必要である

トーマス・S・モンソン副管長が総大会での説教で紹介した以下の詩を読む。

「少年は一人で分かれ道に立った。

日の光が顔を照らす。

彼は世の中を知らない。

これから人生の大変なレースだ。

でも道は西と東に分かれていた。

どちらの道がよいか分からない。

そこで彼は下りの道を選んだ。

そして彼はレースに敗れ,冠を受けることなく

恨みに満ちた人生を過ごした。

分かれ道で,だれも

どちらに行くべきか教えてくれなかったから。

ある日同じ分かれ道に

高い望みを抱いた少年が立った。

彼も人生のレースのスタートだ。

彼もよきものを求めていた。

そこには道を知っている者がいた。

その人はどちらに行くべきか教えてくれた。

こうして少年は下りの道を避けた。

そしてレースに勝ち,勝利の冠を受けた。

彼は今,順調に高い道を歩んでいる。

分かれ道に立って,より良い道を教えてくれる人がいたから。」

(「さらに高き道を」『聖徒の道』1994年1月号,57

子供や青少年はしばしば岐路きろに立つ。すなわち人生にいつまでも影響を及ぼすような選択を迫られるときがある。道を知っている両親は,そこにいて子供が正しい選択をするように助けなければならない。たとえ選択の瞬間に両親が子供とともにいることができない場合であっても,子供は両親から教わったことを思い出して聖霊の導きを受け,その促しに頼れるようになる必要がある。

両親は子供が選択の自由を義にかなって行使できるように助けることができる

選択の自由は天父がわたしたちに授けられた最も偉大な賜物たまものの一つであることを説明する。選択の自由とは,自分自身で選択し行動する力である。選択の自由を通じて,わたしたちは救い主に従い,永遠の命の祝福を受ける(2ニーファイ2:25-28参照)。

参加者とともに教義と聖約58:27-28を読む。

  • この聖句は何かを決めようとしている子供を助ける両親にどのように当てはまるだろうか。

  • 子供に決めさせることにはどのような利点があるだろうか。

以下の資料には,子供が選択の自由を義にかなって行使するのを助けるために親が従うことのできる原則が略述されている。参加者とともにこれらの原則について話し合う。

子供に天父の偉大な幸福の計画を教える

参加者とともに,アルマ12:32から以下の抜粋を読む。

「そこで神は,あがないの計画を人々に示された後,……戒めを彼らに与えられた。」

  • 神があがないの計画を示された後に戒めを与えられたことが重要なのはなぜだろうか。戒めに従うように子供を励まそうとする両親は,この原則をどのように応用することができるだろうか。

    十二使徒定員会会員のボイド・K・パッカー長老はこう教えている。

    「若人は『なぜ?』と言います。なぜこれをしなきゃならないの?なぜこれをしちゃいけないの?幸福の計画についての知識が,若人に『なぜ?』の理由を与えてくれます。

    皆さんは,若人が誘惑を受けるときにそばにいることはできません。そのような危険なとき,彼らは自分に与えられたものに頼らなければなりません。それを福音の枠の中に見いだすことができれば,彼らは非常に強められます。

    幸福の計画は何度も繰り返し教える価値のあるものです。そうすれば,人生の目的やあがない主の実在,戒めの必要性が心に刻み込まれます。

    そして,彼らが福音について学んだことや人生で経験したことが,キリストとそのあがない,福音の回復への深まり続けるあかしを増し加えていくのです。」(The Great Plan of Happiness〔宗教教育者への話,1993年8月10日〕,3)

子供に福音の原則に基づいた明確な指針を与える

両親は子供に選択の際に従うべき明確な指針を与えなければならない。これには家庭において福音を教えることや行動の標準を定めることが含まれる。七十人のジョー・J・クリステンセン長老はこう教えている。

「道徳上の標準や指針を明確に決めるのを恐れないでください。必要なときには,『ノー』と言わなければならないのです。……わが家では,してはならない決まりがあることを,子供たちにはっきり伝えてください。自分の子が友達から受け入れられたり,人気を得たりすることに気を配るあまり,子供たちがお金をかけて流行を追いかけたり,慎みのない服装をしたり,夜遅くまで外出したり,16歳になる前にデートをしたり,成人映画に行ったりするのを,標準にそぐわないと感じていながら黙認している親がいます。子供にとっても親にとっても,正しくあろうとするのは,時として孤独なことです。子供たちは,一人で夜を過ごさなければならないかもしれません。パーティーに出られなかったり,映画に行けなかったりもするでしょう。それはあまり楽しい経験ではないかもしれません。しかし,子育ての目的は人気投票で1位になることではないのです。」(「汚れた世にあって子供を育てる」『聖徒の道』1994年1月号,12-13

  • 家族のために明確な道徳の指針を定めるために,両親にはどのようなことができるだろうか。(参加者がこの質問について話し合う際,自分自身の経験からの例を紹介するよう勧める。)

参加者とともにモロナイ7:15-19を読む。

  • ここでは善悪をわきまえる方法についてどのような勧告が与えられているだろうか。両親は子供のための指針を定めるときに,この勧告をどのように実践できるだろうか。

  • 子供や青少年の生活の中で,彼らが善悪を判断する際に助けを必要とする可能性のある分野にはどのようなものがあるだろうか。両親は子供が義にかなった選択をするのを助けるために,モロナイ7:15-19にある勧告をどのように用いることができるだろうか。

子供が生活の中で聖霊の影響力を認識するのを助ける

モロナイ7:15-19には,善悪をわきまえるのを助けてくれるキリストの光について書かれていることを説明する。キリストの光に従うことに加えて,わたしたちは「〔わたしたち〕がなすべきことをすべて〔わたしたち〕に示」し(2ニーファイ32:5),わたしたちが「すべてのことの真理を知る」(モロナイ10:5)のを助ける聖霊から導きを受けることができる。聖霊を認識してその促しに従うことを学ぶとき,子供たちは選択に当たってさらなる助けを受けるであろう。子供が聖霊の賜物たまものを授かった後,両親は彼らが御霊みたまを常に伴侶はんりょとするのにふさわしくありたいという望みをはぐくむように助けることができる。

十二使徒定員会会員のロバート・D・ヘイルズ長老は,聖霊の影響力を認識できるように母親がどう助けてくれたかを語っている。

「わたしがバプテスマと確認の儀式を受けた後,母がそばに来て『どんな気持ち?』と聞きました。わたしは,何とか言葉を見つけて,その平安に満ちた穏やかで,幸せで,温かい感じを伝えました。すると母は,それは今受けたばかりの聖霊の賜物たまもので,もしふさわしく生活すれば,その賜物が常にわたしとともにあることを説明してくれました。そのとき受けた教えは,生涯にわたってわたしの心に刻まれています。」(「家族を強めること-わたしたちに託された神聖な義務」『リアホナ』1999年7月号,39

  • 両親は子供が聖霊の影響力を感じてそれを認められるようにどう助けることができるだろうか。(両親は子供に聖文を研究し,神聖な音楽を聴き,戒めを守り,心から祈るよう励ますことができる,また子供に霊的な経験について話し,彼らへの愛を表すことができる,などの答えが考えられる。)

    両親にとって子供たちに個人の聖文学習,祈り,断食といった個人的に行う宗教的行為を奨励することが不可欠であることを強調する。家族の宗教活動に参加することは大切であるが,それだけでは十分ではない。

小さな子供には簡単な選択をする機会を与える

両親は小さな子供に何かを決める機会を与えることができる。選択は簡単なものにし,通常は二つの選択肢だけを与えたり,どちらを選んでも問題のないようにしておいたりする。例えば,「今日は青いシャツを着たい?それとも赤いシャツを着たい?」あるいは「お話を聴きたい?それとも寝る時間まで遊んでいたい?」と尋ねることができる。そのような選択肢を与えた後は,子供の選択を受け入れなければならない。

  • そのような簡単な選択は,子供が後に重要で難しい選択をするための備えをするうえでどのように役立つだろうか。

選択の中には永遠に影響を及ぼすものがあることを子供が理解できるよう助ける

安息日の活動を選ぶ,友人を選ぶ,教育に関する計画を立てる,あるいは職業に関する目標を立てるなどの難しい選択をしなければならないとき,子供は福音の真理に基づいて選択する方法を知っている必要がある。また,自分の選択が永遠に影響を及ぼす可能性があることを理解していなければならない。両親は子供が幼いうちから時間を取ってこれらの原則について子供と話さなければならない。

  • 両親は子供と話し合うとき,どのような方法で導くことができるだろうか。(自分自身の経験を話す,子供に主の戒めを思い起こさせる,異なる選択が持つ永遠の結果について考えさせる,などの答えが考えられる。)

  • 子供が正しくない選択をしそうなときに親の介入が求められることがある。具体的にはどのような状況が挙げられるだろうか。

    参加者の一人に十二使徒定員会会員M・ラッセル・バラード長老の以下の勧告を読ませる(『結婚と家族関係参加者用学習ガイド』69)。

    「誤った選択をするのを見たら,間に入るのが親の務めです。それは尊い賜物たまものである選択の自由を子供から奪うことではありません。選択の自由は神から授かった賜物であるため,究極的には,子供たちが何を行い,どのように振る舞い,何を信じるかという選択は,常に子供たちにかかっています。しかし親として,適切な振る舞いについて,そして誤った道に進んだ場合の結果について,子供たちが確実に理解していることを確認する必要があります。覚えていただきたいのは,家庭の中には非合法の検閲官のような人は存在しないということです。映画,雑誌,テレビ,ビデオ,インターネット,その他のメディアは,家庭では客のような存在です。そして家族の娯楽としてふさわしいと判断した場合だけ,招き入れるべきです。皆さんの家庭を平安と義の避け所としてください。自分の特別な霊の環境が悪の影響に汚染されるのを許してはなりません。互いの言葉や態度を親切で,思いやり深く,温和で,情け深いものにしてください。また福音の標準に基づいた家族の目標があれば,よりいっそう良い決断をしやすくなります。」(「消せない炎のように」『リアホナ』1999年7月号,104

両親は子供にふさわしくない決定の結果から学ばせるべきである

子供が正しい選択ができるように親が介入しなければならないケースもあるが,ふさわしくない選択をしたことから来る結果を阻止するような介入はしてはならないことを指摘する。

  • 子供に自分の選択の結果を味わわせないと,どのような結果を招くだろうか。逆に,自分の選択の自然な結果を経験させることは,どのような利益をもたらすだろうか。(参加者に自分自身の経験からの例を紹介するように勧める。その後,以下の言葉を読む。)

    十二使徒定員会会員のリチャード・G・スコット長老はこう語っている。「子供が故意に戒めを破って受ける当然の報いを取り除こうとして,親が意図的に介入するのは誤りです。このようにすれば,誤った原則を教える結果となり,さらに大きな罪を誘発し,悔い改めの必要性を感じなくなってしまいます。」(「正しい原則の力」『聖徒の道』1993年7月号,37

    ロバート・D・ヘイルズ長老はこう教えている。「子供が誤りから学ぶのを見守るのは,恐ろしい経験です。しかし,人から強要されてでなく,子供が自らの手で主の方法や家族の価値観を選ぶとき,選択の機会はさらにすばらしいものになります。愛と寛容という主の方法は,力と強制というサタンの方法よりも優れています。10代の子供を育てる場合は,特にそうです。」(「家族を強めること-わたしたちに託された神聖な義務」『リアホナ』1999年7月号,39

両親は道を外れた子供たちにも絶えることのない愛を示さなければならない

たとえ両親が最善を尽くしても,自分自身やほかの人々に深い悲しみを招くような選択をする子供がいることを指摘する。両親は道を外れた子供たちへの愛を決して失ってはならない。リチャード・G・スコット長老はこう語っている。

「皆さんの中には,親の勧めを無視して,道を外れた子供を持つ人もいるでしょう。天父も繰り返し同じような経験をしていらっしゃいます。中には自由意志の賜物たまもので天の勧告に背く選択をする神の子供たちもいますが,神は愛し続けていらっしゃいます。それでもわたしは,神が子供たちの無分別な選択を見ても,御自分を責められることはないと確信しています。」(「正しい原則の力」『聖徒の道』1993年7月号,)37

十二使徒定員会会員であった当時,ハワード・W・ハンター長老は,最善を尽くしたにもかかわらず子供の過ちのために悲しんでいる両親に次のような勧告を与えている。

「立派な親とは,子供に愛を示し,犠牲を払い,世話をし,教え,子供の必要を満たす人のことです。もしこれらのことをすべて行っても,子供が不従順で世のものを追い求め,手に負えないようであれば,それでも,皆さんは立派な親であると言えます。どのような環境の下でどのような両親のもとに生まれてこようとも,反抗するために生まれてきたような子供がいるのではないでしょうか。同様に,両親がどうあろうと,両親の生活に祝福と喜びをもたらす子供もいると思います。」(「子供を思いやる両親」『聖徒の道』1994年1月号,114)

参加者の一人に,教師がクラスに持参した小さな石を渡す(「準備」の第4項参照)。そして,その石を自分の目の前に持ってくるように言う。それから,何が見えるかを言ってもらう。リチャード・G・スコット長老が七十人であった当時に紹介した以下のたとえを読む。

「小さな石ころでも,目のすぐ前に持ってくると,大きな岩のように見えて,それ以外何も見えなくなってしまいます。すべての関心を小さな石に注ぐことになるのです。このように愛する者の問題が,四六時中わたしたちの生活を脅かすようになります。実際にできるかぎりのことをした後は,主の御手みてにすべてをゆだね,もはやくよくよ悩む必要はありません。どうしてもっとできないのかと自分を責めないでください。無益な心配をして皆さんの力を浪費しないでください。主は皆さんの視界を遮っている小石を取り除かれ,それを永遠に進歩する過程で直面する一つの課題としてとらえられるようにしてくださいます。こうして,問題を正しく見ることができるようになります。そのうちに,皆さんは心に御霊みたまを感じて,どうしたらもっと助けられるかが分かるでしょう。そしてより大きな平安と幸せに恵まれ,皆さんを必要とする人々をおろそかにせず,永遠の見地から物事を見て,より効果的な助けを与えることができるようになるでしょう。」(「助けを必要としている人に」『聖徒の道』1988年6月号,62)

  • 両親はどのようにしたら道を外れている息子や娘に変わることのない愛を示すことができるだろうか。そのような愛を,彼らの行いを黙認することなく示すにはどうすればいいだろうか。

参加者とともにルカ15:11-32を読む。この箇所はしばしば放蕩ほうとう息子のたとえ話と呼ばれていることを説明する。しかし,これは愛にあふれた父親のたとえ話とも呼ぶことができる。

  • のたとえ話から,父親の愛が道を外れた子供たちに与える影響についてどのようなことが学べるだろうか。

    大管長会の第一副管長であった当時,ゴードン・B・ヒンクレー大管長はこう教えている。

    「人の世の歴史を通じて,反抗的な子供の行いは嘆きや悲しみのもととなっていますが,反抗しても,家族のきずなはその子を包んできました。

    ルカによる福音書15章に記録されている救い主が語られた話ほど,心を打つものはないと思います。財産を要求し,それを使い果たして無一文になってしまった軽率で貪欲どんよくな息子の話です。彼が後悔して父のところへ帰ってくると,遠くから彼を見つけた父親は走って行って息子を抱きしめ,首に手を回して接吻せっぷんしました。」(「神が合わせられたもの」『聖徒の道』1991年7月号,74

結 び

子供が選択をする際に導きを与え,自分の行動の結果から学ばせることの大切さを強調する。主が,子供を愛し,子供のために努力し続ける両親を祝福されることを参加者たちに思い出させる。その後,管理監督であった当時のロバート・D・ヘイルズ長老の以下の言葉を読む。

「子供を育てる過程で間違いを犯さない親はいません。しかしへりくだり,信仰を持ち,祈り,勉強することによって,だれでもさらによい道を学び,その過程で現在の自分の家族を祝福し,幾世代にもわたって正しい伝統を伝えることができるのです。」(「どのように子供の心に残る親か」『聖徒の道』1994年1月号,10

御霊みたまの促しに従って,レッスンで話し合った原則が真実であることをあかしする。

『結婚と家族関係参加者用学習ガイド』の67-70ページを見てもらう。レッスンでの教義や原則を復習するため,参加者に以下を行うよう奨励する。(1)「応用のためのアイデア」にある提案から少なくとも一つを行う。(2)M・ラッセル・バラード長老の説教「消せない炎のように」を読む。学習ガイドに掲載されている説教を夫婦でともに読んで話し合うことは,既婚者にとって大変有益であることを指摘する。